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憧れの父が介護を通して教えてくれたこと ハリー杉山さんの介護

記事公開日:2022年01月17日

タレントのハリー杉山さんは20代の頃、父親を自宅で介護した経験があります。ジャーナリストとして活躍し、子どもの頃から憧れだった父。しかしパーキンソン病と認知症で変わっていく姿を受け入れることがなかなかできませんでした。しかし、父を施設に預けることに決めてからは新たな気づきの連続。心にゆとりが生まれ、父に対し穏やかに接することができるようになりました。ハリーさんは、今ではSNSなどを通じて自らの体験を積極的に発信し、介護や認知症のイメージを変えようと奮闘しています。ハリーさんの話に耳を傾けるのは、母親を14年間在宅で介護しているフリーアナウンサーの駒村多恵さんです。

2022年4月17日、ハリー杉山さんの父、ヘンリー・スコット・ストークスさんがお亡くなりになりました。御冥福をお祈り申し上げます。

父は憧れのジャーナリスト

駒村:ハリーさんというとかっこよくて、さわやかで、明るいイメージ。だから介護っていうワードと本当に無関係な存在のような気がしていました。(介護が始まったのは)具体的にはおいくつだったんですか?

ハリー:父親がパーキンソン、そして認知症として診断されたのが27歳のときでした。朝の番組もスタートし、ラジオの帯番組もあり、10年頑張ってやっと「俺、仕事をもらえるかも?」というタイミングでした。

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ハリー杉山さんと駒村多恵さん

駒村:がむしゃらに頑張らなきゃいけない時期だから、本当だったらそっちに集中したいですよね。

ハリー:そうですね。初めて父の診断を聞いたときは認めることが出来ず、いろんな失敗がありました。(父は)子どものときから家族の大黒柱。最強、無敵と思っていた、世界基準で活躍していたジャーナリストでした。そういう人が自分で食べることもできない。夜中の2、3時に急に「外に仕事しに行かなきゃいけない」って出歩いたのを自分の目で見て・・・。母親と一緒に苦労というか、いろいろな失敗はありました。
一番の失敗は僕と母親だけで父親を徹底的にケアしようとしたこと。外の人たち、家族以外の人たちには弱いところは一切見せない、何も相談しない。なんなら、認知症じゃない、パーキンソンじゃない、本人が単純にちょっと面倒くさがっているだけ、単純に歳だから、っていう風に思っていたんですよ。そう信じてしまったんですよ。
でも、介護とパーキンソン病、認知症に対しての知識があったら、アプローチの仕方は全然違ったと思います。

ハリーさんと父親はどんな関係だったのでしょうか。

ハリー杉山さんは1985年、イギリス人の父ヘンリー・スコット・ストークスさんと日本人の母、あき子さんの長男として、東京で生まれました。ハリーさんは幼い頃から、父のことを親しみを込め、ファーストネームで「ヘンリー」と呼んでいました。

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父ヘンリーさんと母あき子さんと一緒に写る幼少のハリー杉山さん

父・ヘンリーさんが来日したきっかけは、1964年の東京オリンピックでした。当時、イギリス経済誌の記者だったヘンリーさんは、その後「ニューヨークタイムズ」東京支局長などを歴任。

田中角栄や北朝鮮のキム・イルソン、三島由紀夫の取材をものにするなど、第一線のジャーナリストとして活躍しました。一方で、どんなに忙しくてもハリーさんと過ごす時間を大切にしてくれました。ハリーさんが迷ったときには、支え、励まし、そっと背中を押してくれました。

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学生時代のハリー杉山さん(前列中央)

11歳でイギリスに渡ったハリーさんは父の母校、名門ウィンチェスター・カレッジに入学。父と同じ道を歩みたいと、ジャーナリストになる夢を持ちます。幼い頃から父ヘンリーさんに強い憧れを抱いてきました。

駒村:かっこいいお父さんですね。素敵。

ハリー:ありがとうございます。

駒村:第一線で世界中を飛び回っていらしたんですね。

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ハリー杉山さん

ハリー:そうなんです。そういった場に僕も連れて行ってくれたんですよ。当時、有楽町の電気ビル20階に外国特派員協会という日本にいるジャーナリストの拠点がありました。記者会見に4、5歳の僕を連れて行って、「お前もフリーランスのジャーナリストなんだから質問しろ!」って。

駒村:4、5歳で?

ハリー:そうなんです。僕にとって父は圧倒的ヒーロー。大親友。子どものときから常に「Assert yourself(自分を主張しろ)」。常に社会に対して疑問を持って、自分を主張して、人と人の間の絆を感じて、それをどんどん広げてほしいということを昔から言われていました。

駒村:私の父の「食べられなくなったら困るから、金儲けやと思って歯磨け!」とずいぶん違ってびっくりしちゃった(笑)。素敵なお言葉。

ハリー:何か困ったときには、必ず父親に言っていました。学校のことも、人間関係、10代の恋愛とかも全部父親に報告していたので、人生でいちばん信用して、尊敬する人でした。だからこそやっぱり何にもできない姿を見たときの最初のショックは相当なものでしたね。

認知症とパーキンソン病になった父の姿

朝の情報番組にレギュラー出演するなど、タレントの仕事が軌道に乗り始めた2012年。父のヘンリーさんがパーキンソン病と診断されます。さらに認知症の症状も徐々に現れ始め、自宅での介護が始まりました。

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父ヘンリーさんとハリー杉山さん

テレビで見せる明るい表情。その陰でハリーさんは葛藤していました。パーキンソン病で体が思うように動かせない父を介助する難しさ。伝えても理解してもらえないことへのいらだち。何より、尊敬してきた父が変わっていく姿を、受け入れることができませんでした。

在宅での介護にはどんな大変さがあったのでしょうか?

画像(ハリー杉山さん)

ハリー:パーキンソン病に関しては身体が固まっていくんですよね。筋肉が固まっていくとまず歩くのが難しくなります。人と話しているときにも首がどんどんこういうふう(首をななめ前に傾ける様子)になっていって。そのパーキンソン病と向き合いながら、認知症のこともありました。なんなら認知症じゃない、パーキンソン病じゃない、本人が単純に面倒くさがっていたり、単純に歳なだけなんじゃないと思っていたんですよ。そう信じてしまったんです。

駒村:最初は認めたくないですよね。

ハリー:ちゃんと『ガス消して』って言っても消すことはできてないとか。お手洗いに行って、お手洗いの中から自分のことを閉じ込めちゃうんですよ。ロックして。でもロックを外すのが、やり方がわからなくなっちゃったりとかして。
父親に何も伝わらなかったりとか、なんででできないの? なんで覚えていないの?って、僕はどうしても聞きたくなってしまったんですよね。本来の父親の姿を取り戻してほしかったのに。でもそれって一番悪い方向に向かってしまうというか。
父親は僕にそう言われて、「ああ、俺、何もできないんだ」って、どんどん萎縮しちゃうんですよ。萎縮すればするほど口数も少なくなっていくし、ご飯も食べなくなっていくし、着替えを僕と母親がヘルプしようとしても、本当だったら「お願い」って言うのに、認知症ってパーソナルスペースに入ってこられるのがすごく嫌になっちゃうんです。だから、たまにエルボーから右フックとか、いろいろ(パンチが)飛んできたりとか。

駒村:大変!

ハリー:当時なんて、一発殴られたら、まぁこっちも怒りますよね。グラスを父親めがけて投げてしまったこともあったし。それがどんどんどんどんエスカレートしていって、ほんとに殴る一歩手前くらいまでいってしまったときもあるんです。かなり追い詰められてしまいましたよね。どこに僕の人生は向かってるのかな?って。この不安なことは現場の友だちに相談することもできなかったし。

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駒村多恵さん

駒村:20代だから共感してくれるお友だちってやっぱりいないですよね?

ハリー:一人もいなかったです。

駒村:私も30代で同じシチュエーションの人っていなかったですから。ましてや20代は遊びたい盛りだろうと思うし。いろんな楽しいことがたくさん待っていて、周りのお友だちは家のことなんか気にしてる子なんかいないだろうし。

画像(ハリー杉山さん)

ハリー:だから現実逃避してました。遊びに行ってたんですよ、朝まで飲みに行ったりして。でも飲みに行ったあと、何してんだろうなって。現実を受け止めなきゃいけないよなっていう罪悪感にも襲われていましたし。支えきれるのか、支えられないのか、その葛藤に常に押しつぶされそうになりました。あと、父親も母親も働いていないってことは、僕が全部サポートしなきゃいけない。じゃあ今この仕事をちゃんとまっとうして、次の仕事につなげないと、もし仕事がなくなったら、父親と母親のことは支えられないじゃんって思うようになってしまって。どんどん痩せていって。目の下のクマがゾンビみたいだよってメイクさんには言われたり・・・。

駒村:つらかったですね。

ハリー:本当は生放送中にスマホなんかポケットに入れちゃダメじゃないですか、しかもオンにしている状態で。でも、CM中にスマホを見て母親との連絡で大丈夫かなって確認したりとか、それほど気になっていました。僕はもう全力投球。母親も全力投球。プライオリティーはお父さんがすべて。こうなるとどんどん自分自身を削ってしまうんですよね。

「見放すことになるのでは」 父を施設に預けるまでの葛藤

画像(駒村多恵さんとハリー杉山さん)

駒村:20代でその経験は本当にきついと思います。仕事も始めて「いざこれから」っていう時期ですよね。どうやって打開したんですか?

ハリー:これは多恵さんと話したかったことでもあるんですけど、在宅介護から施設に入ったタイミングで母も僕も父も少し余裕が生まれたんですよ。父が介護施設に入ってプロの方々がケアするようになり、寝る時間ができたんですよね。

駒村:でも、その決断ってめちゃくちゃ重いですよね?

画像(ハリー杉山さん)

ハリー:はい。やっぱり「施設に入れる=見放す」ようなイメージも強かったので、相当な葛藤がありました。変な話、僕は父親を施設に入れることによって彼の命を奪っちゃうんじゃないかなと思っていたんです。自分が壊れてもいいから父親のことを最後まで看取りたいっていう気持ちが強かったんです。でもそこは意外と母親が「現実をちゃんと見ようよ」と。そのときには母親が腰をやってしまって、ノックアウトされているような状態でした。自分はもう朝から夜までずっと仕事をしていたので、そのときに決めましたね。そこは周りの方々がいろいろ教えてくれたので、施設を信用して、本当にありがたく思っています。

駒村:うん、そうですよね。確かに施設に預けるって“見捨てる”じゃないですけど、そんな気持ちになる方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれないですけど、決してそうじゃないですからね。逆にプロに安心して預けるっていう気持ちですもんね。

ハリー:そうなんですよね。でもそう考えるまでのステップって簡単じゃない。知識がないから、圧倒的精神論で僕は考えてしまったので、もしそういう立場の方がいたら、とにかく周りと情報をシェアして、介護施設がいかに自分の人生を変えてくれるかっていうのを、少しでも心の一部に置いていただきたいなと思いますね。

家族に笑顔をもたらした介護施設の日々

2016年。ヘンリーさんの介護施設での生活が始まりました。この決断は、限界寸前だったハリーさんの家族に変化を生んでいきます。

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施設で過ごすヘンリーさんとハリー杉山さん

ハリー「いいねいいね! Keep it up!」

専門的な知識を持ったスタッフから介助やリハビリを受け、次第に穏やかさを取り戻していったヘンリーさん。

ハリーさんは、仕事の合間に週3回ほど施設に通い、親子の絆を深めていきます。

画像(施設で過ごす父ヘンリーさんとハリー杉山さん)

時折、施設から外出して食事を楽しむこともできるようになりました。笑顔が増え、以前のような家族の時間が戻ってきました。

駒村:こういう笑顔が見られると最高ですよね。

ハリー:施設の外に家族で食事に行ったこともありました。その時は、(お酒を)離さなかったですね。ビールもウィスキーも大好きですし。だから笑顔を見て、食事も楽しんでいるところを見ると、やっぱり食べさせてあげたいなって。

駒村:本当に追い詰められていたっていうお話を伺ったあとに、施設に入れて、笑っていられるところまできたってことですよね。それだけ施設に入ったことによって余裕が生まれて関係性が変わったと。

ハリー:それはもう介護施設のおかげですね。やっぱりプロの技というのは、無知な者の感情論と比べると天と地の差です。いろんなヒントとか教えてくれたりとかするんですよね。
マッサージの仕方もそうですけれども、やっぱり話し方がいちばん大事でした。上から見下すんじゃなくて同じ目線で話したりとか、視界のどのあたりに手が入ってくると攻撃的になってしまうのかとか。「お願いだからハリーさん怒らないで」って。その言葉で、気がついたら、怒りたくなっても父親のちょっと間違ったところを一緒に笑えるようになって。
施設に入ることによって父親も僕も母親も笑顔を取り戻しました。自分のことも大切にできるようになりましたね。

画像(ハリー杉山さんと駒村多恵さん)

駒村:それこそ食事介助の仕方ひとつで飲み込みが変わる。接し方ひとつで認知症の度合いもちょっと明るくなったりとか、どんどん変わっていくわけですよね。本当にプロとして尊敬できる方々がいてこその介護生活だなっていうのは私もとても思います。

ハリー:施設のスタッフさんたちを通して僕が感じたことは、人を介護する、介助する、助ける、支えるときには「相手をプライオリティーにするのではなく、自分自身が最大のプライオリティー」って理解できると、介護ってすごい楽になってくるということ。だから“Meファースト”って言う。24時間じゃなくて、自分の時間も自分自身に与えて、休んでもいい。自分の心と心身ともにリフレッシュできなかったら、相手もリフレッシュできないと思うので、そういうふうに感じるようになりましたね。

駒村:自分のプライベートもあきらめないっていうところはあるかもしれないですね。私もデイサービスに母を預けている間に、たまにダンス教室とか行ってますよ。ただ(母がデイサービスから)帰ってくる時間まであと2分って言いながらダッシュで帰る。「帰ってきた、車が!」みたいな。「すみません、今(家の鍵を)開けます!」みたいな感じで。ギリギリまで自分の時間を使ってはいます。

ハリー:コロナの影響によって、この2年間ほぼほぼ会うことができてないです。緊急事態宣言が解除されている時には15分の面会が許されるんですけど、この2年を通して3、4回くらい。15分かける4ぐらいしか会うことはできていないですね。
それ大丈夫なのかなって心配することたくさんあるんですけれども。施設側の方との密なコミュニケーションを通して、いろんなリポートがしっかりとあるので。これはもう150パーセント施設側の方々を信用して、会える日を楽しみにしてますね。

駒村:会う回数が減ると自分のことを忘れちゃうんじゃないだろうかっていう不安はないですか?

ハリー:もう何回か忘れられたこともあったんですけども。最初はものすごいショックでしたね。ショックすぎて、その時にはいい加減にしてくれよって、ちょっと軽くキレ気味に迫ったことも、今すごい後悔してるし。
でもそれって(認知症では)ごく普通なことなんですよ。なんでまた忘れちゃったのというふうに、ポップに楽しく触れ合うことができたら、すぐ思い出してくれるようになったんですよ。
介護を通して感じるのは、「大切な人こそ愛が強い」。その強い愛というものを全力で相手にも期待してしまうと、違う形で跳ね返ってきてしまうので。余裕を持って、「(忘れられるのも)ごく普通」なんだから、自分のことも愛しながら父を愛するのが大切なんだなって思うようになりましたね。

心に残った父の言葉

子どもの頃からヘンリーさんにいろいろな言葉をかけられてきたハリーさん。施設に入ったあと、ヘンリーさんがこんな言葉をハリーさんにかけたといいます。

Harry...(ハリー)
I am mad(私は頭がおかしくなってしまった)
I don’t know where I am(自分はどこにいるかわからない)
and what I am doing(今何やっているのかもそれさえもわからない)
but being mad makes life so much more interesting!(だけど頭がおかしくなったほうが人生なんかおもしろいな)

画像(ハリー杉山さん)

ハリー:これをいきなり言ったときには、僕、できるだけ父親が気づかないようにめっちゃ泣いちゃったんです。「え? オヤジは認知症を楽しもうとしてるの?」って。ユーモアにあふれる、イギリス人らしい、昔からよく知っている変わらない父親だなっていうのを実感しながら、とんでもない精神力をこの人は持ってるんだなって思いましたね。父親は何が何でも、とことん人生のたそがれになっていたとしても、最後まで楽しむぞって。常にユーモアを忘れないその姿勢は、僕は絶対できないんで、さすがだなって思いましたね。

駒村:その言葉はなかなか出ないですよ。認知症になっても客観的に理解できていて、そして息子に伝えようっていう思いがあるっていうことですもんね。本当に尊敬しますね。

ハリー:そうですね。いつも「スコッチくれ、スコッチくれ」って言ってるのに、ときにはそういう一生忘れない言葉もくれて・・・(笑)。

介護や認知症のイメージを変えたい

父の介護をきっかけに、「介護や認知症のイメージを変えたい」と思うようになったハリーさん。今、SNSやイベントなどを通じて思いを発信しています。

画像(ハリー杉山さんとヘンリーさん)

施設で過ごすヘンリーさんの様子もたびたび登場。介護に携わる人たちから多くのコメントが寄せられ、共感が広がっています。

ハリーさんはどんな思いで発信されているのでしょうか?

画像(ハリー杉山さん)

ハリー:僕は介護に対してちょっとレッテルがあると思うんですよ。収入も限られているし。あんまりやりたくないという。ネガティブなイメージを払拭、消していきたいなと思っています。
介護に携わる人って本当に格好いいなとも思っているんですよ。大変だよね、重い仕事だよね、やりたくないなと思っている人がいたら、ちょっと考え方を変えてほしいんですよね。介護に携わる方って人に夢を与えるんですよ。
父の夢は外でもビールを飲んだり、外でちょっと散歩したりとかすることだったんですけど、介護施設に通ってたときに他の利用者の方々ともお話ししてみると「私は孫にお年玉をあげたいのよね」とか「孫の結婚式に行きたいのよね」とか「またジャイアンツをドームに行って応援したいのよ」とかって言ってて・・・。
その夢を現実させるのは施設のスタッフさん。介護福祉士の皆さんの力がないとできないじゃないですか。めちゃくちゃ立派な仕事なんですよね。それを実現させている人たちもいるので、もっと介護福祉士、介護に携わる方をみんなリスペクトしようよって思いますね。

画像(駒村多恵さん)

駒村:みんながもっと、介護に携わるプロフェッショナルな方々をリスペクトする社会になるといいなって本当に常々思いますね。

ハリー:あとは何よりも知識がすべてだと思います。僕は知識ゼロだったので、心の準備がまったくできてなかった。それで悪戦苦闘して自分をどんどん追い詰めていくような日々がありました。知識が少しでもあったら父親の人生をもっと幸せにできたと思うので、できるだけこのことをオープンにSNSやイベントを通して学生さんたちにもダイレクトに伝えようとしていますね。

駒村:今、とてもヤングケアラーの皆さんが増えてますが、たぶん悩みを誰にも相談できないっていう10代20代の子とかもたくさんいると思うので、(ハリーさんは)彼らの力になれるお兄さんみたいな存在でもあるのかなって思いますけどね。

ハリー:そういうディスカッションができる場って、10代、20代にはないんですよ。だからいつでも僕にぶつけてください。SNSを含めてね、いつも僕オープンなので。

介護について悩む人に勇気を与えようとするハリーさんと、その思いに共感する駒村さん。2人の願いは、認知症になっても自分らしく幸せに生きられることです。

画像(ハリー杉山さんと駒村多恵さん)

ハリー:「認知症になったイコール人生の終わり」と絶対思ってほしくないんです。認知症に向き合うことになっても、自分らしく生きることもできますし。もっと人生が楽しくなることもある。

駒村:できなくなってしまったことに目を向けがちなんですけど、できることに目を向けるといくらでもできることがあって、私も母の病気がわかって以降、すごく旅行に行くようにしました。より良い暮らしを求め続けるっていう気持ちも大事だと思います。みんなが同じベクトルで進んでいくと、うまく回転していく。それが継続につながるという気はしますよね。

ハリー:社会自体がみんな同じほうに向かうようになると、介護に対して、今あるレッテルはどんどん消えて、どんどんインフラが整うようになり、お互いを支え合うようになり、もっといろいろな人たちに幸せを感じていただけるかなと思います。

※この記事はハートネットTV 2021年10月20日放送「私のリハビリ・介護 認知症の父を受け入れるまで ハリー杉山」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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