生命操作 -復刻版-

ケーススタディ30例

26 「医師が死なせてくれる」

1996年7月1日、オーストラリア北部準州で、医師が致死薬で患者を死に導くことを合法化した、世界で最初の安楽死法「終末期患者の権利法」が施行された。

その最初の適用を受けた66歳の末期がんの患者、ロバート・デント氏は、5年前に発病した前立腺がんが骨髄に転移して寝たきりの状態が続いていた。モルヒネなどによる苦痛緩和の治療を受けてきたが、便秘などの副作用と激しい痛みに苦しんでいた。
デント氏の安楽死の相談を受けてきた開業医、フィリップ・ニチキ医師は、患者の安楽死を望む意思はかたく、苦痛も限界に達したと判断した。そして、法で定められた22の安楽死の条件を整える準備を始めた。

その主な条件とは、患者が治療不可能な死に至る病であること、患者が激しい痛みに苦しみ、その苦痛を緩和する方法に限界があること、第三者の専門医による診断と、精神科医に患者がうつ状態ではないことの確認を受けること、そして患者本人が自発的な意思に基づいて安楽死を決定したことを第三者の医師が認めることなどである。

安楽死には、ニチキ医師が開発した自殺装置が用いられた。ラップトップコンピュータの画面の指示に従って操作してゆくと、注射器を通じて強い睡眠薬と致死量の筋肉弛緩剤が静脈に流れる。コンピュータの画面には3つの質問が現れる。デント氏は、画面に現れる最後のメッセージ「『YESを押せば、15秒後に致死薬が流れます』」をクリックして、自ら命を絶った。
自殺装置の画面

その後ニチキ医師は、これと同じ方法で3人の末期患者の安楽死を手助けした。しかし、北部準州の「終末期患者の権利法」は、オーストラリア全土に大きな波紋をよんだ。第二次世界大戦中にドイツのナチスがおこなった障害者の大量殺人がひきあいに出され、安楽死をひとたび法的に認めたら歯止めが効かなくなるという「滑りやすい坂道」論や、医療の信頼性を根本からくつがえすという反対意見が高まった。
 オーストラリア連邦議会は「北部準州が、安楽死、慈悲死、自殺幇助などで意図的に他者を殺す行為を医師に許すような法律を制定する権限はない」として、同法の無効を求める法案を提出した。そして、1996年12月10日には、オーストラリア連邦議会下院がこれを可決、次いで1997年3月24日には、上院がこの法案を38対34の僅差で可決し、施行より9ヶ月弱でオーストラリア北部準州の「末期患者の権利法」は廃止された。
 オーストラリア準州では「末期患者の権利法」の成立から廃止までの間に4人が条件を満たし、安楽死している。

安楽死は、患者本人の意思に基づくものとはいえ、本来、患者の生命を救うことを使命とする医師が、患者を死に導くことなしには成立しない。医師が患者の命を絶つことは許されるのでしょうか。また、患者が医師に対して死を求めることは許されるのでしょうか。

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