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障害者の生きる場

本音を聞かせて!相模原障害者施設殺傷事件から1年(2017年7月放送)

番組ディレクター

2016年7月26日、相模原市の障害者施設で入所者などが次々に刃物で刺された殺傷事件からまもなく1年を迎えます。事件の直後、障害者の存在を否定する容疑者の言動について多くのメディアが報じましたが、1年たって語られることは減りました。

事件の後、何が変わり、何が変わっていないのか――
みなさんの「ホンネ」をお寄せいただきました。

※このカキコミ板は、2017年7月のハートネットTVで募集したものです。この番組の記事はこちら
※相模原障害者施設殺傷事件に関する記事はこちらから。

投稿日時:2017年06月14日 14時07分

投稿日時:2017年06月14日 14時07分
カキコミ件数:203件
助ける側になりたい。
ルナさん/東京都/10代/子供

私は発達障害を持っています。私は小学生のときにたくさんの先生方に助けられました。私は今、大学で福祉を勉強しています。障害だからといってできることが少ない訳ではありません。苦手なことが人より多くあるだけです。私は助けられた側です。福祉を勉強して助ける側になりたいです。そう思う方もたくさんいます。

投稿日時:2017年07月27日 07時52分

番組を拝見して、短編小説を書きました。
果那さん/和歌山県/40代/子供。67歳の、父がいます。

神様のいたずら

「お母さん、、、!生まれましたよ!女の子です!」あの時、胸に我が子を抱いた時の気持ちを、何と表現すれば良いのだろう。人生で、こんなに幸せな気持ちになるだなんて。これ以上の幸せは無いのでは?
ハイハイが出来るようになり、歩く姿も健気な我が子。しかし、笑顔を見た事が無い。
おかしい。我が子は遺伝子操作した。あらゆる疾患になる可能性を排除した。でも、私にすら、視線を合わせる事も無いのは、何故だろう。
不安感を抱えながら、小児科を受診した。自閉症という、診断。
目の前が真っ暗になるというのは、こういう事か。
部屋の周囲に散らばる玩具に手も触れず、ただ座っている我が子。「どうして?どうして?」
神様を恨んだ。ただ、笑顔が見たいだけなのにーー。思った瞬間、ハッとなった。私は、自閉症の我が子でも、愛しているのだと。

完。

投稿日時:2017年07月27日 06時37分

この事件をきっかけに
kzm2359さん/埼玉県/20代/生活支援員

知的障害者の生活支援員になる覚悟が出来た事件だった。

4月から働いてるけれど。
私は彼らと共に過ごす日々が
愛しくて幸せ。

障害者だから特別じゃない。
弱者でも守られるべき人でもない。
みなと同じ人間なんです。それだけです。

投稿日時:2017年07月27日 01時42分

  • だんご3兄妹さん/40代/母親

    あなたは、希望です。

    私は、重度心身障害児の母になり7年目。

    お若い、あなたの投稿に、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

    また、明日から
    彼女と社会に恩返しできる日を夢見て頑張ります。

    ありがとうございました。


    投稿日時:2017年08月02日 23時00分

  • コスモスさん/

    『みんなと同じ人間』…いつまでその考え続くでしょうか。

    私も生活支援員をしてきました。
    てんかんの治療中と免許を持つことは施設に伝えました。
    で、最も重労働である、日勤・お泊り支援・日勤+業務の運転を強く命じられたことがあります。
    移動時間は帰宅ラッシュと通勤ラッシュが重なるバイパスの運転です。
    仮眠があるとはいえ、寝不足を避けることはどう考えても不可能です。
    薬を忘れずに飲む習慣はありましたが、寝不足で車いすの移譲と運転は命がけでした。
    労働基準監督署では労働基準に違反していないと聞きました。

    障がい者施設での、手帳のない、障害者に該当しないてんかん患者への偏見と差別はなくなる事はありません。
    この施設では小児マヒで片足を引きづる人も支援員として働いていましたが、結局は他の職員によるイジメにより仕事を辞めました。

    投稿日時:2017年07月29日 10時31分

本心は
まみむさん/埼玉県/10代/兄弟

私の兄は重度の知覚障害です。知覚障害の他にもいくつかの障害を患っていて、意志疎通は難しく、自分で生活は出来ません。
生まれたときから、兄と自分なりに向き合おうとしてきました。でも、やっぱり今でも受け入れることが出来ません。
外に出掛ければ所構わず大声を出して騒ぐので、嫌でも人の注目を集めます。小さい子にはこっちを見て指を指されます。それを止める母親の「かわいそうに」という目線。「関わらないようにしよう」という周りの目線。気になってしかたありません。私自身、兄の障害なんだから仕方ないとは諦めています。でも身内だと思われたくないって、思ってしまうのです。これって、いけないことなんですか?
小さいときから、兄さえいなければ「普通の」家族だったのにって考えたことは一度ではありません。変に人の注目を集めることがなければ、母や父が振り回されることもない。物が壊されたり、怪我することもない。夜中に起きて騒ぐ声で勉強が邪魔されたり眠りが妨げられることもない。友達も家に呼べる。家族とゆっくり買い物をして、お出掛けができる。体が成長してから、力も強くなって母の体にアザができることが増えました。車の運転中に邪魔されたりするところも見てきました。母が踏ん張れなければ、車が道に激突していたかもしれません。
今回の事件、犯人の「保護者の疲れきった目」という部分に同感しました。かといって、全員殺せばいいなんてことは全く思いませんが。兄がいる分、障害には理解があります。みんなが「障害者」で人くくりにできないことも。でも、それでも。「生きているそれだけでいい、みんな仲間だ」みたいな綺麗なことが言えません。犯人の考えは極端ではあるけれど、本心は真っ向から否定できないです。

投稿日時:2017年07月27日 01時37分

ある宿泊型自立訓練施設の本当の内情。辛いしか感情が残っていません。
ひーたんさん/長野県/30代/天涯孤独

今は一人暮らしですが、1年半程、長野県内の某精神障害者の宿泊型自立訓練施設に入所していました。
その中の一部の支援員が差別の塊でした。私は諸事情で天涯孤独で帰る家も引き取ってくれる家族もいません。ある日、私物の盗難があり、支援員にすがる思いで相談したら、自分でも探してください、と。盗難なのに何で捜さなきゃいけないのとムカッときて、私は『これから何かある度に盗まれたら安心して生活できない』と伝えたら、何と、

『出ていったって行き場所ないでしょ?』

と暴言に近い言葉を吐かれました。天涯孤独の人にですよ?なくないですか⁉
結局、その言動で心身の体調を崩し、一週間施設を家出(っていうのかな?)して、その後結局入院になってしまいました。

ある支援員は、家がお金持ちの入居者にしか親身になったり優しくして、貧乏な家や、家族が疎遠の入居者は放置でした。明らかに関わる態度が違いました。

入居者は一番身近にいる支援員を頼りにしています。しかし、人によって差別されたり暴言吐かれたりするのはどうなんでしょう。

本当に嫌な思いしかせず、ここにいたらダメになると危機感を感じ、期限を半年縮めて、逃げるように施設を出ました。今、一人暮らしで大変な事もありますが、後悔していません。

障害者の差別を無くすには、まず、福祉施設などで内部で働く職員の言動や関わりからではないかと思います。支援者側は『支援するために』数あるなかからこの仕事を選んだのではないでしょうか?
相模原では入居者が殺されてしまいました。怖くて考えたくないですが、支援員が私のいた施設みたいな対応をしていると、いつか、『逆』もありうると思うのです。

投稿日時:2017年07月27日 01時20分

まぁ別にね、
ひんしのくまさん/岩手県/30代/精神疾患の当事者

健常者に差別意識を無くしましょうとか押し付ける気はないです。
人間というのは差別の生き物ですからね。
障害だけではなく世間ではマンガやアニメが好きというだけで差別する人いますし。
この社会は生産性のみで成り立ってきたから障害者のように生産性無しだから弾かれるというならそれでやってください、でもその結果しっぺ返し食らっても知りませんよ、社会戦士と言われる皆さん。

政治や社会がこんな状態のこの国がどこへ向かいどうなるか見物しようかと思います。

投稿日時:2017年07月27日 01時08分

誰もが生きられる社会作りを
あまちゃんさん/20代/支援員

障害者福祉施設で働いている者です。利用者の方と接する中で、いらない命、守れない存在などと考えることはありません。むしろ、寄り添うことで学ぶことがたくさんありますし、良いものを感情豊かに伝えてくれることに元気を貰っています。

あの痛ましい事件から一年が経ちましたが、未だに重複障害者には安楽死をと主張する犯人に少なからず共感する声があることに憤りを感じます。
生産性がない人は守れないという意見がありますが、それは障害に限ることではありません。稼ぎがないからという考えだとは思うのですが、それでは子どもや主婦、定年退職した方はどうなるのでしょうか。仕事が出来なかったり、得られない状況や仕事を失うことなど誰にでもありえます。それで生きることの保障がなくなるのであれば、医療や介護、保育、社会保障など必要なくなってしまいます。

人が生きることに条件はないということを踏まえて、改めて命のあり方や金銭的な問題について考える必要があるのだと思います。

投稿日時:2017年07月27日 01時04分

障害者でも、残せるもの。
れいじさん/岡山県/30代/

はじめまして。
私は、弾き語りをしています。
広汎性発達障害、摂食障害、解離性同一性障害、睡眠障害です。
ギター弾き語りをしている時は、健常者よりも上手いのではないかと言われます。
とても嬉しいです。
必要と思われることは大切です。

投稿日時:2017年07月27日 00時02分

表裏一体
兎丸さん/千葉県/20代/どちらも経験者(一応)

小学校・高校時代に障害者の子達と毎日接していた身として、正直容疑者の心理は解らなくもありません。
私自身、精神的な障害を持っており、身内に散々責められた事もあります。それでも容疑者を安易に批判出来ません。
勿論、幸不幸は障害者に限らず人それぞれなので、勝手に他人の人生を裁くなど赦されない事。

しかし、障害者を「弱者」と称したり過剰に擁護するメディアや世間の声も、個人的には差別ではないかと思っています。気にかけ過ぎるのは「特別な意識」があるからではないでしょうか。
マイナスの声だけが差別だとされるのなら、それこそ綺麗事で、価値観の押し付けによる差別だと思うのです。

幸不幸と同じく、価値観や考え方だって千差万別。
俗世で少数派の意見を安易に否定することは、短絡的に言えば容疑者の思考と何ら変わりない、と私は考えます。
被害者側・加害者側のどちらに対しても考察し寄り添うことが未来を変える一歩になるのではないでしょうか。

植松容疑者の行いは咎められて然るべき事ですし、発言も偏見に塗れて見えます。
けれど「実際に障害者と関わってきて生まれた感情」があるのも事実なのです。
とはいえ、関係者が持つ感情も人それぞれで結果的にプラスの考えを持つ人もいます。

当事者の意思尊重が優先なのは当然です。
しかし、関係者がプラスの思考になることは「当たり前ではない」のです。「プラスでなければ駄目なんて事もない」のです。
それこそ、健常者同士の対人関係と同じ。

プラスだから「善」
マイナスだから「悪」
人間はそんな簡単に括れるものではありません。
植松容疑者のように、しがらみに囚われた人に寄り添う事も事件を未然に防ぐ意味で重要なのでは。

私は将来こういう人々の闇に寄り添える仕事に就きたいです。
「障害者の方々が笑って暮らせる社会」を作るためではなく
「誰もが笑顔で暮らせる社会」を作るために。

投稿日時:2017年07月26日 23時57分

「障害者」投稿は障害の種類で分けるべきでは?
いつかさん/東京都/20代/近所や職場

私は身体の障害や後発的な精神障害の方を障害者と呼ぶべきではないと思います。それは"私達がなる可能性"があるからです。むしろ身体を壊さない人の方が少ないです。私が障害者になってしまった時に差別される辛さを理解できるので自分達が将来成る可能性の一部として分けるべきでは無いと思います。
しかし、知的障害に関して私は区別するべきと考えてます。近所にいる障害者の方は夜中でも叫ぶ。仕事先にいる方は仕事が遅く周りの方が残ってまで手伝って、それでも感謝の言葉はない。助け合いが必要だ、など言いますが助け"合って"ないこの現状は不満しかでません。
相模原障害者事件の犯人の言った「障害者」がどの範囲に当たるかは不明ですが私は彼の意見に賛成です。

投稿日時:2017年07月26日 23時05分

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