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相模原障害者施設殺傷事件から考える 障害者の暮らしの場

記事公開日:2018年07月23日

※この記事は2017年7月25日放送の番組を基に作成しました。
19人の命が奪われた、2016年7月の相模原障害者施設殺傷事件。発生から1年。当時入所していた人たちは、近くの施設に仮住まいをしています。元のような施設を作って戻るのか、施設には戻らず地域での暮らしを後押ししていくのか、議論が分かれています。重い知的障害のある人でも、グループホームや1人暮らしなど、地域で暮らせるようになるにはどうすれば良いのでしょうか。各地で始まっている試みを取材しました。

自立を目指して 地域への橋渡しとなる支援施設

現在、入所施設で暮らしている知的障害のある人は全国で12万人近く。特に、重度の知的障害者は「行動障害」を理由に入所施設での生活を余儀なくされています。「行動障害」はストレスを感じたとき、自分や他人を傷つける可能性があり、24時間の介護や見守りが必要だからです。

そうした中、札幌市郊外に、全国から注目される障害者の施設があります。札幌市自閉症者自立支援センター「ゆい」です。入所者は30人。全員に激しい行動障害があり、地域生活が難しいとされてきた人たちです。ここでは、重度の知的障害と自閉症がある人に特化して、地域で暮らすための支援をしています。

画像(社会福祉法人はるにれの里 札幌市自閉症者自立支援センター「ゆい」)

他の入所施設との違いは、自立する目標を3年と決めて入所すること。これまで40人あまりが、地域のグループホームへ巣立っていきました。

施設に入ると、入所者の個室が目に入ります。好きなものを飾った、居心地のいい空間。本人に合った環境を作ることでストレスを減らしていきます。

この施設に入所する富田直也さん(29)。10代後半に、家でモノを壊したり大声をあげたりなど行動障害が強くなりましたが、ここに来て落ち着いて生活できる時間が増えました。3年では自立の目処が立ちませんでしたが、継続して支援を受けています。

支援はその人に合わせた方法で行われます。床に貼られた「富田さんおしまい」のパネル。富田さんは食後の食器をそこに置きました。

画像(床に貼られた「富田さんおしまい」のパネル)

「何か活動をするときは終わりの合図としてすべてこちらにおいて頂いています。エリアを作ることで1人で完結して終われるようなかたちにしています。」(職員)

「1、2、3・・・10」
職員のカウントにあわせて歯を磨く富田さん。イラストが描かれたカードをめくり、歯の磨き方を変えます。行程をひとつひとつイラストで示すと理解しやすい富田さんは、めくるタイプの手順書を使っています。

「職員が見ていないと、歯ブラシも2、3秒で終わったりするので、職員が隣について見守りをすることで、しっかりと歯磨きをするようになりました」(職員)

富田さんの個別支援計画書には、朝の身支度から夜寝るまで、すべての行動に対し、細かくプログラムが組まれています。1人でできることを少しずつ増やし、グループホームでの自立生活に近づけていきます。

苦い経験から出発 個々を大事にする地域のグループホーム

こうした取り組みの原点となったのは、30年前に開所した入所施設「厚田はまなす園」です。

画像(1987年に開設した、障がい者支援施設 厚田はまなす園)

当時、行き場がなかった重度の知的障害と自閉症がある人、40人を受け入れ、集団生活を始めました。しかし、入所した人それぞれにこだわりの強さや、神経過敏、多動などがありました。大勢で暮らす施設になじめず、行動障害がかえってひどくなる人も出てきました。

理事長の木村昭一さんは当時をこう振り返ります。

「毎月のように大型テレビが壊される、窓が割られる、けが人が出て、玄関に月に1回は救急車が横付けされる。この人たちは集団の刺激、空間の刺激、それから“みんなでしよう”というプログラムが合わない。個別、個を大事にできる環境はできないだろうか?それは地域のグループホームじゃないかということに辿りついたんですね。」(木村さん)

そこで集団生活になじめず、行動障害が激しく出ていた人を対象に15年前、グループホーム「白樺」を作りました。現在7人が暮らしています。

自閉症のある人は、時間が決められた方が行動しやすいため、食事は毎日同じ時間。献立はそれぞれの好みに配慮し、地元の人がパートで作ってくれています。

ホームには必ず1人の職員が常駐。1人でできることは見守り、歯磨きの手伝いなど、必要な部分だけサポートします。

みんなが食事を済ませる頃、遅れて食卓につくのが元岡勝己さん(46)。他の利用者と時間をずらして食事をとります。集団行動で自分のペースを乱されると、ストレスで不安定になってしまうからです。

施設にいた頃の元岡さんは、行動障害が激しく、職員や利用者にケガをさせてしまうこともしばしば。そうした状況に家族も悩んでいました。

「特に自閉症の勝己の場合は、1人でいたいという気持ちが強い。そういう部分ではちょっと可哀想だなという気はしてはいたんですけど」(父・博さん)

元岡さんの生活を支えるのが、個別に立てられるスケジュール。イラストと簡単な言葉が見やすく印刷されています。1日の行動に見通しが立つことで、自分のペースでストレスなく過ごせます。

画像(元岡さんの1日のスケジュール。イラストと簡単な言葉でわかりやすく描かれている)

生活のリズムが生まれ、行動障害が落ち着いた元岡さんは、地域に出るようになりました。週に1回、ヘルパーと一緒にスーパーに出かけ、自分の好きなモノを買います。町でさまざまな人と関わり、自信もついてきました。

元岡さんが日中、通っているところがあります。「ふれあいきのこ村」のシイタケを栽培する工場です。週5日ここで働いています。月3万円の給料と障害基礎年金で、親の経済的援助を受けず、生活を送れるようになりました。

画像(シイタケ工場で働く元岡さん)

父親の博さんは、かつて、息子は生涯、施設で暮らすしかないと諦めていましたが、適切な支援と選択肢があったことで、息子の新たな姿を見ることができました。

「ただ障害者だからと助けてもらうだけでなく、お返しが見えないところでできているのかなってちょっとうれしかった。」(父・博さん)

「重度訪問介護」制度による1人暮らし支援

一方、グループホームの不足が深刻な都市部では、違ったかたちの取り組みが始まっています。東京の多摩地区で障害者の自立生活支援に取り組む、NPO法人自立生活センター「グッドライフ」です。

画像(NPO法人自立生活センター「グッドライフ」)

ここでは長年、身体障害者の自立生活を支援してきました。そのノウハウを生かし、いま重度の知的障害者が1人暮らしするための支援に力を入れています。きっかけは、3年前「重度訪問介護」という制度の対象が、知的障害にも拡大されたことです。

重い知的障害がある場合、移動の支援や家事の援助など、さまざまなサポートが必要です。それが、この制度で一括して受けられるようになったのです。

「重度訪問介護」が知的障害者に使えるようになったメリットは何なのでしょうか?

「重度訪問介護っていうのは、身体介護もできる、家事援助もできる、外出もできる、見守りもできる。要は全部その制度に含み込まれてるので、うちはそういう方が、ご本人のためにアパートを借りて、24時間介護がついたかたちで1人暮らしをする。そういうことが、重度訪問介護っていう制度があると、一応可能になったんですね。」(グッドライフ 介助コーディネーター 末永 弘さん)

画像(介助コーディネーター 末永 弘さん)

末永さんたちの支援を受け、1人暮らしている方を訪ねました。
知的障害と自閉症がある小林利之さん(38)です。騒音でのトラブルを避けるため一軒家を借りています。家賃8万5千円は、東京都の重度障害者手当や生活保護を当てています。

日中のデイサービスにいる時間を除き、夕方から翌日の朝まで、介助者の1人である丸岡健太さんが泊り込みで生活をサポートします。

丸岡「どうしたどうした?」

取材中に突然、小林さんが聞いていたCDを切り刻み始めました。

画像(不安から、取材中に突然、CDを切り始めた小林利之さん)

丸岡「嫌になっちゃった?」
小林「嫌になった嫌になった嫌になっちゃった。」

「たまに環境的なこととか自分の言いたいことが伝わらなかったときとかに破壊する行動があるときがあって。たぶんいまの状態が気に入らなかったと思う。」(介助者の丸岡健太さん)

自分の気持ちを言葉で表せない小林さんは、モノを壊すことでストレスを表現してしまいます。かつて住んでいたグループホームでは、部屋中のコンセントを切ったり電球を割ったり、激しい行動障害をくり返して、問題になりました。

丸岡「野菜切る? 切って。」
小林「切って切って。」

介助者の丸岡さんは、気分転換をしてもらおうと、料理をしないか誘いました。重度訪問介護ならば、サービスの内容や時間に制限されず、柔軟に対応することができます。こうして小林さんのペースに合わせながら、気持ちを理解しようとつとめています。

「小林さんの気持ちは、本当のところはわからない誰も。本当は行きたくないのに連れていっちゃうときもあるので、たとえば行ったとしたら楽しんでいるか? 否か? けっこう雰囲気でわかるのでそこで判断している。ただ、小林さんが疲れるからと誘いもしなくなると毎日同じ生活になって、それがいちばん怖い。だから、小林さんの行動の提案だけはどんどんしています。」(介助者の丸岡さん)

小林さんが地域で暮らすことで、周囲にも変化が生まれています。小林さんが通うデイサービスでは、掃除やチラシ配りなど、地域にかけあってできることを探してきました。これまで重度の知的障害者と出会う機会がなかった人にも、地域の住民として知ってもらうためです。

画像(団地で掃除のアルバイトをする小林さん)

小林さんは、近くの団地で掃除のアルバイトを始めて2年になります。顔なじみもできました。

「昔は住民の人たちが集まって掃除とかをしていたんだけど、住民が高齢だったりとか体が動かない方々が多くなって自治会としては本当に助かっています。」(自治会長)

重度の知的障害者が1人暮らしするための支援をしている末永さんに、相模原障害者施設殺傷事件から1年が経ち、いま改めて考えることについて伺いました。

「人をけがさせてしまうとか、そういう危険に関しては確かにリスクをゼロにはできないんですけど、介護者がずっとついてることで、かなりリスクはゼロに近づけていくことができる。知的障害のある人が介護者をつけて1人で暮らしていくのは、実際にやってみると、本人もまあまあ楽しそうだし、近所の人たちも、別にそれで当たり前になっていく。いま国がグループホームをたくさん作ることで、今まで入所施設でしか暮らせなかったある一定層が、グループホームでは暮らせるようになっている。さらに、グループホームでも暮らせないような人たちが、仮に1人暮らしという選択肢がもう1つできたときに、ほとんどの人たちが入所施設に入らなくても、実はいいのではないかっていうことが、もしかしたらあるんだと思うんですね。」(末永さん)

重度の知的障害者の暮らしの場を地域でどう作っていけるか。
一人一人にあった生活のカタチを求め、模索が続けられています。

※この記事はハートネットTV 2017年7月25日放送「シリーズ 障害者施設殺傷事件から1年 第2回 暮らしの場をつくる」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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