ハートネットメニューへ移動 メインコンテンツへ移動

白血病からの復帰 夢をあきらめない 岡村孝子さん

記事公開日:2022年09月21日

シンガーソングライターの岡村孝子さんは2019年、「急性骨髄性白血病」の宣告を受けました。体調の変化に気づいたきっかけは、家族旅行中に足が上がりづらくなったこと。抗がん剤やさい帯血移植による治療では、5か月にもわたる無菌室生活を余儀なくされました。闘病生活の支えになったのは周囲からのあたたかい応援です。病を経て、自分の曲に託す思いが変わったと話す岡村さん。聞き手は、2020年に大腸がんの闘病を経験したトランペッターの桑野信義さんです。

突然の「急性骨髄性白血病」宣告

岡村孝子さんは1982年、女子大生デュオ「あみん」として鮮烈デビュー。ソロ活動でも、「夢をあきらめないで」など数々のヒット曲を生み出してきました。

体に異変を感じたのは2019年3月。ニューアルバムの制作を終えて、家族で旅行に出かけていた時のことでした。歩いていると足が上げづらくなったのです。

翌月に受けた定期検診で、急性骨髄性白血病と診断されました。進行が速い、血液のがんです。

画像

岡村孝子さん

岡村:家族で兼六園に行っていたときでした。寒い時期で、歩いていて足が上がらなくなって・・・。レコーディングをしたり、コンサートツアーが終わったあとだったりしたので、「歳かな?」「ちょっと休めば治るかな?」って思ったんです。

桑野:疲れがたまってるのかな、みたいな。

岡村:いつもみたいに寝ればリカバリーできるかな、と思っていました。でもたまたま消化器の検査のために検診に行ったら、血液の異常が見つかって・・・。半年おきに通っている検診でしたが、母に「半年、時間があくとよくないんじゃないか」と言われて3か月に縮めたんです。そこで行かなかったら、倒れるまでわかってなかったかもしれません。

桑野:やっぱり検診って大切なんですよね。何もなければそれでいいんですから。早く見つかることが大切ですよね。

画像

岡村孝子さんと桑野信義さん

岡村:私は本当に健康だけが取り柄で、これまで入院は帝王切開のときしかなかったので、「まさか私が」って。検査すれば、やっぱり違いましたってなると思って、入院してからも、毎日、先生に「本当に白血病ですか?」と聞いていました。

桑野:自分もそうですけど、まずは自分ががんになると思ってない。宣告されても受け入れたくない。だから、その気持ちはとてもよくわかります。

岡村:抗がん剤で「寛解する」「しない」のパーセントや、もし移植すると何人かのうち1人は大変な結果になる可能性があるなど、最初にいろいろな数値を見せていただきました。絶対に治るということであれば頑張りたいけど、大変な治療をしてもどうなるのかわからないのなら、ここまで頑張って生きてきたからしょうがないのかな、と一瞬思いました。

これまで大病の経験がなかった岡村さんは事実を受け止めきれず、治療への一歩を踏み出せずにいました。背中を押してくれたのは、離婚してから二人三脚で歩んできた最愛の一人娘でした。

「私のために治療をしてほしい」
「私のために闘ってほしい」

大学生だった娘の言葉に、病と向き合う決心をしたのです。

岡村:うちは母一人、娘一人のシングルマザーなので、私がいなくなってしまうと娘一人になってしまうんです。病気の説明を受けて家に帰った日に、娘がポロポロ涙を流しながら、「私のために頑張ってほしい」と。先生にも、「もし母がいなくなってしまったら、自分は一人になってしまうので、いてもらわないと困るんです」と言ってくれました。

桑野:いやぁ、素敵な娘さんですね。

岡村:その言葉がうれしかったです。家族がもしがんにかかったときに、私はそうやって言えるかなと思いました。今後、治療を続けていくと、どんな状態になるかわからないので、「助かったとしても、もしかしたらずっと家で寝てるかもしれないし、戦力にならないかもしれないけど、それでもいい?」って聞きました。そしたら、「うん、いいよ」って。「そばにいてくれるだけでいい」と言ってくれました。それで、娘のために治療しようと思いました。

副作用、さい帯血移植、無菌室での孤独な闘病生活

岡村さんの抗がん剤治療は、5月、6月、7月と3回行いました。吐き気や耳鳴りなど、次から次へと襲ってくる副作用。そのときの様子を、日記に記していました。

画像(闘病中の様子)

岡村:吐き気もありましたが、その頃は耳鳴りがすごくて、一日中、携帯の着信音みたいな耳鳴りが鳴っていました。日記には「フェリーボートから、吐き気がジェットコースターへ」と書いてあります。教授回診で先生方に「今はどんな感じですか」と聞かれて、ベッドの上に正座しながら「先生、人間やめていいですか?」って(笑)。今思えば、なんであんなこと言ったんだろう? そのくらい精神的にも、体力的にもやられちゃっていたのかな。ただ、今は覚えてないんです。

桑野:でも、書いてあるんですよね?

岡村:書いてあるんですけど、意外と楽に闘病したのかなと思って、読み返してみるとびっくりしました。

桑野:抗がん剤のつらさは、やった人にしかわからないですよね。言葉で言うのは簡単なんだけど、本当にきついんだ。

画像(桑野信義さん)

抗がん剤治療を経て、岡村さんのがん細胞は減少。さい帯血移植を受けることになりました。へその緒を流れるさい帯血には、赤血球などのもとになる幹細胞が含まれています。これを移植することで、正常な血液をつくる力を回復させようというのです。

岡村:この病気にはタイプがすごくたくさんあって、抗がん剤だけで治る方ももちろんいるんですが、私のタイプは治りにくくも、治りやすくもないタイプで。完治してステージに立ちたいんだったら、やっぱり移植したほうがいい。また再発するかもしれないし、移植を受けるほうがいいということを言われました。

桑野:もし移植をしなくても、再発しない場合もあるんですか?

岡野:あると思います。ただ、完治して歌いたいのなら、さい帯血移植をしたほうがいいかなと。移植には、近畿地方の男の子の、さい帯血をいただきました。「生着」と言うんですけども、自分の体とそのさい帯血が仲良くすることがいちばん生着しやすいと言われたので、毎日お腹をなでなから、名前をつけて「仲良くしようね」と言っていました。

桑野:名前をつけたんですね。

岡村:男の子なので、「けんと」とつけました。誰もイメージしていませんよ(笑)。

桑野:「けんと」いいじゃないですかね。太郎くんかと思った(笑)。僕も人工肛門に名前をつけました。僕の場合は「ジュニア」です。

岡村:おしゃれ!

桑野:自分の子どもだから。ジュニア。桑野ジュニア。

画像(岡村孝子さんと桑野信義さん)

懸命に病と向き合う岡村さんにとって耐えがたかったのは、無菌室での生活。移植が終わってからも、感染を防ぐために無菌室で過ごす日々が続きました。外の景色は見えず、感染を防ぐため無菌エリアの外には出られません。

「年を越したら自分はこの世界にいないかもしれない」

岡村さんはひとり、世の中から取り残されたようだったといいます。

画像(無菌室)

桑野:これは本人にしかわからない苦しみや、つらさですよね。うーん、言葉が出ないですね。精神的につらいんじゃないかな。

岡野:そうですね。歩き回れないっていうのが(とくにつらかった)。部屋に窓があるんですけど、「建物があって、空が見えるでもなくて。春に入院したんですけど、今日は夏かな?秋かな?みたいな。4月に入院して9月の頭まで、5か月間、ずっと無菌室にいました。

桑野:そんなに。

画像(岡村孝子さん)

岡村:はい。自分の白血球が少なくなってはじめて、白血球が少ないと感染するということを知りました。抗がん剤の管が引っ掛かるようにゴムで留めてあるのですが、それがたまに落ちちゃうんです。それを拾おうとすると、「自分で拾うと感染するからダメです!」って言われました。床を触るのもダメなんですね。
白血球がゼロになってしまうと、シャワーを毎日浴びなきゃいけないんです。40何度とかよほど高熱でないかぎり、清潔にしないといけないのですが、もしお風呂とかで頭を打ってしまうと内出血して止まらなくなってしまうんです。

桑野:アウトですよね。

岡村:はい。「気をつけてください」って言われるんですけど、どうやって気をつけるんだろうって、毎日ビクビクしながら過ごしました。

あたたかい応援が支えに

くじけそうになる岡村さんに娘さんがプレゼントしてくれたものがあります。

それは、ニューアルバムの(曲が入った)携帯音楽プレーヤー。「復帰したとき、コンサートで歌う曲の構成を考えたら?」と、励まされました。

さらに勇気づけられたのは、ファンからの万羽鶴やお守り、励ましの手紙の数々でした。

画像(岡村さんに届いた万羽鶴)

画像(岡村さんに届いた励ましの手紙)

たくさんの応援を支えに、つらい日々を乗りこえた岡村さん。入院から5か月、ようやく退院することができました。

画像(岡村孝子さん)

岡村:退院したときは秋だったんですけども、風が吹いてきて、ああ風が吹いているとか、鳥のさえずりが聞こえて、これが生きているっていうことなのかな、なんて。そういう詞を今までにも書いているんですけど、私はまだまだわかってなかったって思いました。

桑野:すごく、わかります。病気を乗りこえて、外に出られる。そのときに、岡村さんも俺も生まれ変わったんですよ。

岡村:まさに新しい命をいただいたので。

桑野:リボーン(生まれ変わる)ですよ。なんてことないことが幸せに感じたりする。

岡村:昨日と変わらない日常が続くって、なんて幸せなんだって。

桑野:良かった。この話ができて。

画像(桑野信義さん)

しかし、岡村さんの体は長期間におよぶ治療によってかなり弱っていたといいます。

岡村:一応、(入院中)毎日リハビリして歩いていたので、「きっと私は大丈夫」と思っていたんです。でも、マンションの10段ぐらいの階段が半分も登れなくて、抱えられながら登ったり、家の近所を散歩していたんですけど、そのコースを半分も行くと、もう歩けずに戻ったりしました。風が吹くだけでも倒れちゃいそうで怖くて。実は、背中を6か所、圧迫骨折したんです。

桑野:入院中にですか?

岡村:自分の身の回りのことや、運動をしたほうが予後がいいと励まされていたんですけど、入院中に起き上がれなくて。退院してから整形外科で診ていただいたら、6か所折れていました。

岡村:今は体重も戻りましたけど、12キロ減って、30何キロになりました。一生懸命、歩いたりもしました。風が吹いたり、人が前から来ただけで転んでしまいそうで・・・。1年ぐらいは転ぶと骨折するので、「弱っています」ということが周りにわかっていただけるかなと思って、ヘルプマークをつけました。

画像(岡村さんのヘルプマーク)

岡村さんが励んでいたリハビリの一つを紹介していただきました。

岡村:骨を強くするために、立って、かかとを上下にうごかしてトントンと床に当てるんです。これを1日10回を何セットか。こうしてかかとに刺激を与えると、骨が丈夫になるそうです。

桑野:私は今、肛門の排泄障害なんで、そこを強くするためにスクワットをやっています。今のかかと落としもメニューに加えたいなと思います。

画像(岡村さんが行っていたリハビリ。かかとを上下させ、床に当てる)

音楽活動を再開し、復帰コンサートへ

リハビリを経て、岡村さんは復帰コンサートに向けて動き出します。しかし、再び歌う準備を始めた矢先、世の中はコロナ禍に。イベントの中止が相次ぐ事態になってしまいました。

それでも、岡村さんはコンサートに向けて日々、歌の練習を続けていました。最初はマイクを両手で握らないと落としそうになるほど、重たく感じたといいます。

画像(リハーサル中の岡村さん)

岡村:思っていたより、声が出たんです。

桑野:おぉ。

岡村:今思うと、あれっていう感じなんですけど、自分が想像していたよりは出ました。ただ、本当に筋力がなくなってしまっていて、ペットボトルも開けられなくなっていました。マイクを持てただけで、ヤッターって。私、こんなの持って、何十年も歌ってたんだって。

そして迎えたリハーサル。久々に仲間との対面を果たします。

「すごくワクワクして、うれしいのが勝っていましたが、メンバーとのリハーサルが終わったら、今度は自分で(仕上げて)持っていかないといけないので、変なドキドキ。本番はすごく緊張していたと思います」(岡村さん)

2021年9月、コンサート当日。コロナに感染すると重症化するリスクもあるなか、ファンへ歌を届けたいという思いで会場入り。退院して2年、いよいよ念願のステージへと向かいます。

ファンに向けた第一声は・・・「どうもありがとうございます。ただいま」(岡村さん)

支えてくれた人たちへ感謝を込めた新曲を発表。闘病生活で感じた思いを歌詞に乗せました。

桑野:いやぁ、やっぱり、ひと言めは「ただいま」ですよね。僕も同じ気持ちです。本当にうれしいのと、「帰ってきた!みんなが待っていてくれた。本当にありがとう!」って気持ちですよね。

岡村:闘病から戻ってきて復帰して、それで終わりっていうのではなく、私も今から、ここから一歩踏み出すんだという気持ちのほうが強かったです。まだ今も、100パーセント体力が戻っているわけではないので、いつも通りに少しでも近づけるよう歩いていきたいなと思っています。

桑野:大丈夫です!

岡村:ありがとうございます。

画像(岡村孝子さんと桑野信義さん)

岡村さんの代表曲「夢をあきらめないで」。岡村さんは、闘病生活を経験して、この曲に託す思いが変わったと話します。

岡村:そもそもこの曲は失恋ソングで、ふがいない自分を鞭打つために書いた曲だったんです。それがある時期、応援歌として受け止められて、じゃあ応援歌として歌おうかなと思っていたんですけど、自分が病気をしたときは、サビの部分の「夢をあきらめないで」という言葉は、背中を押されるけど、「自分がいちばんしんどいときになんて過酷な言葉なんだろう」というか・・・。夢をあきらめないというよりも、本当に1日1日を積み重ねたらここまできたという感じなので、もうちょっと自分に甘くしようかな、なんて。コンサートで次にもし歌える機会があったら、本当にあたたかくみなさんの背中を押せるように歌いたいなと思いました。

退院後に岡村さんが作った新曲「女神の微笑み」。この曲にはどんな想いを込められているのでしょうか。

岡村:お守りや万羽鶴など、本当にたくさんの方に支えていただいたので、「ありがとう」とか感謝の気持ちを込めて作ったんです。だから女神というのは、応援してくれたみなさんのことなんです。自分で「ありがとう」をやっと伝えられたなって思いました。目の前の時間を、この瞬間を大切にしながら重ねていって、振り向いたら3年経っていた、5年経っていたってなるといいなと思いながら、今を重ねています。

桑野:すごく、自分のことのように聞き入ってしまいました。やっぱり、病気をした人にしかわからないことがあって、今も闘っている人はたくさんいるから、あきらめなければ岡村さんのように復帰できるよって、勇気を持ってもらいたいですね。

岡村:まだまだ完治ではないんですけど、私、闘病中に、病院で同じ病気の方とお話しする機会がなかったんです。みんなどうしてるのかなとか、こういうときにどうしたらいいのかなってすごく知りたかったので。

桑野:わかります。

岡村:何かの病気で今、頑張って闘病されているみなさんと一緒に頑張れるといいなと思います。

画像(岡村孝子さん)

桑野:私も寛解の目処まであと3年8か月なんです。一生付き合っていくことになるので、再発しないように、生活を続けていきたいなと。あと、できれば、岡村さんのコンサートでトランペットを吹きたいですね。

岡村:デュエットですか?

桑野:何かありましたら呼んでください。ラッパ持っていきます!

岡村:はい。お願いします!

※この記事はハートネットTV 2022年8月2日放送「私のリハビリ・介護 私の夢もあきらめない 岡村孝子さん」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

あわせて読みたい

新着記事