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摂食障害の私と手をつないで 鈴木明子さん

記事公開日:2022年07月29日

フィギュアスケート日本代表として、2度のオリンピックに出場した鈴木明子さん。繊細かつしなやかなスケーティングは、多くのファンを魅了しましたが、実は10代の後半で摂食障害になり、選手生命の危機に直面したことがあります。何が鈴木さんを摂食障害へと追い詰め、どのように回復を果たしたのでしょうか? 聞き手はお笑い芸人で、認知症の母とダウン症の姉と酔っ払いの父との同居生活を続けるにしおかすみこさんです。

フィギュアスケートとの出会い

現在はプロフィギュアスケーターとして活動する鈴木明子さん。フィギュアスケートと出会ったのは6歳のときです。自宅のすぐ近くにスケートリンクがあり、いくつか掛け持ちしていた習い事のひとつとして軽い気持ちで始めましたが、すぐに夢中になりました。

日曜日には、お弁当を2つ持って朝から晩までリンクに入り浸り、ひたすら練習に明けくれました。幼い頃から何をするにも時間がかかったという鈴木さんですが、できないことが、ひとつずつできるようになっていくことが、何より嬉しかったといいます。

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スケートを始めたころの鈴木さん

オリンピックへの出場は最初から目指していたわけではありません。県大会での優勝、中部地区大会、そして全国大会への出場と、一つずつ目標をクリアしていった結果、気がつけば安藤美姫さんや浅田真央さんらと並ぶ、世界を狙える選手に成長していました。

鈴木:両親が習い事の一つとしてスケート教室に連れて行ってくれたとき、リンクの真ん中でヒラヒラのスカートを履いて、くるくる回るお姉さんたちがいたんです。それを見て「なんて素敵なんだろう。自分もあんな風に回ってみたい」と思ったのが、スタートでした。ただ、ジャンプなどをできるようになるまで、すごく時間がかかるタイプでした。

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鈴木明子さん

にしおか:そうなんですね。意外です。

鈴木:たとえば一緒の時期に始めた子がもう違う技が飛べるようになってきているのに、自分はできていなかったり…。一生懸命やっているのに、なぜできないんだろうと思うと悔しいけれど、でも飛べるようになりたい。もうやめようとか、才能がないのかなとか思うときもありましたが、親が「時間がかかっても、あなたはできるようになるよ」と信じてくれていたところがあったので、「自分もあきらめずにコツコツやろう」と。時間がかかると、できたときの喜びもすごく大きかったんです。親も喜んでくれるし、コーチにも褒められるし、それがすごく嬉しくて、どんどん違うことができるようになりたいと、のめり込んでいきました。

にしおか:すごい。心のきれいな人だなあって思います。

鈴木:たぶん、スピードスケートだと「あっ、お先にどうぞ」って譲っちゃうタイプなんです(笑)。自分との戦いという部分においては、自分に合う競技を子どものころに直感的に選んだのかなって感じます。

食べることが怖くなって

鈴木さんはさらに上を目指すため、高校卒業後、コーチが暮らす宮城県仙台市の大学に進学。親元を離れ、1人暮らしを始めました。

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1人暮らしを始めたころの鈴木さん

世界のライバルと渡り合うため、課題とされていたのが、難度の高いジャンプを飛ぶこと。そのため、より一層厳格な体重管理を求められました。

――体重を増やさないと褒められた。競技では、懸命に努力して、良い演技をしないと評価されないが、体重だったら、体重計に乗ればすぐに結果が出る。

母親に代わり、自分で食事を作るようになった鈴木さん。やがて極端な食事制限にのめり込んでいきます。太りやすい脂肪や炭水化物は避け、タンパク質も肉類ではなく、カロリーの低い豆腐などに限定。次第に食べられるものが少なくなっていきました。

――スケートを向上させるための体重管理だったのに、次第に体重を減らすこと自体が目的になっていった。それでも歯止めがきかなかった。

鈴木さんの体重は、48キロから32キロまで激減。摂食障害と診断された鈴木さんは、実家での療養生活を余儀なくされたのです。

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摂食障害の症状が進んでいた頃の鈴木さん

鈴木:私はもともと、成長期でも太りやすくなる時期があったわけではなくて、太りにくかったと思うんです。周りの子たちは甘いもの食べたりとか、女子高生として自由にしているところを、選手である以上、わりと厳しく親が管理をしてくれていて、母はやっぱり「体をつくってあげたい」と低脂質で高タンパクのものを用意してくれたんですけど、その結果、私はあまり体重が増えてなかったんですよね。ですから、(コーチから)「やせろ」と言われていたわけではなく、「コントロールしなさいね」という状況でした。
親が管理してくれていたときなら、隠れてちょっと菓子パンを買って食べたりとか、我慢しているんだけど抜け道があったんですよね。それが大学に行って自分で管理しなきゃと思ったときに「太ったら選手としてダメなんだ」という完璧主義な部分が出てきてしまって。
太ってしまったら、「自己管理ができなかった」と評価されてしまうって、すごく周りの評価を気にしていました。親がやってくれていた以上に頑張って自分をコントロールしようとやり始めると、「これは食べちゃいけない。これなら食べてもいい」というルールができて、お米も計らないと食べられない。すごく神経質に食事を管理してしまったんです。たとえばお水はカロリーはないのに500ミリリットル飲むと、一時的に体重も増えますが、それすら認められなくなっていました。体重計にも一日に5、6回乗って、増えるのが怖くて怖くて・・・。「やせていたら自分が頑張ったから」という評価を求めていた部分があったように思います。

にしおか:徐々に体重が落ちていくと、パフォーマンスも落ちていくと思うのですが、もうちょっと食べようとはならないんですか?

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にしおかすみこさん

鈴木:高校生のときは48キロだったんですけど、コーチからずっと「47だとベストかな。体のキレがいいかな」と言われていたとき、なかなかその1キロが落ちなかったんですよ。それが、病気の症状が始まったらストーンって落ちて、そのとき軽く飛べたような気がしたんです。
勘違いだった部分もあったと思いますが、それが症状に拍車をかけちゃったんですね。「痩せたらもっと軽く飛べるんだ」って。どんどん体重が落ちていくと、体力がなくなってきて、練習が満足にできなくなってくるんです。なのに、摂食障害の怖いところは、「ちょっと痩せすぎだ、じゃあ食べよう」ってできないところなんです。

摂食障害の症状に気づいたときには、歯止めがきかなくなっていました。症状の進行とともに、鈴木さんは孤独を深めていきます。

鈴木:摂食障害は心の病気でもあるので、気持ちはすぐには切り替わりませんでした。食べなきゃいけないことはわかるのに、「怖くて食べられない」という気持ちが勝ってしまう。40キロを切ったときには明らかにおかしいと(自分でも)わかっているんです。でも、どうしても太りたくないという恐怖感みたいなものがあって食べられない。先輩たちと一緒に食事をしたときに「ちょっと思うように食事がとれなくて」と言ったら、「え、なんで? 食べればいいじゃん」って言われて、普通には理解してもらえないんだと思ったら、それ以来、(人に)言えなくなっちゃったんです。赤ちゃんでもお腹がすいたことを泣いてお母さんに伝えられるのに、それすらできない自分。普通のこと、当たり前のことができない自分を今度は責めだすんです。それでどんどん「自分はダメなんだ」という悪循環になって・・・。SOSを外に出せなかった理由もまさにそこでした。

にしおか:孤独が拍車をかけちゃうことはありますよね。周りの方も摂食障害に対しての知識がないから、そういう言葉が出ちゃう。そして、また傷ついちゃう。

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鈴木明子さんにしおかすみこさん

鈴木: 6歳でスケートに出会ってから目標達成のために頑張って、そんな私が頑張れるものがなくなってしまって、何もできないという状況は、すごく自己嫌悪になりました。このときは本当に生きる意味を失って、一人でいる時はスケートの目標というよりも、なんで私って生きているんだろうというところまで考えてしまうことが多かったですね。もともと完璧主義だったところもあって、ぽきんって(心が)折れちゃったような感覚でした。

転機は母の決断 摂食障害からの回復

愛知県の実家で回復に専念することになった鈴木さん。しかし、食べることへの恐怖心をなかなか拭い去ることができません。そんな鈴木さんに追い打ちをかけたのが、医師の一言でした。

「このままスケートを続けると命に関わる」

――大好きなフィギュアスケートをあきらめるしかないと、医師に言われた。でも私にとっては、子どもの頃から希望の光。

そんな鈴木さんにとって回復に向けた転機となったのが、母・ケイ子さんの決断でした。当初は、「スケートができなくても、生きてさえいてくれれば良い」と言っていたケイ子さん。しかし、揺るがない我が子の思いに触れ、自分がすべての責任を負うからと、スケートを続けることを認めてくれたのです。

――母は、娘の命は自分が預かる覚悟で入院の話を断った。摂食障害に苦しむ我が子の問題と本気で向き合おうとする覚悟を感じた。スケートをあきらめなくてもいいんだと思えた。

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鈴木さんと母・ケイ子さん

医師の指導のもと、再びリンクに立つ日を夢見て、療養に励んだ鈴木さん。およそ1年後には、競技会に復帰。その後も自らの演技に磨きをかけ、バンクーバー、ソチと2度にわたり冬季オリンピックに出場。29歳で現役を引退するまでに、世界選手権やグランプリファイナルでメダルを獲得するなど、輝かしい成績を残しました。

にしおか:オリンピックのときは、もう摂食障害を乗り越えていらっしゃったんですか?

鈴木:ふつうに競技ができるぐらいだったので、食事もきちんと食べて動くところまでいきました。でも食事への恐怖心が消えるまでには3年かかりました。療養から1年後には競技会には出ていたんですけど、圧倒的に食べられるものも少なくて。コーチも「大丈夫かな」というところもあって、最初はリハビリのような形で、体重が40キロ台になったら 氷の上に降りていいっていう許可が出るぐらい。
いきなり食べられるようになったわけではありません。母は最初、「なんでもいいからとにかく食べて」という感じでしたが、私は「親が作ってくれたものすら食べられないなんて、なんて親不孝な娘なんだろう」と、自分を責めてしまう。でも、母が私の摂食障害と向き合おうと覚悟を決めて、実家で治そうとなったとき、「食べてくれるだけでいいから、何がいい?」と言ってくれました。「お豆腐だけならお豆腐でもいいし、野菜だけなら野菜でもいいし、フルーツでも食べられるものを買ってきてあげる。なんでもいいよ。あなたは食べられるものを食べなさい」と。

にしおか:お母さんもちょっとずつ変わっていったんですね。我が子を守るために、お母さんも試行錯誤ですよね。だから二人三脚で頑張られたんだなあって。

鈴木:自分の娘をフィギュアスケーターとして育てていたのに、急に食事が取れないような病気になったったことを、母も周りに言えなかったんだそうです。プライドというか。 恥ずかしいというか、そういう部分もおそらくあったと思うんですね。

でも「この子を失うかもしれない」と思ったときに、いつも行っているスポーツクラブで、いろんな人が自分の子どもについての悩みを抱えている事を知って、「自分だけじゃないんだな」と思えて、もっと外にSOSを、悩みを言ってみようと思えたみたいで・・・。(母が)少しオープンになれたことで、私自身も少しずつ周りとコミュニケーションが取れるようになってきて、塞ぎ込んでいった気持ちが前を向けるようになって、「もう一回スケート滑っている姿を母にも見せたいな。元気になったら滑れるな」って、モチベーションにもつながっていきました。

にしおか:コーチも支えてくださっているじゃないですか。もし私がコーチだったら、自分のせいと思わないのかなあと思うんですが。

鈴木:(コーチは)すごく(自分を)責めていました。 でももちろんコーチのせいでもないですし、いろんな要因があったと思うんです。(当時)体力もないし、筋力もないし、走ることすらままならない私が「もう1度スケートがしたい」って言いに行った時に「できるよ。 誰が教えていると思ってんの」って言ってくれて。

にしおか:すごい。すごいですね。

鈴木:その時に、「あ、できるかもしれない」と思いました。もしその時に「大丈夫か、その身体で」のように言われたら「やっぱり難しいのかな」となりますが、「できる」って背中を押してもらえたような気がして。「私はもう一度、頑張れるんだ」っていう風に切り変わってきました。

にしおか:すてきな関係ですよね。コーチだから言えることもたくさんありますね。

画像(にしおかすみこさん)

鈴木さんは回復へ歩み出しましたが、行きつ戻りつの中での前進でした。

鈴木:「こんなものしか食べられないのに、私も生きていていいんだ」って、母や周りに許してもらえたというか、ようやく前に進めた気持ちでした。病気の自分を受け入れることがちょっとずつできるようになったのかなって。そこからは体力や筋力をつけるためのリハビリです。栄養指導もしてもらって、きちんと(回復への)プロセスを踏んでいましたが、やっぱり不意に食事が怖くなるときがありました。一歩進んだのに、また一歩下がっちゃうことを繰り返しながら。「食べられないからって責めないで。また明日は来るから」と思いながら、少しずつ進んでいきました。

食事への恐怖心が消えるまで3年かかったという鈴木さん。最後まで食べられなかったのがお肉でした。

鈴木:唯一、お肉だけは3年間、口にすることができませんでした。でも、青森の友人のところに遊びに行ったとき、私がお肉を食べられないことはその家族も知っていたんですが、冷しゃぶサラダみたいにしてくれて。「食べられなかったらお肉を外して食べてもいいよ」って、きっかけを与えてくれたんです。そのとき、「これが食べるときなのかも」と思えて、怖かったけれど、野菜と一緒にお肉を食べられました。最初は茹でたものからだったんですけど、お肉を食べるようになって、筋肉のつき方が明らかに変わってきたんです。同じトレーニングをしても、筋肉のスジがきちんと出てくるようになりました。痩せたあとに食べる物によって、自分が変わっていく。(食事は)アスリートとして、こんなに体にいいことがあるんだって気づけました。

にしおか:どん底からの学びも、たくさんあるんですね。その結果が、オリンピックにつながるっていうのがすごいなあ!

若いアスリートたちへのメッセージ

現在もプロスケータ―として、氷の上からフィギュアスケートの魅力を伝え続けている鈴木さん。そのかたわら、若いスケーターたちの振り付けや指導をしながら、抱える悩みに寄り添っています。

そんな鈴木さんが伝えているのが、「弱い自分と手をつないで歩み続けること」。

人間は誰しも弱さを抱えている。そんな自分と向き合えなくても、手をつないで、夢に向かって歩み続けてほしい。摂食障害からの回復を果たした鈴木さんから、若いアスリートたちに向けたメッセージです。

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鈴木明子さんが振付師として教えている子どもたちと一緒に

鈴木:今、私は振り付け師として全国の選手たちのもとに行って、いつも見ているコーチたちとまた別の立場で、短期間で子どもたちと関わっていくことが多くなっています。すると、リンクの中で振り付けが終わったあととかに、ポロッと子どもたちから悩みの相談があったりします。摂食障害までいかなくても体型の悩みもありますし、技術的な悩みがメンタルにも影響してしまうこともあります。たとえば、以前は跳べていたのに跳べなくなって、成績が出なくなって「スケートを続けててもいいのか」と、将来のことを考えることもあります。子どもだけじゃなく、支える親御さんからも、レッスンが終わったあとに「実は娘がこういうふうで」「先生のときはどうでしたか?」と相談を受けることもあります。保健室の先生みたいですね(笑)。そういうことを子どもたちや親御さんが私に聞いてくれるのも、もしかしたら私が摂食障害を経験したからかもしれません。私だからこそ伝えられることが何かあるのかなと思って、いろいろなお話をするようにしています。

にしおか:トップアスリートの方が相談に乗ってくださる心強さがもちろんあると思います。私は鈴木さんより10歳ぐらい年上なんですけど、相談したくなる雰囲気がめっちゃあります!包容力というか、すべてを聞いてくれそうな感じありますよね。

画像(にしおかすみこさん)

鈴木:誰もがそうだと思うんですけど、私自身、弱い自分は見せたくないし、自分でも見たくない。なんなら、弱い自分は箱に詰めて、もう開けないで置いておきたいぐらい見たくなかった。だから、“病気の自分”も最初は受け止めきれなかったんです。でも、摂食障害を経験してからは、弱い自分と向き合うまではいかないですが、“寄り添うこと”はできるなぁって。
向き合っちゃうと、「なんで自分ってこんなに弱いんだろう」と葛藤しなきゃいけない部分があるんですが、手をつないだら、解決しなくてもとりあえず前に進めるんですよ。弱い自分も強い自分も自分だから手をつないで、「とりあえず人生は続くから歩いて行こう」みたいな感覚になれたんです。弱さを知って、強くなれたのかもしれないって思うんですね。自分の弱さに気づけたときに、「弱いところがあっても、これが人なんだな」って、自分にも他人にも許しができるようになったところが、摂食障害を経験したことによって変わったところです。

にしおか:「弱いことに寄り添う」って言えることは、強い人だなと思います。1年間、ブランクがあったことが決して遠回りじゃなかったんだなって思います。多くの摂食障害の方や、悩んでいらっしゃる方が、焦らないでほしいなあって思いますね。

鈴木:そうですね。「早く治したい」「早くあなたのように元気になりたい」と焦ってしまう方も多いのですが、大丈夫だから焦らないでほしいです。そして、焦らなくていいけど、あきらめてもだめだなって。あきらめないのは本人も、周りもです。病気の最中に食べられない自分を受け止めることや、寄り添うことは難しいけれど、でもきっと大丈夫だっていう可能性は信じ続けてほしいと思います。

にしおか:鈴木さんのように摂食障害を経験した方が発信するとたくさんの方が救われると思いますし、私みたいに摂食障害をあまり知らない人が考えるきっかけにもなると思うんです。だからたくさん発信してほしいと思いますし、私はスケートを滑る明子さんを見て、感動して元気をもらったので、たくさんの方が元気になったらいいなと思います。

画像(鈴木明子さん)

鈴木:スケートに限らず一つのことを頑張っている人たちに、自分の可能性を信じて頑張れることがどれだけ幸せで、たくさんの喜びがもらえるかということを伝えたいですね。これまで苦しみもありましたが、それよりもたくさんの喜びを得ることができたので、これからも誰かの役に立てるようなことをしていきたいなと思います。

※この記事はハートネットTV 2022年6月1日放送「私のリハビリ・介護 摂食障害の私と手をつないで 鈴木明子」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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