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ろうの映画監督 音のある世界を撮る

    セリフはほとんどが手話ですが街の雑踏の音や聴者の役者のセリフ、シーンに合わせた音楽などが入っているある映画があります。ろう者と聴者が共に楽しめるこの作品を製作したのはろう者の監督、今井ミカさん。これまでろう者向けの無音の映画だけを作り続けてきましたが、聴者との間にある見えない「壁」をなくしたいと考え、今回初めて「音のある映画」に挑戦しました。
    音を入れるため聴者のカメラマンとともに撮影に臨みますが、考え方の違いから作業は思うように進みません。悩みながらもひたむきに映画に向き合う今井さんの姿を伝えます。

    出演者ほか

    今井 ミカさん(映画監督)
    ナレーション:高山 久美子

    番組ダイジェスト

    ろうの映画監督 音のある世界を撮る

    都内で開かれたある映画の上映会。



    映画のセリフはほとんどが手話です。



    一方で、聴者の役者が話す声や、シーンを盛り上げる音楽が入っています。



    この、音のある作品を作ったのは、ろうの映画監督、今井ミカさんです。
    これまでは、ろう者に向けた無音の映画だけを作り続けてきました。



    ろうの監督として実績を積み重ねてきた今井さん。
    今回、初めて聴者にも楽しんでもらえる作品に挑戦しました。

    (今井さん)「聴者に心地よく映画を見てもらうために、音をつけることを決めました」



    目指すのは、ろう者と聴者の壁を取り払うこと。
    その製作現場に密着しました。

    映画の撮影が始まったのは去年8月。

    この日は、主人公のろうの女性が働く美容院での撮影です。



    監督の今井ミカさん29歳。幼いころから耳が聞こえません。
    これまで撮影もすべて自分で行ってきました。

    音がある映画を作るにあたり、初めてカメラマンを聴者の湯越慶太(ゆごし・けいた)さんにお願いしました。
    湯越さんは普段、映像制作の会社でCM作りなどに関わっています。



    (湯越さん)「今井さんが、プロフェッショナルの映像の世界にすごくあこがれを持っていて、いつか一緒に仕事ができたらいいですねと話をしていたんですね」



    湯越さん以外の役者やスタッフは、全員がろう者です。
    撮影では手話通訳者を介して、今井さんたちと湯越さんがコミュニケーションをとります。

    聴者との初めての映画作り。
    音の世界を少しずつ知るなかで、今井さんには新たな発見がありました。
    ドライヤーを使いながら、ろう者が会話をするシーンです。



    (湯越さん)「聴者からしたら、ドライヤーのボーンって音が結構うるさくて、ドライヤーをしている最中はあまり話ができないんだけどね」

    (今井さん)「へー!そうなんだ!」

    (今井さん)「クーラーに音がある。机やドアの音が鳴る。
    まわりにはこんなにたくさんの音があるというのは、すごい発見でした」



    その一方で、聴者とコミュニケーションをとる難しさもわかってきました。
    通訳を介すことに不慣れなため、時間がかかってしまいます。

    「ごめんなさい。
    全然、話を聞いていなかったというか(手話を)見ていなかった」



    結局、この日は予定を2時間もオーバーしてしまいました。

    3週間後。
    撮影現場には重苦しい空気が流れていました。
    今井さんの指示が、湯越さんにうまく伝わっていない場面が増えていたのです。



    (今井さん)「カット。
    ぼやけているのでピントを合わせてほしい」

    (湯越さん)「いや、僕が知らなかった」

    直前に変更した役者の動きを、湯越さんに伝えていませんでした。

    監督としての指示を出さない今井さんに、もどかしさを感じていた湯越さん。
    ついにみずから現場をリードし始めます。

    (湯越さん)「今のままだと、ずっと2人が同じ姿勢でずっと同じ方向を向いているのをただ撮るだけになっちゃうから、動きがあった方がいいと思う」



    自信を持って意見を言えなくなってしまった今井さん。
    実は、聴者に対してコンプレックスを持っていました。

    (今井さん)「私の気持ちの中で、自分の意見を出していいか、ためらってしまうことがありました」

    群馬県で生まれた今井さん。
    両親も弟もろう者です。



    小学生の時、たまたま見た映画『マトリックス』にひかれ、弟と2人で毎日撮影をして遊びました。
    自分の思いを自由に表現できる映像の世界にのめり込みます。

    高校まではろう学校で過ごし、その後、大学に進学。
    そこで、聴者との間に壁を感じ、苦手意識を持つようになりました。



    今回、初めて聴者にも見てもらいたいと思ったのは、その壁を取り払いたいと考えたからです。

    (今井さん)「映画を通して、聞こえないことがハンディではないということを(聴者に)感じてほしい」

    (渋谷)

    撮影も終盤。
    ろう者の主人公が、聴者の男性に声をかけられるシーンです。



    (役者男性)「ねえねえ、お姉さん、お姉さん。
    お姉さん」

    (主人公女性)「私、耳が聞こえないんです」

    このセリフに違和感を持った湯越さん。
    まるでろう者が聴者を拒絶し、壁を作っているように見えたのです。



    (湯越さん)「最初から、『(耳が聞こえないから)だから私には話しかけてこないでくださいね』って言っているような感じになっちゃう。
    最初に壁を作っちゃっている部分を感じたから」

    湯越さんの言葉に納得がいかない今井さん。
    意を決して自分の考えを伝えました。

    「逆に聴者のほうが無意識に作っている壁ですよ。
    『耳が聞こえない』と言うと聴者が『すいませんでした』とコミュニケーションを諦める。
    それは聴者が作った壁じゃないですか」



    湯越さんは、今井さんの思いを受け止めました。

    自分の本音を素直にぶつけた今井さん。
    ずっと抱えてきた聴者への苦手意識が薄らいでいました。




    (今井さん)「壁って何だろうと考えたら、それはお互いのコミュニケーションのズレ。
    ろう者も聴者も、お互いの本音を理解しあうことで、少しずつ壁はなくなっていくのではないでしょうか」

    撮影が終わり、音楽をつける作業が始まりました。



    そこには、聞こえないながらも音楽について積極的に意見を言う、今井さんの姿がありました。

    (今井さん)「(このシーンは)気持ちを変えた方がいいと思います。
    ネガティブじゃなくてポジティブに変えた方がいいかなって。
    そんな感じでお店に入ってくるイメージです」

    湯越さんも曲の雰囲気を今井さんに伝えます。



    ようやく迎えた上映会の日。
    会場には、ろう者だけではなく聴者の観客も集まりました。



    出来上がった作品のタイトルは『虹色の朝が来るまで』。
    主人公は性的マイノリティのろう者です。
    自分のことをまわりに理解してほしいと、壁を乗り越えようとする物語です。



    登場人物の心の機微を、音楽によって効果的に伝えています。

    (上映終了。拍手する観客)
    (聴者の女性)「映画そのものに引き込まれて見ました」

    ろう者の男性「私は聞こえませんが、映像もきれいだし音もついているので、自信を持って聴者の友人を誘えます」

    手応えを感じた2人。
    この作品を通してお互いへの理解を深めていました。



    (湯越さん)「ろう者の人たちが考えている世界が、もっと世の中に作品の形として、多くの人に見てもらえる機会が増えればいいと思ったので。
    一緒になって物作りをしていくというのは、すごく価値があることだと思います」



    (今井さん)「これまで音は関係ないと思っていたので、この映画作りで音の世界、聞こえる人の世界を知ることができました。
    今までの考え方が変わりました。
    これからも聴者の世界について、すべて理解することは難しいかもしれませんが、聞こえる人にも気持ちよく見てもらうために、工夫して映画を作っていきたいと思います」



    少しの勇気で広がる新たな世界。
    一歩を踏み出した映画監督、今井ミカさんです。



    (おわり)

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