2021年12月24日、視覚障害ナビ・ラジオやハートネットTVにご出演いただいた海老原宏美さんが急逝されました。44歳でした。海老原さんは脊髄性筋萎縮症Ⅱ型(SMA type 2)という筋肉が徐々に衰えていく進行性の難病でしたが、共生社会、インクルーシブな社会の実現のために精力的に活動していました。今回は、視覚障害ナビ・ラジオやハートネットTVの内容から、海老原さん自身のお話やDPI日本会議・事務局長の佐藤聡さん、B面談義の司会、千原ジュニアさんと共演者のみなさんのコメントを紹介します。
海老原宏美さんは車いすや人工呼吸器を使い、24時間の重度訪問介護を受けながら自立生活を送っていました。自立生活センター東大和・理事長や、DPI日本会議・理事を務めました。ハートネットTVなどのメディアや全国各地での講演などで、積極的に意見を発信。明るく爽やかな語り口と、前向きでしなやかな生き方は多くの共感を呼びました。障害者の地域生活に関わる権利擁護や相談支援活動にも尽力し、亡くなる前日も入院中の病室からオンラインで講演を行っていました。
海老原宏美さん
海老原さんと長く活動を共にされてきたDPI日本会議・事務局長の佐藤聡さんに、海老原さんが亡くなられたと聞いたときのお気持ちを伺いました。(視覚障害ナビ・ラジオ 2022年3月13日放送にて)
「とても驚きました。SNSで毎日、入院生活を書いていたので、『(治療は)うまくいってるんだな』と思っていたので、まさかという感じでしたね。
30年ぐらい前、えびちゃんが高校生のときに、当時私がいた障害者団体が主催したイベント『障害者甲子園』に参加してくれたのが最初の出会いです。障害のある高校生と障害のない高校生100人で合宿して交流するというもので、えびちゃんはこのとき、参加者代表の挨拶をしてくれたんです。『私はこれまで親が敷いてくれたレールの上を歩いてきたように思う。これからは自分で決めた人生を歩んでいきたい』と話して、とても輝いていました。聡明で自立心あふれる人、魅力あふれる人でした」(佐藤さん)
海老原さんと母・けえ子さんの共著『まぁ、空気でも吸って』には、障害や福祉、自立生活についての海老原さんの考えが詳しく書かれています。ネルソン・マンデラの「何もせず、何も言わず、不正に立ち向かわず、抑圧に抗議せず、それで自分たちにとっての良い社会、良い暮らしを求めることは、不可能です」という言葉を引用してから、海老原さんはこのようにつづっています。
日本という国に生まれて、毎日、偶然か必然かの巡り合わせで出会った人々に支えられ、命をつないでいる私にとって、ここに存在するということ自体が限りなく奇跡なわけで。さらに、今、このような生活ができるのは、障害者の権利を取り戻すために闘ってきた障害者の先輩方の、血のにじむような努力の恩恵なわけです。
なのに、自分のためだけに生きていいのか?というほとんど焦りのようなものが常にあります。私というのは、ほんとに小さな、地球規模で見れば塵のような存在だけれども、それでも、自分が受けている奇跡の恩恵をもっと広げ、次につなげていかなければ、何か発信し続けなければ、と思います。
自分が動けば周りが変わる。
人とつながれば社会が変わる。
今、支えられてここに生きていられることに心から感謝し、社会と影響し合い、変化し合う生活というのを、これからも「楽しんで」いきたいです。
(『まぁ、空気でも吸って 人と社会:人工呼吸器の風がつなぐもの』海老原宏美・海老原けえ子著)
恩恵を広げて次につなぐ。自分が動けば周りが変わる。海老原さんの考えは、いつも実践に結びついていたと佐藤さんは話します。
「えびちゃんは行動力がありましたね。自分で行ってみて、考えて、周りの人たちを巻き込んで、行動を起こす。彼女が語る言葉には、人の心に届く力がありましたね。最後の最後まで発信し続けた人でした」(佐藤さん)
海老原さんは、母・けえ子さんの考えもあり、養護学校ではなく、小学校から高校まで地域の学校に通いました。その体験から、インクルーシブな社会をつくるにはインクルーシブ教育が大切だと考えるようになります。視覚障害ナビ・ラジオ2021年7月の放送から、海老原さんのお話を紹介します。海老原さんは、呼吸器で空気を吸いながら、電動車いすでスタジオにいらっしゃいました。
「共生社会や多様性が叫ばれるようになって、学校の道徳などでもそういうことが教えられるようになって、障害者に対してあからさまに差別的な言動を取る人ってすごく減っていると思うんです。だけど、『どんな人もみんなで一緒に生きていくんだよ』と学校でも教えているにもかかわらず、学校には障害のある子がほとんどいないんですよ。
日常的に『障害のある子はこっちの学校に、障害のない子はこっちの学校に行きましょう』という形で分離されて育っている中で、『誰もが共に』と言っても具体的なイメージって湧きにくいと思うんですよね。
地域の子どもは地域の学校に通うことは当たり前の権利なので、「あなたみたいな特性のある人はこの場所に行ってください」と強要するのはおかしなことです。小さい段階から分けられていることで、大人になってからも「やっぱりそのカテゴリーで分けたほうが住みやすいね」とか、「その人にとっていいね」と変な方向性につながっていくのかなって。
どこか自由になれなくて、社会的な同調圧力にやられて、自分が言いたいことを言えない、やりたいことができない人たちはたくさんいると思うし、『多様性を認め合いましょう』とよく言われますけど、それは上っ面で、『本当の多様性って何なのかな』って多くの人が実感できないまま生活していると思うんですよね。
その多様性を知るためには、遠いようでいちばん近道なのは、インクルーシブ教育の実現だと思います。勉強ができるできないとか、おしゃべりが上手か下手とか、運動神経がいいか悪いかとか、そういうことは関係なくて、とにかく世の中にはいろいろな人がいるんだと。いろんなことが得意な人がいるし、いろんなことが苦手な人がいるし。苦手なことはみんなで支え合えばいいことだしっていうことをいかに小さい頃から体感できるか。そういう生活を送っていけるか。
いろんな特徴を持った子たちが一緒に過ごす場をどう確保できるかが、その後、どういう社会をつくっていけるかにつながっていくのではないかと思っています」(海老原さん)
インクルーシブ教育の実現のために活動されていた海老原さん。その様子を佐藤さんは次のように話します。
「えびちゃんは5年前にプロジェクトを立ち上げて、障害のある子どもが普通学校に入れるように、お母さんたちと勉強会をやったり、学校と話し合いをしたり、東京都や都議会議員との話し合いにも出ていました。実際にえびちゃんと一緒に交渉したことで普通学校に入れた子どもさんもいました。
私も勉強会に呼んでもらったことがあるんですけど、えびちゃんはとても丁寧に話し合うんですよ。そうやって信頼関係をつくっていったのが、とても印象に残っています。親御さんや障害当事者、障害者団体を巻き込んで、東京都の学校教育をインクルーシブにしよう。そういう熱い思いを持って取り組んでいましたね」(佐藤さん)
海老原さんの「インクルーシブ」という考えは学校だけにとどまらず、生活の場にも移っていきます。2016年に相模原市で19人もの重度障害者が殺害される事件が起きたとき、「重度障害者が暮らすところは施設なのか、それとも地域社会なのか」という議論が起こりました。自らも地域で自立した生活を送っていた海老原さんは次のように語りました。
「あの事件のあと、施設に入れた親に対する批判というような議論が巻き起こりましたけど、すごく心がざわざわしたというか、苦しい気持ちになりました。重度の知的障害の人たちが、どんどん大人になって、体が大きくなって、力も強くなって、親たちだけではどうしても面倒が見きれない状況になったときに、施設以外の誰がサポートしてくれたのかなと。
私は普段、障害のある人たちが地域で自立した生活を送れるように相談支援や権利擁護の活動をやってきていますけど、そういう立場からしても、自分もそこに対して何もできてこなかったじゃないかっていう負い目みたいなものがあるんですよね。『施設に入るという選択肢以外で、こういうサポートができますよ』と言ってこれなかったという事実があって、そういう自分の努力不足を棚に上げて、一方的に施設とか親だけを批判する暴挙みたいなことには、私はどうしても出られなかったんですよね。
自立生活センターの中では、自立の定義というのが『自己選択』『自己決定』『自己責任』という言葉で定義づけをしてきたんです。私たち身体障害者も施設に入れられてきたという歴史もありますし、そういう立場の中から、今日どう生活するかということは、自分で決めさせてほしいと。それがたとえうまくいかなくて失敗したとしても、自分が決めたこととして、自分で責任を取らせてほしいということを自立の定義としてやってきたわけですけれども、重度の知的障害のある人たちに『何が起きてもあなたの責任だからね』とは言えないじゃないですか。
それはすごく難しいことですよね。私たちがそういう『自己選択、自己決定、自己責任こそが自立だ』と言ってきたことで、逆に重度の知的障害のある人とかその家族とかを地域生活そのものから遠ざけてしまったんじゃないかなという気持ちがどこかにありますね。本来であれば、自分の言葉で自分の権利性を主張することが難しい重度の知的障害とか精神障害の方たちの権利を私たちこそが当事者として代弁して、アドボカシーとして権利主張してこなければいけなかったはずなのに、何で一緒にやってこられなかったのかなと。
当たり前の生活を地域で送る権利を全うするための力を地域側がつけるべきだったと思うんですよね。『地域で生活をしたい』と思っていても、それを選ぶことができない。それは地域のせいだと思っています」(海老原さん)
海老原さんの「いちばん声を上げにくい知的障害や精神障害の人たちの権利を、当事者としてもっと代弁しなければいけなかったのではないか」という言葉。佐藤さんはどう感じたのでしょうか。
「えびちゃんの言葉は心に突き刺さりますね。私も同じように思いました。いろんな障害者の人たちが地域で生活できるように、自分たちの活動を振り返って広げていくことが大切なんだと思います。(地域生活には)しんどいことは多いんですよ。特に介助を使っているえびちゃんのような重度の人は、みんなそう言います。でも、それで『自立生活をやめて施設に入りたい』と言う人はいないんですよ。それをこえる楽しさが地域生活にはあるんだと思うんです。楽しいこともつらいことも両方当たり前に引き受けられることが普通の生活なんだろうなと思います。
えびちゃんがやっていた自立生活センター東大和もそうですけど、自立生活センターは障害当事者が運営する地域生活を支える組織です。自立の相談に乗ったり、ヘルパーを派遣したり、介助者を使って生活する練習をしたり、市役所にヘルパー制度の拡充を求めて運動したりということをやりますが、まだ全国的にはとても少ないです。これを増やしていくことがこれから必要です。身体障害だけじゃなくて、知的障害、精神障害もすべての人たちが地域生活を送れるように、社会全体でサポートする体制が必要で、えびちゃんもそういう社会になるように活動していました」(佐藤さん)
1歳半で障害がわかり、「この子は3歳までしか生きられない」と医師に言われていた海老原さんは、出生前診断や着床前診断についても『まぁ、空気でも吸って』の中で次のように語っています。
・障害がある子が生まれても大丈夫だよ、という環境を整える前に、診断を受けるかどうか、産むかどうかの選択を迫られるのはアンフェアではないでしょうか?
・たとえ1歳で亡くなったとしても、その1年は本人にとって、家族にとって、価値のない、マイナスなもの? 命の価値はその長さで決まるのでしょうか?
・診断の存在によって、女性に「健全な子どもを産まなければならない」という社会的なプレッシャーを与えるのではないでしょうか?
・医者に「この子は3歳までに死ぬ」と言われていても、実際は30歳、40歳まで平気で生きている人もたくさんいます。その、生きるかもしれない可能性さえ、受精卵・胎児の段階で消されてしまうのは問題ではないでしょうか?
(『まぁ、空気でも吸って 人と社会:人工呼吸器の風がつなぐもの』海老原宏美・海老原けえ子著)
「出生前診断で胎児に異常があるとわかると、90パーセント以上の妊婦が中絶を選ぶというデータもあります。自分だけで育てられるかどうか、すごく不安なのだと思います。
NPO法人アクセプションズというダウン症のある人と家族の会があって、『ダウン症の子どもが生まれてきてよかった。こんなにすばらしい人生があるんだ』ということを積極的に発信されているんです。活動を見ていると、みなさんとっても楽しそうなんです。命を授かることは本当にすばらしいことで、障害があっても、それは同じなんですね。
えびちゃんはこの本の中で、『人間にはそれぞれ無限の可能性があり、周りの人たちが幸せとか不幸とかを勝手に判断して、人の誕生を操作してはいけない』と書いていましたけれども、まったく同感です」(佐藤さん)
海老原さんは尊厳死についても明確な意見を発信していました。
海老原:地方に行くと、社会資源が足りなくて、長期療養病院から全然出られない人がいるんです。看護師の手も足りないので、ほとんどをベッドの上で過ごしていて、車いすに乗れるのは週に1回とか2回。しかも1時間とか2時間で、食事介助もじっくり付き合っている時間がないから、「安全のために」とすぐに胃ろうを開けられて、窓の外を見ることもできなくて。そういう人たちが、「こんな人生なら、呼吸器外して死んでしまいたい」と。「呼吸器をぜひ取ってほしい」か、「そういう法律を作ってほしい」と心から言う人がいるんですよね。「本人があまりにつらくて、こんなに『死にたい』と言っているんだから、それを保証する尊厳死法案を作りましょう」みたいな流れになるのって、私は違うなと思っていて。
本人が「死にたい。呼吸器外して殺してほしい」と言ってしまう背景には、本当は「友だちと映画を見に行きたい」とか、「今日はこういうご飯食べたい」とか、「今日はこんな格好して、こんなところに出かけていきたい」とか、いろいろやりたいことがあるんだけど、それが叶わない。絶望すればするほど、「死んでしまいたい」という言葉が出てくると思うんですよね。地域環境だとか、その人の生活の環境が悪いせいで死にたくなってしまっているにもかかわらず、生活環境を改善しようという努力の前に、「じゃあ本人の意思を叶えさせてあげよう」と尊厳死法案を整備するのは、順序が絶対間違っていると思うんですよ。
(ディレクター):死を選びたくて選んだわけではないという。
海老原:そうだと思います。一人ひとりが自分の人生を生きていくか、それとも死んでしまいたいかを選ぶ前に、社会側がみんなが「こう生きていたい」と思えるような社会にしていく。それがまずは大事なんじゃないかなと思いますね。(そうした社会にするためには)「あなたは障害者だから、これはできませんよ」っていうことをまず言わないことでしょうか。
番組放送後、番組リスナーの方からはこのようなメールをいただきました。
「以前、ALSの患者さんが呼吸困難になったとき、人工呼吸器を装着すべきかどうかの議論がありましたが、海老原さんのお話を聞いて、装着して生きるべきだという考えに自信を持つことができました。海老原さんのお声は呼吸器をつけていても、人生を楽しく生きておられる、明るくて力強い、美しい響きのあるものでした」
周囲の人を勇気づける海老原さんの言葉。佐藤さんは海老原さんの活動に希望を感じています。
「えびちゃんも言っていたように、死ぬための法律を作るよりも、生きるための法律を作ってほしい。出生前診断にしてもそうです。家族だけに負担を強いるのではなくて、社会全体で支えていく。そういうサポート体制を地域に作っていければ、もっと命を大切にすることができる国になっていくんだと思います」(佐藤さん)
海老原さんは「ハートネットTV B面談義」シリーズのレギュラー出演者でもありました。海老原さんは番組で、生きることを楽しむ姿勢を積極的に語りました。
海老原:胃ろうって便利なんです。
千原:胃から入れるっていうのは簡単にできることなんですか?
海老原:簡単にできます。じゅるーっと。じゅるーっていうのもおかしいけど、お酒とかいろいろ入れて遊んでたんですよ。
千原:お酒を入れたら、酔っ払うんですか?
海老原:酔っ払います、ちゃんと。
千原:へえ~。
海老原:(ソムリエではなく)“胃ムリエ”を目指してて、胃の中に入ってきたお酒がビールなのか日本酒なのかワインなのか、当てられるようになりたいです。
千原:ポジティブやなあ。強いなぁ。
海老原:楽しいなと思ってて。
2001年には、障害者の存在をアピールするため、韓国の仲間と一緒に野宿の旅に出たこともありました。
海老原:そのときはまだ呼吸器を使ってなかったんですけど、身体的にはすごくしんどくて、その1か月で重度化して、呼吸器・・・みたいな。
千原:え、原因、野宿の旅ですやん。
海老原:そうなの。
千原:何やってるんですか!?
海老原:だから好きなことやって重度化って楽しいなと。
千原:じゃあ後悔とか全然ない?
海老原:全然ないです、誇りに思っています。
大変なことも笑い飛ばす胸の内には、「誰もが対等な関係を築ける社会をつくりたい」という強い思いがありました。
「よく障害者は生きているだけでかわいそうとか、大変なことがあるからつらいでしょうとか言われるんですけど、私は生きていてすごく幸せだし、友だちもたくさんいるし、やりがいもあるし、結局幸せかどうかって自分が決めることだなと思うんですよね」(海老原さん)
B面談義で一緒に番組に出演していたメンバーからは、次のような声が寄せられました。
まずは車いすインフルエンサーこと、中嶋涼子さん。
中嶋涼子さん
「訃報を聞いたのは、たしかクリスマスの日だったんですよね。ちょうどホールケーキを食べて生配信しようとしていて、そんな状態じゃないなと思って悩んでやめようと思ったんです。でも、共演したときに海老原さんが『好きなことで重度化できて、幸せ、誇りに思う』と言っていたのを見て、すごく感動したんですよ。障害も笑いに変えちゃう人だったから、訃報を聞いて私が生配信やめて泣いているのは、彼女は見たくないかなと思って。本当に最後まで楽しく充実した人生を生きた人だなと尊敬しています」(中嶋さん)
続いて海老原さんと同い年の知的障害者本人活動グループ代表、奈良崎真弓さん。
奈良崎真弓さん
「彼女に『えびちゃんはいつも打ち上げ花火の人ですね』って言うと、『何言ってんの。マミちゃんも花火じゃない』って。2人とも明るいので花火のように打ち上げて盛り上げようよって。彼女との約束で『50歳になったら、マミちゃんにお願いがあります。私の大好きなお酒をマミちゃんにリクエストして全部並べてほしい、50本分』というのがあって。私もお酒が大好きなので、えびちゃんと一緒にお酒を勝負したいっていう2人の夢。それができないのがちょっと寂しいけど。いつもそういう話をしていました」(奈良崎さん)
※海老原さんと奈良崎さんは「えびちゃん」「マミちゃん」と愛称で呼び合っていました。
次は大阪で法律事務所を開設している南和行さんのメッセージ。
南和行さん
「海老原さんは、体の不自由がいっぱいある中で、人工呼吸器とかをいつもつけて、『すごく重たいバッテリーなんだよ』と言いながらやっていた。それは生きることへの執着というよりも、せっかく生きてるんだから、お酒飲んでおいしかったねとか、もったいないやんみたいな感じで、一日一時間一分一秒でも、命がある一瞬一瞬を楽しまないと損やんっていう感じで言ってたんだなあと思います」(南和行さん)
最後は番組のナレーションを務める声優、三ツ矢雄二さんと、B面談義の司会、千原ジュニアさんです。
「海老原さん、ユーモアあふれる姿と社会へのメッセージ、僕も忘れません。今までどうもありがとうございました」(三ツ矢雄二さん)
海老原さん、三ツ矢さん
「非常に印象に残っているのは、目の力がすごいなあって。本当に前を向いて、ひとところにとどまっていないんだなあという目をされていて、違うところ、違うところへ行こうとされているような気がして、すごくあの目が印象的です。本当にご冥福をお祈りいたします」(千原ジュニアさん)
※この記事は視覚障害ナビ・ラジオ2022年3月13日「海老原宏美さんを悼んで」とハートネットTV 2022年3月14日放送「B面談義#20」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。