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“ろう老人ホーム” 聴覚に障害のある高齢者に必要な支援と課題

記事公開日:2022年12月12日

聴覚障害者向けの高齢者施設があることを、知っていますか?
そうした施設は、通称“ろう老人ホーム”と呼ばれています。しかし、その数は全国に10か所ほどしかなく、全国的に施設の数が足りないことが課題となっています
特別養護老人ホーム「ななふく苑」では、施設内の“公用語”は手話。入居者たちはどんなことでも気兼ねなく手話で話すことができます。介護職員も3分の1がろうや難聴の当事者です。手話が飛び交う中で、自分らしい老いの日々を過ごせるようサポートしています。
“ろう老人ホーム”の現状を見つめました。

手話が通じない場所では適切な支援が受けられない

埼玉県毛呂山町にある特別養護老人ホーム「ななふく苑」には、ろうや難聴の高齢者が65人暮らしています。
入居者の多くは、一般の施設や病院から来ています。その中には、かつて手話が通じない場所で適切な支援や医療を受けられなかった人も少なくありません。

11年前に入居したろうのタケシさん(77)も、入院先の病院で手話が通じず戸惑いを感じたひとりです。15年前に妻を亡くし、その後、タケシさんも腸の持病が悪化。救急搬送され9ヶ月間入院しました。病院では診察など限られた時間には手話通訳がつきましたが、普段はお腹が痛くなっても自分では伝えられなかったといいます。

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病院では医師や看護師に手話が通じなかったと語るタケシさん

看護師も医師も手話はわかりませんから、言っていることがよくわからなくて。私は話せないのでコミュニケーションが取れませんでした。長く病院にいて何もできず、ただじっとしているだけでした。もっと色々話をしたかったけどできなかった。諦めていました、我慢していました。(タケシさん)

退院後、「ななふく苑」に入居したことで、タケシさんの生活は一変しました。
職員や看護師に手話で自分の健康状態を伝えられるようになり、体調の管理もうまくなりました。今では、ご飯もたくさん食べられるようになり、外出も楽しめるようになりました。

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看護師に手話で健康状態を伝えるタケシさん

言葉の壁でトラブルや誤解も

入居者の中には、一般の施設や病院で手話が通じないことで、深刻なトラブルや誤解に苦しんだ人もいます。例えば、ある人は病院で点滴を受けるとき、針を刺すことを説明されても聞こえないため、わけもわからないまま突然針を刺され引き抜いてしまいました。すると、“暴れた”と勘違いされ、手を拘束されてしまったといいます。
さらに、トイレに行こうとしただけだったのに、勝手に動き回ると誤解されてベッドに拘束されてしまった人もいます。

画像(イラスト、一人で点滴を受けている)

「ななふく苑」に移るときに「対応が大変だ」「この方はよく暴れて大変です」と引き継ぎを受けても、入って来ると何も大変なことはないんです。暴れることもないんです。(意思が)通じ、安心できることは生きていく上で大切で、コミュニケーションの環境ということが本当に重要だと思います。(「ななふく苑」速水施設長)

“治療の意図をきちんと理解できる”、“自分の意思を伝えられる”…そんな当たり前のコミュニケーションが取れる環境であれば、起こらなかった出来事ではないでしょうか。

差別の時代を生き抜いて

取材をする中で、様々な人生を歩んできたろうや難聴の高齢者の方々にも出会いました。 ろうのイソコさん(97)。折り紙を折ることが大好きで、部屋の中は色とりどりの作品で埋め尽くされています。

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大好きな折り紙をおるイソコさん

イソコさんは厳しい差別や偏見の中を生きてきたといいます。子どもの頃にはろうであることで心ない言葉をぶつけられたこともありました。

当時は家族の中にろうの子どもが生まれると近所からひどく馬鹿にされました。父は家から離れた所でろうの私を育てたのです。周りの子にクルクルパーだとか馬鹿にされ、悔しかった。(イソコさん)

その後、ろうの夫と出会い結婚。しかし、周囲から子どもを産むことを強く反対され、やむなく中絶しました。

画像(語るイソコさん)

ろう者夫婦の場合、遺伝でろうの子どもが生まれることもありました。だからろう者は子どもを作ってはいけないと言われていました。うまく話せないろう者が子どもを育てるのは 無理。子どもを作るなと言われました。生まれた子どもがかわいそうだ。子どもが大きくなって結婚したくても相手の親に反対される。不幸になるのがおちだなんて言われました。
子どもができたのですがおろさせられました。夫も悔しがっていました。(イソコさん)

その後、イソコさんは再び妊娠しますが、反対する父親に内緒で出産しました。
息子はすくすくと成長、今ではふたりの孫にも恵まれました。

厳しい差別と偏見の時代を生きてきたろうや難聴の高齢者たち。入居者の中には、旧優生保護法のもと不妊手術を受けさせられた人もいるといいます。

学びの機会を得られなかった人も

教育の機会を十分に得られなかった人もいます。まもなく100歳を迎えるイネコさん(99)。3歳のときに病気にかかり難聴になり、20歳のころには全く聞こえなくなりました。
小学校に入学しましたが、徐々に聴力が低下していく中で勉強についていけなくなり5年生のころに通うのをやめました。その後、ろう学校にも通う機会はなく、本を読んだりして独学で読み書きや教養を身につけたといいます。

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幼少のころ手話を学ぶ機会を得られなかったと語るイネコさん

その後、洋裁の学校に通って技術を身につけ衣料品店に就職。聞こえる人たちの中で口話や筆談でコミュニケーションを取り、必死に働いてきました。ようやく手話を学ぶ機会が得られたのは50歳を過ぎてからでした。地域の講習会に通い、身につけたといいます。

私は耳が悪いから、手話が大切だと思ってね(イネコさん)

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100歳の誕生会で手話で挨拶するイネコさん

当たり前の権利のある“自分らしい”老後を

歩んできた人生も、受けてきた教育もさまざま。「ななふく苑」では、入居者ひとりひとりに合わせた方法で、丁寧にコミュニケーションを重ねながらサポートしています。入居者に声をかける際は、職員は必ず本人の前に移動して目線を合わせて話しかけます。必要に応じて手話だけではなく、口話や身振り手振り、筆談やイラストも交えながら会話をしています。

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目線を合わせて入居者に声をかける職員

職員は入居者に次の行動を促す場合、必ず事前にその行動についての「説明」をし、本人からの「選択」「納得」を得た上で、介護を行います。これまで聞こえないことで自分の意思を伝えることや、やりたいことを諦めてきた入居者たちに、“気持ちや願いが伝わる”、“自分で選ぶことができる”暮らしを送ってほしいという思いからです。入居者たちにとっても、通じ合う喜びや、主体的なコミュニケーションの積み重ねが、生きる意欲に繋がるのだといいます。

こうした施設では、支援にかける時間の約3割をコミュニケーションに費やす必要があるといいます。その分、職員を多く配置しなければなりません。しかし制度上、“ろう老人ホーム”は一般の高齢者施設と区別されておらず、特別な補助はありません。

入居したくてもできない 制度の課題

“ろう老人ホーム”への入居を希望する声は年々高まっています。しかし、資金面や人材確保に大きな課題があり、現在、全国に10か所ほどしかありません。「ななふく苑」にも県内外から入居を希望する高齢者が多くいますが、中には入居を待つ間に亡くなる方もおり、適切な支援の場にたどり着くことができない人が少なくないといいます。
施設長・速水千穂さんは、その要因のひとつに「介護保険制度」に課題があるのではないかと、現場での実感をふまえて教えてくれました。

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ろうの当事者で施設長の速水千穂さん

「ななふく苑」のように常に介護を必要とする高齢者が暮らす施設は、「特別養護老人ホーム」と呼ばれています。特別養護老人ホームに入居できるのは、介護の必要度合いを5段階に分けた「要介護度認定」において、原則「要介護度3以上」の高齢者です。3以上の多くは、食事や排せつなどに介護が必要な人たちです。要介護度2以下の認定を受けた人は、基本的には特別養護老人ホームには入居できません。

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要介護度の図

要介護度はまず74の調査項目をもとに審査されます。しかし、その調査項目は基本的には、声でコミュニケーションがとれる人を想定して作られており、聴覚に障害のある高齢者の特性が反映されにくいのだといいます。
ろうや難聴の高齢者にとっては身体的な介護だけでなく、手話などでのコミュニケーション支援が欠かせません。さらに未就学であったり、家族から孤立していたり様々な背景を抱えている人が少なくなく、おかれてきた環境や背景に配慮した専門的なサポートが必要になります。
しかし現状の介護保険制度にはその実情や必要性が反映されづらく、在宅での生活が困難になっても実態に見合った要介護度にならない人が多いのだそうです。そのため、「ななふく苑」に入居したくても入居できず、支援が必要な人たちが制度上こぼれ落ちてしまうのだといいます。ろうや難聴の高齢者をとりまく課題を考慮した調査項目や、特別養護老人ホームへの入居基準の見直しを必要とする声が、現場から数多く上がっています。

在宅のろうや難聴の高齢者を支える

地域においても、手話で対応できるヘルパーやデイサービスなど、ろうや難聴の高齢者が利用できるサービスはまだまだ十分ではない現状があります。
「ななふく苑」では、デイサービスや短期入所など、自宅で暮らす高齢者への支援も行っています。

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デイサービスでゲームを楽しむろうの高齢者たち

「短期入所」では、数日の間、家族にかわって食事や入浴、排泄などの介護を提供しています。情報の保障がなくコミュニケーションもとりにくい環境におかれ、生活上の課題や必要な支援が発見されにくいろうや難聴の高齢者たち。
「ななふく苑」の短期入所では、介護を提供するだけではなく、その期間に課題を発見し、次の支援へと繋げていくねらいがあるといいます。さらに複数回の利用を通して、生活や心身に変化がないかしっかり状況を把握していきます。本人が住み慣れた地域や自宅でも希望する暮らしを続けられるように、関係機関とも連携しながらサポートしています。

ディレクターより

2013年に鳥取県で初めて手話言語条例が制定されました。以来「手話は言語である」という位置づけのもと、手話を正しく理解し周知していこうという動きが、全国各地に広がっています。
しかし、ろうや難聴の高齢者が安心して老後を暮らせる場所や環境はまだまだ十分ではなく、“ろう老人ホーム”も全国的に数が少ない現状が続いています。聴覚障害のある人たちが誰とでも、どこにいても、当たり前に自分の意思を伝えられる環境がさらに広がっていく必要性を取材を通して強く感じました。
また、そうした状況を少しでも変えていくために、まずはたくさんの人に“知ってもらう”ことも大切な一歩なのではと思いました。
これからもろうや難聴の高齢者が、自分らしい老いの日々を過ごせるためにはどうしたらよいのか、考え続けていきたいと思います。

※この記事はハートネットTV 2022年12月13日(火曜)放送「#ろうなん~ろうを生きる難聴を生きる~ 12月号」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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