ハートネットメニューへ移動 メインコンテンツへ移動

僕の音楽は難聴とともに 宇崎竜童

    歌詞が流行語になるほどのヒットをとばした宇崎竜童さん。
    妻の作詞家・阿木燿子さんとのコンビで数多くの歌手に楽曲を提供してきた。
    実は30代のころから両耳の難聴に悩んできた。テレビの生放送で、司会者の質問が聞き取れなかったり、
    俳優の仕事で、相手のセリフが聞こえづらくなったりしたため、30代から補聴器を使い始めた。
    宇崎さんに、難聴と長年つきあいながら音楽とともに生きてきた思いを聞く。

    出演者ほか

    宇崎 竜童さん

    番組ダイジェスト

    僕の音楽は難聴とともに 宇崎竜童

    ♪ちょっと前なら覚えちゃいるが 一年前だとちとわからねぇな

    歌のセリフが流行語になるほどのヒットをとばした宇崎竜童さん。

    ♪…アンタ あの娘(こ)の何なのさ
    港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ



    妻の作詞家・阿木燿子さんとのコンビで、作曲家としても活躍。
    山口百恵さんをはじめ数多くの歌手に楽曲を提供してきました。

    そんな宇崎さんが、30代のころから抱えてきた悩みがあります。
    それは、両耳の難聴です。

    (宇崎さん)ええー(耳から補聴器を取り出し)ずいぶん小さい。
    こんなに小さいんです。
    もっと小さいのが今できてるらしいんですけど。

    (宇崎さん)「内耳破損(ないじ・はそん)」って書いてあったんです。
    『あ、内耳が破損してんですか』っつったら『ええ。内耳が欠けてんです』って。

    今年71歳になった宇崎さん。
    30年以上にわたり難聴に向き合ってきた苦悩、そして音楽への思いをききました。

    (山田アナウンサー)あ、こちらがスタジオですねー、ちょっと緊張します。
    (ドア開ける)
    こんにちはー、失礼しますお邪魔します。
    こんにちは山田と申します。

    (宇崎さん)はい。よろしくどうぞー。

    (山田アナウンサー)今日はよろしくお願いします。

    (宇崎さん)(手を差し出す宇崎)よろしくお願いしまーす



    (山田アナウンサー)お願いします、有り難うございます。

    (山田アナウンサー)普段、こちらで作曲されて、らっしゃるんですね?

    (宇崎さん)はい。だいたいここで毎日。
    えー、朝起きたら、ごはんを食べたらここへ来て。
    だいたい毎日、1日1曲は何か書こう、と、いう姿勢はしてるんですけど。

    これまで世に送り出した楽曲は4,000曲以上。
    その多くが自宅につくったプライベートスタジオから生み出されてきました。



    歌手としてステージでのライブ活動も精力的に行なっています。



    俳優としても、数多くの映画やテレビに出演。
    印象的な演技で人々を魅了してきました。

    (宇崎さん)こうやって、音だけ選んでるだけで1日経っちゃうんですよね。(笑)

    (山田アナウンサー)自分で納得いかなかったらまた、やり直してやり直してっていう…。

    (宇崎さん)ああ、そうですね。
    だからやっぱり、自分を真似てたらもう前に行けませんから。
    うーん、だからやっぱりそれはいちばん阿木燿子(あき・ようこ)がいちばん…。

    (山田アナウンサー)奥様の。はい。

    (宇崎さん)知ってるわけですから。
    最近の口グセが、あれですね…。
    あまり芳しくないメロディーが出てきたときに彼女が言う言葉は「それでいいの?」って言うんですよ。

    (山田アナウンサー)「それでいいの?」?

    (宇崎さん)「そのメロディーでいいの?」
    “そんなんでいいの?”っていう意味です。
    それはどういう意味かというと「遺作になるかもしれないのよ」っていう(笑)
    「遺作になるかもしれないのに、そんなメロディーでいいの?」って言われちゃうんですよ。

    (山田アナウンサー)笑 厳しいですね。

    (宇崎さん)ハハッ(笑)厳しいですね。

    (山田アナウンサー)宇崎さんが「難聴」ということを聞いて、実は私驚いたんですけれども、いつ頃から、だったんですか?

    (宇崎さん)えー、30代の前半くらいからでしたかねぇ。
    映画の撮影の中で「弾着(だんちゃく)」っていう、爆発する、体の中であの、ピストルに撃たれて。
    それがうんと耳に近いところで爆発したのに、耳栓を入れてなかった。
    それで「カット」って監督の声が聞こえたんですけど、立ち上がったら地面がこう、揺れたんですね。
    それで“あれ?”っと思ったらそのあと、
    高音の耳鳴りがずーーっとしてて。
    んで、お医者さんに行って診てもらったら右側の耳の、うーんなにか、3本ある神経っていうか聴神経のなにかが1本倒れてる。
    「病名を書いてください」って言ったことがあるんですよ。
    そしたらね、それ病名じゃなかったですね。
    「内耳破損」って書いてあったんです。
    「あ、内耳が破損してんですか!?」っつったら「ええ、内耳が欠けてんです」

    それで“ああ、難聴になっちゃったんだなぁ”と。
    だから、ある周波数が聞こえない…という状態になったみたいですね。

    (山田アナウンサー)高い音ですか?

    (宇崎さん)そうですね、高い音です。
    特にウチの奥さんの阿木燿子は、しゃべり声がファルセットなんですね、裏声なんです。
    で、周波数が高い。
    なので、なにか言ってはいるのはわかるけれど、補聴器入れなければ何をしゃべってんのかわかんない。

    宇崎さんが初めて補聴器を着けたのは30代のころ。当時使っていたものは様々なノイズが大きく耳に伝わってしまいすぐにやめてしまったそうです。

    しかし難聴を放置したことで、さらに症状が悪化してしまいました。



    (宇崎さん)音楽じゃなくて、こういうインタビューとかを受けてるときに、
    アナウンサーのかたから訊かれた質問の内容がわからなくて、しかもそれ生番組だったんですね。

    (山田アナウンサー)はぁー

    (宇崎さん)頓珍漢なことをしゃべっちゃったみたいなんですよ。
    それでマネージャーが終わってから、
    「あん時なんか、おかしなこと言ってましたね」って。
    「質問と答えが全然違ってましたね」って言われて、
    “あ、やっぱりそうか”と思って。
    だから、そういう時だけ補聴器入れて…なんとかしのごうかなぁ、と。

    (山田アナウンサー)今は? 今日は?

    (宇崎さん)入れてます。

    (山田アナウンサー)入れてますね。

    (宇崎さん)はい。ええー(補聴器外して見せる)
    ずいぶん小さいんです。



    (山田アナウンサー)ああ、小さいですね!

    (宇崎さん)こんな小さい。
    もっと小さいのがいま出来てるらしいんですけど、
    これはもう3年ぐらい前、3~4年前につくったものですね。
    自分の耳の穴に粘土を入れて、耳の穴に密着するような。

    今使っている補聴器は最新の技術が内蔵されたタイプ。
    宇崎さんが聞き取りにくい高い音域をカバーしてくれるので、日々の暮らしには困りません。
    しかし、音楽の仕事では不便なことも…。

    (宇崎さん)例えば、(キーボードでドミソ和音を弾く)
    これで「ドミソ」ですよね。

    (山田アナウンサー)はい。

    (宇崎さん)このドミソでスタートする曲がドミソに聞こえてこないときがある。
    と、お客さんがヘンな顔してるときがあるんですよ 笑
    「あれ?」って、
    「なんか演奏と歌がちょっと違ってんじゃないの?」みたいな。
    でも歌ってる僕は、歌い出したらもうそのままいっちゃうので、
    で終わってから
    「あの曲、なんかちょっとおかしかった?」って言うと
    「頭の音がキャッチ出来なかったんですかねぇ」とかって
    ミュージシャンが言ってくれるので。
    それどうやったら、そういうことを避けられるだろうか、っていう。
    だからあんまりこう、ドンドン変化していくようなメドレーはやらないで、
    キチンと1曲1曲、音を確認して、でスタートしようと。
    だから「そこまでしてまだお前は歌うのか」って言われたらねぇ、
    なんかつくった作品が、例えば20代のときにつくった作品が、
    そん時聞いてる人、そん時歌ってる僕、と70んなってから、その作品を今歌ってみると、
    全然なんか違う感覚っていうのか、違う歌に聞こえてくるときがある訳ですね。

    (山田アナウンサー)どういうことですか。

    (宇崎さん)なんつったらいいんだろう。
    人生経験みたいなものが、今その歌の中に乗っかってくるんですかね。
    だから聞いてる人も
    “あ、そんな歌だったんだね”っていうふうに捉えたりする。
    そういう瞬間があると、やっぱり、歌うことをやめられない、んですよねぇ。




    横浜ホンキートンク・ブルース

    (1)ライブでは今の自分の年齢を意識した、演出を行なっている

    (2)アコースティックギターを使い、観客にじっくり聞かせるものが多くなった

    (山田アナウンサー)聞こえにくくなったことによっての気づきっていうんでしょうか、感じることが出来たことって、なんかありますか?

    (宇崎さん)聞こえないとき、補聴器も使ってなくて聞こえないとき、
    普通の日常会話してる時、
    ひとの話をね、聞き逃してそのままにしてるんですね。
    「え? 何」って聞き返すときはまだいいんですよね。
    聞こえたフリして聞いてないっていう。
    で、だんだんひとの話を聞かなくなっていくんですよね。
    その聞かなくなっていく自分の心のキャパシティが、
    やっぱ狭くなってることをすごくイヤだったですねぇ。



    (山田アナウンサー)補聴器ってものに対する宇崎さんのイメージって…。

    (宇崎さん)僕は別に補聴器をしてることが、なにかこう“恥ずかしい”とか
    そんなことは思いませんでしたが、
    でも世間ではどうなんでしょうね。
    なんか補聴器っていう言葉のイメージが、なんか、
    メガネをすることにそんな抵抗はないけど、
    補聴器するっていうのには抵抗持ってらっしゃる方ってのは、
    結構いるみたいですねぇ。

    (宇崎さん)確かに、子どもさんでね、補聴器を着けるということがものすごく、
    いじめの対象になるんじゃないかとか、っていうふうに思って、
    でまあ家族が思って着けないという判断をするひとがいるんですけど、
    でもそれによって、スムーズに会話できますし、
    そういうものがあるんだよってことも、
    一方で伝えていかなくてはいけないと思うんですよね。

    (宇崎さん)僕あの、喉のことでかかってる先生がいるんですけど、その先生が
    「補聴器を使うといいんだよっていうことを、
    あなたの口からいろんなところで、ちゃんとこう、
    カミング・アウトじゃないけど、してください」って、
    数年前に言われたことがあって。
    それから、機会がある毎に、例えば新聞で難聴のことがテーマになったときに取材を受けたり、
    それから番組、

    (山田アナウンサー)そうですね、まさに。

    (宇崎さん)…の取材を受けたり。
    決して難聴であることを、引け目に感じないで、
    補聴器でもってカバー出来るんだったら、いまこういう、
    人から見てても気が付かれないようなものもできてますから、
    あまり不自由を、そのまま自分に強いないで、
    着けたほうがいいなぁと僕は思いますけどね。

    (宇崎さん)自分がその、音楽家でありながら、
    音が取れないとか、言葉が聞き取れないとか、歌詞が聞き取れないとか、
    そういうことに甘えて、もうやめますとか言わないで、
    その中で赦してもらえるんだったら、
    そういうことがたまに起きるかもしれないけど、
    お客さんに向かって、こういうハンディキャップがあっても、
    歌える、音が作れる、っていうことを、やれる間は示していきたいし。
    そん中でもしかしたら、
    とんでもない素晴らしい曲がこの先何年のうちに出来るかもしれない。
    そん時に発表したいし、やっぱやり続けなければいけないなぁと。
    ここ(耳をさしながら)に負けないで、
    世界に通用する音を作りたいなぁと、今頃思ってます。

    新着ダイジェスト