【語り】高山久美子
のどかな風景が広がる京都・京田辺市のとある畑。ここでは、田辺なすやえびいもなど手間のかかるブランド野菜を、現役を退いた、ろうや難聴の人たちが中心になって作っています。
周りにろう者がいないため、ついつい閉じこもりがちな人たちが生き生きと過ごせる貴重な場です。
近くのカフェで働くのも、ろうの人たち。育てた野菜を使ったランチをふるまっています。農業や関連した仕事を障害のある人が行う、今注目の「農福連携」。ここはその先駆けなのです。
買い物客
「ピーマン?」
手話で話す職員
「どちらも同じよ。」
手話で話す職員
「家に引きこもっていろんなことを考えているより、外で日の光を浴びて、汗を流す方がいい。」
最近は聞こえる仲間も、うつやひきこもりだった人たちが手話を覚えて、一緒に働くようになりました。
手話で話す青年
「僕の名前は、さがら けんた です。」
聞こえない人も、聞こえる人も心地よい穏やかな京都の畑にお邪魔しました。
朝6時半、雨の中、ろうの女性が畑にやってきました。
撮影スタッフ
「この雨でも仕事するんですね。」
ろうの女性
「今日は雨でもやると連絡があったの。」
この日はナスの収穫。6月から11月の間、週3日、多い日で2千本を出荷しています。
皮まで柔らかくみずみずしい「田辺ナス」。百貨店などで高価で売られるブランド野菜です。
実は今、こうした手間のかかる野菜は農家の高齢化もあり、作り手が減っているといいます。
「いっぱい。大きいでしょ。」
地元の農業を守り、障害のある人たちの仕事の場も生み出す。そんな福祉事業書「さんさん山城」は、7年前に誕生。働いているのは、主に聴覚障害のある人たちです。現在33人が通っています。
手話で話す職員
「今日の仕事ですが、雨がなかったら朝からえびいもの畑で『土寄せ』をします。」
農業と福祉を組み合わせたユニークな取り組みの最初の成功例のひとつです。
この日は、あいにくの大雨で畑はお休み。でも、周りに手話の話し相手が少ないろう者同士、集まると昔話で盛り上がります。
高齢の男性
「中学2年生の頃、両親と農業をやってたんや。(当時の畑は)今は住宅地になってしもうた。」
職員 植原優さん(68)
「ここに来ることで、みんなと交流できるし、家にいたら話し相手がなくて退屈な人も、ここなら色んなことを話したり、畑仕事も楽しめるからね。」
普段、農業の指導は地元のプロの農家から受けています。
農家 太田好祐さん
「今日は小松菜を『播種機(はしゅき)』で点播きしていきます。」
元々農業の初心者ばかり。専門的な技術を身振り手振りを交え、時間をかけて学んできました。
農家 太田好祐さん
「やっぱり先生、大将がいかな。こっちこっち。」
地元に根差した、根気のいる伝統の野菜作りが、ろうの人たちと地域の農家の人たちとを深い絆でつないでいるのです。
農家 太田好祐さん
「ゆっくりゆっくり。OK。」
農家 太田好祐さん
「ここに来させてもらわないかぎり、この方々とお会いすることも、会話することもなかったので、いい経験させてもらっていると思っています。」
事業所のキッチンでは、朝とったばかりの野菜を調理。併設のカフェでランチを出すのです。今日のメニューは高級野菜えびいもと田辺ナスのカレーです。
調理するろうの女性
「『えびいも』が入っているカレーを出す店は他にはないですよ。ここのオリジナルカレーです。」
最近では家庭でも気軽には調理しなくなった伝統野菜をおいしく食べられる貴重なお店。この豪勢なカレーにサラダがついて500円です。
撮影スタッフ
「けっこうな量ですね。」
利用客
「そうですね。おいしいんです、ここのカレー。」
開店から1年で、地域の超人気店になっています。
ろうの女性
「市民の方がたくさん来て、おいしいと言ってくださるのでうれしいし、作りがいがあります。今日の分は全部出ちゃいました。」
別の部屋で、菓子作りに熱中する人たちがいました。相良健太さんと、井上稔さんです。
井上さんはろうですが、相良さんは聞こえる人・聴者です。でも、簡単な手話は分かります。実は相良さんは、小学生の頃、いじめを受けた経験があるといいます。以来、自宅に引きこもっていました。心の病になり、他人が怖くなってしまっていました。
相良健太さん(27)
「悪口言われている気がして、見られている感じがして、外に出るのが嫌でしたね。」
3年前、周りに勧められ、さんさん山城で農作業を体験。街の喧騒からも離れた穏やかな雰囲気が合い、通い始めました。
井上稔さん(70)
「彼は、ものすごく真面目です。真面目というより、一生懸命やる人と言った方がいいかも。忘れもしないんですけど、初めて会ったとき、相良くんは私のこと怖かったらしくて…。
初め、怖かったんやろ?」
相良健太さん
「はい、怖かったです。」
井上稔さん
「今はどうなん?私のイメージは。」
相良健太さん
「優しい。」
井上稔さん
「なるほど。自分ではどう見られているか分からないので、優しいと言ってくれて、ありがとう。これからもよろしく。」
「さんさん山城」には今、相良さんのような聞こえる人たちが増えています。うつ病、知的障害、虐待を受けた経験がある人など、他の施設が合わず、静かな畑で体を動かせるここならと来る人もいます。
聴者の女性
「仕事を病気でクビになって、長いこと家にいてたので、仕事に出てくるのが不安だったんですけど、ここなら毎日来れるかなと。」
職員 藤永実さん
「聴覚障害者の人たちのたまり場というか、支援できる場所というふうに最初は立ち上げたけど、地域の要請がある以上はそれに応えて、地域に貢献できる施設にしたいと思っていましたので。」
雨が上がり、利用者たちがえびいも畑へ。相良さんも参加します。地中の芋をエビのように曲げるため、上から土で重みをかける「土寄せ」。
ぬかるんで機械が入れず手作業です。相良さんには久しぶりの力仕事。泥に足をとられながら水を含んだ土を掘ります。
撮影スタッフ
「けっこう土、重い?」
相良健太さん
「はい、重たいです。」
農作業中、相良さんの様子をそっと見守っていた、ろうの植原さん。土寄せの仕方をさりげなくアドバイスします。
植原優さん
「親株に、土の塊をポンと置くんじゃなくて、土をほぐしてからまんべんなく入れた方がいい。水はかけたらダメ。」
土と格闘すること2時間。相良さんは疲れが溜まり、高齢の先輩たちよりも先に仕事を上がらせてもらいました。10歳の頃から10年以上、引きこもっている相良さん。ゆっくりと歩き出したばかりです。
その日の仕事帰り、相良さんに声をかけたのは、畑で指導した植原さん。
植原優さん
「疲れた?」
相良健太さん
「疲れました。」
植原優さん
「今日は一生懸命働いたからね。明日も頑張ろな。今夜はゆっくり寝るんやで。」
聞こえない人も聞こえる人も、また元気に働く明日がやってきます。