ハートネットメニューへ移動 メインコンテンツへ移動

多様な性“LGBTQ+” イチから学ぶ基礎知識!

記事公開日:2023年03月27日

福祉の知識がイチから学べる「フクチッチ」。今回のテーマは「多様な性“LGBTQ+”」です。毎年春に開催されている、性的マイノリティーの当事者や支援者が参加するパレードの誕生秘話。さらに「カミングアウト」や「アウティング」に関する悩み、「アライ」の大切さなど、多様な性のあり方を学びます。

性的マイノリティーは身近な存在

性は多様であるという考え方が広がってきました。私たちの身近にも、性的マイノリティー「LGBTQ+」に当てはまる人は多くいると言われています。

L:レズビアン。女性として女性が好きな人。
G:ゲイ。男性として男性が好きな人。
B:バイセクシュアル。男性と女性どちらも好きになる人。
T:トランスジェンダー。生まれたときに割り当てられた性とは違う性を自認している人。
Q:クエスチョニング、クィア。自分の性のあり方が分からない、決めていない人。
+:プラス。多様な性で、LGBTQにカテゴライズされない人。

画像(性的マイノリティー)

自身もトランスジェンダーで、性的マイノリティーについての啓発活動などをしている杉山文野(ふみの)さんが説明します。

画像

杉山文野さん

「(性的マイノリティーは)5~8%くらいはいるんじゃないかと(言われています)。佐藤・鈴木・高橋・田中、この4つは日本で最も多い名字のトップ4ですけれども、この方たちの人口の登録がだいたい5~6%。LGBTQ+の人に会ったことがないと思っている方も、この4つの名字の方々と同じか、それ以上の人数のLGBTQ+の人と共に暮らしている。そのことを知っていただけると、体感としてイメージがわきやすいと思います」(杉山さん)

学校現場で始まった取り組み

多様な性に対応する取り組みは、学校現場でも始まっています。

埼玉県川口北高校では、少し珍しい活動があります。

その名も「生徒会 多様性推進課」。どんなセクシュアリティーの生徒にも居心地のよい学校にしたいと、生徒たちが中心となってさまざまなアクションを起こしています。

画像(生徒会 多様性推進課)

そのひとつが、在校生にとったアンケートをもとに、先生たちに向けてまとめた「提言」です。

これまで、「『~君』『~ちゃん』と、男女で呼称を変えない」「自認する性別に合わせて部活を選べる」などを要望してきました。

生徒会多様性推進課の代表を務める青木秀澄さんが、活動の方針を語ります。

画像(青木秀澄さん)

「先生が生徒に対して、多様な性についての理解のない、心ない言葉を言って傷つけないように、すべての人がふつうに当たり前に過ごしていける環境作りを目指しています」(青木さん)

いま、制服の改革が動き出しています。2024年度から導入予定で、現在デザインを検討しています。学ランやスラックス、スカートなどの選択肢を用意し、性別によらずに自由に選択できるようになる予定です。

画像

検討中の制服

学校でこのような取り組みを行うことは、多様性への理解を深めるうえで重要だと杉山さんは考えます。

「LGBTQ+の当事者の中でも、10代が特に苦しんでいるデータがある。僕もいちばんつらかったときは、中学生から高校生にかけてです。思春期の2次性徴が始まって、体は順調に女の子として成長していく一方で、気持ちのうえではどんどん男性としての自我が強くなっていく。引き裂かれるという言葉ではすまされない心理状況で、自分だけが頭がおかしいんじゃないかと、根拠のない罪悪感で自分を責め続ける。(子どもたちを取り巻く環境が)改善されていくきっかけとして、こういったことが話題になるのはすごく大事なことだと思います」(杉山さん)

LGBTQ+の当事者たちが歩んできた歴史

毎年、春に開催されるイベント「東京レインボープライド」。自分のセクシュアリティーに「プライド」を持って生きていることを知ってほしいと、性的マイノリティーの人や支援者たちが街をねり歩きます。

画像

東京レインボープライドの様子

パレードが最初に行われたのは、1994年。開催に至るまでには、差別や偏見との闘いがありました。

パレードを呼びかけたのは、ゲイの当事者・南定四郎(みなみ・ていしろう)さんです。性的マイノリティーであることを決して明かせない時代。南さんはゲイであることを隠したまま、女性と結婚したといいます。

画像

南定四郎さん

「ひた隠しの時代です。自分の口からは絶対に言わない。(結婚していないと)いろいろと探りを入れられたりするから、せっぱ詰まって結婚します。家族にばれないように、ふつうのお父さんのようにふるまうわけです」(南さん)

そうしたなか、1969年にアメリカで歴史的な事件が起きます。

迫害され、取り締まりの対象となることもあった性的マイノリティーの人々。ゲイバーに強制捜査が入ったとき、警察の対応に不満をもった客たちが暴動を起こしたのです。

その翌年、性的マイノリティーの人たちによるデモ行進が行われ、自分たちに誇りをもって生きようと、「プライド」という言葉が掲げられました。これが今や世界中で開かれているパレードの原点とされています。

ちょうどその頃、日本でも性的マイノリティーの人たち同士の交流が広がっていきます。雑誌の投稿欄を通じて文通などでつながる人たちが増えていったのです。

南さんもゲイであることを公表し、雑誌を創刊しました。

画像(創刊された雑誌)

いつもフクチッチの秘書を務めている、女装パフォーマーのブルボンヌさんこと斎藤靖紀さんも、雑誌に大きな影響を受けたひとりです。

はじめて手に取ったのは高校生のとき。ゲイであることを誰にも言えずにいましたが、自分だけではないと知り、救われたと言います。

画像

ブルボンヌさんこと斎藤靖紀さん

「こういうものがあったんだ、見つけたみたいな感じ。自分にとっては、ある日突然世界が開けた感じでしたね」(ブルボンヌさん)

雑誌などを通してようやく社会に知られるようになった1980年代、思わぬ逆風が吹きます。日本ではじめてのエイズの患者がゲイだと公表されたのです。当時はまだ治療が難しく、死の病と言われていたエイズ。

これを機に、性的マイノリティーへの偏見が強まっていきます。

そうした社会の空気を変えようと、南さんが思い立ったのが、アメリカで行われていたパレードを日本で開催することでした。自らの雑誌などで「同性愛者であることの誇りと権利をかかげて堂々の行進をします」と参加を呼びかけます。

そして1994年。批判を恐れて反対する当事者もいましたが、南さんはパレードの実施にこぎ着けます。最初は50人ほどだった参加者が、街を歩くうちに次第に増えていき、パレードの先頭にいた南さんからは最後尾が見えないほど長い列になりました。その光景に南さんは感動のあまり涙したといいます。

同性愛者を中心に始まったパレードには、その後、さまざまなセクシュアリティーの人たちが参加するようになり、2019年には20万人が集まるイベントへと成長しました。

最初は公の場に出ることに不安を感じていたブルボンヌさんも、毎回参加するようになりました。
「(同性愛者として)お天とう様の下を歩いてよかったんだねということを言葉じゃなく、理屈じゃなく、実感で分からせてもらえる場で。そういうことを分からせてもらえて、「ありがとうございます」ですよね」

画像

パレードに参加するブルボンヌさん

いま、パレードを主催するのは杉山文野さんです。2019年のパレードでは、その横を歩く南さんの姿もありました。

「パレードの参加者は(性的マイノリティ―の)氷山の一角ですよ。水の底にはしんどい思いをしている人がいっぱいいます。(仲間は)いるんだと、もうすでに歩いている人はいるんだと。それを知ってもらうことはこれは力になりますから。(存在を知ってもらうことは)生きるために必要なことなんです。自分が生きるために。」(南さん)

画像(パレードに参加する杉山さんと南さん)

南さんの思いを引き継いだ杉山さん。メッセージを伝え続けていくと決意を語ります。

「当事者は必ずしも苦しんでいるだけではなくて、楽しく暮らしている人もいる。楽しく生きていいんだよというメッセージはすごく大事です。一方で、まだまだ苦しい思いをしている人がいる。怒りがあるのは、個人がいけないのではなくて、怒りたくなる社会的な背景がある。そういったことを忘れちゃいけない」(杉山さん)

カミングアウトとアウティング

LGBTQ+の当事者たちがぶつかる悩みのひとつが「カミングアウト」です。自身のセクシュアリティーを周囲に伝えるべきか、誰に伝えるかなどは、人それぞれで、時にはとても覚悟がいることだと言います。

画像

ブルボンヌさん

「自分もこんな仕事をしてるのに、30過ぎまで言えなかったのね。うちのおかんが、『カミングアウトされたことで、本当の会話ができるようになって良かった』と言ってくれた。自分は言ったことが本当に良かったなと思えた」(ブルボンヌさん)

カミングアウトと同時に生じるのが、「アウティング」の問題です。アウティングとは、カミングアウトされた内容を、本人の同意なく、他の人に伝えてしまうことです。

「僕のゲイの友達が自分の親にカミングアウトしたら、次会ったときに『親戚のみんな全員に言っといたからね』と。親はよかれと思ったみたいなんですけど、カミングアウトする範囲は人によって違うので、そこだけは注意していただきたいです」(杉山さん)

一方で、当事者からセクシュアリティーを打ち明けられた人も、どうすればいいか悩むことがあるといいます。

「誰にも言えない秘密を預かって、今度は自分が言えなくて苦しいこともあると思う。もしその人の悩みが深刻で誰かに言う必要がある場合には『あの人だけには言ってもいい?』とか、『個人が特定されない形で、こんな相談を受けたという話はしてもいい?』と、本人に確認していただけるといいかなと思います」(杉山さん)

法律に守られない同性パートナー

日本では、法律上の結婚ができるのは異性との間のみで、同性同士はできません。一方、アメリカやフランスなど、海外ではすでに34の国と地域で同性でも結婚が可能です。

トランスジェンダーの杉山さんも戸籍上は女性なので、女性のパートナーと法律上の結婚ができません。法的な婚姻関係が結べないことで、さまざまな困難にぶつかっていると言います。

画像

杉山文野さん

「2歳と4歳の子育てをしているんです。見た目は男女のカップルでも、家族としては社会から受け入れられていない。住宅ローンも一緒に組めない。相続の話だったり、いざというときに守ってもらえるものから抜け落ちていると、さまざまなトラブルに巻き込まれてしまう現状がある」(杉山さん)

ブルボンヌさんも自身の経験から、法律上の結婚ができないことの問題点を指摘します。

「急な事故に遭った相手に会おうと思っても、病院は『あなたは法的には何の関係もない人ですよね』と、親族以外は入れてくれないんですよ。そういうときに、『法で結ばれてたらこの人に会えるのに』と、悔しい思いをした人がたくさんいる」(ブルボンヌさん)

こうしたなか、一部の自治体ではパートナーシップ制度が始まっています。

💡パートナーシップ制度
各自治体がLGBTQ+のカップルを婚姻に相当する関係と認め証明書を発行する制度。証明書があることによって、医療や民間のサービスなどがパートナー同士として受けやすくなる場合があるが、法律上の婚姻制度とは異なり、法的拘束力はない。

「240を超える自治体でパートナーシップ制度がスタートしていて、4000組近いカップルが申請を出して、広がりが出てきました。すごくいいことですけれども、法的には状況が変わらないという課題があります」(杉山さん)

「アライ」によって救われた命

性的マイノリティーを支援・応援する人のことを「アライ」といいます。自宅で洋裁の仕事をする傍ら、ボランティアで講演活動をしている原岡春美さんもアライのひとりです。

シングルマザーとして子育てをしていた原岡さん。当時のことを振り返ると「仲の良い親子だった」と言います。子どもが15歳になった頃、突然「自分はトランスジェンダーだと思う」と打ち明けられました。

画像

原岡さん親子

「『男として生きるから』。そんな言葉ですね。とんでもないことを言い出したなって。分かって言ってるのかなって。半分イラッと、『違うよ、あなたはそんなんじゃないよ』と拒絶した。あれだけ仲が良くて、何でも話し合っていたのに、まったく会話がなくなってしまった。今思うと女の子でいてほしいという思いが私の中に強かったんだと思います。同性愛やトランスジェンダーについては知っていたつもりだったけど、現実にそういうことが、自分の家で起こると思ってなかった」(原岡さん)

年々、見た目が変わっていく我が子。近所からの視線も気になるようになり、原岡さんはひとりで悩んで追い詰められていきました。

「世間の目とか、陰で言われていることが、私にとってはかなりきつかった。玄関を一歩出るのに、誰もいないかなとか、いろいろ気にしましたね。『あんたのせいで私の人生が狂ってしまった。どうしてくれるの』と、まだ10代の彼に向かって言っていました」(原岡さん)

カミングアウトされてから10年、母と子の関係に転機が訪れます。子どもが親戚一同を前に、自分はトランスジェンダーだと打ち明けると、全員から厳しい言葉をぶつけられたのです。そのとき、原岡さんは思わずみんなに反論したと、涙ながらに振り返ります。

画像

原岡春美さん

「『この子は一生懸命、生きてるんだ。何が悪いんだ』と私は言ったんですよ。その瞬間、この子は何も悪くないのに、私は親として何をやってきたんだろうと気づかされた。あのときから、私はこの子の味方になろうと思ったんです」(原岡さん)

今は男性として暮らしている貴毅(たかき)さんが、当時の様子を語ります。

画像

貴毅さん

「(母が)『この子が笑顔で元気で生きてることが何よりも大事だと、10年かかってようやく気づいた』と、その場で言ってくれた。カミングアウトしてからはじめて母が味方だと思った瞬間で、その言葉があったからこそ、もう一度頑張ろうと思えた。母と理解し合えると、希望が見えた瞬間でした。」(貴毅さん)

原岡さんと貴毅さんは対話を重ね、その後、親戚からも次第に受け入れられていきました。貴毅さんの話を聞いて、原岡さんは気づいたことがあると言います。

「私が拒否してしまっていた当時、彼の周りには『お前は何も間違ってない』と、味方でいてくれる仲間がいっぱいいた。その人たちがいなかったら、もしかしたら命を絶っていたかもしれない。そういうアライの人たちが増えることで、ひとりの人の命を救う。その力ってすごく大きいと感じた」(原岡さん)

いま、ふたりは性的マイノリティーへの理解促進を目指す団体に所属し、ボランティアとして年間50日以上、市民講座で自分たちの体験談を話したり、受講者からの質問に答えたりしています。

画像

市民講座で体験談を話す原岡さん

貴毅さんを救った仲間の存在。杉山さんが考える「アライ」とは、弱者に寄り添える人のことだといいます。

「よくシーソーに例えるんです。片やすごく強い立場の人がいて、片やすごく立場の弱い人がいて、傾いたシーソーがある。このシーソーを元の位置に戻したいときに、皆さんどこに乗りますか? 中立の立場だと言って真ん中に乗ったら、いつまでたっても変わらないですよね。まだできない人たちがいるならば、そちらに寄り添って行動を起こすことで傾きが変わってくる。僕は、弱きに寄り添ってアクションを起こせる人が、“アライ”というイメージです」(杉山さん)

※この記事はハートネットTV 2023年1月9日、16日放送「フクチッチ 多様な性“LGBTQ+”」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

あわせて読みたい

新着記事