大森 靖子

〈生きるのが苦しいと感じるとき〉

「33年間つきあってきた 死にたみ」

死にたいのは毎日で、生きてるのが苦しいのも毎日で、全然。なんだろう、でもそれが、うーん、別に当たり前っていうか、死にたみ歴が長いじゃないですか。33歳なんで、私が。33年、死にたみとつきあってきて、それにもはや依存して生きてるぐらいの感じになってくるので、「またこいつが来たか」みたいな感じですね。
それと向き合うっていうか、そのゾーンにいるときの自分が結構好きだったりすらしていて。それ前提で生きてないと。それ前提じゃないときの自分というか、世の中とかのほうが自分にとってはつらい存在というか。世の中のシステムも、全員が平和になるようには作られていないし、定義されてる生き方とか、社会的に模範的な生き方とか、まだ全員が当てはまるものができていないのに、当てはまらないからといって、ドロップアウト組みたいな扱いになったりとか。
そういう人が孤立するような世の中になっているのに、「死にたい」っていう感情になったら、世の中からあぶれる側にならなきゃいけないっていうのは、システムのほうの問題で、別に自分の問題ではないから。っていうことは、別にそれと向き合って生きてたっていいわけで。
最初、初体験はつらいと思うんですよ。「死にたい」っていう感情に出会った瞬間とか、「これが『死にたい』なんだ」って知ったら、わぁーってなっちゃうと思うんですけど。いまは「こいつね。仲よくしよう」ぐらいの感覚です。自分にとっては。

「この感覚を分かる人は 自分しかいないのなら」

いちばん最初に来たのですか?小学校にもなってないと思います。なんか、家が団地だったんですけど、団地の階段がずっと灰色の階段で、それを上ってるときに「上っても上っても灰色だな、景色が」と思って、それにふと絶望して、「なんだろうこれ?」みたいな。5階まで階段で上ってたんですよ、エレベーターがなくて。「何?この景色」と思って。何で毎日毎日5階まで上らなきゃいけないんだろうとか。
そう思った今が過ぎていった。「この灰色の階段嫌だと思った瞬間が過ぎていっちゃった」って思ったとき。分かんないですけど、初めて時間軸と自分の心にズレを感じたときに、「この世界向いてないかもしれない」みたいな気持ちになって、すごく絶望して、この感じを分かる人は自分しかいないのならば、この世からいなくなるべきだ、みたいな感情に初めてなりました。

「“ふつう”じゃない自分」

しんどかったですね、やっぱり。周りにそれをおかしいって言われるのは。特に家族が自分にとっては、親が公務員と教師の家庭で育って。大学行って、ちゃんと就職して、結婚して、みたいなルートまで子どもを持っていくことが親の幸せだったから、それになれなかった、みたいな劣等感というか、申し訳なさみたいなのがずっとありましたね。敷かれたレールっていうよりは、それが親の希望だったわけだから。それを叶えてあげられないな、みたいな。

なんだろう、自分がふつうじゃないって気づくのには時間がかかりました。それを言っちゃいけないって思ったし、それだけ家が堅かったし、ちゃんとしてるぶって見えなきゃいけないって思ってたから。中身そのまま学級委員とかやったり、進学校行ったりとかしてたので。
それを表現するのは、中学2年とかになってからだったと思います。友達っていうか、好きな女の子がいたんですけど、その子が「今日お父さんにムカつきすぎて、玄関で木彫りの熊の置物、投げたんだよね」って言ってて。その子はいわゆる“ふつうの家庭”に見えてたから、「そういうことする子、自分以外にもいるんだ」って。ふつうに見えててもヤバい!みたいな子っているんだなっていうのに安心した記憶はすごくあります。それでずっとその子に執着してました。

〈それでもいま 生きている理由〉

「カラオケを楽しみに生きていた 中2」

中学のときから学校サボってカラオケにめちゃくちゃ行ってて、カラオケに行って歌うためにラジオ聞いたり、CD借りたりとかMD作ったりして仕入れて、カラオケに行って、っていうのを楽しみに生きてたので。私はテレビとかに出てキラキラ歌を歌う人にはなれないって思い込んでたから。顔そんなかわいいわけじゃないし、と思って生きてたから、カラオケでいいやと思ってて。カラオケで歌えれば良かったから。歌うことには依存してましたね、完全に。それで、自分が歌って気持ちいいメロディーとかが少なくなってきて、自分で作ろうみたいなのを始めたのがきっかけなので。

「自分だけの感情 音楽で表現し始めた」

自分の感情として、「分かってくれない」っていう感情の中にあるもの、分かってくれない部分みたいなのを、自分がいちばん好きなんですよ。「分かってほしい、分かってもらえない、ここが本当の私なのに」の部分。それをたくさん言語化するのを音楽でやってるんですけど。そしたら、「こんな気持ちを初めて言語化された」みたいに言って、「音楽すごい」って言われることが増えたんですけど。

音楽があったら生きていけちゃう人だからって、自分で分かってるから。音楽に救われてるだけですね、ほんとに。
全部を考えられるんですよ、音楽の中でなら。全部が分かっちゃう瞬間もあるし、全部が分からなくなる瞬間もあるし、そういうところに連れて行ってくれるから。爆音の鳴ってるステージの中にまた行きたいな、って思うだけで、生きられる。かな。
よく分かんないけど孤独になりたがってて、よく分かんない何かをぶつけたがってて、みたいなのってあるから。それを全部受け入れてくれる存在だったし、それが恋人とか人間だったら傷つけちゃうじゃないですか。音楽は傷つかないからラッキーだったなって思います。
人との関係性で幸せになりきれないっていうのも自分で分かってるから。恋愛ぐらいで自分の人生をゆがめさせられないっていうのも。私、男の子じゃ幸せになれないや、とか、女の子でも幸せになれないや、とか、恋愛だけで人生に満足感、感じられないやって最初結構ショックだったけど、自分はそれが音楽活動だったから、やっぱり。それで幸せになれる人は、それもいいなって思います。うらやましい。
でも、それがみんなにあるとは限らないもんね。人によって違うと思うから、それが何かって。人にばかにされるようなことでも、ほんとに何でもいいと思うんですよ。アニメでもいいし、コスプレでもいいし、スケボーでもいいし、ゲームでもいいし、何でもいいんですよね。何かあると。

〈しんどいときに実践しているセルフケア〉

「バイト先の床で」

SNSのアカウント消してみるとか、誰にも迷惑をかけず仮想的に死ぬゲームみたいなのをたくさん用意したりとか。朝、みんなの通勤の時間に、自分のバイト先の玄関でずっと死んだふりをするとか。床に寝転んで寝るだけです。ずーっと、こうやって寝るだけ。それですっきりしてたんですよね。20代前半とか、そういう感じだったかな。
高円寺の劇場でバイトしてたんですけど、その劇場の入り口がだだっ広くて、それも灰色だったんですよね、床が。自分の死のイメージって灰色だったのか分かんないですけど。床は冷たくて、空は青いけど、自分にとっては関係ないこと。天気がいくら良かろうが悪かろうが、今日の自分にとっては関係ないことで、みんなは通勤で歩いて行ってて、人が動いてて自分が止まっている、っていうのが、たぶんイメージだったんですよね、死んでいるという。
すごいリフレッシュ。すごい気持ちいいんですよ、「死んでる」って思うだけで気持ちいい。ライブやったあとみたいな気持ち。やってやったぜ、みたいな謎の達成感があるんですよ。
「死にたい」っていう欲望を満たしてたんだと思います。なんかちょっと疲れるし、疲れたら眠いから満たされますね。

「夜のコンビニ」

あとは最悪、コンビニ行きますね。コンビニはいっつも、ばかほど明るいから。人がいつも起きていて、自分だけじゃなくて。それに安心とか全くしないんですけど、「わぁ、この世界にいる!」みたいな感じが。死にたいときって、そうじゃないところに脳がいっている状態だから、戻ってこれますよね、この世の中に。おいしい牛乳とか、そういう日常のものを見ると、ハッて帰って来ちゃう。
家庭の明かりより、あっちがいい。外灯とか自販機の光の感じとか、20代のときに見た、夜、電柱に頭ぶつけてたときの自販機の光とか、忘れられない。

「敬愛するアイドル・道重さゆみさんの存在」

私が死んだら道重さん、悲しむじゃないですか。そんなことしていいわけがないじゃないですか、って思います。絶対やめようって、すごいピシッてなります。思いだした瞬間に、だめだって。出会っちゃってるから。出会わないほうが悲しくなかったみたいなことなんて、絶対あっちゃだめだから。「あー、だめ!」ってなります。好きなものがいっぱいあると、死ねなくなりますよね。
安全装置をいっぱい用意するしかない。でも、それを忘れることも自分で分かってるから。音楽のこともあります。まだやり残してるな、あれやってないな、とか。ああいう曲作ってないな、あれ作りかけだな、とか思いだしちゃいますね。

〈死にたい気持ちに対処するための考え方〉

「孤独と向き合うことで 自分が分かる」

孤独をはねつける社会、みたいなもの、何でだろうって思っていて。孤独って、自分と向き合ったりとか、誰かと馴染めない、誰かが嫌いだ、社会と馴染めないみたいな気持ちかもしれないんですけど、それと向き合うことって自分を形成できるし、自分の解像度が高まるじゃないですか。自分への理解も深まっていって、そうしたら、自分のことを嫌いっていう気持ちでも、愛情でも、どっちでもいいんですけど、分かるんですよね、自分のことが。
自分のことが分かると、次は「こういう自分が生きるにはどうすればいいか」とか、「やっぱりだめだ」か分かんないですけど、どっちにしろ思考は進めていけるから、それってそんなに悪いことじゃないと思っていて。

だから、「孤独な人をすくい上げて一緒にいよう」とは全く思ってなくて、孤独同士、孤独は当たり前だから、その孤独な独立した存在同士を認め合って、全員が美しく独立した状態であろうっていうのが自分の理想であって。
それが幸せじゃないっていう人も、もちろんいるのも分かってるんです。人に言われたことをやるのが幸せで、そうじゃないと怖くて仕方ないっていう人もいるから。それはそれで、そういう孤独じゃないですか。でも、それも認め合う。全部のパターンの孤独を認め合って、「そういう人もいるんだね」って。それをディスるとか、こうでしょって言い合うこともなく、それを正義にすることも、誰が正しいとかもなく、「そういう気持ちってあるよね」みたいなのを全員が持ち合えるのがいちばんいいなって思っていて。孤独を孤立させたくないなっていうのはそういうことです。

「去年 大切な友人を亡くしてしまった」

何が違ったんだろう。私だったじゃんって思いますよ、何回も。私のほうがやばい状況だったよね、みたいに思いますけど。
すごい理解し合ってたつもりだったし、同じ生死の境目、そこがいちばん作品作りには気持ちいい場所だったりするから、同じところにいたなっていう感覚がある。「彼岸」って呼んでるんですけど、自分は。川のほとりにいるイメージがあって。自分も、その境目が分かんなくなることは月1ぐらいではあります。全然ありますね。

同じ孤独同士で、「いやいや、お前はお前の肉体が最高だよ」っていうことを言ってかなきゃいけないんだなっていうのは、すごく感じました。忘れちゃうんですよね。分かってるはずなんですよ、自分が生きていくべき人間だなんて。もっと言っときゃよかったなって。

何が大事なんだろう。でも、約束かな。約束はいっぱい作っておきたいなと思う。「約束があるよ」っていうことを思い出してほしい。「でも、明日あれ行かなきゃ」とか。それを思い出してもらえたら違ったのにな、と思うから。自分にできることはライブの予定だと思うけど、約束いっぱいすることかなって。まだあの人に会ってないな、とか。ライブの予定あると頑張ろうって思いますね。
だから、ライブの予定ないと死にたいですよね。今きついですよね、普通に。やるべきことがない状態ってやっぱり、存在価値ないみたいな気持ちになるから、みんなそりゃあ死にたくもなるよね。間違っていっちゃうこともあるよね。「死にたい」まで別に普通ゾーンなんですよ、自分の中で。だからっていかないでって、思っちゃいますよね。

でも、分かりはするから。分かれば分かるほど、何でいっちゃうの、みたいな。生きてるから、その上で生きてるからこそ、こんなに私たちはきれいで天使なのに。死んで実行できることより、生きて実行できることのほうが絶対多いから。全部、生きてやってほしい。
状況をどうにかしたくてやってることも分かるから。とにかく何でもいいから、自分を傷つけても、最悪、誰かを傷つけてしまっても、謝って罪を償ってってすれば、それも仕方ない。
それでもいいから生きててほしいな、個人的には。

「“死にたい”と 一緒に生きていく」

治すものじゃないから。「死にたい」みたいなのを消そうとか、それはおかしいよっていうのもないし、言わないようにしてる。でも、言い換えは大事だと思うんですよ。「死にたい」はフラットな気持ち、「飯くいたい」ぐらいの気持ちでもあるので。それを言い換えでプラスに持っていくことって、私にとっては当たり前なんですけど、ソーシャルイメージ的な「死にたい」のほうに引きずられてしまう子もいると思うので、そうじゃない「死にたみ」に持っていけたらいいのにな。
それと戦うとかじゃなくて、一生一緒に生きていくものだなって自分は思ってます。

でも、これを分かる人とじゃないと仲良くなれないから、自分はこれで良かったし、それを持ってるから出会えた人のほうが面白いなって自分の人生に対して思ってるから、死にたくてよかったです。自分の人生は。「死にたい」と1回も思わないような人生じゃなくてよかったです。

全員が生きやすい世の中とか、平和とかって一生ないと思うんです。私は、どんな世の中になっても常に気に入らないんですよ。一歩歩くごとに何かが気に入らない。でもそれって、私が別に怒りっぽいってわけじゃなくて、そういう問題提起をし続ける因子というか遺伝子として、世の中にある程度の割合で生まれるべきだった人なんだと思っていて。じゃないと、「いまの状態が平和です。ジ・エンド。」にしちゃったら、その状態でうれしい人しか平和じゃないじゃないですか。だから、「これおかしいよ」って永遠に言い続ける人が絶対に必要だと思っていて。自分がそういう因子で生まれた以上、まだやるべきことがたくさんあって。
以前、自分は27で死ぬだろうなって勝手に思ってて。「この感じで生きていくのって、27が限界なんじゃないかな」って思い込んでたんですよ。モデルケースになる大人を知らなかったから。そこから先を見せてる大人みたいなのがいなくて。でも、生きてるほうがその先を見せられるんだったら、そのほうが面白いし。

別に大人になったからって何も変わんないじゃないですか、なんか。最初の衝動のまま生きているから。3歳ぐらいから変わってない。あの団地の灰色の階段の景色から何も変わってないから、自分なんて。だから、そうやって面白がってもらえれば。「こんなままで生きてるんだ」みたいに、面白がってもらえればいい。「こんなやつも生きてんだな」で自分はいいって思います。

大森 靖子

超歌手。新少女世代語彙力担当。 わたしみ肯定の哲学、風俗資料的血生臭い歌詞、キャッチーなメロディーを志しつくった歌を、命を使って歌う人。
孤独を孤立させないための執筆活動や、プロデューサーでありメンバーでもあるZOCの活動、楽曲提供やフェスのプロデュース、審査員なども行う一生道重の変な人。
2020年アルバム「Kintsugi」をリリース、2021年4月より全国7ヶ所を回る「えちえちDELETE TOUR」開催。

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