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女性差別 わたしの視点② ダブルマイノリティの立場から~DPI女性障害者ネットワーク・米津知子さんに聞く~

記事公開日:2021年12月09日

「女性差別」。いまの日本社会において、この言葉の受けとめ方は人によって実に様々です。女性差別がない社会を目指し、#MeTooをはじめ、新たなムーブメントが次々に起きています。一方で、社会的地位の高い男性からの女性への差別的な発言はなくならず、ネットでは女性差別のトピックを巡って炎上や激しい論争がたびたび起こっています。

女性差別を考える上で、今の社会にはどのような視点が欠けているのでしょうか?様々な立場の方へのインタビューを通じて、ジェンダーと差別について別の角度で考えるシリーズ企画です。
第2回は女性の中でも、更なるマイノリティ=ダブルマイノリティの“障害がある女性”という立場から、発信や活動を行ってきたDPI女性障害者ネットワークの米津知子さんに伺います。

米津 知子(よねづ・ともこ)
1948年生まれ。「SOSHIREN女(わたし)のからだから」「DPI女性障害者ネットワーク」のメンバー。2歳でかかったポリオにより右足に障害が残る。70年代から女性運動、その後は障害者運動でも活動し、障害がある女性の複合差別実態調査や、優生保護法の問題などに取り組む。

知って欲しい 障害のある女性への複合的な差別

――米津さんは長年、女性運動と障害者運動の両面で活動してこられました。今なお多くの人が知らない女性障害者への差別の現状について、どうお感じになっていますか。

障害のある女性は、障害者差別と女性差別を合わせて受けていると考えています。この二つの差別が重なって、障害女性の困難をより大きくしますが、女性差別の側面は注目されにくいと感じています。
もともと、女性差別は「たいしたことない」と思われがちであるように思います。「他の差別に比べれば軽い」、「解消の取り組みはもっと後からでもいいでしょう」という言葉を、私も何度も聞いてきました。それぞれの属性に対する差別を、どちらが大変かと比較することは意味がないと、私は思います。むしろ、いくつかの差別が複合して強く作用していることに、もっと関心をもって取り組んだほうがいい。障害者と女性も、一緒にその差別の構造に向きあって解消しましょうということを、言いたいです。

もっている属性によって人が優劣を付けられる、異なる扱いをされる、結果として生きる上での有利と不利が生じる、こういうことで差別がおこります。たとえば出身地や学歴の違い、障害の有る無しによってなど…。また、性の違いによっても差別は生じます。さまざまな差別と性の違いによる差別が重なると、とくに女性に深刻に作用して、不利益をより多く受ける場合があると思います。そういう場合にも女性差別の側面は、前面に出ている他の属性に対する差別に比べて目立たなくなり、たいしたことではないように見えるようです。目立たなくて問題にされにくいことも、女性差別の特徴かも知れません。

でも、受けている人にとっては女性差別も障害者差別も、別々なものではありません。重なって降りかかってくるのです。私が参加している「DPI女性障害者ネットワーク」は、これを障害女性の複合差別の問題と考えて、解消に取り組んできました。

なお、ここでは「女性」「女性差別」という言葉を使っていますが、人の性は、男性か女性かどちらかだと決めてしまうことはできません。性のあり方や、自分の性をどう認識するかも、人それぞれ多様です。人を男性と女性に二分して、必ずどちらかであると決めつけた上で異なる扱いをすることからも、性差別は生じます。また、障害があり男性であることから起こる問題もあるでしょう。障害者差別と性差別が重なる障害男性の問題も、考えていきたいことです。

――では「障害」と「女性」が重なっている場合、どんな困難があるのでしょうか

立場が弱い、性的被害が多いなどいろいろな困難がありますが、それが見えにくいことが問題です。
2006年に国連で採択された「障害者の権利に関する条約」の第6条では、障害女性の複合的な差別を認識し、人権を保障する措置を取ると言っています(注)。日本も2014年1月にこの条約を批准しました。条約の批准に向けて2009年から、国内の法律や制度を条約の趣旨に合わせるため、障害者基本法の改正や、障害者差別解消法を作る作業が始まりました。そこに第6条が反映されるよう、DPI女性障害者ネットワークは国会議員に働きかけをしましたが、思わぬ壁がありました。障害女性の複合差別を示す資料が、ほとんどなかったのです。障害者に関連する調査の多くが、性別集計をしていないために、男性とは異なる女性の困難が、隠れてしまっているのでした。
そこで女性障害者ネットは2011年から、アンケート調査と、男女共同参画社会基本法やDV防止法に基づく都道府県の基本計画が障害女性に対応しているかを調査し、2012年に「障害のある女性の生活の困難 ―人生の中で出会う複合的な生きにくさとは― 複合差別実態調査報告書 」 をまとめました。この調査で、障害女性の立場の弱さや、必要な施策が充分でない実情が浮かんできました。また、女性として尊重されず、妊娠出産はありえないと見なされる一方で、性的被害は受けている実態が分かりました。回答者の約35%が何らかの性的被害を経験していました。
アンケート調査への回答を四つ紹介します。

■義兄からセクシャルハラスメントを受けたが誰にも言えない。自分は自立できず家を出られないし、家族を壊せないから。あまりに屈辱で言葉にできないから。(50代 視覚障害)
■妊娠した時、障害児を産むのではないか?子供を育てられるのか?といった理由で、医者と母親から堕胎を勧められた。(40代  視覚障害 難病)
■私の夫は深刻なハウスダストアレルギー。主治医は私がうつ病で家事が辛いと知っているのに、掃除をするようにと私に言う。(50代 精神障害)
■交通事故の賠償は、将来の可能性ではなく現在の男女の賃金から算出されるので男女差が大きい。顔の傷の補償額は女性の方が多い。見かけが大事なのか。(20代 肢体不自由)

女性に対する差別と障害者に対する差別は、深く重なっているにも関わらず、これまで認識されてこなかった。そのことが分かったのです。
年間の収入を比較すると、どうでしょう。障害の有る無しによって、また性別によって、単身世帯の年間収入が違っていることを示す、貴重な調査があります。

画像(表「単身世帯の年間収入」『厚生労働省科学研究費補助金平成17-19年度調査報告書』2008年より)

これはある地方都市の、障害者も含む男性全体、同じく女性全体、障害男性、障害女性の年収の比較です。 数字だけを見ても、ガクン、ガクンと減っていって、障害女性は男性全体の4分の1より少ない。年間収入92万円は、自立した生活をしたくても困難を感じる金額です。家族と住んでいても施設にいても、もしも虐待や性的被害を受けたとき、加害者を訴えることがとても難しい。もうこの場所に居たくないと強く思っても、「私は出ていきます」と言えない。そういう弱い立場だということです。

(注)「障害者の権利に関する条約」 第六条 障害のある女子 (外務省訳)
1 締約国は、障害のある女子が複合的な差別を受けていることを認識するものとし、この点に関し、障害のある女子が全ての人権及び基本的自由を完全かつ平等に享有することを確保するための措置をとる。
2 締約国は、女子に対してこの条約に定める人権及び基本的自由を行使し、及び享有することを保障することを目的として、女子の完全な能力開発、向上及び自律的な力の育成を確保するための全ての適当な措置をとる。

“性と生殖” 2つの差別が重なる現場

――「障害」と「女性」、それぞれの中で格差が生じていますね。両方が組み合わさることで、さらに生活の困難さが増していることが分かります。

ここまで、障害女性にかかわる複合差別を考えてきました。もう少し掘り下げると、障害者差別と女性差別が組み合わさることで、性と生殖の問題につながることが見えてきます。

この社会では性別によってそれぞれの役割があるとされていて、妊娠、出産、育児、介護は、女性が担うことと考えられがちです。そうした価値観が女性差別を生み出す背景にあります。さらに、健康な子どもを産み育てることが女性としての価値であるかのように、また、幸せであるかのように思われてもいます。ここで、障害者への差別と女性への差別がつながってきます。
いま、出生前検査の技術開発が進み、行われる件数も増えているようです。背景にあるのは、「障害があることは不幸だ」という見方ではないでしょうか。「障害は不幸」を背景にした出生前検査の技術開発は、女性に対する「健康な子どもを産みなさい」という圧力をさらに強めます。それで検査の数が増えて、障害のある子どもの生まれる数が減るとしたら、女性に対する差別を通して障害者差別が行われていると言えるのではないでしょうか。
この問題は、検査で胎児の障害が分かれば産まないと決める女性に問題があるのだと受け取られます。しかし女性を責めたり、規制をすることで解決する問題ではないと思います。障害は不幸だという偏見と、妊娠・出産・育児・介護は女性の責任だという考え方を、どちらも変えていくことが必要ではないでしょうか。ちなみに私自身は障害とともに生きてみて、これも面白いし、幸・不幸は障害の有る無しでそんなに変わらないのではと思っています。

「性と生殖に関する健康・権利」(セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス・ライツ)という考え方があります。子どもの数と出産間隔、出産する時期を自由にかつ責任をもって決定し、そのための情報と手段を得る権利が、すべてのカップルと個人にあるということです。この考え方は、1970年代の国際的な女性の健康運動から始まりました。人口を減らすために避妊や中絶を強いること、逆に人口を増やすためにそれらを禁止することは、国の人口政策のために女性の身体を手段化することであり、人権侵害だとしてその解消を訴えました。
これが1994年にカイロで開かれた「国際人口開発会議」で、「性と生殖に関する健康・権利」として「カイロ行動計画」に盛り込まれました。2006年の「障害者の権利に関する条約」にも、障害者の権利の一つとして書かれています。つまり、すべての人に保障される権利です。
出生前検査を受けるかどうか、その結果で妊娠を続けるか中断するかを判断するとき、「障害は不幸」という偏見や「女性は健康な子どもを産むべき」という圧力が、カップルや個人の自由な判断を妨げているとしたら、「性と生殖に関する健康・権利」に反すると私は考えます。

では、性と生殖に関する健康・権利が全ての人に保障されるには、どういうことが必要でしょうか。まず、子どもをもつこと、もたないこと、どちらの選択も同じように尊重されること。そのための情報と手段が提供されることが必要です。産まないことを選ぶ人に対しては、避妊や中絶が安全で合法であること、そして出産することも、避妊や不妊手術や中絶も、他者から強いられないことが大切です。1996年まで存在した「優生保護法」という法律のもとで、障害を理由とした不妊手術が強制されていたことは、近年少しずつ知られるようになってきました。「複合差別実態調査」で、障害のある女性が妊娠したとき中絶を勧められたという回答を紹介しましたが、優生保護法の影響は、まだこの社会に残っています。なくしていきたいものです。
子どもをもとうとする人、生まれてくる子どもどちらも、障害があるかないかに関係なく歓迎されて、育てるための社会的支援があること、これがとても大事だと思います。

女性差別と障害者差別 どちらもなくすために

――複雑に重なりあう差別について、どのように向き合っていくことが大切なのでしょうか

障害者差別がなくならないと女性差別はなくせないし、女性差別がなくならないと障害者差別もなくならない、そういう関係にあると思います。

前段で、女性に対する差別を通して障害者差別が行われる構造があることをお話ししました。障害は不幸だという偏見と、妊娠・出産・育児・介護は女性の責任だという考え方を、どちらも変えていくことが必要なのですが、この構造が何かの問題で表面に現れるとき、障害者も女性もお互いが対立させられているような、苦しい気持ちになります。場面によっては、どちらの差別が深刻かと比べてしまったり、どうして障害者差別はもっと注目されないのだろう、あるいは、女性差別があることをどうしてわかってくれないのだろうと思うこともあります。でも、その差別の組み合わせの構造をしっかり見たら、一緒にやろうという気持ちになれるのではないでしょうか。

1972年に優生保護法の改悪が行われようとしたとき、80年代のはじめに再びその動きがあったときも、障害者と女性が力を合わせたことで止めることができました。どうして連帯ができたかというと、障害者と女性が割れている場合ではないということ、でも意見をぶつけることは大事だということ。この2本立てで考えられたからだと思います。1996年に優生保護法が母体保護法に改正されるときも、同じような経験がありました。

――差別を受けている人同士が、ぶつかり合いながらも違いを乗り越えて、対話を重ねることが大事なんですね。

70年代の優生保護法改悪をめぐって、障害者運動と女性運動は、ほんとうに厳しい言葉のやり取りをしました。そのころ私は女性の運動にいましたが、ちゃんとぶつかって話をした障害者運動の男の人たちとも、時間がかかったけど、信頼できる友人になりました。問題が現れてきたとき、しっかり意見を交わすのはとても大事だと思っています。

女性差別の問題に対しても、誰とともに行動すべきなのか考えてみると、障害のあるなしに関わらず、男性、そして多様な性をもつ人たちだと思うんです。女性差別があるからには男性差別がある、無理にどちらかに押し込められる人への差別がある、そのように私は思っています。このことは、それぞれの立場で皆さんに考えていただけたらと願っています。確かに女性の不利益は大きいですが、男性はどうでしょう?そのほかの立場からは? 変えたいことってあるのではないでしょうか?女性差別の問題をきっかけに、男性差別、多様な性のあり方への差別にも一緒に取り組んで、性の違いや障害の有無にかかわらず、一人ひとりの個性や人権が尊重される社会を作っていけたらと思います。

シリーズ記事 女性差別 わたしの視点
①フェミニズムの立場から~名古屋市立大学准教授・菊地夏野さんに聞く~
②ダブルマイノリティの立場から ~DPI女性障害者ネットワーク・米津知子さんに聞く~ ←今回の記事
③社会心理学の立場から ~東洋大学教授・北村英哉さんに聞く~

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