ろうにハレルヤ! ―牧師 郡美矢―
あら、楽しそう!
でも、何を見ているの!?

実はここ、キリスト教の教会。
みなさんは、牧師の説教を見て笑っていたんです。

(郡さん)「神様は、いつも二人三脚で歩んでくださるのです。」
コミカルな動きと手話を使って、神の教えを解くのは、郡 美矢(こおり みや)さん。
46歳です。
郡さんの説教は、まるで芝居を見ているようだと、評判を呼んでいます。

(郡さん)「私は、ろうは神様から与えられた、個性だと思っています。
ろうとして生まれ、ろうとして生きてきました。
だから、ろうとして表現していきたいんです。」

牧師として、人々の悩みや苦しみにも寄り添う郡さん。
奮闘の日々を追いました。
ろうにハレルヤ!~牧師 郡美矢さん~
広島県広島市。
郡さんの教会は小高い丘の住宅街にあります。

日曜の、朝8時。
スクーターに乗って郡さんがやってきました。

この日は、聖書を元に神の教えを説く大切な日。さぞ、緊張しているのかと思いきや・・・
(阿波踊りをする)

どんな時も、郡さんはサービス精神いっぱいです。
この教会では、健聴者向けの礼拝も行われています。
郡さんの説教は、字幕を使うため会議室で行います。
この日の参加者は19人。ほとんどがろう者です。
2年前に赴任してから増え続けています。

(参加者の女性)「郡さんの説教は、お芝居みたいで笑えるし、とってもおもしろいんですよ。」

いよいよ始まりました。

(郡さん)「みなさん、神様から元気をいただきましょう。」
この日、郡さんが取り上げる聖書の一節はこちら。
「疲れた者。重荷を背負う者は、誰でも私の元に来なさい。休ませてあげよう」
この一説には、神の願いが込められていると、郡さんは言います。
どういうことでしょうか。

(郡さん)「神が私たち(ろう者に)望む関係は、結婚した後の夫婦の関係に、似ています。
つまり神は、さらけだしてほしいのです。
結婚前は、ドキドキして、花をプレゼントしたり、ラブラブでデートをしたりしますね!?」

(郡さん)「でも、嫌われたら嫌だと遠慮して、ちょっと疲れたり、重荷に感じることもありますよね。
それに対して、結婚後は、リラックスして、相手に全てをさらけだすことができます。
“ 私は ろう者だから ” と遠慮せず、神に全てをさらけだせば、心は軽くなり、日々楽しく元気に暮らすことができるのです。
神は私たちに、さらけだすことを望んでいるのです。」

その後も、郡さんは、コミカルな動きと手話で、参加者を魅了しました。

(郡さん)「私は、ろうは神から与えられた個性だと思っています。
でも世間では、“ ろう者は不便で不幸だ ” と、たびたび言われます。
ろう者自身の中にも、ろう者は不便で不幸だと思っている人がいます。
そんな事はない!できる事はいっぱいある。
私は、多くの人に、ろう者として誇りをもって生きていくことを、伝えたいのです。」

郡さんは、兄以外全員、ろう者の家庭で育ちます。
クリスチャンだった両親に連れられ、物心つくまえから、教会に通っていました。
11歳で地域の学校で学びます。
「勉強では健聴者にも負けたくない」と成績優秀な女の子でした。

その後、地域でトップクラスの進学校に進みます。
しかし、高校2年の時、理不尽な挫折を味わいました。
薬学部を志望しましたが、当時、日本では、ろう者は薬剤師になれなかったのです。
(郡さん)「すごく悔しかった。納得できませんでした。
ろう者だと、なぜ薬剤師になれないのか、理由がまったくわからない。」
郡さんは日本を飛び出しました。
歯科技工士の資格を取得して、カナダで働き始めたのです。
様々な言語が飛びかう、多文化社会。
そこでは、手話も言語として尊重され、ろう者が生き生きと、活躍していました。

(郡さん)「ろう者でも、どんな仕事にも就くことができるんです。
ろうの医師や看護師、弁護士、パイロットまでいました。
驚いたのは、多くのろう者が、自分がろうであることに、誇りを持っていたことです。
“ ろうは個性であって、障害ではない ” という考え方なんです。
“ そうだ!この考え方だ! ” と思いました。」
34歳の時、郡さんは牧師になることを決意します。
説教を通じて多くの人に、ろうとして誇りをもつ大切さを、伝えたいと思ったからでした。

京都府北部、京丹後市。
36歳で帰国した郡さんは、この地域の教会に、牧師として赴任しました。
山あいの集落に、郡さんのおかげで、人生が開けたという人がいます。

梅木久代さん、67歳。
生まれてすぐに聴力を失い、40代半ばで視力も失った、盲ろう者です。
(夫、好彦さん蝕手話通訳)「2回めのメールは届きましたか?」

健聴者とのやりとりは、夫の好彦(よしひこ)さんが、触手話という方法を使って、仲立ちします。
久代さんが郡さんと出会ったのは、10年前。
住み慣れた大阪から、移り住んだ頃でした。
慣れない土地での暮らしに、ストレスがたまり、夫とはケンカ。
周囲とのトラブルが、絶えなかったといいます。
相談を受けた郡さんが言った最初の言葉に、久代さんは衝撃を受けました。

<夫通訳>(久代さん)「 “ 見えない聞こえないことで、いろんな人から、心配して助けてもらっているってことに、気がつきませんか? ” って、言われたことがある。
それに対して、答える言葉がなかった。感謝の気持ちが足りなかった。
逆に“ 自分がやっていることを、みな評価してくれない ” っていう不満が多くあった。
そういう気持ちをちゃんと郡先生は見透かしてて、
“ いつも喜びなさい。絶えず祈りなさい。全てのことについて、感謝しなさい。 ” っていう言葉が、いちばん最初のきっかけです。」

郡さんは、積極的に教会の行事に、誘ってくれました。
久代さんは次第に、心の落ち着きを、取り戻していくことができたといいます。
二ヶ月に一度、郡さんは、広島から久代さんの元を訪ねます。
到着したのは、デイサービスの施設。
蝕手話ができる郡さんは、通訳として、久代さんのサポートをするのです。

久々の再開。顔がほころびます。
この日、久代さんは、郡さんに話したいことがありました。

(久代さん)「今でもときどき、見えないことで、悩んでしまうんです。
神経質すぎるかも知れないけれど、いろいろ考えて、よく落ち込んでしまうんです。」
人生の半ばで視力を失った、久代さん。
今も、見えなくなった現実を、受け止められずにいました。
(郡さん)「見えなくなったこと。それは、神様があなたに、“ それが必要だ ” と思って、なさったのですよ。
世の中には、いろいろな人が必要なんです。目が見えない人も、必要なんです。」
(久代さん)「(驚き、少し怒った様子で)神様の計画なんですか!?私が見えなくなったことが?」

言葉につまる郡さん。
それでも一心に、久代さんに向き合います。
(郡さん)「あなたは見えないけれど、生きていることで、多くの人に、勇気を与えているのではと思います。
“ あなたは生きている ” それがすばらしいことなのだと、私は思います。」
(久代さん)「そうですか・・・。
(思い出したように)そういえば、私を見た人から、“ 元気をもらった ” と言われたことがあります。」
(郡さん)「それは良かった。その人にあなたは、力を与えることができたんですね。」
(久代さん)「そうですね・・・。
わかりました。これからは少しずつ、悩みを減らしていきたいと思います。
先生ありがとうございます。」

(郡さん)「みなさん、元気ですか?」

郡さんは、久代さんが通う教会で、礼拝を行いました。
いつものように会場をわかせます。

(郡さん)「これからは、ろう者だけでなく、健聴者にも、ろうとして生きることの誇りを伝える活動を、していきたいと思っています。」
郡美矢さん。
ろうであることの誇りを、これからも伝え続けていきます。

(おわり)