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みんなで考えるジェンダー(2) なぜ差別をしてしまうのか

記事公開日:2021年12月16日

差別はいけないことだと誰もが理解しています。しかし、「自分は差別をしていない」と胸を張って言えるでしょうか。私たちは無意識のうちに差別を行っているかもしれないのです。話題の本『差別はたいてい悪意のない人がする』と身の回りで起きている例を参考に、ジェンダーと差別の問題について、どうすれば気付くことができるのか、解決できるのか、その道筋を考えます。

差別は悪意なく行われる

差別について身近に考える、一冊の本が注目を集めています。タイトルは『差別はたいてい悪意のない人がする』。韓国で16万部を超えるベストセラーを記録し、8月に日本でも翻訳出版されました。

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キム・ジヘ著『差別はたいてい悪意のない人がする』

著者は、韓国で大学教授を務めるキム・ジヘさん。韓国憲法裁判所などの勤務経験もあり、移民やセクシャル・マイノリティ、ホームレスなど様々な差別問題の研究に取り組んでいます。

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キム・ジヘさん ©hin Nara

著者は、社会のあらゆる場で「みずからを善良な市民であり差別などしない人だと思い込んでいる『悪意なき差別主義者』に出会うことができる」と指摘します。私たちは無意識のうちに、様々な侮辱的な言葉を使っている可能性があるというのです。

 「もうすっかり韓国人ですね」
 「希望を持ってください」
 前者は国外から韓国に移り住んでいる移住者、後者は障害者に対する代表的な侮辱表現の例として挙げられている。私は戸惑った。これらの表現は一見、褒め言葉や励ましの言葉のように見えるからだ。話し手には、ほんとうに称賛や励ましの意図があったのだろう。これらの言葉を発した当人に、このような表現が聞き手にとっては侮辱的に響くかもしれないと教えたら、どう反応するだろうか。

(『差別はたいてい悪意のない人がする』より抜粋)

なぜ、こうした言葉が侮辱的だというのか。著者は当事者に対して「この言葉がどう聞こえるのか」尋ねます。

 国外から移り住んだ人々は、「すっかり韓国人」という言葉について、自分がいくら韓国で長く生活しても、われわれはあなたのことを完全なる韓国人とは見ていないという前提があるからこそ、侮辱的に感じられると述べた。(中略)
 障害者に対する「希望を持って」という言葉も、同じく不当な前提のせいで侮辱的な発言と受けとられるという。だれかに希望を持てというのは、現在のその人の生活に「希望がない」ということを前提とする発言である。

(『差別はたいてい悪意のない人がする』より抜粋)

このように、多くの人が「差別をしたくない」と思っている一方で、差別を差別として認識できていない現実があるといいます。「悪意なき差別主義者」にならないためには、どうすればよいのでしょうか。著者が注目する考え方のひとつが、“平凡に見える特権”です。

私たちは「特権」という言葉を、一部の財閥やエリート層の権力だと狭義にとらえる傾向がある。しかし特権とは、一部の人だけが享受するものではない。特権とは、与えられた社会的条件が自分にとって有利であったために得られた、あらゆる恩恵のことをさす。
(中略)特権の多くは、意識的に努力して得たものではなく、すでに備えている条件であるため、たいていの人は気づかない。特権というのは、いわば「持てる者の余裕」であり、自分が持てる側だという事実にさえ気づいていない、自然で穏やかな状態である。

(『差別はたいてい悪意のない人がする』より抜粋)

著者が特権の例として挙げるのが、都市間を結ぶ中距離のバスに乗る機会です。多くの人は、バスに乗ることを特権であることを意識することはありません。しかし、例えば車いすを使う人にとっては乗降用の設備がないために、乗りたくても乗れないことがあります。このように、日常的に何気なく利用している乗り物や既存の制度などが、他の誰かにとってはバリアとなっているとき、私たちは自分の享受している特権に気づくのだと、著者は指摘します。

評論家の荻上チキさんは、スマートフォンなどのアプリを使うことにも特権があるといいます。

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荻上チキさん

荻上さん:僕らは出かけるときに、経路をアプリとかで検索すると、この駅で乗ると目的地まで30分くらいで着くとわかります。この30分って誰にとっての30分かというと、歩ける方にとっての時間だったりするわけです。でも車いすの方はアプリで検索した数字通りに移動できない。ということは、アプリで検索して、「こう行けば着くんだな」と感じられるのも、実は障害のない人にとっての特権だというわけです。

國學院大学教授の水無田気流さんは、“平均的な人”の使いやすさを求めた結果、一部の人には不利益となることもあると指摘します。

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國學院大学教授 水無田気流さん

水無田さん:バスとか電車は誰でも乗れて然るべきですけど、その『誰でも』を想定するときって、健常者で、歩けて、杖とかついていなかったり、ベビーカーを押していなかったり。そういう平均的な身体的条件でバスとか電車を使える人を前提に設計されている。設計する側は、大多数が使うから、平均的、標準的な身体像を考えるのが親切と思って作る。その結果、平均的でない人が不利益を被ることが起きています。

森三中の黒沢かずこさんは、自身が無意識の差別をしているのではないかと不安になることがあるそうです。

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黒沢かずこさん

黒沢さん:無人駅だと車いすに乗っている方は電車に乗りづらいと、テレビで見たんです。(電車には)全員が乗れると思っていました。私が気付かなかったのは差別ですか?

評論家の荻上チキさんは、差別は表現されたときに初めて差別になると説明します。

荻上さん:差別というのは、行動とかに表れたときに差別になる。想像の段階だと、それは「偏見」や「ステレオタイプ」と表現されます。ただ、「(車いすの人は電車に)乗らなくていいんだよ」とか、「外に出かけなくていいじゃん」と発言したら、これは差別になります。あるいは、無人駅が存在していて、そのままでいいんだと社会的にオッケーとしているならば、社会に差別があるということになりますね。

俳優でアクティビストの石川優実さんは、過去の職場で男性の特権を感じていました。

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石川優実さん

石川さん:私は『#KuToo』という、男性が履いてるものと同じ革靴を履きたいという運動をしていたんです。これは当時、会社で働いていて、女性社員だけ5センチから7センチのパンプスを義務付けられていたんですね。男性社員は同じ仕事をしてるけど、革靴でフラットなシューズを履いていたんです。この差は同じ仕事をするにあたって、男性の特権じゃないかなと思いました。

“専業主婦”は特権? 身近な例からジェンダーを考える

視聴者から、「特権」にまつわる声が寄せられています。

30代、働く妊婦です。私の職場には子育てする女性が一人も居ません。しかし子育てしている“男性”社員はたくさんいます。管理職は全員男性ですが全員子どもがいます。子どもがいる女性だけがいないのです。自分が“産む性”だったばっかりに職場で不当な扱いを受けていることが許せません。
(働く主婦さん・東京都・女性・30代)

水無田さんは、職場での過剰な配慮が結果的に差別につながっていると指摘します。

水無田さん:働く妊婦の方が子どもを産むと強制的に部署異動させられることがある。たぶん、補助的な仕事に変えられると思うんですけど、これもある意味では過剰な配慮に基づく差別的な結果ですよね。女性という特性でもって判断されてしまっている。一律で排除されてしまうのは、差別的な処遇だと思うんですよね。そういったことが回り回って、女性管理職者の割合が1割強の日本を作っているわけです。政治家の女性割合が低いなど色々な問題と、女性に家事、育児や介護が偏重している問題と地続きであるんですよね。

ここで、黒沢さんから質問がありました。

黒沢さん:地元の友達で、「働きたくないから、家のことやる」という人がいるんですよ。“専業主婦”という言葉がありますけど、それも特権なんですか?

荻上さん:「自分は家で家事をしていたい」と本人が望むのはまったく問題ないです。ところが、周りが「女ならやれ」と押し付けたら、これは差別になります。「専業主婦になりたい」と思ったら、それは自分の考えだからそれでいい。でも、男性のほうが出世しやすい社会だと、女性が出世しようとするときに心が折れますよね。となると、場合によっては(専業主婦を)自分で選んだと思っていても、社会の側に心を折られたことが要因になってるかもしれない。そうした差は、一人ひとりを見ているだけではわからないですよね。

水無田さん:逆に言うと男性だって家事育児に向いていて、働くのしんどいからリタイアして家事育児をやるという人だっているかもしれない。出世って男性にとってはプレッシャーがすごく強いと思うんですね。稼いで、一家の大黒柱にならなきゃみたいなプレッシャーも強い。そういったなかで“専業主夫”になりたいとまで思わなくても、「出世競争に向いていないので緩いキャリアで構わない」と考える男性って、批判されたり、おかしいと言われたりする。これも男性に関するジェンダーの問題だと思います。

なぜ男性は差別的な発言を続けるのか

差別発言を繰り返し受けてきたという女性からの声も届きました。

「女にやらしとけ」「たかが女こども」「ヒステリー、生理中かよ」「女なんかにハンコ押せるか、男連れてこい」「愚妻」。
あげるときりがない絶望的なエピソードをあびて50代を過ごしています。
最近はようやくフェミニズムが浸透し、男性の嘆きが聞こえてきます。男たちにとっては今まで守られてきた権利が奪われていく不安や恐怖、残念さを味わい、思ったまま言ってはいけないという制限で、余計に「だから女は」とつぶやいているのがわかります。どちらかが上、ではなく、どちらもフラットという価値観にならないかな。
(カルメンさん・奈良県・女性・50代)

守られてきた権利が奪われていく不安から、男性は差別的な発言を繰り返すという指摘。荻上さんは、そうした男性に差別している自覚がないのではないかと推し量ります。

荻上さん:多くの方は、自分が差別する側の権利をこれからも行使したいと自覚して、反発をしているのではないと思うんです。自分は差別する気がないのにと、濡れ衣であると考える方が多いと思います。そう考える背景には、差別はいけないという考え方は共有されていることがある。だから、自分は差別者ではないと言いたいんですね。自分がしている範囲は差別に含まれないから、セーフにしたいというのはあると思うんですよ。

そこで、石川さんは差別について学ぶ場が必要だと考えます。

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スタジオの様子

石川さん:私は、差別しちゃいけないのはわかっているけど、何が差別になるのかというのを全然学んでこなかったんです。教えてくれる人もいなかった。現状、差別の問題って、本を自分で読んだり、学びの場に行ったり、大学で習うとかじゃないと、なかなか理解できないと思うんです。でもそうじゃなくて、どんな生活をしていても、みんなが差別ってどういうものかを学ぶところから、環境を整えていってほしいなと思います。

男女同じ方向を向いて解決策を探す

女性が差別について声を上げると、男性側から「男だって大変な思いをしているんだ」という声が上がることもあります。この問題に対しても、活発に意見が交わされました。

画像(スタジオの様子)

水無田さん:男性のジェンダーの問題って大きいんですよね。なかなか弱音を吐けないとか、「男なんだからしっかりしなさい」と言われて育っていたりすると思う。結果的に、命や健康に関わる問題って、日本の場合は男性のほうが深刻なんです。例えば、自殺、孤独死、ひきこもり、いずれも7割が男性です。これは、男性は社会の中では強者のはずと社会も想定しているし、男性自身も強くなきゃいけないと思い込んだり、稼がなきゃいけないというプレッシャーがすごく強いからと思うんです。

荻上さん:男性差別は存在します。制度的にも、社会的にも。男らしくあれと押し付けることとか。でも、女性への差別を何とかしてほしいと言う人に対して、「男性への差別についても言ってくれ、言わなければ、お前たちはフェイクだ」と言うことが適切でしょうかか。それを言っても、結局、何も動かない社会を肯定してしまうことになる。「なるほど、男性差別や不満があるのもわかった。それも解決するならどうすればいいのか』」と、個別の議論を一緒に進めていくのが重要だと思います。

黒沢さん:男性側の意見、女性側の意見ってあるじゃないですか。女性は「何で男性はわかってくれないんだ」と言って戦う。男性も「男のつらい部分を何でわかってくれないんだ」と戦う。何で女性と男性で戦うんですかね。戦わなくて、よりよい暮らしを作れるところがあったらいいのに。お互い理解して、「そんな大変なことがあったんですね、女性の方すみません」、「男性もこんな大変なことがあったんですね、すみません」と、お互いを理解できる場所があったらいいのに。

石川さん:(女性差別を訴える)デモを行ったとき、男性が半分くらいいたんですよね。発言された方も多くて。それはすごく心強い。男性の生きづらさから抜けたいという人たちが、女性差別がなくなれば男性もきっと救われるだろうと考えて、一緒の方向を向いて運動をしていこうという方も多い。男女で分かれているというよりは、特権を維持したい側と、したくない側とに分かれているだけかなと思います。

みんなで考えるジェンダー
(1)なぜ差別は見えづらいのか
(2)なぜ差別をしてしまうのか ←今回の記事

※この記事はハートネットTV 2021年11月3日(水曜)放送「みんなで考えるジェンダー(2)なぜ差別をしてしまうのか」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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