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在留資格がないから、しようがない?(2)国際人権法研究者・阿部浩己さんと考える

記事公開日:2022年04月14日

『マイスモールランド』は、日本で育ったクルド人の高校生・サーリャの物語。2022年3月24日にテレビドラマ版がBS1で放送され、5月には映画が公開されます。サーリャを通して描かれるのは、就労や移動が制限される非正規滞在者の現実。在留資格を失った人は生活の保障を得ることができない現在の入管制度の背景には、40年近く前のある判決がありました。国際人権法を研究し、難民審査参与員を10年勤めてきた阿部さんに、“人間の権利”について聞きました。

外国人の権利への考え方を決定づけた、ある判決

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明治学院大学にて阿部浩己さん(本人提供)

人権と国際保障を研究し明治学院大学で教鞭を執る傍ら、NGOヒューマンライツ・ナウの初代理事長や難民審査参与員を勤め、現場とも関わってきた阿部浩己さんは、『マイスモールランド』を、主人公・サーリャに惹きつけられながら見たそうです。

「サーリャは、自分自身がクルドと日本人というアイデンティティーの狭間で苦しんでいながら、日常的に「あなたは日本人でない」という風に言われ続けて、仮放免となった段階で、今度は制度的に排除される。彼女の側に立ってみると、本当は大好きでいたいはずの日本が、どんどん息苦しくて仕方がない社会になっていったのだろうなと感じながらみていました」(阿部さん)

サーリャと家族は、トルコで迫害を受けて日本に逃れてきたクルド人という設定です。日本で難民認定申請をしたものの認められず、就労は禁止、医療保険にも入れない仮放免となります。 日本では、ひとたび在留資格を取り消されると、当たり前の生活がすべて奪われる制度になっています。なぜなのでしょうか。彼女たちの人権は保障されていないのでしょうか。阿部さんに尋ねると、それらは世界と日本における人権の考え方の変遷からみえてくるといいます。

「20世紀は、国家が自国の国民の面倒をみる福祉国家体制ができあがり、国民と外国人を切り分けて、国民を優先的に保護するシステムが世界的に行き渡っていく時代でした。外国人については、どういう人をどういう条件で入国させるかはそれぞれの国が自由に決めていいというルールが広まり、国家の国境管理権限が絶対的なものとなりました」

20世紀後半、日本は戦後復興から高度経済成長を遂げていく時代でした。1950年に入国管理庁が設置されて外国人政策がスタート。その後、在留外国人をめぐる国際ルールが反映された象徴的な出来事が起きました。1978年のマクリーン事件判決です。アメリカ出身で、日本で在留資格を得て英語教師として働いていたロナルド・アラン・マクリーンさんが、1年間の在留期間を更新するよう求めたものの却下され、その判断の是非を争う裁判を起こしました。結局ベトナム反戦デモへの参加などを理由に、マクリーンさんの訴えは退けられ、最高裁判所は、外国人の権利は在留資格制度やその運用によって制限されるという見方を示しました。

マクリーン事件判決(1978年10月)
最高裁判所は「基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象にしていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解すべき」とする一方で「外国人の在留の許否は国の裁量にゆだねられ、わが国に在留する外国人は、憲法上わが国に在留する権利ないし引き続き在留することを要求することができる権利を保障されているものではなく」と、権利の保障は国の裁量次第だとし、「外国人に対する憲法の基本的人権の保障は、右のような外国人在留制度のわく内で与えられているにすぎない」と判示した。

阿部さんはこの判決が、日本社会の外国人との向き合い方を決定づけたといいます。
「最高裁判所が、外国人は在留資格の範囲内でしか権利を持てないと判断しました。そのため、在留資格がない人は権利がなくてもしようがないという思考になってしまったのです」

その後日本は、1978年にベトナム戦争から逃れたインドシナ難民を受け入れ、89年に入管法を改正し、日系南米人に就労制限のない在留資格を付与。国籍も立場もさまざまな外国人が日本に滞在するようになっていきました。
一方当時、世界では人権の考え方に大きな変化がありました。

「1980~90年代ごろから、人権を国際的に保障するという国際人権法の考え方が強くなってきました。国際人権法というのは、“国民と外国人”ではなく、“人間”という考え方です。そのため、国民を中心に考えて外国人を排除できるというこれまでの考え方は、そのままでは通用しなくなりました。国際人権法上は人間としてみんな平等だと、それまでの20世紀型の国際法に、新しい挑戦を投げかけたのです」

それ以来、多くの国が国境管理を、国家中心ではなくから人間中心の考え方で行うようになっていきました。しかし日本は、人権の観点からみると、30年以上経った現在も世界的な潮流とギャップがあるといいます。

「仮放免は、“人間”の立場からすると、働けないし病気にもなれない、生きていくことができないわけです。確かに在留資格を設けることは国家の自由。したがって在留資格がない人が出てしまうことはあり得るけれども、最低限の“人間”としての権利は日本にいる全ての人に日本国は保障しなければいけなくて、それは日本も批准している国際的な人権条約が要請していることです。そのため各国は、非人道的なレベルに陥らないようにするために、労働を認めたり公的な支援をしたりしています。日本は、人間として最低限の尊厳を、国家が損なっている状態です。1978年の判決の考え方が、2022年の今日もそのまま通用しているのです」

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[ドラマより] サーリャと妹・弟は父親を収容され取り残される

このことは、仮放免に限りません。阿部さんは『マイスモールランド』のなかで、サーリャの父親が収容され、3人の子どもが取り残されるシーンに言及しました。実際に、父親が収容されて母子と離ればなれになるケースは少なくありません。

「親が収容されて未成年の子供たちだけが取り残されることは、子どもの最善の利益という観点から絶対にあってはいけないことです。日本も批准している国際条約は、例えば、
・国家の都合だけで家族をばらばらにしてはいけない(国際人権規約)
・子どもについては、その子にとって最善の利益になるかどうかを常に考慮すること(子どもの権利条約)
・外国人を収容する場合、必要がある場合に必要な期間に限って収容できるが、無期限に収容することは許されない(国際人権規約)
といったことを定めています。それが日本は、依然として現実になっていない」

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各国における入管収容制度(難民研究フォーラムより抜粋)

難民にまつわる研究・調査を行う難民研究フォーラムによると、EU加盟国では、収容期限を6か月と設定するようEU指令が出され、韓国やアメリカは収容の継続に際し、定期的な審査を行っています。しかし日本では、国外退去を命じられた外国人は収容に上限がなく、帰国を拒否すると2年以上収容される人もいるなど、新型コロナの感染拡大前までは収容の長期化が問題となってきました。
2021年、入管法改正案が国会に提出された後に廃案となりましたが、出入国在留管理庁はホームページ内の「法案改正Q&A」で、収容の上限を設けない理由を「日本から退去させるべき外国人全員が日本社会で生活できることになり、外国人の在留管理を適正に行うことは困難になります」などと説明しています。(2022年4月現在)

近年、日本では外国人の権利を争う裁判が日常的に起こされ、現状を変えたいと考える当事者や弁護士が問題提起しています。2021年には、難民不認定となった外国人に対して裁判を受けさせずに強制送還させたことについて、東京高裁が違憲と判断し、国は上告を断念し判決が確定しました。外国人の権利の一部が守られるケースが出てきたものの、阿部さんは「地方裁判所や高等裁判所が、マクリーン事件判決の通りに判決を書くことが多い」といい、最高裁でマクリーン事件判決を覆すような判決は下されていません。

難民審査は、闇に大切なものを投げるようだった

阿部さんはこの春、ひとつの決断をしました。2012年度から2021年度までの10年間勤めてきた難民審査参与員を、自ら辞任することにしたのです。

難民審査参与員制度とは
難民と認定されなかった外国人による異議申し立てに対して、法曹実務家、外交官やNGOで働く人、法律の専門家などの難民審査参与員が3人一組となり、直接本人と接して口頭意見陳述や質問を行い、法務大臣に意見する制度。「より公正・中立な手続きで難民の適切な庇護を図るため」2005年に導入された。

難民の認定・不認定に直接影響力をもつ立場でしたが、阿部さんは年々、無力感が募ってきたといいます。

「私の難民認定率は、およそ7%でした。10年間で500件くらい審査し、難民と認定されてしかるべきだと私が結論づけたのは36件でした。欧米諸国の実績には比べようもないくらい低い数字ですが、ただ、その過半数である22 件は、トルコから来たクルド人です。でも結局、法務大臣はその内の一件も難民として認定しませんでした。法務大臣の判断と私の意見が違うわけです。私は「大臣の判断が正しいのであれば、私の意見が間違っているわけだから、どこが間違っているか教えてほしい」と求めましたけれども、それに対する回答はなかったです。
なんというか・・・暗闇に大切なものを投げ込んで、もうその先どうなるかわからない、全くその行方がわからないような感覚で、何をやってるんだろう私は・・・という思いが強くなってしまったんです」

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[ドラマより] 入管職員はサーリャ一家の在留カードに無効の穴を開ける

自分の意見が反映されず、その理由も明らかにされない状態が続いて10年。阿部さんは自分が変わってしまう不安を抱くようになりました。

「これは私だけが感じたものかもしれず、一般化するつもりはないのですが、入管の建物の中に入ると、だんだん人間に対する想像力が鈍ってしまうんです。 生身の人間の生死を左右しているという感覚が薄くなり、無機質な形式だけの判断に対して疑問を覚えなくなる。そうなると不思議なもので、目の前で難民申請者のインタビューをしているのに、人間としての姿や声、息遣いが遠のいてしまう。
判断を下す側は、みな匿名です。つまり、難民申請者は名前も知らない人に判断を下されるわけです。そして伝えられるときには、また別の人が言う。どんどん責任が希薄化していく感じがします。「どうせまたこの人は難民申請するだろうからすぐには帰国しないだろう」という雰囲気も強い。
私は、以前に、カナダの難民認定機関の責任者から、「助けを求めてやって来た人を難民として保護できることがカナダの誇りだ」という趣旨のことを聞き、感銘を受けたことがあります。難民認定手続に携わる者として、難民認定を出すことに悦びを感じていることがわかったのです。でも、日本では、難民認定を出すことには「悦び」ではなく「警戒」心が向けられています。
手続がすべて入管の枠内で行われているためか、参与員にとって、入管が「私たち」、申請者は「かれら」という意識も強い。入管と参与員が一体化する一方で、申請者はどんどん他者化されていく。
そんな制度文化の中で参与員を続けているうちに、自分自身が大切にしてきたものがひどくやせ細っていく気がしたんです。私の非力ゆえのことなのですが・・・。10年経ったこともあり、もう潮時かなと思い、3月いっぱいで結構ですと私からお伝えしました」

責任の所在はあいまいで、警戒心を抱きながら、相手を他者化していく。こうした入管の特殊な“空気”が、阿部さんから人間への想像力を奪っていったのかもしれません。
阿部さんは、こうした入管の制度文化につながり得る意識は、多くの人に内在しているのではといいます。

「『マイスモールランド』に出てくるコンビニの店長、聡太のお母さん、大家さん、小学校の先生、高校の先生。みんな悪意を持っている人じゃないと思うんですよ。日本社会の構成員として外国人を排除することに対し「悪意はないけれど、それが“問題だ”という意識も特に持っていない人たち」だと、私は捉えました。
同じように、難民審査参与員になる人も日本社会の一員で、私たちはみな「社会防衛意識」が非常に強く刷り込まれていると思います。個人の人権を保障するというよりも、社会を守るという意識です。マクリーン事件判決が支持され続けてきている背景には、こうした意識の刷り込みがあるかもしれません。
だから、難民をこれほど認定しないという実状に対しても、強い違和感を持っている人は多くないように思います。むしろ「本当の難民が日本に来ていないからだ」という意識に、自然体でなれる人が多いように感じます」

意思でつくったものは、変えられる

難民認定率の低さや入管収容の報道を目にしたとき、たとえ違和感をもったとしても、どこかで「国のルールなのだから、しようがない」とそれ以上考えるのを放棄することはないでしょうか。
阿部さんはいま起きていることは「しようがないことではなく、変えられること」といいます。

「日本では、マクリーン事件判決が金科玉条のようにすべてを支配していますが、グローバルなレベルでみると、国際法というルールそれ自体が変わっているのだから、「しようがない」どころか、人権のルールに従えば、日本は今の状況の方がおかしいのです。
法律や条約に出てくる言葉は、人間が解釈するものですよね。人間の意思でその言葉の意味を変えていくことができるわけです。特に難民に関していえば、もともと難民は保護するという約束(難民条約)があり、その基準を日本は厳しく解釈してきた。それはルールではなく、厳しく解釈しようとする、人間の意思が働いていたのです。そこを変えれば、難民は保護できるのです。だから「しようがない」ということは、法的には、全くない」

壁になるのは、いまあるルールではなく、変えようとする人間の意思があるかどうか。その意思を形にできるしくみも必要です。
阿部さんはそのためには、独立した国内人権機関を設けることを提案します。

「人権を侵害されている人の立場に立って救済する、独立した国内人権機関が絶対的に必要です。裁判所のように複雑な手続きやお金を必要とするのではなくて、迅速に被害者のための救済活動に乗り出して、必要な政策提言をする。
いま世界各国にどんどんつくられてきて、国内人権機関の世界的なネットワークもできています。国家機関として、この法律はこうおかしい、あるいは運用がおかしいぞという意見を出してもらえます。そういう機関が、外国人に限らずあらゆる人権問題にまたがって必要だと思います。
さらに言えば、国内で救済されない人権問題を審査し、解決への道筋を示してくれる国際的な手続が利用できるようになるとよい。国際人権規約を始めとする人権条約に備わっている「個人通報制度」と呼ばれるものですが、日本でもこの制度を受け入れるよう、政府に強く働きかけていく必要があります」

また、難民認定も法務省の管轄ではなく、独立した難民認定機関で行うべきだといいます。そうすると、そこで働く人々の意識が新たに醸成されることにもつながるからです。

「独立した機関をつくり「ここは人権を守る組織です」「ここは難民を保護する組織です」と明確なメッセージをはっきり示して働く人が増えれば、大きな変化が出てくるように思います」

「日本語お上手ね」から、考えていく

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[ドラマより] アルバイト仲間の聡太とサーリャは互いに心を開いていく

既存のルールを変えていくことは、入管行政に関わる人だけに託されているわけではありません。
阿部さんが『マイスモールランド』のなかで「日本社会のすべてが込められているような気がした」という台詞があります。コンビニでアルバイトをするサーリャに対して、客の老婦人がかけた「日本語お上手ね」という一言です。

「内と外を分けている、典型的な台詞です。あなたたちは私たちと違う、外側にいる存在ですよということを、全く悪意なく伝えている。その裏には、日本語は、日本に住んでいる“日本人”のものだという意識もある。
でも、その“日本社会”は実はもう相当グローバル化していて、いろんな人がいろんな日本語をしゃべっていますよね。日本は“日本にいる人”のものであり、日本語もいわゆる“日本人”だけの言語でなく、多様な人がしゃべるものになってきているという意識づけを、学校や職場でしていくことが、ああいう台詞をなくすことにつながるのではないでしょうか」

入管で起きていることと、「日本語お上手ね」は一見遠い話に思えます。しかし阿部さんは、日常の会話や行動に溶け込んだ排除の意識に気づき、変えていくことが、制度の変革にもつながると考えています。

「入管は、普段の人間関係における差別が先鋭的に表に出ている場所です。ヘイトスピーチもそうですが、日常で起きている差別を放置している社会では、国境管理の場面でも外国人に対する差別が激しく表れます。身近な差別に対し、いけないことだよねと意識づけをしていくことが、難民に対する処遇にも反映されていくと思います」

今回、サヘル・ローズさんと阿部浩己さんにインタビューした「在留資格がないから、しようがない?」という問い。しようがないはずはないと信じたい気持ちと、7年近く移民・難民・入管を取材して私自身が抱いてきた無力感とがないまぜになる中で、おふたりの言葉を待ちました。サヘルさんの耳に残るという「殺してくれ」の声と、阿部さんが10年続けた参与員の仕事を去られる決断の、どちらもが重く響きます。誰しもが、自覚している以上に内と外に線を引きがちであることを心に留めながら、「人間の意思がつくったものは変えられる」ことを忘れず、あきらめずにいたいと思いました。

執筆者:乾英理子(NHKディレクター)

【お知らせ】
映画「マイスモールランド」は、第72回ベルリン国際映画祭にて日本作品で初めてアムネスティ国際映画賞・特別表彰を授与されました。
5月6日(金)に全国で公開予定です。
テレビドラマ版は、2022年3月24日(木)BS1で放送されました。

在留資格がないから、しようがない?
(1)サヘル・ローズさんの思い
(2)国際人権法研究者・阿部浩己さんと考える ←今回の記事

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