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この仕事にかける ―宮大工・渡辺健太―(前編)

    寺社の建築、修理を手がける宮大工。この世界に飛び込んだ聞こえない大工がいる。渡辺健太さんだ。難聴だったが、工業高校で建築を学び、宮大工となった。番組では、渡辺さんの姿を追い、2回シリーズで取り上げる。
    高校卒業後、宮大工となった渡辺さんだが、徒弟生活は楽ではなかった。15年目にストレスによりめまいが起きるようになり、さらに聞こえなくなってしまった。そこで渡辺さんはいったん仕事をやめるが、どんなにつらくても宮大工をもう一度やりたいという気持ちが強くなっていく。そこで再挑戦しようと今の会社に就職、努力が認められ、宮大工の棟梁となった。前編では、渡辺さんの職人魂を描く。

    出演者ほか

    宮大工の棟梁 渡辺健太さん

    番組ダイジェスト

    この仕事にかける ―宮大工・渡辺健太―(前編)

    難聴の宮大工・渡辺健太さん、40才です。

    渡辺さんが修復を手掛けた猿田彦神社。鎌倉時代以来の歴史があります。
    釘はほとんど使っていません。
    木と木を組み合わせる伝統的な技法で作られています。

    (渡辺さん)
    100年200年300年と長い間耐えられる建物、
    残る建物ということでそれに携わるということは、
    すごく魅力的だと思っています。



    1歳のとき、はしかの熱が原因で難聴になった渡辺さん。
    長年の努力が認められ、2015年の春から棟梁となりました。

    渡辺さんには、相手の声が聞こえません。

    口の動きを読み取りながら、弟子たちに次々と指示を出していきます。

    (渡辺さん)
    どう?

    (弟子)
    二寸一分五厘です。

    (渡辺さん)
    二寸一分?

    (弟子)
    はい。



    難聴というハンディがありながら、多くの弟子を率いる渡辺さん。
    その職人魂に迫ります。

    三重県桑名市。渡辺さんが勤める会社です。
    明治20年の創業以来、寺社仏閣の建設に携わってきました。
    宮大工は木の美しさを最大限に引き出さなくてはなりません。

    そのために欠かせないのが、カンナの手入れ。
    朝と晩、1日2回も研ぐといいます。

    刃の出具合も重要です。

    (渡辺さん)
    この隙間がちょっと広い。髪の毛一本分くらいの隙間にするんです。

    刃の締め方が甘かったため、隙間があきすぎていました。調整をし直します。

    (渡辺さん)
    締め方があまいと逆目と言って木肌がぼろぼろになる。
    締め方がちょっと甘かったので 今指導していました。



    (渡辺さん)命の次に大事なものかなと思っています。
    道具の手入れの仕方によっても、仕上がり方もぜんぜん変わってきます。

    この日は、寺の修復工事を行いました。木と木を組み合わせて作る格天井です。
    最も格式が高い天井とされ、寺や神社のほか、城にも多く使われています。
    継ぎ目にはわずかな隙間も許されません。慎重に作業を進めます。

    常に緻密さを求められる寺社建築。



    設計では、棟梁が必ず原寸図を書きます。
    使うのは筆と墨です。
    今、描いているのは、寺の屋根の側面にあたる部分。
    木と木のつなぎ目や曲線部分は、小さい図面では分かりにくいため、
    本物そのままの大きさで描くのだそうです。
    職人は、この設計図をもとに、木材を切り出していきます。

    弟子のほとんどは20代。
    渡辺さんの指示を聞きもらさないようにと必死です。
    しかしやりとりがうまくいかないこともあります。
    聞こえない渡辺さんは、自分の声が相手に届いているかどうかが、
    よく分かりません。



    そこで弟子には指示が聞こえたら必ず返事をするよう伝えています。
    しかし作業に夢中になって返事がついおろそかになってしまう弟子もいます。

    (渡辺さん)
    いいか?どや?
    声をかけてくれ
    OK?

    (弟子)
    はいOKです。

    (渡辺さん)
    どっち?

    (弟子)
    OKです。



    渡辺さんは、出来るだけ丁寧に説明をするよう心がけています。

    宮大工の世界では、技は盗んで覚えるもの。
    しかし障害というハンディがあるなか、そのやり方ではうまくいきません。

    (渡辺さん)
    人をどううまく使うか自分は耳が聞こえないのでその分、
    身振りとか的確な指示を出して、指導しながらやっていっています。



    渡辺さんは岐阜県で生まれました。
    家の絵を描くのが好きで、幼いころから大工になりたいと思っていました。

    工業高校では建築科に進みます。
    しかし教師からは、進路を変えたほうがいいと、何度も言われたといいます。



    (渡辺さん)建築なんて耳が聞こえない人は無理だと、はっきり言われました。
    聞こえなくてもやってやるぜ!みたいな
    そういう気持ちで建築の勉強をしてきました。

    高校卒業後は、地元で就職。採用されたのは宮大工専門の会社でした。
    入社した後も、障害を乗りこえようと、人一倍、努力したといいます。

    (渡辺さん)私は耳が聞こえない分、みんながやっている仕事の内容を見る。見て技を盗んだ。
    このような古い本を、本をいろいろ買って自分で勉強したり建物を見に行ったり
    独自にお寺の勉強をしてまいりました。

    しかし職場でコミュニケーションをとるのは楽ではありませんでした。
    入社して15年後、渡辺さんは過労で倒れてしまいます。
    高熱により、聴力はさらに下がってしまいました。

    会社は、現場での仕事は任せられないと判断。設計業務への異動を命じます。
    その5年後。渡辺さんは宮大工をやめてしまいました。



    (渡辺さん)仕事の内容にちょっと違和感を感じたり、自分の思うように行かなかったり。
    聞こえないから無理だとかそういう制限がありました。

    会社をやめた後、渡辺さんは、様々な仕事を試してみました。
    しかし宮大工に勝る仕事は見つかりませんでした。

    (渡辺さん)20年間の重み苦労がもったいないのかなと思って、また宮大工の世界に挑戦しました。

    宮大工を募集している会社がないか。
    インターネットで求人広告を探し、今の会社を見つけました。

    面接を受けたところ、聞こえなくても大丈夫だと言われ、採用が決まったのです。

    (社長)現場も見られて大工の経験をいかして設計が出来る。
    さらにコストまで考えながら設計ができる。
    それはものすごく蓄積された経験を彼は体得している。

    (渡辺さん)聞こえない人とか、聞こえる人とか関係なく対等に仕事が出来る、
    対等に仕事を教えられる。
    この会社に出会えて幸せだと思います。

    会社に入って2年。再び現場に戻ることができた渡辺さん。

    この日は、三重県の南部、鳥羽市にある寺を訪れました。
    戦国時代、戦で亡くなった村人をとむらうために建てられた寺です。

    (渡辺さん)今日は中の調査をさせてもらうので、よろしくお願いします。

    最近、老朽化により建物が傾いてきましたが、
    どこが傷んでいるのか、よく分からないといいます。

    天井裏にあがった渡辺さん。まずは柱の状態を確認していきます。

    (渡辺さん)今回はこの柱をとって、両脇に2本柱を追加する。

    さらに床下へ。

    1本1本、柱を見ていきますが、はって進むのも一苦労です。
    天井裏よりも木の傷みが激しいことが分かりました。

    建物の傾きは基礎に原因があるようです。



    (渡辺さん)床下は山からの水が流れ込んでジメジメしています。
    柱を2本入れると同時に補強もしていきたいと思います

    この寺は、江戸時代に2回の修繕を行っています。
    今回は3度目の大きな修理です。
    由緒ある建物を残す宮大工の仕事に渡辺さんは大きな誇りを感じています。

    (渡辺さん)今の建物はもう50年経てば解体して新しいものを建てる。
    でも寺とか神社は建てたあと、300年400年という。
    (宮大工は)それに携われることがすごいことだと思います。
    物や道具や技術というものをこだわって出来るということは
    奥深いものだと思っています。



    次回は後編。
    宮大工の技を次の世代に伝えようと奮闘する姿を追います。

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