ハートネットメニューへ移動 メインコンテンツへ移動

ろうを生きる 難聴を生きる「故郷の手話を守りたい」<字幕スーパー>

    瀬戸内海に浮かぶ愛媛県・大島の宮窪町に、聞こえる人(聴者)もろう者も関係なく、手話で会話してきた珍しい地域があります。この手話は、他の地域にはない独自のもので、障害者の概念を覆すものとして、国際的にも注目されています。しかし、近年、使い手が激減。存亡の危機にある中、故郷の手話を守ろうと奮闘する地元出身のろう者矢野羽衣子さんの活動を追います。

    出演者ほか

    【語り】高山久美子

    番組ダイジェスト

    故郷の手話を守りたい

    瀬戸内海に浮かぶ、愛媛県の大島、宮窪町。

    photo

    ここは日本の中でも、とても珍しい言葉が行き交う漁師町です。

    「これで全部?」

    魚の取れ高について話す漁師さんたち。左の男性はろう者、右の男性は聞こえる人、聴者です。

    「30匹?」

    「そのかごに30匹ぐらいかな?他のと合わせて80匹ぐらい。」

    「そうだね。」

    photo

    「まぁ取ったけど食べてみて。」

    photo

    この男性も聴者。もともとろう者の多いこの地域では、聞こえる漁師さんの多くが、日常の言葉として口話と「宮窪手話」と呼ばれる手話を使ってきました。

    「ここらは、ろうあの人と普通の人いうんは、そう何(違い)が無い。もう普通の人とついなような、つきあいしよるけん。この人らはろうあやけん別、とかいうようなのは無いんよね。」

    「『小学校2年生』の手話はこうするのよ。」

    photo

    聞こえる子どもたちも、ろう者との暮らしの中で、自然に手話を覚えていきます。聴者とろう者の垣根を超えた宮窪手話は、従来の「障害者」の概念を覆す可能性があると、今、注目を集めています。
    この存在を国際的に知らしめたのが、大学院で研究している地元出身のろう者、矢野羽衣子さんです。

    photo

    故郷の言葉を愛し、伝えていこうと奮闘する羽衣子さんの活動を追いました。

    大島の北、およそ1,000人が暮らす宮窪町、浜地区です。

    photo

    ここで手話が当たり前に使われるのには、漁業をなりわいとする町ならではの事情があります。

    「どこ行っとった?取れた?鯛か?」

    photo

    「何と今おっしゃったのですか?」

    「だけん『どこ行っとった?』言うたらね、『岩城』言うて。この島の向こうら側にあるんよ、『岩城』いうとこが。あそこへ釣りに行っとったんよ、鯛を。鯛を釣りに行っとったんよ。」

    離れた船やエンジンの近くなどには、声でのやりとりは難しくなります。そこで、短い表現で的確に伝えられる宮窪手話が漁師たちをつなぐ重要な手段になってきました。
    矢野羽衣子さんは、4年前から本格的に宮窪手話の研究を始めました。地元の人たちや家族に協力してもらって、独特の手話表現を詳しく記録。数の数え方、時の表し方…、あらゆる角度から他の手話にはない特徴を学術的に分析しています。
    例えば数の数え方は、頬に手を当てるのが特徴で、日本手話と比べると手の形がシンプルです。

    photo

    船で作業をしながらでもやりやすいからではないかと推測しています。
    太陽の方角を示して時間帯を表す表現もあります。外で仕事をする漁師の町らしいものです。

    photo

    地元のろう者自身が母語を研究することはきわめてまれで、羽衣子さんによる分析は、国際的にも注目を浴びています。

    矢野羽衣子さん
    「日本手話の場合、過去・現在・未来と、時制が後ろから前に流れます。宮窪手話の場合、過去はからだの右横、現在がからだの前になります。未来を左横で表すかというとそうではなく、きょう、きのう、明日と表します。左側は使いません。漁師は今現在の天候を見て出漁を判断します。その時々によって状況が変わるため、未来の表現がないのではないかと個人的には考えていますが、まだ定かではありません。」

    共同研究を行う手話言語学の第一人者、松岡和美さんも、その独自性を高く評価しています。

    photo

    慶應義塾大学 教授 松岡和美さん
    「宮窪の人たちは、自然に手話を覚えて、聞こえる聞こえない、ほとんど考えずに普通のつきあいをしていると。ここには“障害者”っていうコンセプトは全く無いわけですよね。それは言語学っていうよりも社会的な部分なんですけども、社会言語学的に、みんなが知るべき事実だと思っています。」

    羽衣子さんは小さい頃から宮窪手話を皆が話す、ごくごく当たり前の言葉として使ってきました。しかし、5歳で島の外のろう学校に入学し、初めて口話中心の教育を受けます。さらに学校生活の中で、ショックを受けたある出来事がありました。送迎中にいろいろな話を聞かせてくれた祖母、まつみさん。

    photo

    その宮窪手話を見かけた別の保護者が、心無い言葉を投げかけたのです。まつみさんは、深く心を傷つけられたといいます。

    矢野羽衣子さん
    「家族全員が怒って、学校に話をしに行ったんです。『島のは手話じゃなく“ホーム・サイン”。手話とは違う』『日本手話とはかけ離れたもの』『ホーム・サインは言葉とは言えない』と言われました。“地元で皆が日常生活で使う宮窪手話が言葉でないはずがない。宮窪手話も日本手話と同じ言葉だと証明したい”と思って、考え始めたのが中学部の頃です。」

    同じころ、宮窪手話を巡る状況は島の中でも変化していきます。本州や四国をつなぐ橋ができ、漁業以外の仕事を見つけて島を離れる人が増えました。次第に過疎が進み、宮窪手話の使い手も減っていきます。代々漁師だった羽衣子さんの家族も、5人兄弟のうち、長男の真一さん以外は島を離れました。

    photo

    羽衣子さん自身も、東京で就職。日々の生活に追われていきました。しかし、宮窪手話への愛着は忘れがたいものでした。このままでは今の自分を形作ってくれた大切な言葉がなくなってしまうのではないか?思いきって仕事を辞め、大学院に入学。島に通いながら宮窪手話を継承し、その価値を伝えるための研究活動をしています。
    8月、羽衣子さんの実家には、毎年兄弟たちが子どもを連れて帰ってきます。みんなろう者です。羽衣子さんの父、喜志男さんにとって年に一度の楽しみです。喜志男さんは宮窪手話をあまり使わず、島の外で暮らす孫たちにあわせた表現で話しかけます。

    羽衣子さんの父 喜志男さん
    「きのうはうまくいったのに、きょうはおじいちゃん、網の張り方を失敗したんだ。」

    photo

    それをじっと見ていた羽衣子さんは、家族や親戚の前で初めて自分の思いをぶつけました。

    矢野羽衣子さん
    「私、今まで話さなかったんだけど、『宮窪手話は珍しい』って言われても、島のみんなは何が珍しいかわからないのよね。みんなにすれば当たり前に使っている言葉のことだし、島にずっといると、わからないのもしかたがないと思う。『宮窪手話はでたらめ』なんて言う人もいたけど、『それを使って生活してきた者がいる、れっきとした言葉なんだ』って伝えたいの。宮窪手話を使う様子を映像で残して、確かにこういう言葉があって、それを使って暮らしていたという証拠を残したい。そして、なくならないように伝えていかなきゃいけないって考えてるんだよね。」

    羽衣子さんの父 喜志男さん
    「自分がいなくなったら、宮窪手話がどうなってしまうのかはわからないね。宮窪手話は本当にかっこいいんだ。いまは東京の手話が広まっているけれど、宮窪の手話はほかにはないものなんだ。」

    受け継がれなければ滅んでいく「言葉」。それは、地域の風土や歴史と同じく、宮窪の人たちのアイデンティティーを支える、かけがえのないものです。

    羽衣子さんの父 喜志男さん
    「侵入者が泳いで渡ってこないか、見張るんだ。」

    photo

    喜志男さんはこの夏、改めて娘の思いを知らされて、宮窪手話の価値とそれを次世代に伝えることの大切さに思いをはせていました。

    「おじいちゃん、ありがとう。」

    photo

    夏休みの終わり、バーベキュー、宮窪に住む聴者もろう者も、親族みんながそろう恒例のイベントです。ふだんの生活では宮窪手話を使う機会が減ったという聴者の親族たちも、この日は手話の会話を楽しみます。

    「めったにこうやって寄ることはないんやけど、こうやって寄ったらやっぱり手話で話す。楽しいですよ。」

    「『りおちゃん何年?』って。」

    photo

    矢野羽衣子さん
    「一番上のいとこです。私の『羽衣子』って名前を付けてくれた人なんです。」

    photo

    「名前の由来は?」

    「ものすごくかわいかったんですよね、子どものときに。ほんと見たことないくらいにかわいかったから、それで『羽衣子』って、天使の子どものように。今はこうですけど。」

    矢野羽衣子さん
    「宮窪手話を使うみんなの囲まれて育ったことは本当に幸せ。ここはほかに無い場所、心が開放される貴重な時間です。」

    それぞれの土地で人々をつないでいる「言葉」。羽衣子さんの活動は「言葉」を守り続けることの意味を私たちに問いかけています。

    新着ダイジェスト