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「わたしのひきこもり経験」髭男爵 山田ルイ53世さん

記事公開日:2018年08月21日

お笑いコンビ、髭男爵の山田ルイ53世さん(43)。中学2年生の時から6年間のひきこもりを経験しました。勉強もスポーツも得意だった“神童”からの転落。そしてお笑い芸人へ。「人生は何回でもリセットすればいい」と語る山田さんの、ひきこもり経験談です。

外の活気がしんどかった

山田さんがひきこもりになったのは、中学2年の夏頃。きっかけは登校途中に、大きいほうを漏らしてしまったことでした。通っていた中学は、いわゆる進学校。山田さんは勉強もスポーツもできる“神童”だったといいます。

画像(中学時代の山田さん)

「電車で2時間ぐらいかけて通学してて、駅から学校までがすっごい登り坂で、もうすごくしんどかったんで、勉強も結構やっぱりハードで、部活も一生懸命やってたもんですから、まあしんどい、疲れたっていうのが、すごく積もり積もってた、たまってたっていうのは間違いないです。」(山田さん)

ひきこもりが始まってからは、昼夜逆転の生活に。部屋の中に閉じこもっていても、窓の外から学校のチャイムの音が聞こえたり、登下校の時間帯になれば小中学生のざわざわした声が聞こえたりして、つらかったといいます。

「こっちはもう人生が完全に停止した状態ですから、わ、みんな元気よくやってるなあっていうのがしんどかったですね。自分はこんな状況やのに、周りの子どもたちはどんどんどんどん前に進んで行ってる。だから、自分だけ完全にこの社会の動きから外れたというか、置いてけぼりをくらったっていう気持ちはすごくありましたね。ただ、どうしていいかわからへん。学校行きゃいいんですけど、なんか朝になると、行く気力がなくなってるというか、やっぱり到底、外出られへんやろ、行かれへんやろっていう気持ちになっちゃうんですね。それでずーっと休んでましたね。」(山田さん)

むしろ、社会の歯車になりたいと思った

山田さんにとって、「ひきこもり」とは、部屋から外に出ないという行動面だけでなく、世の中に参加していないという面が大きかったといいます。アルバイトをしていたこともありましたが、「社会の中に入っていない」という感覚が強く、ひきこもり状態だったと振り返ります。

「よく、歯車になりたくないとかね、親の敷いたレールの上をなんていう話がありますけども、もう、ものすごいやっぱ歯車になりたかったですよね、そん時ね。
ジョギングとかバイトもそうやし、たまにちょっと外出るっていうのも、ほんとに息止めて外出てるみたいな、要するに毒ガスが充満してるところに息止めて、お札かなんかとってきて帰ってくるみたいな感覚でやってるから、もちろん全然社会に参加してるような感覚は全くないですし、やっぱり、しんどいですよ。」(山田さん)

きっかけはニュースで見た成人式

山田さんが、ひきこもり状況から脱出したのは、20歳手前ぐらいの時。テレビのニュースで同世代の人たちの成人式を見たことがきっかけでした。

「成人っていう、大人になるっていう、社会に出て行くっていうこのワードというか雰囲気が、めちゃめちゃ焦ったんですよ。うわ、もう射程圏外に行くと、同世代、同期がもう全然手の届かへんところに行ってしまうっていう焦りがあって。今なんとかしとかんと、ほんとにもう、何もかもが取り返しつかなくなるっていう気持ちですね。で、ちょっと、やらなあかんなってなって、大検とって大学にちょっともぐりこむ形になるんですけど。」

それは華々しく社会復帰するぞと意気込んでいたわけではなく、斜面をずりずりとずり落ちていく中で、どこか指がひっかかるところはないかなと、手探りで探っているような感覚だったと振り返ります。

「落ちてるんですけど、落ちてるのとりあえず途中で止めな、いちばんもう、ほんとに下に奈落の底に行ってしまうっていう気持ちがすごくあって、緊急避難的にはやっぱり、なんかちょっとせなあかんという。僕結構、完璧主義みたいなとこあって、なんでもキチキチっともう全部ちゃんとしないと前に進めないみたいな考え方をしてたんですよ。それが、当時。とりあえずやろうっていうのを、このとりあえずっていう言葉が、すごく僕は、今でもですけど、強い言葉やなと思ってる。とりあえずやるって思うことによって、とりあえず前に進めるんですよね。一歩でも1ミリでも。だから、今でもそれはすごく心がけてますね。」(山田さん)

画像(お笑いの道に進んだ頃の山田さん)

その後、大学に通い始め、たまたま先輩に誘われて学園祭で漫才をやり、お笑いの道に進むことになります。しかしそれでも「社会の中に入っていない」という感覚は、ずっとつきまとっていたといいます。

「一回だけまあまあ売れたんです、俺(笑)。2008年のことなんですけども、一回髭男爵として、まあ、ちょっとだけ売れさせていただいて、そのご飯食べられるようになったていうとこぐらいまでは、結局ひきこもってるようなもんやなっていうのは、最近すごく思います。結局、なんで芸人やってるかって言ったら、もう学歴的に履歴書ボロボロで、どう考えても就職でけへんなっていうのが自分の中にあったんで、お笑いやめたら、いよいよほんとにやることなくなるなっていう気持ちが大きくて続けてたから、別に絶対、お笑い大好きで、俺はもう絶対芸人で成功すんのやーっていう気持ちではなかったんです。単純にひきこもったことで、いろんな選択肢がなくなって、芸人それだけ残ってたっていうだけのことなんですよね。」

ひきこもり期間は「むだ」それでいい

ひきこもり経験者として取材を受けると、かならずと言っていいほど「ひきこもっていた時間があったから、今の山田さんがある」と言われ、そこに違和感があるといいます。

「僕個人にかぎって言えば、ほんとにあの6年間ひきこもってた時期というのは、僕はほんとに無、完全に無であったと思ってるんです。やっぱり、その期間中、友達と遊んだり勉強したり、花火したりバーベキューしたりのほうが、人生としてそれはまあ充実してるのは間違いないんで。でも、けっこう世間の多くの人が、それをむだやったと言うことを許してくれない風潮みたいなんがちょっとあって・・・。そういうところに、なんかしんどいなって思う。むだはむだでいいじゃないのっていう、そんなに自分の人生が隅々まで何かしらの栄養がないとあかんのかっていう。実際の人間とか人生っていうの違うじゃないですか。みんな、もうむだなとこだらけですよ、本当はね。でもなんかむだを許してくれない感じがあると思うので、やっぱそれはしんどいなと思う。」(山田さん)

画像(山田さん)

「僕、本当にリセット大賛成の人間なんで。そんなもん人生で何回もリセットするべきやと僕は思いますね。いつまでも過去の自分、昔の自分がって、結局それはストーリーというか、人生が続いてるっていうふうに思う人もいるかもしれませんけど、人によってはただの足かせですからそれは。鉄の靴、磁石の靴はいて、ずーっと砂鉄がどんどんどんどんついてるみたいな状況の人もいるわけですから、それやったらもうリセットして、もう一回やり直せばいいと思う。」(山田さん)

※この記事は、「ひきこもりクライシス“100万人”のサバイバル」に掲載されているインタビューを短くまとめたものです。

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