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性善寺に集う人々 中高年 性的マイノリティーはいま

記事公開日:2022年12月16日

性への違和感を抱き続け、50年以上の人生のほとんどを孤独に生きてきた人たちがいます。男性として結婚し、その後父親になり、60代で性別適合手術を受けた人。老後や死後への不安から、同性パートナーと“親子”になる決断をした人。性の多様性への理解が進んでいますが、性的マイノリティーのなかには声を上げられない人もいます。こうした“声なき声”に、大阪・守口にある性善寺の住職、柴谷宗叔さんは耳を傾けてきました。寺に集う人々のいまを見つめた記録です。

性に悩む人の集いの場“性善寺”

大阪・守口の住宅街の一角にひっそりとたたずむ性善寺。護摩を焚いて祈祷を行う「縁日」には、御利益を求めて全国から人が集まります。ひとしきり行(ぎょう)が終わると車座になり、他愛のない会話を楽しんだり、ほかでは言えない悩みを打ち明けたり、思いは人それぞれです。

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性善寺

寺ができたのは、いまから4年前。少しずつ、性的マイノリティーの人たち、とりわけ中高年の世代が集まるようになります。ここ数年、性の多様性への理解を深める活動が広がるなど、性的マイノリティーの存在は徐々に認知されてきました。一方で、こうした活動などの動きに戸惑う人たちも少なくありません。その多くは、長い間、理解のない時代を生きてきた中高年の世代です。

画像(性善寺に集まった人たち)

住職の柴谷宗叔(しばたに・そうしゅく)さん(68)も、その世代の性的マイノリティーの一人。幼い頃から自分の性に違和感を抱きながら、男性として生きてきました。

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住職 柴谷宗叔さん

「今、若い人はわりとあっけらかんと家族にカミングアウトしてはるけど、少なくとも昭和生まれの人は、そんなことできてないわよ。結局、年配の人であればあるほど、(カミングアウト)できてない時代背景があるから」(柴谷さん)

柴谷さんの転機となったのは、1995年の阪神・淡路大震災です。自宅は全壊し、命以外のすべてを失うなか、ありのままに生きようと悟ります。

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過去の柴谷さん

「自分に偽って生きるのはもうこりごりだって。あのとき死んでたかもしれへんのに、ここからはもう自分の心に正直に生きようと」(柴谷さん)

そして「自分と同じように性で悩む人を救いたい」と仏教の道へ進み、65歳のときに寺を開きました。

「性的マイノリティーの人たちを救うお寺にしたい。性に悩むことは悪じゃないよ、善ですよって意味合いで“性善寺”。誰かに話すことで楽になるんですよ。来てくれる方がいろんな思いを持ってきて、『今日一日楽しかったわ』でいいんですよ」(柴谷さん)

違和感に折り合いをつけながら生きてきた

寺に集まった人たちの話に静かに耳を傾ける人がいます。この春から参加するようになった、りおさん(64)。戸籍上は男性で、性自認は女性です。

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りおさん

「敷居が低いんですよ、すごく。肩に力はいらないで来られるのが、ここの魅力」(りおさん)

りおさんは27歳のときに結婚し、3人の子どもを育ててきました。若い頃から女性が着る服装に関心が向いていましたが、自らが男性であることを疑うことはなかったといいます。

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過去のりおさん

「女性と結婚することについて、そんなに大きな違和感はなかった。性を変えるとかトランスジェンダーとかそういう概念が自分の中にないので、自分はおかしいなという認識でしかない」(りおさん)

しかし、40歳のときに大きな転機が訪れます。1998年、日本で初めて性別適合手術が行われたことをニュースで知り、りおさんは人知れず病院を受診。このとき、「性同一性障害」と診断されました。

「(性同一性障害という)この名前ひとつで人権を与えてもらった。あなたはこういう人間だからと表現できる名前をつけてもらった」(りおさん)

長年抱えてきた違和感は消えましたが、誰にも打ち明けられず、ただ時間ばかりが過ぎていきます。同じ状況にある「先輩」「ロールモデル」がおらず、どうやって暮らしていけばいいのか、わからないままでした。

異変に気づいた妻とはほどなくして離婚。残された子どもたちは、りおさんが自らの性と父親であることに折り合いをつけながら、一人で育てました。

「父親であるというのは後に戻らないことだから、変えたいとも思わない。子どもの父親であることには変わりはない。でも、そうじゃない部分の生活は、自分の望む性で普通に生きたい」(りおさん)

しかし、老いを感じるなか、りおさんは、自身の人生をどうしまうのか考えを巡らせています。

画像(りおさん)

「自分の性別を変えて生きるのか、それとも最期まで変えないままなのか、そこが非常に悩ましいところ。できることなら、自分の望む性で棺おけに入りたい。残った人に最後のお願いですね」(りおさん)

老後を見据えて模索するパートナーとのあり方

りおさんと同じように、人生のしまい方に不安を抱える人は増えています。性善寺の住職の柴谷さんも、最近よく耳にするようになりました。

「たいがい家族に隠してて、ほとんど付き合ってない。カミングアウトしてない人が亡くなって、遠い親戚の人が出てきて『(本人のことは)何も分からん』ってなったら、あの世にいっても苦しまないかん」(柴谷さん)

一方で老後を見据え、今ある制度の中で生きる道を選んだ男性がいます。住職の人柄に魅力を感じ、西東京市から寺に通っている星 公一郎さん(57)です。

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星 公一郎さん

性善寺に来て、自分のことを言えるようになるまでに50年かかったという星さんは、20歳年下の竜也さん(36)と7年間生活を共にしてきました。2人は養子縁組を結び、パートナーでありながら法的には親子となっています。

家族になることを提案したのは星さんの方でした。全国でパートナーシップ制度が整えられつつありますが、結婚とは違って法的拘束力はありません。家族や親族でないことを理由に、人生の最期のときに立ち会えないこともあります。

「『竜也が長年連れ添ったパートナーです』という話になったときに、『いや、そんなのは聞いてないし、認めないよ。証明を出してごらん』と言われても、何のひとつも証明もないようでは、強く言えないと思うんですよね。残していく側としては、喪主は親戚ではなく、長年連れ添った竜也にやってもらいたい」(星さん)

竜也さんにとっても、星さんと家族になったことで、日常生活で安心感が増したといいます。

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星さんと竜也さん

「緊急時や有事の際だったり、介護とか医療の世話になるとか、公一郎が思っている不安や心配しているところもある程度解消できるんだったら、養子縁組を使って、まずは家族という関係で暮らしていくのが、二人の中ではいちばんいい形なのかな」(竜也さん)

時代に支配さたれた生きづらさ

志織さん(60代)は性自認が女性ですが、男性として60年以上生きてきました。物心ついた頃から、自分が割り当てられた性に違和感を持ち続けてきたといいます。

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志織さん

「『女の子でいたい』という人生と、『僕は男の子だ』という人生を二つ同時に歩まなきゃいけない。本心をいかに隠し通すかということに、生きていくうえでの重点を置いてきた」(志織さん)

年を重ねるにつれ、志織さんは周囲の重圧を強く受けるようになっていきます。男は家庭を持ち、一家を支えることが一人前とされた時代。その後、結婚して2人の子の父親になりました。

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過去の志織さん

「結婚しないでいると、男の人なら『あいつおかしいぞ』『男に興味あるのかな』とか、『子どもを作ることのできない身体なのかな』とか、そういうことが平気で言われてた時代。受け入れたくなかったんですけど、みんなのためやし、母親を納得させるためには自分を殺さないとだめだなと思って(結婚した)」(志織さん)

しかし15年前に子どもが成人すると、志織さんは本来の性で生きたいという思いが抑えきれなくなります。性自認が女性であることは伝えず、妻とは離婚。子どもや親類とは一切縁を切り、1人でひっそりと生きてきました。

志織さんはふだん、女性の服を着て生活していますが、派遣会社には男性として雇用されているため、男性の服装で出勤しなければいけません。

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男性の服装を着る志織さん

「あちこちの会社に(女性の格好をして)面接に行ったけど全部断られる。面接そのものをしてもらえなかったこともある。背に腹は代えられない」(志織さん)

この春、志織さんは性別適合手術を受けました。手術を無事に終えた志織さんは、喜びをかみしめる一方で、現実を受け止めています。

「(手術を受けることは)今まで抱えてきていた、自分に対する不信とか不安みたいなものは無駄なことだった、自分の生きたいように生きるんだという、ひとつの証になる。(手術後は)じわじわと感情が芽生えていくみたいな感じ。でもこんな姿を見せたら、子どもの立場がなくなる。子どもを守るためには縁を切らないといけない。自分が欲しいもの、手に入れたいものと同じくらい大切なものを捨てないと、大きな夢ってつかめないんだな」(志織さん)

本来の性になっても 立ちはだかる壁

性別適合手術を受けた志織さんは、念願だった名前の変更も許可されます。志織さんにとって女性として生活を送るためには、男性の名前から女性の名前に変えることは欠かせないことでした。

画像(名前の変更が決まった通知書)

本来の性で生きる準備を一つひとつ進め、この日は勤めている派遣会社に行き、女性として雇ってくれるように掛け合います。その結果、女性としての雇用は認められましたが、派遣先からはこれまで通り共有部分に関しては男性用を使用し、男性として振る舞うよう求められました。

「いくら『性別を変えました。女性の名前に変えました』と言っても、事情を知らない人にすればまったくわけが分からない。私がぐっと抑えれば、すべて丸く収まる」(志織さん)

派遣会社の帰り、志織さんはその足で性善寺に向かいました。

志織さん:今日ね、私が登録している派遣会社に行って、(性別と名前の)変更を済ませてきました。トイレとか更衣室とか、そういった共有部分に関しては今まで通り男性用を使ってくださいと。

柴谷さん:それはまた困るわね。

志織さん:まあ現状はこういうことなので、私個人の力では、この先、変えることは何もできない。

柴谷さん:絶対、一定の比率で気持ち悪がる人がいてるから。それはね、やっぱり乗り越えていかないかんのよ。
ただ、理解してくれる、応援してくれる人もね、増えてきてるから。つらいことあったら、ここに来てぶちまけてもろたらええんですよ。そういう場所やから。

画像(柴谷さんと志織さん)

帰宅すると、お気に入りの服を選び、街へと出かけました。

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志織さん

「女の子の格好をしなくなると、心のバランスが保てない。そこは踏ん張って、『私、ここにいますよ』ということを知ってもらいたい」(志織さん)

志織さんにとって、本来の性、女性として生きることは、見えない社会の壁に立ち向かうことでもあります。

性善寺に集まる人たちは、十人十色の事情を抱え、それぞれが“壁”と向きあい、模索しながら懸命に生きています。

※この記事はハートネットTV 2022年11月8日放送「私はここにいる~中高年 性的マイノリティーはいま~」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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