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どうやって抜けだす? うわべだけ止まっても生きづらい

「生きることがなんだか苦しい」という思いを抱えていませんか?

アディクションからの「回復」とはどういうことを指すのでしょうか?
これにはさまざまな捉え方があり、一つに定義することはできません。ただ、多くの人がイメージするのは、断酒する、パチンコをやめる、過食やリストカットをしなくなる、といった「その行為をやめる」というものでしょう。この点について考えてみたいと思います。

実は、アディクションの当事者や、治療・支援に関わる人たちの間では、「やめることは簡単だが、やめ続けることは難しい」とよく言われます。いったんやめることができても、また元のパターンに戻ってしまう「再発」が非常に多いのです。いったいなぜなのでしょうか?
そこには、先に述べた「報酬」、すなわち一時的に気分を高揚させたり、落ち着かせたり、緊張や不安をやわらげたりすることを必要としている「何か」があるのです。
あなたは、「生きることがなんだか苦しい」という思いを抱えていないでしょうか?

  • 人からよく思われたい、嫌われるのがとても怖い
  • 誰かが怒ったり、議論になったりすると居心地が悪い
  • 何か問題が起こると、自分が何とかしなければと思う
  • 負けることは許されない、強くなければいけない
  • 人に助けを求めることは自分の力のなさを認めることだ
  • 自分は正しい、間違っていない、周りの人が許せない
  • 自分が本当に思っていることを言うのは危険なことだ
  • 人といるととても緊張する、気楽に楽しむことができない
  • 自分は何をやってもうまくいかない
  • 自分なんかいなくてもいい、必要とされていない

これらは、アディクションの問題を抱える人にとても多く見られる特徴です。見方を変えれば、こうした心の痛みを「報酬」で埋めることによってなんとか生きている、つまりアディクションを使って必死に「生き延びている」ともいえるのです。場合によっては、そのことによって「死なずにすんできた」と考えることもできます。
背景には、その人がこれまでの人生において、何らかの困難な問題や苦痛と闘ってきたことがあります。本人自身がそのことに気づいていない場合もあります。こうした部分に目を向けず、表面的にその行為を「取り上げる」ことをしても、本当の解決にはなりません。むしろ、かえって苦しくなります。だから「やめ続けることは難しい」のです。
大切なのは「やめるかやめないか」ではなく、「報酬」を必要としている心の痛みに向き合い、どうすればそれを軽減できるかを考えていくことです。「やめられない」のには理由があり、その人の身に起こっていることには必ず意味があるのです。