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誰にも言えない ~内密出産の現場から~

記事公開日:2023年05月15日

病院以外、誰にも身元を明かさないで出産する内密出産。国内で唯一導入する熊本の慈恵病院には、誰にも言えない妊娠をしたという女性たちからSOSが相次いで届きます。内密出産の受け入れは初の実施から一年あまりで9人に及びました。蓮田院長は「人生の限界点に達した人がわらにもすがる思いでやって来る」と語ります。内密出産しか頼るすべがなかった女性たちの背景には何があるのでしょうか。

内密出産が行われた分娩室で

国内で唯一内密出産を実施する熊本市の慈恵病院。この日、分娩室にいたのは東日本からやってきた若い女性です。出産を誰にも知られないよう、すぐに自宅に戻らなければならないといいます。

画像(内密出産で生まれた赤ちゃん)

分娩室から看護師に抱かれて出てきた赤ちゃんは、ぱっちりとした大きな目で、表情はどこか安心しているような穏やかなものでした。しかしその直前、分娩室では、この赤ちゃんを抱きながら女性が涙ぐみ、「育てたい気持ちはあるけれども現実は難しい」と話していたそうです。赤ちゃんの父親には頼れず、経済的な事情も抱えていた女性は、自分の行動を否定し続ける過干渉な親には絶対に出産の事実を言えないといいます。

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慈恵病院 蓮田健院長

蓮田健院長は女性の事情をこう説明します。「女性は、これまでの人生はうまくいかないことばかりで、親からも信用されていないと話していました。そして出産をしたら『また失敗をしでかした』と親から言われると予測してしまう。悲しく残念なことですけどそういう親子関係が背景にあるのです」。女性は産婦人科を受診することもできず一人で苦しんでいました。

画像(内密出産した女性からの相談メール)

「助けてください」と慈恵病院にメールを送った時には、出産は目前に迫っていました。病院は個室と食事を無料で提供。出産にかかる費用も心配しなくていいと言って受け入れました。「なぜここまで誰にも相談しなかったのか」などの説教はせず、ただただ女性の話に耳を傾けました。
蓮田真琴新生児相談室長はこう話します。「病院側が方向性を示したり導いたりすることはしません。その人の人生なので、その人が一生懸命悩んで出した結果が一番だと思いますし、本人にしかわからないこともたくさんあると思います。こういう選択肢があるという提示はしていきますけれど、どうしたらいいかを選んで決めていくのはご本人かなと思います。それが一番だと思います」。

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慈恵病院新生児相談室 蓮田真琴室長

ジャッジはせず、一緒に考え、そして本人が出した結論を尊重する。そのような関わりは、女性のこれまでの人生で、なかったことなのかもしれません。

慈恵病院はなぜ内密出産導入に踏み切ったのか

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慈恵病院に寄せられる女性たちからのSОS

「生きることに疲れました。彼氏は嫌な顔。赤ちゃんと一緒に死にたい」「誰も頼れない、話せない妊娠です。どうしても子どもを守りたいです」。慈恵病院に届いた女性たちからのSOSです。
病院に寄せられる妊娠・出産に関する悩み相談件数は、年間約4000件。内密出産にいたったのは、2021年12月の初の実施以来、9例に及びました。「パートナーからはDVを受けていて、妊娠を告げたら関係を絶たれた」「過干渉な母親に知られれば何をされるかわからない」「子どもの頃から親の暴力や暴言にさらされ続けている」などの事情を複合的に抱え、妊娠を誰にも言えずに追い詰められていました。

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熊本市の慈恵病院

慈恵病院は親が育てられない子どもを匿名で預かる「こうのとりのゆりかご」、いわゆる「赤ちゃんポスト」を2007年に国内で初めて開設した病院です。15年間で161人を受け入れてきました。ただ、ゆりかごを設置して以降も、孤立出産の末に赤ちゃんが遺棄されたり殺害されたりする事件は後を絶ちません。なぜ事件は起きてしまうのかを知りたいと蓮田院長らは拘置所や裁判に通い、被告となった女性たちの話に耳を傾けました。そして決断したのが内密出産の導入でした。

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初の内密出産実施に関する会見(2022年2月)

「母子を産前に病院で保護することが必要だと思いました。そのためには、女性たちが求める匿名性を笑顔をもって受け入れようと決めたのです」(蓮田院長)

日本には内密出産に関する法律がないため、ドイツの内密出産を運用の参考にしています。
女性の身元に関する情報は、ドイツでは専門の相談員に託され国の機関で保管されますが、慈恵病院では新生児相談室長のみが確認し、情報の写しを病院内の金庫で厳重に保管します。
戸籍については、慈恵病院と熊本市が関係機関と協議のうえ、出生届はなくとも「子どもだけの単独戸籍」を作成する形となりました。 赤ちゃんは児童相談所が一時保護。主には乳児院に託され、特別養子縁組などに向けた対応が進められます。
そして子どもが一定の年齢になり出自を知りたいと希望した時には、病院は、産んだ女性の同意のもと保管していた情報を開示できるとしています。

予期せぬ妊娠で孤立する女性たちの共通点とは

予期せぬ妊娠をしたものの展望が描けない、いわゆる“妊娠葛藤”に特化した相談窓口「にんしんSOS」は、助産師会、母子生活支援施設、乳児院、産前産後支援を行う法人などが運営しています。

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「全国妊娠SOSネットワーク」の情報交換会

「妊娠を誰にも言えない」という女性からの相談は多く、また、そうした女性たちの背景にはある共通点があるといいます。全国にある妊娠相談窓口「にんしんSOS」によるネットワーク「全国妊娠SOSネットワーク」の会合では、各相談現場の状況が共有されました。

「だいたいは親に言えないという方たち。これまで親から認められた経験がない」(全国妊娠SOSネットワーク代表理事 佐藤拓代医師)
「虐待を受けた経験から、自分の思いをうまく説明できない。よく相談してきてくれたよねというところから始めると、最初は泣いているけど話してくれる」(岐阜「乳幼児ホームまりあ」長谷川文恵相談員)
「成育歴のなかで傷つく経験をしていて公的な機関に対して否定的な印象を持っている人が、でもどこかにつながらなければという思いで相談してきてくれる。発達障害、知的障害、精神障害のグレーゾーンの方も少なくない」(兵庫「小さないのちのドア」西尾和子施設長)
「知的障害、精神障害、発達障害を抱え、人とコミュニケーションをとることが難しい方たちが多い」(特定NPO法人MCサポートセンターみっくみえ代表 松岡典子助産師)

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全国妊娠SOSネットワーク理事 目白大学・姜恩和教授

全国妊娠SOSネットワーク理事で目白大学教授の姜恩和さんは、こう指摘します。「共通するのは、いろんな意味で生きづらさを抱えているということ。でもそれは、その人個人の問題ではない。しかし、社会には『妊娠は個人の責任』『妊娠した女性が悪い』という考え方が強くあり、女性の側も自分を責めてしまう。なぜ男性の話は出てこないのか。一人で妊娠をしたわけではないのに女性が自分ひとりで背負ってしまう」

事件にいたった女性が繰り返した言葉

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札幌地裁で行われる裁判に向かう蓮田院長

慈恵病院の蓮田院長は、孤立出産の末に事件にいたった女性たちの支援もしています。 2023年1月末に札幌地裁で始まった裁判で被告となったのは23歳の女性。ホテルの浴室で出産した直後、赤ちゃんを浴槽に沈めて殺害し、コインロッカ―に遺棄した罪に問われていました。
蓮田院長は、被告と面会したうえで女性がなぜ孤立出産に追い詰められてしまうのかなどを証言しました。

「赤ちゃんを殺してしまうというのは負うべき罪があると思うが、実は彼女たちも被害者なのではないかと思う」(蓮田院長)

女性は法廷で、親には子どもの頃から叱られ続けてきたと語りました。

「親からは否定されている、認められていないと感じていました。社会が求める普通ができない自分は異常だと思っていました」(被告女性の証言)

弁護側が行った精神鑑定では、女性は、知的能力がやや低い「境界知能」と「ADHD(注意欠如・多動症)」の傾向を指摘されていて、弁護側は、こうした特性から被告は人に相談したり計画的に行動したりすることが苦手だったと主張しました。
親との関係に苦しむだけではなく、学校や職場でもいじめを受け続けてきたという被告。ネットを通じて知り合った男性から毎月多額のカネを要求され、風俗で働き始めます。被告人質問では、「自分に自信がなく、この人しかいないという感じで、失ったら孤独になると思った」と語りました。
妊娠した原因はその風俗店で客から暴行を受けたことだといいます。なぜ警察に相談しなかったのか、なぜ妊娠した後どこにも相談しなかったのか―。被告人質問で女性が繰り返したのは「税金も払っていない、風俗をやっているような自分はサポートを受けられないと思っていた」という自分を卑下する言葉でした。

公判後、蓮田院長は、「もしまわりのサポートを得られていたらこんなことにならなかった。慈恵病院に来る女性たちも、まるで判をついたかのように同じ背景を持っています」と無念さを語りました。

女性と子どもを守るために、いま社会にできること

北海道に出張中、蓮田院長のもとに慈恵病院から緊急の連絡が入りました。

内密出産を控える女性に帝王切開の必要性が発生していたのです。
帝王切開など手術をする際、「家族の同意」がないと病院側には訴えられるリスクが発生します。しかし誰にも知られたくないという女性の意思を尊重し、蓮田院長は家族の同意を得ないまま、担当の医師に帝王切開の指示を出しました。法的な基盤がないなかで内密出産を続けるためには、病院はリスクを負わざるを得ません。

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出張先で内密出産を希望する女性と話す院長

国は2022年9月、内密出産に関するガイドラインを初めて公表しましたが、全国一律の仕組みづくりまでは踏み込まず、女性の情報の管理や子どもへの開示方法なども各医療機関で決めるとしています。公表した際、加藤勝信厚生労働大臣は、「内密出産を希望する妊婦に対する説得・相談への対応をどう行うべきか、かなり幅広い論点と様々な意見がありますので、現時点でそこに結論を出しうる状況にはない」と述べました。

こうした国の姿勢に対し、全国妊娠SOSネットワークの理事で目白大学教授の姜恩和さんは、「慈恵病院の負担は大きく、そこだけに任せることには限界がある。慈恵病院になぜこれだけSOSが寄せられるのかということに、国は正面から向き合うべきではないでしょうか」と指摘します。そもそも、予期せぬ妊娠で孤立する女性たちに向けた相談支援体制は、日本では不十分な状況です。

画像(内密出産で生まれた赤ちゃん)

妊娠葛藤に特化した相談窓口「にんしんSOS」は全国に約50か所。ドイツのように、約1600カ所の「妊娠葛藤相談所」を法律のもとに設置し専門性の高い相談員を配置している国とは対照的です。また、どの現場も財源や人手不足に悩んでいて相談員の熱意でかろうじて支えられている状況です。
「全国妊娠SOSネットワーク」や、予期せぬ妊娠をした女性の相談にのる養子縁組あっせん機関「ベアホープ」で理事を務める赤尾さく美さんは、内密出産に関する法律は必要としつつ、内密出産にしなくてもいいようにするための支援体制を拡充していくことが早急に必要だと話します。

「例えば、パートナーや親に言わなくても受診や入院、出産ができたり、親族に連絡がいかないよう扶養照会なしで生活保護の受給ができたりするなど、当事者の心情や背景を汲んだ医療、福祉、妊娠期の居場所づくりを目指せば、内密出産までいかなくても済む、なんとかなる例が出てくると思います。実際に、自治体が生活保護の申請を扶養照会なしで通したことから、費用を心配せず叱責される恐怖も感じずに済んだケース、医療機関が親の連絡先がなくとも女性を受け入れたなど、柔軟な連携支援がなされた例もありました」(赤尾さん)

慈恵病院の蓮田真琴相談室長もこう話します。

「内密出産を希望してやってきた女性たちは、皆さんそうなんですが、子どもに自分のことを知られたくないと思っているわけではありません。ただ、周りの人に知られること、叱責、批判されることが怖いと仰るのです」(蓮田真琴さん)

画像(蓮田院長)

取材の最後に蓮田院長はこう話しました。

「頑張って身元を明かしましょう、確かにそれが“常識”です。そういう人たちからは私たちは甘やかしていると思われるのかもしれません。だけど甘やかしているのではなくて、『あなたの人生壮絶でしたね。よくここまで生きて頑張りましたね』と、労うんです」(蓮田院長)

女性たちはなぜ追い詰められるのか。その原因として、蓮田院長やにんしんSOSの相談員たちは、DVや虐待を受けていることから周囲に助けてと言えない女性たちが多くいること、妊娠した女性の側ばかり責められ男性の責任は問われないという状況、ないがしろにされる性的同意の問題、女性が避妊薬や中絶にアクセスしにくい環境などを挙げます。こうした現場の声は、社会の側に解決すべき課題が多くあることを示しています。

(誰にも言えない 思いがけない妊娠をした方々へ)
相談は、あなたの住んでいる街以外の場所にもできます。「全国妊娠SNSネットワーク」の窓口リストはこちらのページの「相談窓口・支援団体」の中に掲載されています。

※この記事はハートネットTV 2023年3月29日放送「誰にも言えない~内密出産の現場から~」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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