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人と人とのつながりが生きる道になる WELgee代表、渡部清花さんの難民支援

記事公開日:2018年07月19日

祖国の紛争や迫害を逃れてきた「難民」。日本で難民の申請をする人は、この10年で10倍以上に増えています。しかし、日本の難民認定率はわずか0.2%。そんななか、日本にいる難民のため、活動している女性がいます。難民の人が「次につながる場所」にしたいというWELgee代表、渡部清花さんの活動を追いました。

活動のきっかけはコンゴの難民の友人との出会い

今、シリアなどでの紛争の勃発・長期化により、世界の難民の数は第二次世界大戦後最高を記録しています。2017年に日本で難民認定の申請を行った人は19,628人。この10年で10倍以上に増えています。一方で、日本で難民と認定された数はわずか20人、申請を処理した数に対しての認定率は0.2%弱と先進国の中でも桁違いに低い数字になっています。

難民として日本にやってきた人は、入国後に難民申請を行います。認定の結果がでるまでの期間は平均3年。難民申請が認められても、その後、就労が認められるまでには、さらに半年以上かかります。

何のつてやコネクションもなく、言葉や文化も分からない日本にやってきた彼らが最初に直面するのが、住居の問題です。日本には難民キャンプやシェルターのような、難民が来日した直後に身を寄せる場所はありません。保証人がいないため、これから生活を営んでいくための住まいを確保することもままならないのです。

そうした厳しい状況に置かれた日本の難民に寄り添い、未来を共に考えようと活動している団体があります。2016年、学生を中心として設立されたNPO法人「WELgee(ウェルジー)」。現在は難民認定申請者が日本の家庭に短期間滞在する「難民ホームステイ」の取り組みや、中学生からシニアの人たち、多様な職業や背景の人たちが、難民当事者と直接語り合う「WELgeeサロン」を毎月開くなどの活動を中心に行っています。

WELgeeの代表を務めるのが、東京大学の大学院生でもある渡部清花さん(27)。渡部さんたちはWELgeeが昨年12月に開設した都内の物件で 、数人の難民と暮らしています。開設資金はクラウドファンディングなどを通じて調達。ホームステイ先が決まるまでの間、「今日、寝る場所もない」という人のために、緊急避難的なシェルターのイメージで開設したと渡部さんは言います。

画像(渡部清花さん)

静岡県出身の渡部さんは幼い頃からNPO法人を営む両親と共に、家庭に問題を抱え居場所のない子どもや児童養護施設を出たあと行き場がない若者、そのほかさまざまな事情を持つ子どもと一緒に暮らしてきました。

その後、大学では途上国開発を学び、在学中にNGO駐在員や、UNDP(国連開発計画)のインターンなどでバングラデシュに約2年滞在。帰国後、東京で、制度の狭間で国家に守られることのないコンゴ出身の難民と友人になったことで、難民問題に関心を持つようになりました。

WELgeeを設立したきっかけを、渡部さんはこう話します。

「彼(コンゴ出身の友人)は制度の狭間で母国にも日本にも守ってもらえずにいました。せっかく逃れてきたのに、彼には第二の人生を頑張り直すきっかけさえ与えられていませんでした。でも、そのとき感じたのは、かわいそうという感覚ではなく、未来への可能性でした。平和を望んだ結果、難民という選択肢を取るにいたっても生きる希望を捨てない彼ら。民主主義について、平和という概念について、子どもたちの教育について、自分の意見を持っていて、変えたい未来を語る同年代の彼らの話を聞くうちに、『難民は大変でかわいそう』ではなくて、彼らのポテンシャルに光を当てようと思いました。」(渡部さん)

画像(都内で難民の人たちと食事する渡部さん)

空き家を活用し難民のための住まいと暮らしをサポート

渡部さんが暮らす都内のシェルターのほかに、もう1件WELgeeが今年6月にオープンした日本人と難民のシェアハウス用の物件が あります。

千葉県大網白里市にある住まいは、長い間空き家になっていた家を、知人の不動産会社の人から紹介を受けて購入。趣旨に賛同する人々から資金をクラウドファンディングで募り、知り合いの建築士の協力を得ながら改修はすべて自分たちの手で行いました。

画像(千葉ハウス)

「千葉ハウス」の改修を手伝う、西アフリカ出身のイサさん(20代・仮名)は、都内のWELgeeの住まいで暮らしています。独裁政権が続く母国で、野党の要職だった父親が殺されたことを機に、2016年に日本にやってきたといいます。身に危険が迫っていたとき、たまたま手に入ったチケットが日本行きだったため、日本に来ることになったイサさん。難民申請した後も、成田空港の収容施設や牛久の収容所(東日本入国管理センター)に収容されました。収容所を出てからも居場所がなく、埼玉のモスクで寝泊まりしていたところ、渡部さんと知り合い、都内の物件に住むことになりました。渡部さんたちと共に暮らしたり、千葉ハウスの改修に一緒に取り組んだりする時間の中で、知り合いもなく孤独を感じていたイサさんの心に変化があったといいます。

「文化や習慣は違うけど、WELgee とは“同じ血が流れているように”感じる、家族のような存在。」(イサさん)

千葉ハウスを一時的な避難場所から、次の長期的な暮らしにつながるまでの場所として、「ただいま」と言えるような場所にしていきたい、そして難民の人が暮らしながら仕事を見つける拠点にしたいという渡部さん。ゆくゆくは難民の人に限らず、日本で高齢者や非正規雇用者など、住宅弱者と呼ばれる人も千葉ハウスの対象者にしていきたいと考えています。そうすることで、難民の人と日本人のコミュニティがつながり、それが次のステップになるからです。

画像(千葉ハウスの改修を行うイサさんと渡部さん)

「何の頼りもコネクションもなく、家族ももちろんいない。例えば政治的な迫害や脅威から逃れて来ている人たちのなかには、迫害主体や政府とのつながりがないからこそ日本にしたというような人たちもいます。そんななかで、自分で生活を頑張れるまでの間、何にもつながらない期間はとても厳しい状態です。その選択肢の1つとして、ここを使ってもらえればと考えています。」(渡部さん)

難民の人の支援において、渡部さんが大切にしていることがあります。それは、「難民」として彼らを見るのではなく、1人の人間としてつきあう、人と人とのつながりを作っていくこと。言葉や文化が分からず、さまざまな理由から孤立しがちな難民の人たちを、難民同士のつながりだけではなく、地域の人たちとのつながりも築いていくこと。そうすることで、生きる希望を見いだし、力を得て次第に「支援」をしなくても難民の人が自立して生活していけるようになるのではないかと渡部さんは考えています。

難民と「人」として知り合う

渡部さんが目指す、難民の人と地域の人とのつながり。

その一歩として、渡部さんとWELgeeスタッフの山本菜奈さんは、千葉ハウスのある、大網白里市南玉地区の自治会の区長、若菜正行さんを訪ねました。若菜さんたち自治会の人たちは、高齢化と過疎化する地域に、若い人の力が入ることを歓迎していると言います。しかし一方で、文化の異なる外国人と地域の人がうまくつき合っていくためには、丁寧な説明と関係作りが必要だと考えています。

「(地区の草刈りなどの行事を通じて)WELgeeさんの皆さんの活動を紹介するような機会を設けたいと思っております。」(若菜区長)

画像(大網白里市南玉地区の自治会の皆さん)

渡部さんが考える、難民の人と地域の人とが、1人の「人」としてつながること。そのつながりを実現できた人がすでにいます。「千葉ハウス」の改修に協力している地元住民の金坂秀雄さん。偶然、千葉ハウスの近くを通りかかったことで知り合い、改修に協力するようになったと言います。

難民の人と話すのも、じっくりつき合うのも初めてという金坂さん。実際に難民の人と接し、人として自分たちと何の違いもないことを実感したと言います。

画像(金坂秀雄さん)

「実際に難民の人と触れ合ったことで、普通におつきあいできる人たちだと分かったことは良かったです。日本とは違う価値観に触れることで、良いことが起きるんじゃないか、そういう感覚を持ってうまくつきあっていけたらと思います。ふだんは接点のない難民の人たちと出会ったことは、何かの巡り合わせかなと思います。」(金坂さん)

金坂さんは難民の人たちと一緒に海に行ったり、英語で会話したりしています。そうした交流を通して互いの違いや共通点を見つけ、それぞれの言葉で語ることで、人と人との関係性ができていく。金坂さんのように、難民の人と地域の人とのつながりが広がっていくことを渡部さんは期待しています。

人のつながりで未来を主体的に切り開く

短期ホームステイや住まいの提供に加え、WELgeeが活動の柱とするもうひとつの取り組みがあります。それは、難民の人が「ただ難民認定を待ち続ける」状態から、「自分の経験やスキルを活かして活き活きと働ける」状態になること。

現在、難民認定申請中の人は、条件が整えば「特定活動」という6か月の在留資格を得られます。認定の可否がでるまで更新されることになっていますが、審査には数年かかることが多く、その間見知らぬ国で安定した仕事を探すのは難しいのが現状です。また、空港で上陸を拒否されるなどして在留資格を得られず、収容所での生活を強いられたり、「仮放免」という一時的な許可で暮らしたりする人もいます。

画像(都内にあるWELgeeの住まい )

「こんなに厳しい難民認定制度に、全ての希望をかけるしか本当に方法がないのだろうか?」
渡部さんはこの現状をどうにかしたいと模索しています。
実は、難民の人の中には、ジャーナリスト、プログラマー、エンジニア、デザイナー、通訳、ビジネス経営者、研究者、看護師、NGO職員、など、母国での多様な職務経験をもつ人たちがいます。

渡部さんが目指すのは、そんな人たちが不安定な状態に置かれ続けるのではなく、人とのつながりで未来を主体的に切り開くことができる状態です。

自分の専門性を活かして働きたい、会社や社会に貢献したいという意欲のある難民の人たちを実際に雇用する会社も出て来ました。渡部さんは、「彼らは“支援”に頼るだけではなく、人とのつながりを活かして、自分の力で人生を築きたいという意思があります」と語ります。

難民問題を「海の向こう側」のこととして捉えがちで、難民の人と触れ合う機会も少ない日本。しかし、日本人が難民問題に関心が低いのは、知るきっかけがないからだと渡部さんは話します。

「関心がないのは事実。でも知るきっかけがないのはもっと事実。関心が低いことを責めるより、そのきっかけをいろいろな角度で作っていくほうが次のステップにつながりやすい。1人難民の人を知れば、次にテレビで難民問題を見たときに、『○○さん』の顔が浮かんで、ピンとくる瞬間があると思うんです。テレビでシリアの紛争を見たときに、『国際情勢大変だな』ではなくて、『あの人の故郷かもしれないな』というつながりのつくりかたが必要だと思います。そして彼らが自分たちの置かれた状況や難民問題を誰かに伝えるときに、彼らの人間力であったり、彼らが語る夢であったり希望だったり、望む平和だったりといった、ポジティブなものとして最初は語られていく。そういうところから難民問題に光が当たってほしいなと感じます。」(渡部さん)

2020年の東京オリンピック・パラリンピックまであと2年あまり。これからますます外国人観光客や労働者が増えていくと見込まれています。「外国人に開かれた日本」を考えるとき、これまで遠い存在としてきた難民についても、「知る」「関わる」「1人の人として向き合う」ことが大切になっていくのではないでしょうか。

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