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福祉の知識をイチから! 義手・義足(1) ユーザーの生活と進化の歴史

記事公開日:2022年11月25日

福祉の知識をイチから学べる「フクチッチ」。今回のテーマは「義手・義足」です。実は、義手・義足がめざましく進化しています。ナイフとフォークを使えたり、AI搭載でスムーズに歩けたり、日常生活で不便を感じることが少なくなってきました。義手・義足ユーザーはどのように暮らしているのか、その1日に密着します。

義足ユーザーの日常

義手・義足の技術が進化しています。バイオリンを奏でられる義手や、温泉や水の中でも使える義足、さらに、天国でも歩けるようにと、ひつぎの中に入れて火葬できる「綿」の義足も開発されてきました。

世界トップクラスのドイツの義肢メーカーで勤務経験があり、義肢装具士の資格を持つ、広島国際大学教授の月城慶一さんが作り手の思いを語ります。

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広島国際大学教授 月城慶一さん

「(義足ユーザーは)7万人くらいいるのではないかと言われています。糖尿病や、血流が悪くなる合併症による切断がいちばん多く、平均年齢も非常に高いです。作り手にとって、義手・義足はその人の手足を、うまく使えるように何とかしたいというもの。人類がここまで進化させてきたすばらしいテクノロジーだと思います」(月城さん)

では、義手・義足ユーザーはどのような暮らしをしているのでしょうか。

💡起きたらまず義足を装着

佐藤未希さんは17歳のときに交通事故で右脚を大腿切断。義足ユーザーになり、現在は義肢装具士を養成する大学の教員です。

朝起きて最初に行うことは義足の装着ですが、その際にちょっとした工夫があります。

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佐藤未希さん

「直接プラスチックに足を入れると痛かったりするので、まずシリコンライナーを履きます。衝撃緩和とかの役割があっていいんですけど、(シリコンライナーは)とっても暑いんですよね。すごく汗をかくので、私は母乳パッドを足とシリコンの間に入れて汗を吸わせて、義足の中が汗で滑って歩きづらくならないように工夫しています」(佐藤さん)

義足の装着は5分で完了。歩く姿は自然で、膝の関節部分がコンピューター制御になっているため、速く歩けます。職場には車で向かいますが、健側(障害のない側)の左足でペダルを踏めるようにカスタムしてあります。

画像(佐藤さんが運転する車のペダル)

「右足が義足なので、左でアクセルを踏みます。普通の車と違って、ペダルが3つあるように見えるんですけど、真ん中がブレーキで、私の場合は左がアクセルです。左のペダルを踏むと、元(右)のアクセルが連動して動きます」(佐藤さん)

研究室に着くと、そこには車いすと杖が置いてあります。

💡デスク脇に車いすと杖を常備

「車いすや杖は、義足が履けなくなったときの移動手段として確保しています。(杖があると)義足がなくても片足で(体を)支持できます」(佐藤さん)

画像(常備している車いすと杖)

佐藤さんは安心のために持ち歩いているポーチがあります。中身は義足を調整する六角レンチ、靴を履きやすくするための靴べらなど。そして、欠かせないのがアルコールスプレーです。

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義足のソケットの内側にアルコールをかける佐藤さん

「(脚に装着しているライナーが)シリコンなので、このまま履こうとすると、(義足の)ソケットの中でひっかかって、脚が入っていかない。滑りをよくして、摩擦がなくスッと入るようにしたいんです。アルコールだと、後でソケットの中にかけている水分も揮発します」(佐藤さん)

繊細な工程で作られるソケット

佐藤さんはこの日、義肢装具士の東江由起夫さんを訪ね、8年間履いたソケットを新調することになりました。このまま使い続けると、いつか壊れてしまうからです。

佐藤さんが取り外したソケットにはバラの絵が描かれています。

画像(バラが描かれたソケット)

「(ソケットが)どんどん黄ばんできちゃって。中も本当はバラ柄だったんですけど、ガムテープが貼られちゃって(見えない)」(佐藤さん)

ソケットを作るために、まずは足の型をとります。佐藤さんは片足で立ったまま動けず、大変そうです。

画像(石こうで型をとる様子)

石こうが固まると、オーブンで160度に熱したプラスチック板をかぶせてソケットの原型を作ります。

画像(プラスチック板で義足の原型を作る様子)

ソケットの型取りができると、佐藤さんがさっそく試着。体重をかけると少し痛むようです。

画像(ソケットを試着する佐藤未希さん)

「(筋肉が)柔らかくて、すぐ骨に触れてしまうので・・・。筋肉が固い男性であればここまで痛くないです」(佐藤さん)

要望を聞きながら、東江さんがソケットに熱風を吹きかけて、形をミリ単位で微調整していきます。

画像(ソケットを微調整する東江さん)

試着と微調整を繰り返すこと12回。ようやく履いても痛みのないソケットが完成しました。作るのに微妙な調整が必要なソケット。サイズを合わせることの大切さを月城さんが説明します。

「太ももの部分は水の入った風船と非常に似ています。もともとあった膝を動かしていた筋肉で、今はその働きがないので、余計プニョプニョしていて、体重をかけられないんです。それを義足のソケットという硬い容器に正確に収納すると、水の入った風船は形を変えることができずに、跳んだりはねたりしても、どこかに体重が集中して痛むことがないんですね。そのために大事なのは、義足のソケットの大きさと形状がドンピシャリであうことなんです」(月城さん)

義手ユーザーの日常

続いては、義手ユーザーの日常です。右腕の肘関節から先が欠損しているやまもとくにひろさんは、義手ユーザーです。

💡義手なしのほうが便利なことも

朝食には好物のバナナを食べますが、義手を装着せずに皮をむきます。

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バナナの皮をむく、やまもとくにひろさん

朝のメールチェックを行うときも、キーボードの入力で義手を使いません。

画像(キーボードの入力をするやまもとさん)

「義手はそこまで細かい動きができないので、タイピングが苦手。義手がなくてもできることは義手なしでやったほうがすぐできます」(やまもとさん)

ここでようやく、充電済みの義手を装着します。

画像(義手を装着するやまもとさん)

やまもとさんの義手は「筋電義手」といって、最新の技術を用いたものです。

「義手に施された2つのセンターが、人間が筋肉を動かすときに流れる微弱な電流に反応します。外側のセンサーが反応すると義手が開き、内側のセンサーが反応すると義手が閉じます」(やまもとさん)

💡義手があると利き手があいて便利

電動のため、外出準備をするときに天気のチェックは欠かせません。義手が濡れないように、雨が降るときは撥水性のある手袋をかぶせる必要があるからです。

この日は晴れのため、そのまま出かけます。

途中で自動販売機を見かけると、ジュースを購入。義手で缶を持ち、利き手でプルトップを開けます。

画像(缶を開けるやまもとさん)

「出先は(義手が)便利ですね。利き手がフリーになるので楽ちんです。義手がなかったら全部利き手を使うことになるので」(やまもとさん)

💡義手をつけた日常をSNSで発信

お昼になり、やまもとさんはお気に入りのカフェへ。義手でナイフ、利き手でフォークを持ち、スムーズに食べます。

画像(ナイフとフォークを使うやまもとさん)

ここで、やまもとさんは義手を使った食事の様子を写真に撮りはじめます。義手をつけた日常をSNSで発信しているのです。

画像(食事の様子を撮影)

「義手と分かったときに、少し前だとかわいそうな目で見られたこともあった。でも、隠す時代は終わり。もう障害は見せてもいいし、むしろ(義手の)見た目がすごくクールなので、この良さをいかしたかった」(やまもとさん)

義手・義足を作るときの手続き

進化を続ける義手・義足。ユーザーが作り替えたいと思ったら自治体に申請し、支給は自治体で判断されます。

「日常生活用に支障をきたす状態であれば、作り替え、修理が認められます。社会保障事業の中、税金で(補助を得て)作るためには、修理するにも作り替えするにも市町村の窓口で申請をしないといけません」(月城さん)

利用者は原則1割を負担。ただし、生活状況によって必要性が判断されるため、希望通りのものが支給されないこともあります。

画像(義手・義足の支給の仕組み 障害者総合支援法・代理受領方式の場合)

「基準や厳しさは必要だと思うんですが、もう少し現実に即した柔軟性が求められます。積極的に使うことで健康が維持できれば、税金を使った流れとしては成功なわけですから」(月城さん)

義手・義足の進化の歴史

義手・義足はどのように進化してきたのでしょうか。

その歴史をさかのぼると、紀元前のエジプト文明にたどり着きます。発掘されたミイラから、木と皮で作られた義足が見つかったのです。

一方、日本の義足の歴史は幕末にさかのぼり、義足を使っていた内閣総理大臣もいました。大隈重信は明治22年、暴漢に襲われ右足を切断。当時、最高品質のアメリカ製の義足を使用していました。

義足の歴史は常に戦争とともにあります。負傷兵が増えるにつれて義足の需要が高まり、民間の「義肢製作所」が相次いで設立されました。

昭和5年頃に製作された義足は膝を曲げられ、足袋がはけるように、親指と人さし指の間に切れ込みが入っています。

当時の義足について、義肢装具士の臼井二美男(ふみお)さんが説明します。臼井さんは「現代の名工」にも選ばれ、3500本の義足を作ってきた第一人者です。

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臼井二美男さん

「いちばん古いタイプは、表面に皮が貼っていて、中は桐の木でできていて軽い。中を見ると汗をしみ込ませないためと、皮膚を守るために木の内側に漆が塗ってあります。とてもよくできています」(臼井さん)

当時は、肩からベルトでつり下げる義足や、正座ができる義足も作られていました。さらに、戦争で負傷した軍人には、天皇家から「恩賜の義足」と呼ばれる義足が贈られました。

「傷痍軍人には国から(義足の)支給があったんですね。一般の人は自分で買わなきゃいけない時代です」(臼井さん)

そんな義足の歴史の転換点は1949年。「身体障害者福祉法」が制定されて、軍人に限らず、義手や義足などの支給が始まりました。

これを機に、日本の義足開発は一気に進みます。その立役者の一人が臼井さんで、日本で最初のスポーツ義足を作製し、2000年に行われたシドニーパラリンピックでは、スポーツ義足を履いた日本で初めてのパラリンピアンが誕生しました。

画像(臼井さんとスポーツ義足)

臼井さんは、義足ユーザーを対象にした陸上クラブも立ち上げます。スポーツ義足を装着した中学生は、初めて走ることができて大喜びです。

画像(スポーツ義足で走る中学生)

「もう走れないと思っていて悔しかったんですけど、こうやって走れるようになってすごくうれしい」(女子中学生)

さらに臼井さんは10年前、義足を装飾したファッションショーも開催。義足の可能性を広げ続けています。

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ファッションショーの様子

「生まれ変わったような、新しい自分として笑顔で歩けたと思います。日常でも少し足首とかを出すファッションをしてみたいと思いました」(ファッションショーに参加したモデル 海音さん)

臼井さんは、今後も義足ユーザーの支援を続けていくと決意を語ります。

「健常者ができることってたくさんある。それを(障害のある人は)なぜ諦めるんだって。義足でできることだったら、何でも支援してあげたい。(義足をつけると)皆さんが一歩殻を突き破った感じで、新しい自分になったんだという喜びが伝わってくるんですよ。義足はただの代替品じゃなくて、その人の未来を作る。少しでも自信を持って生きていってほしいですね」(臼井さん)

技術の進歩と、義手・義足を取り巻く環境の変化。義肢装具士の月城さんはこれからの展開に期待します。

「義肢装具の発展、ユーザーの環境、行政、そしてパーツの開発を見ても、ここ数十年でグングン進化しています。今がいちばん面白いときです」(月城さん)

ここまで、義手・義足ユーザーの暮らしと、義手・義足の進化を見てきました。(2)では、テクノロジーで進化を遂げた義手・義足の最前線を紹介します。

福祉の知識をイチから学ぶ“フクチッチ”
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義手・義足(2)最新技術が切り開く未来

※この記事はハートネットTV 2022年10月3日放送「フクチッチ 義手・義足(前編)」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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