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<弱さ>を見つめ<強み>に変える
~「あかさたな話法」研究者の挑戦~

記事公開日:2021年11月11日

「ロックトイン・シンドローム(閉じ込め症候群)」を知っていますか?周りで起きていることがわかるのですが、鍵をかけて閉じ込められたように、誰にも伝えることができない状態です。
天畠大輔さん(39)は14歳の時、医療事故のため脳が大きく傷つき、そんな状態に陥りました。半年後、「あかさたな話法」という独自の方法により外界とのつながりを回復。それは気が遠くなるほどの手間と時間のかかるコミュニケーション法でしたが、養護学校から大学に進学し、自分の障がいを見つめて、社会福祉の研究を続けています。
ディレクターとして取材しながら考えたことを記します。

「あかさたな話法」の研究者

医療事故から25年。天畠大輔(てんばた だいすけ)さんは東京都内でひとり暮らし。ですが、24時間365日、一瞬たりとも一人になることはありません。自分の意思で体を動かすことができないだけでなく、筋肉が緊張してあごが外れると、舌の根元がのどをふさいで呼吸ができなくなり、命を落とす危険があるため、常に誰かが見守っている必要があるのです。というと、深刻で暗い情景を思い浮かべるかもしれませんが、天畠さんのまわりには、いつもケラケラと明るい笑い声と笑顔があふれています。

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「あかさたな話法」を行う天畠さんと介助者

口でものを言うことができず、手で文字を書くこともできない天畠さんは何か言いたいことがある時、「ウー」とうなるような声を出します。すると、介助者は天畠さんの右手を握り、「あかさたな はまやらわ・・・」と唱えはじめます。「あかさたな話法」です。天畠さんは頭の中に言いたい文を思い浮かべ、介助者はその一文を探りあてていくのです。

例えば、天畠さんは、「まどをあけて」と言いたい時、「あかさたなはま」の「マ」でわずかに右手を動かします。すると介助者は「まみむめも」ととなえます。最初の「マ」で天畠さんの手が動いたら、「マ」。次に、「あかさた」の「タ」で合図。「たちつてと」の「ト」で合図。2文字めの「ト」が拾えました。「まと」。そうやって一字一字読み取り、天畠さんが思い描いた一文を再現していくのです。それが「あかさたな話法」です。

自分の<弱さ>を見つめる研究

このコミュニケーション法、ものすごく時間がかかります。私たちの番組で、「弱さを受容して欲しい」という一文を伝えるのに、1分15秒かかっていた、と測定してくれた人がいました。

それだけの時間があれば、普通に声を出せば、原稿用紙1枚以上の文章を伝えられます。ほんとうに全文を一文字一文字伝えていくと、一問一答だけで何十分もかかり、質問する側も、答える天畠さんも、間に立つ介助者も、気力がなえてしまう。そしてたちまち日が暮れてしまいます。なので介助者はしばしば、天畠さんが一文字二文字伝えたところで、言いたい単語を先回り予測して変換します。単語のみならず、文を予測することもあります。そして、「合ってますか?」と確認。天畠さんは手の動きなどで Yes/Noを伝えます。

さらに、例えば私たちが取材で質問した時、天畠さんは一語か一文しか伝えていないのに、介助者がそれを補って、ひとかたまりの文章を伝えてくれることがあります。「補足説明」です。なぜそんなことができるかというと、介助者が天畠さんの専属で、「共有知識」があるからだといいます。天畠さんが日ごろ何を言い、何に関心を持ち、どんな人生を生き、何を書いてきたかを知っているからだと。そんなコミュニケーションを重ねながら、天畠さんはこれまでに2冊の本と9本の論文を書き、出版してきました。

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天畠大輔さんの著書と論文

ですが、ここで「ジレンマ」が生じると天畠さんは言います。そうやって介助者が補足して書いた論文は自分の論文と言えるのか?それが、天畠さんの最大の<弱さ>だと言うのです。

「論文を書く」ということは、研究者であることの根幹にかかわる活動です。そして、そこではしばしば「盗作」が問題になるように、「本人が書いた」という信用性が求められます。天畠さんの場合、その証明が非常に難しいのです。何しろ、口述筆記ですらない。外から見ると、言葉を実際につむぎだして文章を書くのは、介助者であって、天畠さんではないのです。

体を動かすことが出来ないから頭を使うことで勝負しようと選んだ研究者の道だというのに、それすらできないのか・・・。それは、「できれば隠しておきたいような<弱さ>の部分」でした。しかし、天畠さんは自分自身の<弱さ>から目をそらし、隠すかわりに、それを見つめ、さらけ出すことを選びます。

2019年に立命館大学に提出した博士論文では、他人に書いてもらった曲を自分の作品として発表していた人の事件について、真正面からとりあげています。彼と自分の何が違うのか?「僕が抱える問題にとことん向き合うことで、それは僕にしかできない、僕がやるから価値のある研究になるのではないか。」「それを世に問おう」と考えるようになったのです。

「健常者」にとっての当事者研究の意味

「当事者研究」といわれるこの研究は、もともと自分自身の直面する「生きづらさ」を対象とし、それを突き抜けて生きる道を切り拓こうというその人自身のための営みです。では、それは、他の人には意味を持たないのか?

いやそんなことはない、他の多くの人の役に立つ。障がいのあるなしに関わらずすべての人の役に立つはずだ。天畠さんの周りに引き寄せられるように集まる人たちはそう考えています。

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天畠さんに本を音読する嶋田拓郎さん

例えば、介助者の一人、嶋田拓郎さんは私たちのインタビューでこう語っています。

「天畠さんの研究は、天畠さんの意思から始まり、介助者との関係の中で積み上がっていくものですが、端から見て、「それってどうなの?」と思う人もいるかもしれません。ですが、一般の健常者だって、いろんな人の影響を受けて自分の言葉を作っています。「能力がある」とされている人の能力は、その人だけの力かというと、やっぱり周りの環境や、いろんなお膳立ての中で作られている。そういう普遍的な問題を明らかにしてくれるような研究であり、障害のある人だけじゃなく健常の人も含め、能力というものに縛られている人に、もうちょっと楽に生きられるように救ってくれる研究だと感じます」

嶋田さんの話を私は深くうなずきながら聞いていました。なぜなら、いま私が作っているドキュメンタリーとは、天畠さんや嶋田さんが発した言葉や姿を、カメラマンが撮影し、音声マンが記録し、編集マンが編集し、音響効果の専門家が音楽をつけて作る、いわば「借り物の総和」で、ディレクターの役割というのは、「借り物競争のランナー」のようなものだからです。大変僭越なのですが、自分のやっていることと天畠さんのやっていることは大体同じようなことである、と思ったのです。

「能力」について言うならば、1人の人が周りのものを動かして、それによって生み出される「よいもの」の数や量が多いことが「能力がある」とされるならば、また、他の人にはできない深さや重み、オリジナリティーのあるものを作り出すことが「能力」であるとすれば、天畠さんほど「能力のある人」というのは、そうはいないのではないか。

今回私たちが映像として記録したのは、自分では声を発せず、文字も書かず、ただ思い、考える天畠さんの姿でした。しかし、人間が生きているということや考えるということの本質は、本来そういう、目に見えず耳に聴こえないものなのではないか。そんな気がします。そして、声を出さず、身動きもしない天畠さんの「思い」の周りで多くの人が動き、考え、声に出して社会に発信している。それは、一見すると「何もできない」ように見えるただひとりの人が、ただ思い、考えることにどんな力があるのかを示しているのではないか。

最良の生存戦略とは

ですが、 他者の善意や助けに身をゆだねて生きることは容易なことではありません。危険にさらされやすい状態でもあります。2016年に相模原の障がい者殺傷事件が起きた後、天畠さんは、自分の介助者から「私もつらいから、あんまりわがままを言わないで」と言われ、「いつか自分も殺されるかも」と思ったと、語っています。天畠さんは、そういう恐怖と日々隣り合わせで生きているのでもあります。

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介助者と外出する天畠さん

天畠さんにとって、最良の生存戦略とは何か?殺されないための一番の方策とは何か?そんな問いが私の頭に浮かんできました。

それは、自らが「善」になっていくことなのではないか。「善」というよりは「利他」と言ったほうが当たっているかもしれません。「功利的な利他」を行い続けることが、最良の生存戦略なのではないか。自分をとり囲むすべての人たちの幸せを願うことなのではないか・・・。

そんな心の中で音もなく「善」を行う暮らしを毎日続けていたらどうなるのか?それは限りなく「修行」に近い日々ではないか?そこで行われる祈りは、障がい者福祉の向上をはるかに超えて、すべての人が「生きていたい」と思い、幸せを感じられる社会を願うものなのではないか。

新型コロナウイルスの流行で、感染を恐れて人との交わりを減らし、身動きできない日々が続く中、天畠さんを取材をしながら、そんなことを考えていました。

天畠さん、天畠さんの言いたいことと「合ってますか?」

※この記事は、 2021年10月12日(火) 放送のハートネットTV「『あかさたな』で研究者になる ~天畠大輔 39歳~」をもとに作成しました。

執筆者:川村雄次(NHKディレクター)

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