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難聴が生んだものまね

    ことし芸能生活35周年を迎えた、ものまねタレントのコロッケさん。実は右耳の難聴を抱えながら芸を磨いてきた。
    1960年、熊本生まれ。7歳のときから耳の痛みを感じていたが、家は母子家庭で貧しく病院に行くことを遠慮してしまう。症状は悪化し14歳の時に真珠腫性中耳炎と診断、右耳がほとんど聞こえなくなった。聞こえなくなったことを気にして周囲から孤立していったコロッケさんの唯一の楽しみが、姉の影響ではじめた“ものまね”だった。
    その後、ものまねのプロになるという夢を抱いて上京。歌声ではなく、表情や振り付けなど見た目のものまねで勝負したところ、芸の新しさで人気者になった。テレビの出演回数が減り人気にかげりが出たときもあったが、耳のハンディを克服する方法を常に考え、新しい芸にチャレンジしてきた。
    番組では、コロッケさんのこれまでの歩みについてインタビュー。障害と人生について思いをうかがう。

    出演者ほか

    コロッケさん(ものまねタレント)
    聞き手: 山田 賢治アナウンサー

    番組ダイジェスト

    難聴が生んだものまね

    ものまねタレントのコロッケさん、55歳。
    デビューから35年。独創的な芸でお客さんを楽しませてきました。
    実はコロッケさん、14歳のころから右耳がほとんど聞こえていません。
    家庭が貧しく病院に行くのをためらったため、中耳炎を悪化させてしまったのです。

    (コロッケさん)

    もうだんだんだんだん聞こえなくなってきてて、手術をして、
    もう元に戻らないという言い方をお医者さんにされたときに、
    正直学校に行くのとか、人と会ったり人としゃべるとか、
    家族としゃべるのも、最初はやっぱり、怖かったですね。

    ふさぎ込んでいたコロッケさんが前を向くきっかけとなったのが、ものまねとの出会い。
    声をまねるのではなく、見た目を強調して注目を集めます。
    実はこの芸、耳のハンディを補うためのものでした。

    難聴にならなければ、今のコロッケさんの芸はない?

    (コロッケさん)

    ないですね。ここまでの想像ってないと思います。

    難聴と向き合いながら、ものまね界で第一線を走ってきたコロッケさん。

    これまでの人生と芸について、思いを聞きました。

    コロッケさんインタビュー

    今コロッケさん、耳の状態はどういう?

    (コロッケさん)
    左の耳が正常な状態で、右の耳が、詳しく言うと、真珠腫(性中耳炎)という、
    ちょっと中耳炎のひどいやつで。
    一番分かりやすく言えば、ちょうど水の中に入って、
    上からしゃべられてる感じですかね。
    上からしゃべられると何を言ってるか分からない。でも何かしゃべっている。
    ですからこっちを塞いだ状態でやると、自分の声は響きますけど、
    相手の声はこちらからは入ってこない状態ですよね。

    普段の行動でも、ちょっと体の向きっていうのを考えたりするんですか?

    (コロッケさん)

    体の向きを変えない努力はしました。
    要は左側にいていただいてしゃべられるのは大丈夫、こちら聞こえるので。
    右側からしゃべられると何を言ってるか分からない。
    レストランとか居酒屋でも、騒がしいとこだと、
    真横でしゃべられても分からないので、なるべく皆さんに気を遣わせないようにするには、
    自分の右側をまず壁にするっていうことですよね。

    コロッケさんは1960年、熊本で生まれました。
    両親は幼いころ離婚、女手一つで育てられました。

    7歳のとき耳に痛みを感じます。
    しかし家にはお金がなく、病院に行くことを遠慮してしまいました。
    症状は次第に悪化、14歳のときには我慢できないほどの痛みにおそわれます。
    耳鼻科に駆け込んだところ、重い中耳炎と診断されました。
    完治するにはすでに手遅れの状態でした。

    (コロッケさん)
    僕は小学校のときに、家がすごい貧乏だったので、病院に行ってお金を払わなきゃいけない、
    もし手術をするとかってなったらえらいことになるっていうんで、
    我慢して、ずっと、お母さんにも言わなかったんですね。
    家の中で食べるものさえ、ごはんがなくて、崩れたあられとかお母さんがもらってきたりとかして食べてるときもあったので。
    だんだんだんだん聞こえなくなってきてて、手術をして、もう元に戻らないという言い方をお医者さんにされたときに、
    なんか自分の中で、俺なにやってるんだろう、
    なんてことをしたんだろう自分にっていうふうな責め方を自分にするんですよね。
    これは誰かのせいでもないし。だから、正直学校に行くのとか、人と会ったり人としゃべるとか、
    家族としゃべるのも、最初はやっぱり、怖かったですね。聞こえてないことに答えられないと、
    文句を言われるんですよ。「聞いてないの?」とか「なにやってんだよ」とか、「なに?」っていう。
    もう一回言ってとか、ちょっと今聞こえなかったんでもう一回って言うと、
    「もういいよ」とかって言われたりするんで、なんかだんだんだんだん会話がなくなっていくんですよね。
    いいやって、だから自分で諦めちゃうっていうか。
    自分で壁を作るというか、シャットアウトしちゃう、シャッターを閉めちゃうような、そんな状態ですね。

    聞こえなくなったことを気にするあまり、周囲から孤立していったコロッケさん。
    そんな生活で唯一の楽しみが姉・直子さんの影響で始めたものまね。
    テレビをかじりつくように見ては、アイドルの歌や振り付けを必死に練習しました。

    (コロッケさん)
    ものまねをやり始めたきっかけは、モテたくて始めたんですよ。
    かっこよくない男は何をすればいいんだって友達同士で話になったんですね、武器を持とうと。
    スポーツ今からやっても遅いだろうと。で、勉強はできないし、どうすんだ。
    で、じゃあ俺ものまねやるわって言ってものまねを始めたっていうのが最初のきっかけで。
    で、一番好きな人が郷ひろみさんのファンだったんで、
    郷ひろみさんの「よろしく哀愁」を修学旅行のバスの中で、最初にやった。
    その頃はふざけてないですよ。ちゃんとした郷さんで。
    「もっと素直に僕の~愛を信じて欲しい~」ってやったら、女の子が騒いだんですよ。「わーっ」と。やった、と思って。

    一躍クラスの人気者になったコロッケさん。
    やがてものまねのプロになるという夢を抱きはじめます。
    高校卒業後は地元のパブやスナックで芸を披露、腕を磨きました。

    そして19歳で上京、お笑いオーディション番組の出演が人生の転機となります。
    当時、歌声をまねる芸が主流の中、あえて自分の声を出さず表情や振り付けだけで勝負。
    すると、これまでになかった新しさが人気を呼びました。
    実はこの芸、耳が聞こえにくいハンディを補うための、コロッケさんなりの戦略だったのです。

    (コロッケさん)
    もし耳聞こえてたら、声帯模写の方に行ってたと思うんですよ。
    最初は形だけなんで形態模写。
    今で言うエアーものまねですよね。
    顔とかいろいろ、ちあきなおみさんとか、こうやってやったり、
    岩崎宏美さんとか、ンーってやったりとか、
    それをレコードに合わせて、あの、吐息までまねするんです。

    吐息まで。

    (コロッケさん)
    歌と歌の間にこう、スッて息を吸う、ブレスって言うんですけどね。
    息を吸うのまでまねをするってやつですね。

    ステージに立つタレントを徹底的に観察。
    性格にも想像をふくらませ、
    そのしぐさを誇張していきました。

    ところが、デビューして10年がたったころ、ものまね人気にかげりが見えはじめます。
    高かった視聴率が激減、テレビ出演はほとんどなくなりました。
    タレントとして生き残るにはどうすればいいのか。
    模索が続きました。

    (コロッケさん)
    ものまねに、だいたいみんな、ある意味やり尽くして。
    で、すごい視聴率も良かったし、ただみんな正直悩んでましたね。
    でも僕がすごい得したのは、ある方にこの言葉を教わって、
    自分ですごいかみしめたんですが。

    どんな言葉ですか?

    (コロッケさん)
    「目で聞いて 耳で見る」。

    芸能界の先輩から言われた「目で聞いて、耳で見る。あなたにはそれができる。」
    聞こえにくく情報が限られる中、観察と想像で乗り越えてきたことが、みずからの財産だったと気づきます。
    以来タレントを観察するときには、あえて目を閉じたり、耳をふさいだりするようになりました。

    (コロッケさん)
    目を閉じる時間もあったり、耳をこうやって塞いでる時間もあったり、そうするとどうなんだろうって、
    想像してるだけでおかしいんですよね。楽しくなってきちゃうんで。
    ですから、森進一さんが「おふくろさん」歌われるときに、歌と歌の間が、あの、僕はにわとりに見えるわけですよね。「おふくろさんよ~フッ!」ってね。これにわとりに見えるっていう。僕が勝手に見えてるだけなんですよ。
    でもそういうことの想像が、やっぱり他の方よりもはるかに、若いときからしてきているので、勝手に妄想が浮かぶんです。

    自然にそういう感覚になってるわけですね。

    (コロッケさん)
    その想像がコロッケのものまねっていうところでいけば、
    コロッケのものまねって、どちらかというと妄想の世界なんですね。

    そして、コロッケさんの想像力の結晶ともいうべき芸が生まれます。
    その名も、五木ロボット。

    こういう言い方をするのもなんですけど、難聴にならなければ、
    今のコロッケさんの芸はないということですか?

    (コロッケさん)
    ないですね。
    ここまでの想像ってないと思います。
    だから、逆にありがとうございますっていうふうには、自分の耳には言ってますね。
    病気になって大変だったし、手術もしたし大変だったけど、でもありがとうございますっていうふうに。

    いや、とは言ってもね、ポジティブに考えろと言っても、もともと内向的な性格だったわけで、
    そんなの無理だよって最初思いませんでした?

    (コロッケさん)
    それが確かに難しいとは思うんですよ、そういうふうに考えることもね。
    でもそういうふうに考えていかないと、一回落ちて、こんなグワーっと落ちてからはい上がっていくと、
    この落ちた分の時間の倍、3倍4倍かかるので。
    落ちる前に、びゅって(上がろうと)思わないと、っていうのが僕の中ですごいありますね。
    それがありがたいことにうまくいってるからこうやって仕事長くやらせていただけるんだと思います。

    ものまねタレントにとって大きな壁となるはずの難聴。
    それを力に変えてきたコロッケさん。
    自分にしかできないものまねとは何か。
    芸と向き合う日々が続きます。

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