2021年10月に東京芸術劇場で行われた音楽フェスティバルで、ろう者によるパフォーマンス「音のないオンガク」が発表されました。それは、耳で聞いて楽しむ「音楽」ではなく、目で見て楽しむ「オンガク」。美しい夕焼けを見たときの心の動きや、電車の窓から移り変わる景色を見たときのワクワクするような感覚。それらにオンガク的なものを感じるというろう者たちが、全身を使って「音のないオンガク」を表現します。
世界中の人がろう者だったら、どんな“オンガク”が生まれていたのでしょうか。そこに音はなくても、感じる“オンガク“があるといいます。
2021年8月。東京・新宿で、そんな音のない“オンガク”を表現する試みが始まりました。メンバーはさまざまな動きを練習します。
日本ろう者劇団 元団員 佐沢静枝さん。
手話エンターテイナー 那須映里さん。
大学生 西脇将伍さん。
演出 舞踏家 雫境(だけい)さん。
演出 映画作家 牧原依里さん。
手の動きで“オンガク”を生み出す。
練習風景
雨を“オンガク”にしてみる。
雨の“オンガク”を表現するメンバー
雨があがる瞬間の表現。メンバーの間で意見が交わされます。
牧原さん:そうそう、上に。(手話)
雫境さん:息を吐いて、止める。
牧原さん:言語というところよりも間とかテンポ。見て心地よいと感じられるのは何か。雨があがるところが、見て心地いいと思える。それが一致していく、対話していくのがおもしろいと思います。
子どものころの牧原さん。教わる音楽はすべて、聞こえる人のものでした。
牧原さん:聴者の音楽があることはわかっていたけど、ろう者の音楽がないということには、疑問を持っていて、本当にないのだろうか、そんな思いはずっとありました。大学生になって、ある芸術展で、手話ポエムを見てとても感動しました。鳥肌が立つような感動でした。
春を表現する手話ポエム
花が咲き、散っていく様を表現する。
牧原さん:言語そのものにこだわるのではなく、その手の動き、ポエムの手の動きを見たときの感動。それは聴者にとっての音楽と同じなんじゃないか。ろうの音楽はないと言うけど、こうしたものにあるんじゃないかと感じ始めたんです。(手話)
雫境さん:ろう者の音楽というものはある。それは何かというとろう者の心の中にある。呼吸であったり、心臓の鼓動であったり、それがもとになっている。そこからいろいろな視覚的な情報、たとえば風景だったり、いろいろなものの積み重ねで、表現できるものじゃないかと思う。
ろう者が感じる“オンガク”とは、どんなものなのでしょうか。
西脇さん:電車の中で景色が流れていくのを見ると、心地よさを感じます。目の前で景色が移り変わるのはオンガク的です。踏切とか線路の先に空間が広がって、緩急があってオンガク的だなと感じるんです。
那須さん:音の抑揚だったり、響き、メロディーを聴いて、聴者は楽しんでいる。ろう者は手の動き方を見て、心地よく感じる部分がある。それは同じものなんじゃないかと思う。料理のとき沸騰している何かの様子は、オンガク的。振動で呼ぶとき、伝わってくるものは、オンガク的なものがある。
佐沢さん:きれいな夕焼けがあって、その夕焼けの表現を見ると、音楽を聴くというのではないけど、何か体に響いてくるようなイメージがあるんです。それが見るオンガクかなと思います。
心に響く情景をオンガクに。メンバーたちの試みが形になっていきます。
2021年10月2日、東京芸術劇場で、世界の新しい音楽を集めたフェスティバルが開催されました。
ボンクリ・フェスティバル2021
音のないオンガク会 題「はじまりについて」
振動 オンガクの誕生。
オンガク×電車。
移りゆく車窓の景色。
オンガク×雨。
関係性のない言葉を手話でリズムにのせる。
ケンカ、ありがとう。でも。
ケンカ、ありがとう。でも、なんで。
ケンカ、ありがとう。でも、なんで、おもしろい。
音のないオンガク会。観客のみなさんはどう感じたのでしょうか。
観客:まさに僕が思っていた、ろう者のリズムはこれだと思いました。(手話)
観客:それぞれ私たちが固有に持ってるリズム。それは歌とは違うんだけど、歌という言葉にこだわるものではなく、そんなリズムもあると、見ていて感じました。
観客:いままで音楽というものは、無縁のものだと思っていたんです。音が聞こえるかのようにすごく伝わってきて、心の琴線が震えました。
ろう者のオンガク、聴こえましたか?
※この記事はろうを生きる 難聴を生きる 2021年10月23日(土曜)放送「音のないオンガク会」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。