今回の「あがるアート」は、アートプロジェクト「シブヤフォント」。障害のあるアーティストが描いた原画をもとに、デザインを学ぶ学生たちが世界で1つだけの図柄(アート)をつくる取り組みです。ここで生まれた図柄は、渋谷区役所の建物内を始め、人気ブランドの洋服や、工事現場の囲いアートなど、さまざまなところで使われています。障害のあるアーティストとの共同作業に最初は戸惑う学生たちが、試行錯誤しながら作品を完成させていく4か月を追いました。
渋谷で70年の歴史を誇るデザイン専門学校に、新しい授業が生まれました。その名もソーシャルデザインプロジェクト「シブヤフォント」。
これまで6年間は課外授業として行われ、実績が高く評価されて今年から正式科目になりました。そのデザインは、大手メーカーがさまざまな商品に採用してきました。
メーカーが採用したデザイン
今回、20人がこの授業を選択しました。学生たちは渋谷区内の福祉事業所を訪ね、障害のある人と共同作業をします。
期間は4か月。企業向けのプレゼンを目指し、7月の最後の授業で完成品を発表する予定です。
講師で、プロのグラフィックデザイナーのライラ・カセムさんは、この授業で障害のある人と学生が出会うことに大きな期待を寄せています。
講師 ライラ・カセムさん
「障害のある方の才能だけじゃなくて、若い学生の才能と一緒に混ぜ合わせることでいい化学反応が起きて、その2人がいたからこそできるものがある」(ライラさん)
ふだん、障害のある人と接することがほとんどない学生たちは、少し不安げな様子です。そのなかで、1年生の馬瀬日向子さんは、ひときわ熱心にメモを取っていました。
「いろんな人とつながって、何かを作り上げる達成感があるかなと思った。新たな価値観、新しい目線みたいなものをゲットできたらうれしい」(馬瀬さん)
4月下旬、障害のある人へ働く場を提供する福祉作業所に、馬瀬さんが初めて訪問しました。しかし、自己紹介をしても反応がないメンバーもいて、馬瀬さんは戸惑い気味です。
それでも原画作りが始まると、オープンな性格で周りのみんなを笑顔にするりささんは、迷いなくペンを走らせました。
一方、話しかけても会話がないのは、みずきさん。黙々と一つの丸を描き続けます。
みずきさんが描く丸
こうして、馬瀬さんの1回目の訪問は終わりました。
訪問2回目。馬瀬さんはこの日、絵の具を用意してきました。ふだん施設では、汚れやすいため絵の具は使いませんが、独特な「線」の表情が出るのではと、試してみることにしたのです。
「みずきくんは前回、一枚の紙にずっと同じ丸を描いていました。今回は2回目だし、もしかしたら向こうから話しかけてくれるかもしれないので」(馬瀬さん)
絵の具を準備すると、りささんはすぐに筆をとって絵を描き始めます。
一方、馬瀬さんが気になっていたみずきさんは、緑色の絵の具だけを使って円を描き続け、話しかけても反応がありません。結局この日も会話らしい会話はできませんでした。
訪問3回目。
今回もみずきさんは、絵の具で黙々と円を描き続けてマイペースです。それでも馬瀬さんは根気強く語りかけます。
するとそのとき、みずきさんが突然「黄色!」と、声を出したのです。
「最初はあまり反応がなかったけど、しゃべってくれたからうれしかった。似ている色の丸はあるけど、全部色が違うから、パターン化したら面白い絵になるんじゃないかな」(馬瀬さん)
みずきさんと馬瀬さん
なかなかつかめずにいた距離感ですが、ひと月かけて少し縮まったようです。
同じころ、順調に作業を進めるチームがありました。精神に障害のある人などが通う就労支援施設を担当する、2年生の岡崎遥香さんです。
アーティストネーム「ヒマラヤ」さんは恐竜好きで、とくにステゴサウルスが好きだといいます。恐竜の原画の中にニワトリがいることを岡崎さんが見つけると、会話が弾みました。
ヒマラヤさんが描いた恐竜
岡崎さん:恐竜の中にニワトリがいたのが面白くて。
ヒマラヤさん:恐竜マニアの人に言わせると、鳥は恐竜(の子孫)だって意見もある。恐竜の定義があって、鳥はあてはまるみたい。
岡崎さん:じゃあニワトリ以外の鳥も?
ヒマラヤさん:恐竜。
岡崎さん:すごい!豆知識。
美術大学出身のエイさんの原画は、ラフなのに力を感じます。そこにほれ込んだ岡崎さんは、3回目の訪問でデザイン案を持って来ました。
岡崎さんの図案
エイさんが描いた男性の顔と都会のビル、そして文字を組み合わせています。まだ授業も中盤ですが、図柄が商品になった場合の想定までしていました。
岡崎さん:これ、どんなものに商品化できるかなって考えていて。
エイさん:スマホケースがいいかもしれない。
岡崎さん:あぁ、なるほど、確かに。スマホケース、いいですね。
エイさん:もし発売されたら使いたいです。
岡崎さん:本当ですか。先生と話してみます。
この時点では、7月のプレゼンに向けて自信を深める岡崎さんでした。
6月下旬、馬瀬さんは作業が進まず、悩んでいました。そこで講師のライラさんからアドバイスをもらい、みずきさんや、りささんとの向き合い方を考え直すことにします。
「アーティストが作ってくれた絵をどうデザインに落とし込むか。自分勝手なところがあった。自分勝手というか、絵を素材としてしか見ていなかった」(馬瀬さん)
一方、順調だと感じていた岡崎さんですが、出来上がった図柄を講師のライラさんに見せたところ、デザインにダメ出しを受けます。
ライラさん:この「人と街」はなんで選んだの?
岡崎さん:エイさんと「パターンにするときどうしよう?」と話をしたとき「後ろにビルがあったらかっこいいんじゃないか」と言ってくれて、それでビルを描いてもらった感じです。
ライラさん:自分がデザイナーとして、これをどう感じたかが大事。
岡崎さんとライラさん
絵を並べるだけでは「デザイン」とは呼べない。デザイナーとしての考えや表現はどこにあるのか、厳しい指摘を受けました。
「『人に伝えること』は、デザイナーをやっていくうえでいちばん大切なこと。伝わらなくては意味がないから、表現できる力が自分に加わればいいなと思っています」(岡崎さん)
7月上旬、みずきさんたちが馬瀬さんを訪ねて学校にやってきました。これまでは、みずきさんが絵の具を自由に楽しむことを尊重して、馬瀬さんは色のリクエストをしませんでした。遠慮があったからですが、この日は共同作業する「仲間」として、希望を伝えようと決意します。
「明るい色で描いてもらいたいです。黒とか青とか緑系が多かったから。たぶん、緑が好きなんだろうけど…」(馬瀬さん)
馬瀬さんの希望に応えて、オレンジやピンクなどの明るい色で丸を描き始めたみずきさん。実は馬瀬さんとの出会いで、みずきさんが施設でふだん描く絵にも変化が生まれていました。
「(「シブヤフォント」で)絵の具を使うようになってから、色を重ねることを自らやっていた。影響を受けたのかなと思いましたね」(福祉作業所ふれんど 遠藤あゆみさん)
こうして原画作成の作業は終わり、最後の仕上げは馬瀬さんに託されました。
みずきさんが描いた丸
「私が頑張っていい感じの柄にします。今日みんな楽しんで作業していたので、あの雰囲気を柄に頑張って落とし込みたいです」(馬瀬さん)
7月下旬、最終プレゼンの日。まずは、岡崎さんの発表です。ヒマラヤさんが子どものころから描いてきた恐竜たちの中に、岡崎さんが気に入ったニワトリもまじっています。
「協竜」 ヒマラヤさん作
「共同制作をして協力して作ったという意味を込めて、恐竜の『恐』の字を協力の『協』にしました」(岡崎さん)
続いては、エイさんと作った図柄です。ライラさんにダメ出しされたデザインから大きく変更し、男性の顔を都会に生きる忙しい人に見立てました。ポップな色と荒々しい筆遣いを対比させ、躍動感を出しています。
「Rush Life」 エイさん作
「渋谷の高いビルと、その隙間を縫って今を忙しく生活している人々を表現しています。商品展開はスマホケースや柄シャツなど、若者向け商品で考えています」(岡崎さん)
岡崎さんの図柄は、講師のライラさんからも高い評価を得られました。
「メンバーさんと一緒に考えながらやっているのが、ストーリーから見えてよかった。すごくブラッシュアップされていた。お疲れさまです。ありがとうございました」(ライラさん)
続いて、馬瀬さんの出番です。
まずは、りささんとコラボした図柄から。馬瀬さんが用意した絵の具で最初に描いた顔が、チェック柄の中でほほえんでいます。
「line&face」 りささん作
「りささんは、どんどん絵を描いて、絵を見せてくれるという方法で私たちと仲良くなりました。そのなかでも、たくさん描いてくださった線がすごくきれいだったので、チェック柄のようにしました」(馬瀬さん)
続いては、みずきさんと試行錯誤しながら生み出した図柄です。2人で積み重ねてきた時間が、一つひとつの丸に詰まっています。
「Mドット」 みずきさん作
「アーティストのみずきくんは最初からずっと『丸』を描いていました。絵の具の質感や感触、塗ることが楽しそうだったので、ずっと描き続けてきた『丸』をコレクションするように並べると、ぬくもりとか、たくさんの思い出が浮かび上がってくる水玉になると思って、作ってみました」(馬瀬さん)
馬瀬さんがメンバーとのコミュニケーションを努めたことは、図柄からも伝わっています。
「メンバーさんと深い関係になったからこそ、今回のデザインにつながったと思います」(ライラさん)
最後に、デザイナーの磯村歩さんが今回の授業を総括しました。
「授業としては今日で終わりだけど、まだまだブラッシュアップする余地が残されている。ここでやめるのは、学びの機会を逸してしまう」(磯村さん)
今回、72点の図柄が新たに生まれました。年末、企業を集めて行われるプレゼンに向け、学生のみなさんはさらにデザインを磨き上げていきます。
後日、岡崎さんは手紙をたずさえて、再び施設を訪ねました。今回コラボしたメンバーたちに、あらためて感謝を伝えるためです。
ヒマラヤさんに手紙を渡す岡崎さん
岡崎さん:描いてくれた恐竜で作ったパターンで、お手紙を書いたのでよければ。
ヒマラヤさん:ありがとうございます。こんなにしてもらえるなんて思わなかったのでうれしいです。
エイさんからは新しい絵を見せてもらい、早くも次のデザインに向けて話がふくらみます。
エイさん:落書きやったのを、今度はオリジナルでやってみようかって。
岡崎さん:すごい。かっこいい。前に描いた絵ですか?
エイさん:今日描いた。
岡崎さんとエイさん
同じころ、馬瀬さんも施設を訪れています。メンバーたちと一緒に体操を行い、コミュニケーションを深めていました。
「人としてのコミュニケーションの部分が大半で、絵はプラスでついてくる感じ。人としてのコミュニケーションの一部にアートがあった。授業は前期で終わっちゃうけど、障害のある人って世の中にたくさんいるので、関わりは全然終わっていない。継続していく感じかなって思います」(馬瀬さん)
“あがるアート”
(1)障害者と企業が生み出す新しい価値
(2)一発逆転のアート作品!
(3)アートが地域の風景を変えた!
(4)デジタルが生み出す可能性
(5)全国で動き出したアイデア
(6)アートでいきいきと生きる
(7)福祉と社会の“当たり前”をぶっ壊そう!
(8)PICFA(ピクファ)のアートプロジェクト
(9)「ありのままに生きる」自然生クラブの日々
(10)あがるアートの会議2021 【前編】
(11)あがるアートの会議2021 【後編】
(12)アートを仕事につなげるGood Job!センター香芝の挑戦
(13)障害のあるアーティストと学生がつくる「シブヤフォント」 ←今回の記事
(14)「るんびにい美術館」板垣崇志さんが伝える “命の言い分”
(15)安藤桃子が訪ねる あがるアートの旅~ホスピタルアート~
※この記事はハートネットTV 2022年10月25日放送「あがるアート 世界で1つだけの図柄(アート)をつくる!」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。