ハートネットメニューへ移動 メインコンテンツへ移動

大腸がんが教えてくれたこと 桑野信義さん

記事公開日:2022年09月21日

バラエティでも活躍するトランペッター、桑野信義さんは2年前、ステージ3bの大腸がんと宣告を受けました。抗がん剤治療、15時間に及ぶ手術、人工肛門(ストーマ)の造設。つらい闘病が続きましたが、昨年念願のコンサートに復帰しました。心の支えとなったのは何かーー桑野さんの話に耳を傾けるのは、急性骨髄性白血病の治療を経て、ファンの前に戻ってきたシンガーソングライターの岡村孝子さんです。

不健康だった生活と病気の予兆

芸能活動歴42年、日本を代表するコーラスグループ「ラッツ&スター」でトランペッターを務める桑野信義さん。

音楽だけでなく、バラエティでも活躍するなど、陽気なキャラクターで日本中のファンを楽しませてきました。そんな桑野さんが、ステージ3bの大腸がんと宣告を受けたのは2年前のことでした。

桑野さんは、がんになる前から予兆があったと話します。

画像

桑野信義さん

桑野:血便が出ることはありましたね。とにかく若いころから大酒飲みで、食生活もめちゃくちゃでした。

朝、起きると朝食とアイスを食べて、昼食は好物の揚げ物。午後、仕事を終えたあとは飲み会に行き、帰宅してからもコンビニ弁当を2つ。就寝後2時間で起きてカップ麺を食べ、再び就寝するなど、桑野さん自身も、「ずいぶんと乱れた食生活を送っていた」と振り返ります。

画像(桑野さんの以前の生活)

桑野:(夜)目が覚めるんですよね。何か食べちゃおうかなっていう。あ、カップ麺ならサッと入るかなって。

岡村:胃が痛くなっちゃいそうですね。

桑野:なぜ朝食がアイスなのかというと、だいたい毎日、二日酔いだったんです。ちょっと胸焼けするのをスッキリさせるためにいつもアイスを食べていたんです。

岡村:お酒は毎日飲まれるんですか?

桑野:毎日飲んで、結果的に酒にものまれちゃう。お酒飲みの悪循環です。具合が悪くなると、飲んでごまかすというんでしょうか、飲むと普通になれる気がして、その繰り返しでしたね。(これまでに)東京ドーム2杯分くらい飲んでるんじゃないですか(笑)。でも(今は)せっかく命をもらったので、これからは大切に過ごさないと、と思っています。今は“がんばらない”、がんばろうとしない生き方をしています。ただし、絶対にあきらめない。

画像

岡村孝子さん

抗がん剤治療 副作用との闘い

桑野さんがそのような考えに至るには、つらい闘病生活の経験がありました。

健康とはほど遠い、ハチャメチャな生活を謳歌していた桑野さん。運命の時は、突然訪れました。ステージ3bの大腸がん。「リンパ節にも転移が見られる」と医師から告げられたのです。

動揺する桑野さんに示されたのは、抗がん剤でがん細胞を小さくしてから手術に踏み切るという治療方針でした。

画像(治療中の桑野さん)

待ち受けていたのは、副作用との壮絶な闘い。激しい腹痛や下痢、めまいが途切れることなく続き、自宅のトイレで気絶することも・・・。

「このまま俺は、あっけなく死ぬのか」

くじけそうになる桑野さんを支えたのは、ある大きな夢でした。

トランペッターだった父親の影響で、自らも音楽の道を志した桑野さん。地元の先輩で、第二の父とも慕う、グループのリーダー・鈴木雅之さんに誘われて、「シャネルズ」に加入。

1980年、ミリオンセラーを記録した、「ランナウェイ」でデビューを飾ります。以来、グループの存在は桑野さんの心のよりどころとなっていました。

そんな桑野さんの定位置が、鈴木さんの左斜めうしろ。闘病する桑野さんは「再び、あの場所に立ちたい」という思いを抱きます。

しかも、がんの宣告を受けた2020年は、リーダー鈴木雅之さんのデビュー40周年。桑野さんは、その記念ツアーに参加するという目標を掲げ、病と向き合うことにしたのです。

心の支えになったリーダー・鈴木雅之さんの言葉

ステージ3bと言われたときの気持ちを、桑野さんはこう振り返ります。

画像(桑野信義さん)

桑野:(がんは)内視鏡で取れるというものではなく、それ以上に進んでしまって、もう体の中にあると。これはガーンとなりました。頭の中、真っ白です。

岡村:「2人に1人はがんになる時代」と言われていますが、私も「まさか自分が?」と思いました。

画像(桑野信義さんと岡村孝子さん)

桑野:そうですよね、絶対にがんにはならないと思っていました。僕の場合は直腸がんだったので、肛門に近い場所だったんです。手術するのもいいのですが、「すぐに手術すると一生、人工肛門(ストーマ)になる」と医師に言われて・・・。肛門からがんまで“のりしろ”、つまりある程度の距離があるんですけど、抗がん剤でがんを小さくしてから手術すれば、一度は人工肛門になるけれど、それを外せるかもしれない。約束はできないけれど、やってみましょうと先生が言ってくださって、抗がん剤を始めました。

肛門を温存するための抗がん剤治療。がん細胞が小さくなれば、術後、人工肛門を取り外せる可能性があったのです。

桑野:治療は3週間が1セットで、点滴は1日目だけ、薬を飲むのは2週間。残りの1週間はお休みするというサイクルを4回やりました。本当は8回やるところを4回で中断したんです。なぜかというと、グループ40周年のコンサートに出たかったからです。

岡村:すごく勇気がいる決断だったと思います。

桑野:先生が、「4回(抗がん剤を)やって、がんが小さくなっていたら手術をしましょう」と。でも、僕はこういう性格なので、なめていたんですよね。「酒に強いから抗がん剤も大丈夫」だろ、って。

岡村:違う、違う!(笑)

桑野:違うんですよ、やっぱり。相当厳しかったですね。血管が冷たくなって指先にしびれがきたり、味覚障害も。そういうことはありませんでしたか?

岡村:夏も抗がん剤を受けながらだと寒くて、足元にカイロを入れていました。

桑野:もう1年以上経ってますけど、まだ裸足でフローリングを歩くと冷たさが残ってる。

岡村:ありますね。

桑野:ああ、やっぱり同じなんですね。

画像(岡村孝子さん)

抗がん剤の副作用に苦しむ桑野さんを支えたのはリーダーの鈴木雅之さんでした。

「ここが正念場だよな!お前の頑張りを無駄にするような神様はいないよ。もしいたら俺がぶっ飛ばす!いや、俺が土下座してでも頼み倒すから、お前は絶対負けない闘う気持ちだよ。一緒にステージに立たなきゃ俺達の40周年は成立しないんだからな」
(鈴木雅之さんが桑野さんに宛てたメッセージ)

画像(鈴木さんが桑野さんに宛てたメッセージ)

桑野:本当に兄貴であり、ときには親父のような存在であり。そのリーダーがずっと応援してくれていたんですよ。これを読んだときにもう泣きましたよ。絶対に負けないぞ、と。改めて決意をしました。コロナ禍だったし、お見舞いも無理で、家族とも誰とも会えないわけですね。そんな時にリーダーが「今、お前の病院の下を通ったぞ」って病院の写真を送ってくれたり、どれだけ心強かったかということですよね。

岡村:本当に、戦っているときはすごく孤独な、ひとりぼっちな気持ちになるので、自分を必要としてくれている人がいるとか、帰る場所があるというのは本当に支えになると思います。

桑野:そうですね。自分でも戻ってこられるとは思っていませんでした。64歳にして生まれ変わったというか、もう一度命をもらったっていうね。“リボーン”ですね。

初体験の人工肛門(ストーマ)

抗がん剤治療の結果、がん細胞が小さくなった桑野さん。

いよいよ手術に臨むことになりました。負担を軽減するために採用されたのは、精密な動きを得意とする手術支援ロボットを使った手術です。手術は15時間に及んだものの、無事に成功しました。

桑野:『15時間の手術、大変でしたね』ってよく言われるんですけど、大変なのは先生で、私は麻酔していたから、ぜんぜんわからないんですよ(笑)。

術後、意識を回復した桑野さん。気がかりなことがありました。それは、人工肛門の位置。医師からは、「お腹の右側であれば数か月で取り外し可能。左側についていたら、生涯装着し続けなくてはならない」と告げられていたのです。どちら側になるかは手術をしてみないとわからない、ということでした。

看護師に人工肛門の位置を確認すると右側に装着されており、安堵したという桑野さん。

しかし使い始めると、生まれて初めて体験する人工肛門に次第に愛着を感じるようになったと言います。

桑野:たとえは悪いんですけど、スムージーみたいなものがいっぱい溜まるんですけど、3時間に1回取り換えないとパンパンになっちゃうんです。だから夜中でも3時間おきにトイレに行ってそれを放出するんですけど、子どもを育てているような、おしめを替えるような感じでしたね。楽しんでいました。オストメイト(人工肛門を使っている人)には、小さい子どもから、おじいちゃん、おばあちゃんまで、たくさんの仲間がいると知って、隠すことじゃないんだと思いました。

その後、桑野さんは人工肛門を外すことになりました。しかし本当に大変だったのは、そのあとだったのです。

画像(桑野信義さん)

桑野:人工肛門には「ジュニア」って名前をつけたんです。(外すときは)「ジュニア、3か月ありがとな。ごめんな」って2人で記念撮影(笑)。人工肛門を閉じると、元の肛門から排出するんですけど、それがなかなか言うことを聞かなくて、大変でした。自分の意思ではなく勝手に(便が)出てしまうんですね。多いときで1日に60回、70回もトイレに行って。本当のお尻のほうがストライキを起こしたんですね。「3か月も俺を閉じておいて、急に戻して、なんだお前!」っていうストライキです。

岡村:でも、ありがたみを感じますね。

桑野:自分の肛門から出せるっていうのはやっぱり幸せを感じますよ。

自ら決断した抗がん剤治療の中止

手術でがん細胞の切除に成功した桑野さん。再発のリスクを軽減するため、抗がん剤治療を再開しますが、再び激しい副作用に見舞われます。

「2度と立ち直れないかもしれない・・・」

精神的にも肉体的にも追い詰められていった桑野さん。医師との話し合いの末、再発防止のための抗がん剤治療を打ち切ることにしたのです。

抗がん剤治療の有効性を理解しつつも、やめる決断をした当時の心境を桑野さんはこう語ります。

画像(桑野信義さん)

桑野:そのときは精神的にちょっと弱っていたんです。いちばんつらかったのは吐き気と下痢ですね。夜中に便器を抱えながら、でも何も食べていないから、出るものもないですよね。そのとき「このままでは立ち直れなくなるかもしれない」「もう復帰できなくなっちゃうんじゃないか」と思い込んで、やめる決断をしました。抗がん剤が悪いとは思いません。なぜなら、抗がん剤治療を4回やって、そのおかげでがんが小さくなって、手術もできたし、転移も防げたので。
医師は「抗がん剤を続けたからといって再発しないとは約束できない。その逆で、やめたからといって再発するとも言えない。ご自分でお決めください」と言ってくださったので、じゃあ僕はもうやめますと。家族も会社も納得してくれてやめました。本当を言うと怖いですよ。だって、それで再発したら「ほら見ろ」ってことになりますからね。

岡村:私はお風呂に入るのが大好きなので、体が温かくなると良くなる気がして、途中で一度退院させていただいたことがあるんですけど、今なら自分の決断を信じます。

かわりに桑野さんが取り組み始めたのが、不健康だった生活の全面的な見直しです。

朝は深呼吸で自律神経を整えたり、朝風呂とマッサージ、ストレッチやウォーキングなど、さまざまなことに積極的に挑戦する中で、常に「笑顔を忘れず前向きに」いることを意識していると話します。

桑野:やっぱり楽しみながらやることが大切なんじゃないかな。朝、早起きして、オムツをはいているけど、ルンルンルンルンって、スムージーを作って、楽しいなって言って飲む。だから毎日続けられているんだと思います。

岡村:同じ時間を過ごすなら、つらいと思いながら過ごすより、楽しかったなって過ごしたほうが得をしたような気持ちになりますよね。

桑野:嫌いだったバナナも食べられるようになって。

岡村:嫌いだったんですか。

桑野:僕、果物ダメだったんですよ。でも今は、バナナとかゴーヤーとか入れて、楽しいなって。

「恩返しがしたい」ステージ復帰に向けて

病を経験し、再び仲間たちとステージに立つことを誓った桑野さん。トランペットの練習は、退院の翌日から始めたといいます。肺活量が低下し、当初は思うように音が出ませんでしたが、毎日猛練習を重ねました。

画像(復帰に向けて練習する桑野さん)

そして、がんの宣告から10か月後。最大の目標だった、リーダー・鈴木雅之さんのデビュー40周年コンサートツアーに合流。ステージ復帰を果たしました。

「今、こうして立っているのが夢のようです。このツアー、すごく楽しみにしていて、リーダーが、ちょっとでもいいから来い、ということで来ました。ありがとうございます。なので、このご挨拶で私、帰らせていただきます(笑)」(ステージ上で話す桑野さん)

桑野節満載の、お茶目なトークも健在。会場は笑いと温かい雰囲気に包まれました。退院直後は思うように音を出せなかったトランペットでしたが、この日、素晴らしい音色で観客を魅了しました。

10か月に及んだ闘病では、常に目標を掲げ、前向きに乗り越えてきた桑野さん。自身の帰るべき場所に戻ってきた瞬間でした。

岡村:ステージに復帰するご本人もうれしいと思うんですけど、メンバーの方とか、みなさんもとてもうれしかったと思います。

桑野:リーダーが本当に喜んでくれました。

岡村:やっぱり目標があると、そこに向かって頑張ろうっていう気持ちになりますね。

桑野:そうですよね。一応プロですから、ステージに上がるにはそれなりのクオリティーまで持っていかないと、俺の気持ちもダメだし。

画像

スタジオで演奏する桑野さん

ステージに再び上がった桑野さん。これからの人生をとても前向きにとらえています。

桑野:覚えているのは、ステージに出て行ったときのお客さんたちの大声援。それと、演奏したときに、リーダーが僕の斜め前、いつもの位置にいるっていうこと。「この位置に帰ってこれたんだな」って。夢じゃなくて、「夢で逢えたら」じゃなくて現実に会えたんだっていうね。その気持ちは覚えてますけど、後はもうなんか夢の中で。

岡村:闘病はすごく大変だったと思うんですけど、桑野さんはとても楽しく話してくださって、聞いている私も何度も笑ってしまったぐらい。今、同じような病気で闘病されている方も、励みになると思います。

画像(桑野信義さん)

桑野:自分が元気になって、音楽やテレビ番組を通じてみなさんに笑顔になってもらう。それが恩返しだと思っています。まぁ、がんばらなくていいんだよ、がんばらなくてもいいんだけど、目標を決めて、「必ず復帰できる」という夢に向かって、絶対にあきらめないこと。がんばらないって僕は言葉で言ってるけど、がんばっても痛さやつらさは消えないから。本当に全てを任せて、身を任せて、自分の今ある立場を全部も受け入れて、病気なんだから、それに逆らわずに受け入れて闘病しましょうと、ただ絶対に諦めないこと、「必ず復帰できる」という夢に向かって。必ず夢は叶います。うん。

※この記事はハートネットTV 2022年8月9日放送「がんばらない、けど、あきらめない 桑野信義」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

あわせて読みたい

新着記事