【語り】高山久美子
3月1日 長崎にある高校の卒業式。ここで、卒業生代表として答辞を述べたのは山﨑菜々海さんです。
卒業生代表 山﨑菜々海さん(18歳)
「当たり前の毎日が、私にはいちばん大切な思い出なのです。それは、私が重度の難聴という障害を抱えているからかもしれません。卒業生のみんな、みんなと出会えて本当によかったです。みんなと過ごす毎日が楽しくてしかたありませんでした。幸せいっぱいの3年間でした。本当にありがとう。」
菜々海さんは感音性難聴です。補聴器と人工内耳を併用して生活しています。
耳鼻科での聴力検査
(♪~)
山﨑菜々海さん
「“翼をください”」
そんな菜々海さんが情熱のすべてを傾けてきたのは音楽です。吹奏楽部に所属し、チューバを担当。
指揮者の声を拾うマイクを使うなど、自分なりの工夫で3年間練習に励んできました。
山﨑菜々海さん
「分からないのを耳のせいにしたくないなっていうのがあって。」
かけがえのない仲間にも出会え、充実した毎日を過ごしていた高校生活最後の日々。
しかし、新型コロナウイルスの影響で思わぬ事態が…。
難聴の高校生、山﨑菜々海さん。大好きな音楽とともに過ごした日々の記録です。
2月 菜々海さんが通う高校を訪ねました。
卒業を間近に控え、クラスメートと過ごす何気ない日々も残り僅かです。
山﨑菜々海さん
「(親友が)『彼氏ほしい』みたいに言ったんですよ。そしたら泣きました。」
親友 玉利有花さん
「ちょっとそれでケンカしました、5分間くらい。」
山﨑菜々海さん
「彼氏彼氏ってなるかなって。私の相手してくれなくなるなって思って。」
玉利有花さん
「泣きました。」
菜々海さんが高校生活で最も力を注いできたのが、吹奏楽部での活動です。部員は61人。部活が始まると、音を合わせるため、楽器のチューニングを行います。菜々海さんの担当は、低い音の出る金管楽器 チューバです。
さまざまな音が鳴り響く部屋。難聴の菜々海さんが音を確認するには難しい環境です。
山﨑菜々海さん
「頭の中で吹く音を歌いながら吹いてます。いちばん近くで鳴っているのは自分の音なので、どんな音だとか細かいところまで分からないんですけど、大体は分かります。」
全員での合奏の前、菜々海さんは指揮者の譜面台に あるものを置きます。
これは、指揮者の声を拾うマイク。音声をブルートゥースで人工内耳に飛ばしています。
指揮者
「低音もう少したっぷり吹いていいよ。
♪タンタンラーランタターンタタタタタタ…」
管楽器や打楽器など、さまざまな楽器で編成される吹奏楽。他の楽器の音色とのバランスをとりながら演奏していくことが求められます。全員が息を合わせて、一つの音楽を作り上げていくのです。
菜々海さんが担当するチューバは、低く力強い音色で、ハーモニーの土台を支える大切な役割です。
吹奏楽部 外部指導者 三好直英さん
「基本的に ほかの生徒、ほかのプレイヤーと比べて、彼女が特別になにか大変とか意識がないまま、3年間ほぼ意識したことがないっていうのが僕の本音なんですよね。」
山﨑菜々海さん
「自分が聞こえている音が、音楽が、みんなに聞こえている音楽とは違うかもしれないってよく考えるんですけど、それはそれで『自分だけの世界』じゃないけど、『自分だけの音楽』を聞けているんじゃないかと思うと、少しうれしいというか、すてきなことなんじゃないかなって思います。」
3歳からバイオリンとピアノを始めた菜々海さん。4歳のとき難聴と診断されましたが、補聴器をつけ、大好きな音楽を続けてきました。中学生になると吹奏楽部に入部。全国大会に出場する程の強豪校でチューバを始めます。しかし、難聴が進行。周りと音を合わせられず、次第に苦しい思いを抱くようになりました。
山﨑菜々海さん
「指示が聞こえなくて、その指示どおりにできなくて、先生とか周りから見たら、指示のとおりに動けない『できない子』みたいに思われている気がして。邪魔じゃないけど、乱すんですね、空気も演技も。それを結構感じていて。」
『消えてしまいたい 死にたい』と家族に漏らすこともあったといいます。それでも音楽を続けたいという強い気持ちが消えることはありませんでした。
Q:それでも音楽を続けたのは?
山﨑菜々海さん
「逆になんて言うのかな、辞めたら負けじゃないけど、逃げたくなかったっていうのが一番です。」
そして 13歳の冬、人工内耳の手術を受けます。
必死に努力を重ね、高校では信頼できる仲間もできました。自分なりのやり方での演奏を再び楽しめるようになったのです。
玉利有花さん
「聞こえる?聞こえる?」
(うなずく菜々海さん)
玉利有花さん
「♪怖くないわけない でも止まんない」
玉利有花さん 菜々海さん
「♪ピンチの先回りしたって 僕らじゃしょうがない 僕らの恋が言う 声が言う」
玉利有花さん
「♪『行け』という」
山﨑菜々海さん
「♪『行け』と言う?」
玉利有花さん
「うん。」
卒業式の2日前。この日も吹奏楽部の練習が行われていました。
目指すのは卒業式1週間後、3月8日に市内のホールで開催予定の演奏会。今年で37回目、例年およそ700人が集まる晴れ舞台です。
この演奏会を最後に引退するのが吹奏楽部の伝統。卒業間際にもかかわらず、練習は遅くまで続きました。
しかし、卒業式前日、思いも寄らない事態が…。
吹奏楽部 顧問 永石靖浩先生
「演奏会の話です。最終的に結論を言います。3月2日に体育館でやります。」
生徒たち
「2日?」
「2日?」
「もうすぐじゃん。」
吹奏楽部 顧問 永石靖浩先生
「3月2日の夕方から、体育館でやります。それこそもう関係者だけ。余分な告知はしない。」
新型コロナウイルスによる休校要請により、大幅に規模を縮小、日程も繰り上げ。残り9日で最後の仕上げを行うはずが、2日後に本番を迎えることになりました。
吹奏楽部 顧問 永石靖浩先生
「これが最大限できることかな。きょう、あした、あさって練習して。」
その夜、菜々海さんに率直な思いを聞きました。
山﨑菜々海さん
「(吹奏楽部の仲間とは)いろいろぶつかることも結構あったんですけど、それができなくなると思うと さみしいというか、考えられないなって感じです。自分たちらしく、聞いてくださる方に感謝の思いを伝えるような演奏にできればいいなって思っています。」
迎えた3月2日、体育館で行うことになった高校最後の演奏会。
部活の仲間、先生や家族、支えてくれた人たちへ…
演奏で、精いっぱいの感謝の気持ちを伝えます。
山﨑菜々海さん
「この6年間で学んだ音楽のすばらしさを忘れずに、自分自身 音楽を楽しむのと、1人でも多くの人に音楽のすばらしさが伝わるような活動ができたらいいなって思っています。」
卒業後は長崎を離れ、福岡の大学に進学する菜々海さん。これからも、大好きな音楽とともに歩んでいきます。