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福祉の知識をイチから!車いす(1) 電動と手動 それぞれの暮らし

記事公開日:2022年07月19日

福祉の知識がイチから学べるハートネットTVの新シリーズ「フクチッチ」。今回は車いすについて学んでいきます。車いすを使った生活はいったいどのようなものなのでしょうか? 外出するときのポイントは? 車いすユーザーの生活に密着して、車いすの知られざる側面を見ていきます。また、車いすが現在の形に発展するまでの歴史もご紹介します。

手動、電動、介助用・・・車いすの種類

障害や病気などで歩行が難しい人が移動するために利用するのが車いすです。車いすと一口に言っても、さまざまな種類があります。

画像(さまざまな車いすの種類)

「介助用」…病院などでよく目にする後ろから押してもらうもの。
「手動」 …自分の手でこぐもの。
「電動車いす」…軽量でコンパクトな簡易型、リクライニング機能などがついた多機能型などがある。
「電動カート」…バイクのような見た目で、主に高齢者の屋外移動用。

どの種類の車いすも、乗って移動するときは、「歩行者」として扱われます。免許は必要ありません。

障害のある人にとって車いすは生活に必要不可欠な道具です。車いすは、法律では「日常生活に使う身体機能を補完・代替する用具」という意味で「補装具」と呼ばれます。

車いすを購入するときは、自分が住んでいる地域の役所へ申請をすると、障害のある人を支援するための法律に基づいて購入費用が補助されます。

国内で車いすを使っている人の数は推計数十万人いると見られています。

空港にある自動運転車いす

画像(羽田空港の自動運転車いす)

東京・羽田空港にあるこの車いすには、自動運転の機能がついており、搭乗口の番号をタッチするだけで、連れて行ってくれます。歩行者とぶつかりそうになっても自動で停止します。

この自動運転の車いすは、日本のベンチャー企業が開発。2021年から本格的に導入され、誰でも自由に乗ることができます。

手動車いすの生活 中村さんの場合

実際に車いすを使っている人に生活の様子を見せていただきました。

手動車いすを使っている中村珍晴(たかはる)さんは、19歳のときにアメフトの試合中の事故で頚髄損傷し、車いすユーザーとなりました。

画像

中村珍晴さん

中村さんは、就寝中もジーパンを履いたままです。

「ズボンを穿き替えるのに15分くらいかかるので、ふだんは時短のためにジーパンで寝ています。『寝ているとき、しんどくないの?』って言われるんですけど、腰から下は全部感覚がないので、僕の感覚ではわからないんです」(中村さん)

中村さんの一日は、ベッドから車いすへ移動することから始まります。倒れないように、注意しながら車いすに移動します。

画像(中村珍晴さん)

「トータルで20分くらいはかかります。体幹まひがあって、手をついていないと上半身を支えられなくて。手を離して、ちょっと前屈みになると倒れちゃう。だから体が倒れないように気をつけるのは大事ですね。後ろに倒れちゃうと大惨事です」(中村さん)

画像(外出時はグローブが必需品)
画像(中村さんが使っているグローブ)

中村さんが外出時に必ず着用するのが、車いすをこぐときに使うグローブ。摩擦力の高いゴムがついたこのグローブを車いすのハンドリムに当て、押し込むようにこぎます。

画像(グローブを車いすのハンドリムに当て、押し込むようにこぐ)

ひと昔前まで “スポ根”があった?
中村さんのグローブは、摩擦力で2か月ぐらい経つとボロボロになってしまうそう。
実は、ひと昔前までは、中村さんのサイズにぴったり合ったグローブはあまり普及していませんでした。『何度も豆を潰して手の皮を分厚くしろ!』と言っていた時代もあったようです。

画像(両手が空くと世界は変わる)

駅に到着すると、中村さんが改札機にかざしたのはスマートウォッチです。

画像(スマートウォッチを改札にかざす中村さん)

「IC乗車券を使えるので、かざしてタッチすると入場できるようになっています。めちゃくちゃ便利になりました。世界が変わりましたよ。車いすユーザーは移動するときに両手がふさがれちゃうので、できるだけ両手を空けるのは大事ですね」(中村さん)

車いすで街なかを移動するときに気を付けているのが道の傾斜です。

画像(道の傾斜にあわせて進む中村さん)

「道は水はけを考えてちょっとだけ(左右に)下っているんですよ。だから手を離すと車いすも(右か左に)下っていっちゃうんです。実はこういう道は多くて、むしろフラットな道はほとんどないくらい。道が傾いているときは、左右で力を調節します」(中村さん)

次は坂道にさしかかりました。手でこぐ車いすを使用している中村さんは、のぼるのがつらいと感じると、周囲の人に手助けを求めるそうです。

「周りの人にちょっと声かけて、『押してもらえませんか』ってお願いする機会も多いですね。僕の経験上、若いカップルの彼氏さんにお願いすると、絶対手伝ってくれます(笑)。『あ、いいっすよ』って。『どこまで行きますか?』『ここまででいいですか?もう少し行きましょうか?』って張り切って手伝ってくれますね」(中村さん)

週2回通っているリハビリで汗を流したあとは、お気に入りのカフェでひと息。「おいしい」と中村さんから笑顔がこぼれます。

電動車いすの生活 千葉さんの場合

千葉絵里菜さんは、脳性まひで小4から電動車いすユーザーとなりました。千葉さんが使っているのは、手動車いすにモーターが付いた“簡易電動車いす”です。

画像(千葉さんとヘルパーの小山さん)
画像(少しのチカラで自由自在)

電動車いすは、動きたい方向にレバーを倒して操作します。少しの力で自由自在に移動することができます。

画像(車いすはレバーで操作)

制限速度は時速6キロ。のぼり坂も気にせず進むことができますが、寝坊したときはもっと早く速く走りたいと感じることもあるそうです。

画像(空いた片手でレシピを確認)

この日は、ヘルパーの小山さんと一緒にスーパーで買い物をします。千葉さんはスマホでレシピを確認しながら、後ろにいる小山さんに商品を手渡していきます。

画像(スーパーで買い物する千葉さん)

「片手でレシピを見ながらお買い物できるのも電動車いすのいいところかも」(千葉さん)

画像(重い荷物を運ぶのに便利)

商品がたくさん入って重くなった買い物袋は、車いすの持ち手に引っ掛けます。ヘルパーの小山さんの荷物を引っ掛けることもあるそうです。

画像(車いすの持ち手部分)

小山さん:自分の荷物もかけていいよって言ってくれるので(笑)。

千葉さん:電動だから後ろに載せても、重いとは感じないんですよ。

画像(目線が低く 料理は注意が必要)

帰宅したら忘れずに車いすのバッテリーを充電。バッテリーは2個常備しています。

千葉さんと小山さんが始めたのは生チョコタルト作り。車いすに乗っている千葉さんの目線は低いため、注意が必要だと言います。

画像(千葉絵里菜さん)

「(鍋は)のぞかないと見えないですね。ガス台との距離が近くて油とかが飛んできやすいです」(千葉さん)

一日の最後に料理を楽しんだ千葉さん。充実した生活がうかがえました。

それぞれの状況に合わせて、自分に合った車いすで生活をしていた中村さんと千葉さん。2人の生活を見て、車いすなど福祉機器に詳しい福祉工学研究者の硯川潤さんに、車いすユーザーの生活について伺いました。

画像(福祉工学研究者 硯川潤さん)

「もし車いすユーザーの僕がエレベーターに乗ってきたら、周りの方は『何かしてあげなきゃな』と思いますよね。でも、僕の場合は幸い、完全に一人で乗って、降りて、行動できるんです。逆に『どうぞ』とドアの前に立たれると、通るときにその人の足を踏んでしまわないか心配になる。僕が『大丈夫ですよ』と言うと『いや、遠慮なさらず』と言われるのですが、遠慮ではないんです。そのあたりはコミュニケーションがとても大事になってきます。家族のなかでも、『そこに立ってたら邪魔』ということがあるので、以心伝心を期待せずに、言葉ではっきり伝えたほうがいいと思いますね」(硯川さん)

日本の車いすの歴史

今から時をさかのぼること200年前の江戸時代。当時の絵に、車いすの原型と言われるものが残されています。

描いたのは、天才絵師・葛飾北斎。絵手本としてつくられた『北斎漫画』二編(1815年)の中や、1825年ごろの作品「新板大道図彙・通町」には、車輪のついた箱に乗り、竿で箱をこいで移動する男性の姿が描かれています。

江戸時代、足に障害のある人は箱に車輪をつけた道具で移動していました。その面影を感じさせるものが、愛知県常滑市の曹源寺に残されています。

「これは箱車です。現代で言いますと車いすみたいなものでしょうか。足のご不自由な方がこのお寺に立ち寄られまして、犬2匹に引かせてお参りしたようです」(住職 二ノ宮利彦さん)

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愛知・常滑市の曹源寺にある箱車

この道具が使われていたのは大正時代。今のような形の車いすではありませんでした。

日本の車いすが今の形状に大きく近づくことになったのは第二次世界大戦がきっかけでした。脊髄損傷になった人のために“箱根式車椅子”が作られるようになったのです。

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箱根式車椅子

兵庫県神戸市の日本福祉用具評価センターに、箱根式車椅子が残されています。この車いすは、箱根にあった療養所で使われていたことから名づけられました。床ずれを防ぐため、背もたれなどにはクッションがついています。

脊髄を損傷すると、寝たきりになり、床ずれによる感染症などが原因で命を落とすことが多かった時代。床ずれを予防しながら移動できる車いすは画期的でした。

しかし、医療用として作られたためかなりの重さがあり、移動できる範囲は限られていました。

そんななか、1964年、東京パラリンピックが開催されます。海外から21の国と地域、378人の選手が参加。海外の選手たちが乗っていた車いすは、日本人に大きな衝撃を与えました。

画像(アメリカで製造された車いす 1970年代)

操作性は抜群。ハンドリムを使って、自由自在に動かすことができたのです。さらに軽々と持ち上げ、折りたたむことができました。

車いすの歴史に詳しい、医師で日本リハビリテーション工学協会の桂律也さんはこう話します。

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日本リハビリテーション工学協会 桂律也さん

「自分(日本人の選手)たちは施設に入っての生活でしたが、欧米の選手たちに聞くと、車も運転しているし、働いているし、(自分たちと)全然違う。そんな欧米の生活を目標にするという考えが出てきたんだろうと思います」(桂さん)

その後、日本の車いす開発は一気に進みます。競技に特化したアスリート用から、登山用まで、車いすは、自立した生活を支える道具として進化を遂げていったのです。車いすなど福祉機器について研究している硯川さんも車いすユーザー当事者の意見が大事だと話します。

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福祉工学研究者 硯川潤さん

「当事者のニーズがもちろん大事で、そことエンジニアが協業することによってどんどん進化していくんです。だから使う人がプロジェクトの開発の中にいて、常に使ってみる。その環境がとても大事で、ユーザーが開発グループの中にいることは非効率に見えるかもしれませんが、逆にそっちのほうが早く開発が終わるという側面があると思います」(硯川さん)

ここまで車いすユーザーの生活や、車いすの歴史について見てきました。(2)では、車いすユーザーのこだわりや“あるある”について語りあう座談会の他、作り手の思いを紹介します。

福祉の知識をイチから学ぶ“フクチッチ”
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※この記事はハートネットTV 2022年4月7日放送「フクチッチ「車いす」(前編)」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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