健常者も障害者も、これが基本でしょう。
健常者はいかに上から目線。気に食わない人間を下に見るようにするのが基本。マイノリティへの対応ってまさしくそう。
しかし障害者も、他の障害がわからないとか、「自分が全てになる」という部分がある。私の母は脳梗塞だが、そういう部分が強い。「できん!」といえば周りがするという感覚。
障害者に「かわいそう」は問題だが、「かわいそうといってもらえるだけまし」とも考える。精神など、かわいそうすらなく、施設のパワハラがあまりにも普通。障害者の就労移行支援ってビジョンが無いから自分が何度も役所に行き、役所も課でばらばら。時間を気にできない。
役所って生活保護を当然のように言う。しかし支給日を調べて粘着する「健常者」である差別主義者もいて怖い。そこまで考えてしてくれよと。
結局どの世界からも煙たがられてくすぶっている障害者があちこちの施設に大量にいる。
私は市役所の臨時職員をした。臨時であっても守秘義務は重要。しかし極度の障害(内容は不明)がいて、ネット(危険なことばかり書かれている匿名掲示板)のことのコピーのようなことばかりいう人がいて、朝パソコンを使うとき、そこで使われる問題ある言葉を全て消す作業。しかもデータの機械を読み上げて大問題。結局責任問題。
しかし、こういう人でも、市でもそういった問題が起こらない部署に就ければよいと思った。決して追っ払っては本来の問題解決にはならないと。もっとも、給料の意義が分からないくらいの人だったが・・・。
投稿日時:2017年08月31日 19時26分
大多数の方が健常者が作っていると思っていますが、障がい者自身も作っているかもしれません。
私の元友人は、事あるごとに、『私は障がい者だから』『難病だから』と聞いてもないのに、何回も言ってきます。障がいを思いきり前面に出し、助けてもらって当たり前と障がいを思いきり楯にして、自分の代名詞にしていました。普通・・・と言ったら違うかもしれませんが、私も当事者で、出来れば隠したいです。知られたくありません。なので、その友人とは、申し訳ないですが、一緒にいると生活のモチベーションが下がり、落ち込むので訳を話し、縁を切りました。
障がいを分かってもらおうと、自分の取り扱い説明書みたいに説明するのはまだ分かりますが、障がいを思いきり楯にして代名詞みたいにするのはいかがなものでしょう・・・。
もしかしたら、障がい者差別を作り出しているのは、障がい者自身であるケースもあるかもしれません。
投稿日時:2017年08月17日 01時08分
障害者とひとまとめにすると問題と思います。
ある施設の紹介で仕事に行きましたが(その施設も適性も考えずに強引でしたが)、2人の別の精神障害者とともに会社に入りました。
一人は女。すぐ怒鳴りつける。結局会社で怪我したが「ざまあみろ」という感じ。
もう一人は男。我侭で人の携帯電話を勝手に使う(携帯を持たせてもらえないお方)、人のタバコを勝手に取る、強引に人の食事を交換させる、私はそれで過敏性大腸炎に。
しかしこの男は他の社員とともに私を笑いものに。
施設の職員に相談しても「もっと仲よくしなさいよ!」と。
我侭な人間とは仲良くなれないし「まじめに生きて損した」という感じで、今でもその施設と2人を恨んでいます。
今は別の施設に行っていますが「我侭なのはいないだろうか?」と不安です。
投稿日時:2017年10月22日 15時33分
背番号2さん/
コメント失礼します。
難しいですね。
自分の障害を盾に使うかたは確かにいると思います。
それはでも障害があるからというよりその人の性格だと思います。
私も障害者で、障害者の友達と縁を切ったことがあります。
その方は金銭や物の無心を頻繁にする方で、弱い自分を助けてくれるのは当然だと考えているようでした。
何でも利用する性格の人っていますよね。
コスモスさんの言うとおり、知識がない人だし、知識を得る努力なんてしたくないんじゃないでしょうか。
私は障害者だから縁を切ったんじゃなくて、友達として価値観が合わなかったから縁を切ったんだと考えています。
ただ、その方の居場所も必要で価値観の合う場を見つけるのが何よりだと思います。
私も障害に負けずに社会に認めてもらいたい一人なので、同じ価値観を持って頑張れる人が沢山集まれれば心強いと思っています。
少数派はなかなか意見を聞いて貰えませんし、障害を明かすと嫌なこともあります。社会に出れる障害者が一人でも増えて、正当な主張が出来るようになったらいいですね。
色々な都合で頑張れない方も多いのが現状かと思いますが頑張れている方々がいるのは心強いです。
投稿日時:2017年08月19日 13時12分
コスモスさん/
障がい者差別。
『差別』は『無知』から来るのではないでしょうか。
ひーみさんの元友人は、自分の障害、病気についての知識を持っていなかったのではないでしょうか。
『差別をなくすには、差別をしているものについて、正しい事を知る』
『「障害とは、立ちはだかる壁の事(自然災害も含む)」』
この世界に『健常者』はいません。
これが私の考え方です。
差別をする事は簡単ですが、差別をする前に知識を持ちたいですね。
投稿日時:2017年08月18日 16時43分
少々過激で生意気なことを言いますがご了承くださいm(*_ _)m
相模原事件は「知的障害者」の施設です。なのに番組のMCや障害者のゲストさんは「身体障害者」の話ばかり。
まったく知的障害者について触れません。
「体が動かなくても一生懸命生きている。」
「生産性無いとか言うけど障害者達は私たちに笑顔や暖かさをくれる」とか...
無意識に知的障害者を差別してるんですかね?
障害者の話がテーマなら分かりますが今回のテーマは「相模原から1年経って」ということです。
良いことを言っているつもりだったんでしょうが論点がズレています。
まずあなた達が無意識に差別している事に気づいてください。
そして「今自分が何をしているのかすら分からない重度の知的障害者は生きている意味があるのか。」というテーマにしっかり向き合ってください。
それに向き合わないとまた相模原のような事件は無くならないと思います。
投稿日時:2017年08月17日 00時56分
コスモスさん/
番組スタッフは、知的障がい者を差別したわけでなく、慣れない番組スタジオに招く事が出来なかったのではないでしょうか。
視聴者に合わせた番組ではなく、知的障がい者、重複障がい者にも合わせた内容だと個人として思います。
相模原の津久井やゆり園で支援を受けていたのは、『重複障がい者』です。
知的障害以外にも移動に困難をきたす障害も合わせ持つ人達です。
直ぐに逃げることができないために、被害が大きくなりました。
また、『知的障害』には『適応障害』も含まれるので、番組に出る事が難しかったのだと思います。
短い時間なのに『適応障害』を持つ人に登場してもらう事は、いつもの生活スタイルを乱すことになり、パニック状態にさせてしまうので、虐待となってしまうと思います。
そこで番組に出ていただいたのが、同じく移動に困難をきたす『身障者』です。
私は重度の障害を持つ人達の支援をしていました。
相模原事件の被害者と同じような人たちの支援です。
重複障害を持つ人達と避難訓練をしたことがありますが、いつもと違うことに抵抗し、火災設定の建物から逃げることができない人も何人かいましたよ。
知的障害、重複障害を持つ人達に会いたい時は、ボランティアに参加してくださいね。
投稿日時:2017年08月18日 11時57分
某サイトの知○袋に毎日質問している人物がいるのですが、たいてい飼っている猫の写真を付けて「かわいいですかニャ?」とか、まあ他愛のない質問(?)をするのです。ところがこの人物が植松聖の支持者で、これまでに「相模原障害者殺傷事件の犯人はよくやった!!」などと質問して24回削除されています。そんな人物が猫好きの善人ヅラしていることが許せなく、私は嫌がらせのような回答をしたり、はっきり「差別主義者め!」などと回答するのですが、私のその回答の後に、「お猫様には・・・」などと回答する常連がいます。一体どういう人間なのかとその人の別の回答を読むと、発達障害者に対する差別と偏見に満ち満ちた回答をしていてぞっとさせられました。世の中にはこういう人間もいるのですね。強い無力感に包まれました。
日本社会は良くなりうるでしょうか?道のりはとても遠いと感じます。
投稿日時:2017年08月16日 14時54分
事件が起きた翌日、私が障害者であることを知る友人に事件について話をしたら、「障害者って生きてる意味があるのかな」と言われた。そのときは固まってしまい、うまく返事をできなかった。
私は現在、大学で福祉を学んでいる。この一年で福祉や人権・権利について知識を増やし、今なら友人に言葉を返すことができると思う。
けれど、頭での理解と、経験を通した感情は異なっている。
そもそも、是非の余地なく当然であるはずの障害者が生きることについて、なぜ他者が議論するのか、他者に議論されなければならないのか、という怒りに近い疑問を持つと同時に、(変な表現だけれど)障害者として生きる私の日常は肯定されているとは感じられず、「障害者はいない方がいい」という思想を内面化してしまいそうになる。
頭での理解と感情面での葛藤は、=理想と現実のギャップなのだと思う。不調のときは、健常者と障害者が対等・平等でなく、障害者として生きることが肯定されないのなら生きていたくないと、0か100かの価値観になってしまう。
その度に、もう少し現実的な、障害の有無や能力の差異で差別されない社会に逃げることを考えたりしながら、あとの世代の(障害を持つ)人たちのためにも日本社会を変えたらいい、それに私の困難や苦悩は役に立つ、という考えに着地させ、毎回なんとかやり過ごしている。
けれども、こういった葛藤や作業を、ひとりで抱えるのがしんどい。
なぜ障害者はこんな苦悩を抱えなければならないのか。
社会の問題を、障害者のみに背負わせないでほしい。
投稿日時:2017年08月14日 14時49分
Kotoさん/石川県/30代/当事者
サンさんへ
サンさん、はじめまして。
統合失調症当事者の女性です。
障害者、健常者、、
対義語のようですが、私はそうは思っていません。
障害者=健常者=人間
だと、私は思います。
だから、、
同じ位置に立っています。
そうです。
誰にも、、
生きる生きないを支配する権利はありません。
投稿日時:2017年08月20日 23時48分
今回の相模原の事件はおかしな考えを持った障害者が犯した殺人事件で許されるものではないと思います。
また、日々ニュースにあがる健常者が犯すおかしな考えで起こった殺人事件も同じように許されるものではないと思います。
今回の事件で精神障害者が全般が危険だと考えるなら、健常者だって沢山殺人事件を犯しています。
重大犯罪を犯す両者の割合は大体同じ位だと聞いたことがあります。
残念なことに障害者も健常者と同じ様に悪い考えを持った悪い人もいるのは認めざるを得ません。
けれど、健常者の事件も障害者の事件も一部の行き過ぎた人が起こしたことだと忘れないでほしいと思います。
大切なのは障害者か健常者かではなく、人が犯す犯罪をどうすべきかではないでしょうか。
障害者だろうが健常者だろうが悪いものは悪いし、良いものは良いのではないかと思います。
障害者をどう考えるかではなく、犯罪者をどうすべきかではないでしょうか。
投稿日時:2017年08月10日 19時51分
私は自閉症ですが、先月の生放送をみて、「頼むから障がい者は全て消えてほしい」と、きっぱり何の躊躇もなく意見を送る人がいて、物凄く不愉快になりました。確かに、こんな私でも同じ境遇の
成人の方が公共の場で騒いだりしていれば少々苛立ちますが、そこまでの考えには至りません。むしろ自分の心に自制を求めます。それに、スポーツ界や芸能界にも障がいや持病を持っている方は何人もいます。しかもそれは日本だけではなく、アメリカ等の外国にもいます。あの発言は、そんな人達の存在を否定する事にも繋がるんですよ!それを持ってしてもあんな残酷な事を言えるんですか!?私からしたら、ああいう事を普通に堂々と言う人の方が怖いです!
投稿日時:2017年08月09日 23時10分
コスモスさん/
障がい者ってどんな人か考えた事ありますか?
障害とは立ちはだかる壁の事ですよね。
自然災害も壁です。
震災に遭った人、水害に遭った人も『障がい者』です。
者=人です。
この世に『健常者』は存在しないのではないでしょうか。
障がい者が全員消えることは、世界中の人間全員が消えることになります。
どんな障害であっても、手をつないで、絆を結んで一緒に乗り越えたいです。
投稿日時:2017年08月18日 17時36分
障害者は生きていると周りが不幸になるとか訳のわからない事を言ったり、行動を起こし人を傷つけたり余りにも想像力がなくて悲しくなる。人ごとだと思って生きてる人にも同じことを思う。
今のままで障害者にならなくても年老いて手足が動き病気もせず介護や治療を受けず人の手を借りずに健康でいれる人が、その中にどれくらいいるんだろう。
投稿日時:2017年08月09日 22時29分
わたしは障がい者支援の仕事をしています。
生きる価値なんて他人が決めるものではない、損得で人の命の価値が決まるものではない、そんなふうに心から思うけれど、そんな理屈じゃ納得できない人が社会にはたくさんいるということ、今回の件で知りました。
どの考えが正しいとか間違いとか、なにを基準に言えたものかと思いますが、決めつけてしまうことって、すごく怖いですね。
それ以上なにも生まれなくなってしまうから。
自分を振り返って思います。
大きなことはできないけれど、まずは身近なところから、少しずつ、輪を広げていくような。そんなきっかけになれたらいいな。そんなふうに改めて思いましたし、それが、わたしがこの仕事を続ける意味の一つでもあると感じました。
ぐるぐるぐるぐると自問自答を繰り返して、なかなか答えは出ませんが、小学生の時に習った、金子みすゞさんの「みんなちがってみんないい」、あんな気持ちを大切にしたいです。
投稿日時:2017年08月08日 07時53分
事件があってから1年が経ち、少しずつですが、この事件のことを考えられるようになりました。
自分は、社会人になって初めて就職したのが、やまゆり園と同じような障がい者の入所施設でした。
施設の中では、残念というか、自分には理解できないことが沢山ありました。
利用者さんの前や、利用者さんに聞こえるところでも職員同士で怒りが飛び交うことがあったり、
職員と利用者さんの間でも、疑問に思うような怒りの場面が見られました。
そんな職場の中にいて、自分が精神的におかしくなってしまい、辞めざるを得なくなりました。
思い出すのがつらい体験となりました。自分自身が虐待のある家で育ちました。
それでも援助職に就いて、偉いねって言って欲しかった。
親に認められたかった。
容疑者が、やまゆり園の職員になった経緯が報道されていて、それが本当なら、自分と重なるところがあり、複雑な気持ちになりました。
確かに、入所施設の仕事は余裕のないのが現実かもしれませんが、それが利用者さん達に向かうのは違います。
違うと私は思います。
相模原事件のことは、この1年、感じないように考えないように、心を麻痺させていました。
今でも考えるのはつらいです。
被害に遭ってしまった人達のこと、利用者さん、ご家族、職員の人達の心の傷を思うと、本当につらいです。
投稿日時:2017年08月06日 17時36分
たぬきさん/福岡県/40代/就労移行支援