ことし1月に行われたサッカーのイングランド・プレミアリーグ、マンチェスター・ユナイテッドとリバプールの試合。両チームのユニホームが深い緑色と赤色で、色覚に障害のある人には区別が難しかったことから、SNS上に苦情の声が上がりました。こうした先天的に色の見え方が一般と違う「色覚障害」の人は、日本では男性の20人に1人、女性では500人に1人いるとされ、国内全体では300万人以上にのぼると見られています。「色覚障害」の人たちが経験している困難と、その解消へ向けた取り組みをお伝えします。
色覚の違いによる色の見え方(提供:『色弱の子どもがわかる本』より
「色覚障害」は、医療の用語では「色覚異常」、そして当事者の団体では「色弱」とも呼んでいます。どんなときに色の見え方の違いを感じるのか、NPO法人・カラーユニバーサルデザイン機構CUDOの副理事長の岡部正隆さんに話を聞きました。岡部さんは色覚障害の当事者で、東京慈恵会医科大学の解剖学の教授でもあります
岡部:私自身は生まれてから、この目でしか世の中の色を見たことがないので、人とどう違うか自覚するのは難しいです。けれども、例えば公共の掲示物や商品などが使いにくいなと思ったときに、人に聞いてみると、実は同じように見える色が全く違う色だと指摘されて気づくことが多いですね。 私の目の場合は非常に目立つ赤がすごく暗く見えています。そうすると、例えば学会で発表しても、赤いレーザーポインターの光が見えなくて、自分でどこを指しているのかがわからない。例えば自動販売機でジュースを買うときに、「売り切れ」のランプに気づかなくて、何回も押して、「何で出てこないんだろう」という経験もあります。
――色の見え方が違うというのは、どんな原因があるのでしょうか?
岡部:眼球の一番奥に網膜という神経の膜があります。その網膜の上に、目に入ってきた光に対して、センサーとして働く3種類の“錐体”という細胞があります。この3種類の錐体は最も強く反応する光の波長が異なっていて、それが脳に伝えられると、「こういう反応のパターンだったらこんな色」とイメージされて、我々は色を見ています。このセンサーの性質は、遺伝子で決まっているので、人によって多少異なっていますが、これが大きく異なっていると、同じものを見ても、脳の刺激のされ方が違うので、色が違って見えるのです。
――色の見え方にはどのようなタイプがあるのでしょうか?
岡部:感覚の話なので、言葉で表現するのは非常に難しいですが、簡単に説明すると、よく言われるのは赤と緑の区別です。普通は全く逆の色という扱いだと思いますが、非常に似通った色に見える。ただ、一方は明るめの赤だったり、一方は暗めの緑だったりすると、明るさの違いで区別できて、わかるケースも結構あります。
他に、例えば黄色と黄緑や、パステル調の色で、ピンクと水色なども見分けにくい色です。今は、スマートフォンアプリで「色のシミュレータ」というものがあり、スマートフォンのカメラで撮っている映像が、色弱の人にはどういう風に見えるのかをリアルアイムに表示してくれます。
スマートフォンアプリ「色のシミュレータ」で撮影した例/下部が色覚障害の見え方の一例(開発・浅田一憲氏)
岡部:私は色弱の中でも最も強度のタイプで、3つあるセンサーのうちのほとんど2つしかセンサーが働いてないという状態です。そういった人が、300万人いる中でも、全体のたぶん3分の1ぐらいだと思います。だから残りの200万人ぐらいの人は、一般の人とほとんど変わらない人から、私の見え方に近い人まで、かなりバラエティーがあると思います。
当事者の人たちは、どのような困難を経験してきたのか、岡部さんが副理事長を務める「カラーユニバーサルデザイン機構」友の会のメンバーの男性に子どもの頃の話を聞きました。
「小学校の頃、写生のときに、桜の花を白で着色してました。友だちの絵見ると、どうもピンクかなんか、違った色で着色してる。それで、「あれ?自分おかしいのかな」と思いました」(Aさん)
「小さい頃、色のことでいじめられました。友だちから、「やーい、色盲、色盲」とかって言われたことがありますね。それがちょっとトラウマになっています。あまり色の話はみんなとはしないようにしていました」(Bさん)
岡部:色に関する話をすると、間違いを指摘される。そういう経験をしてるうちに、自分から色の話はしないようにしようと考える人はかなり多いと思います。
私自身、小学校のときに、校庭で写生をすることがありました。イチョウの木を描いていて、(僕にはそう見えたのですが)木の幹を緑色に塗ってたようなんです。それを友だちが「何で、こんな色で塗ってるんだ」と言い出して。校庭中に散っていた生徒たちが、みんな集まってきて、「何だ、この色は。」と言われて。僕も困っちゃったんですけど。
その時、すぐに先生が駆けつけてきて、教室に戻ってから色弱の話をしたんです。「岡部くんにはそういうふうに見えてるんだから、それを描いたっていいじゃない」と。そのおかげで、僕が困ってるときに、ほかのクラスメイトたちが、「これわかる?」って聞いてくれたりするようになりました。
――教育現場での対応が大事ですね。障害についてはどれぐらい指導が浸透しているのでしょうか。
岡部:平成26年に文部科学省が、色覚に対する知識を生かして「適切な配慮、適切な指導をしなさい」という通達をしました。その直後から、学校の特に養護教諭の先生から、配慮とか、指導のあるべき姿とはどんなものなのかと、問い合わせがありました。配慮というのは、全ての子が同じように学べる環境を整えることだと思います。
このこと自体は、どの子が色弱であるかわからなくてもできます。例えば、色弱の子が理解できるような図版を揃えている教科書や副読本を使うことや、色弱の子どもにも4色違って見えるカラーチョークを使うことなどが配慮です。一方、指導というのは「色弱で困ってるんですけど」という子が来たときに、どうアドバイスをしてあげるかという個別の問題になると思います。
――色覚障害があると、かつては進学や就職に制限があったそうですが、今はどんな状況でしょうか。
岡部:かつてはいろいろな職種に対して、色弱の人は不適切であるという形がありました。私が医学部に入学したのは、昭和62年です。当時はまだ一部の医学部では色弱の学生は不合格にされる時代でした。だいぶそれはなくなっています。ただ、今でも、色弱だとなれない職業はいくつかあります。例えば鉄道の運転手や旅客機のパイロット。一方で、かつて消防士や警察官などもだめでしたが、それはだいぶ緩和されました。多様性の時代に入ってきて、個性として受け止めようという流れも時代の流れとしてあるような気がしますね。
過去、小学校で行われてきた色覚検査は2003年から全員を対象とするものではなくなり、任意の検査となりました。その結果、多くの学校で検査が行われなくなったことから、文部科学省は2014年に通知を出して、色覚検査の適切な体制を整え、積極的に保護者へ周知するよう促しています。この学校での色覚検査について、眼科医の立場から検査の必要性を訴えている方に話を聞きました。色覚障害に詳しい眼科医の市川一夫さんです。
市川:私はまず基本的には学校で色覚検査をすべきだと思います。今は任意ですが、なぜ必要かということをよく説明することが大事だと思います。まず先天色覚異常というのは、色間違いをしたり、色間違いしたことを他人に指摘されます。(指摘される前に)自覚することはないんですね。だから事前に検査しておくべきだろうということです。それから、社会に出るときにどういう職業に就くか。検査してないと、例えば、実際に私がみた患者さんですけれども、船舶学校へ行ってしまって、いよいよ免許を取るというときに色覚で引っかかって、今まで勉強したことが無駄になってしまったということがあります。色覚異常があるために制限されることを知らないと、後で困るということがありますので、私はできる限り、学校の時代に、社会に出る前に、きちっと検査しておくことは必要だと考えています。
――将来のためにわかっておいたほうがいいという考えについて、岡部さんは学校での色覚検査についてはどう考えますか?
岡部:一斉検査から任意になったことは、非常に重要な問題だと思います。色弱は遺伝なので、本人が色弱であることを親も何となくわかっているようなケースもあります。そういう子が色覚検査をみんなの前で受けると、プライバシーの問題が生じることがかつてありました。そういうことも考えると、受けたい人が受けられるという形になったのは、進歩だと思います。
もう一つ、一斉検査は小学校4年生でやっていました。一方で小学校のそのぐらいの年に将来就きたい職業が決まってるかというと、必ずしもそうではありません。そのことを考えると、就職とか、将来の方針を考える高校生ぐらいの時期に、任意で検査を受けられるのがいいのではないかと思います。
岡部さんが副理事長を務めるNPO法人・カラーユニバーサルデザイン機構では、色覚の多様性への理解を広げて、色のバリアフリーを進める活動を行っています。その一つは、いろいろな色覚の人に公平に情報を正しく伝えるためのデザインについて、デザインのやり方を啓発していくことです。
岡部:その活動をやっていると、「うちの商品ってどうですか?」「この地図、ハザードマップ見やすくなってますか?」という相談を企業とか自治体から受けるようになりました。現在は、それに対して助言をしていくというのが、どんどんメインの仕事になっていきました。
――アドバイスをするときのポイントは、どういうところですか。
岡部:一つはどんな色覚の人にも見分けやすい色の組み合わせをすること。もう一つは色の区別ができなかったときにも、形の違いなどで補って、情報の違いがわかるようにすること。
それからもう一つは、色の名前の問題です。塗られている色が何色であるかを表記することなどで、色の名前を用いたコミュニケーションがうまくいくようにサポートしてあげる。例えば病院の外来で「初診の人は黄色い紙に書いてください」、「再診の人は白い紙に書いてください」という場合に、その色分けは紙の色だけじゃなくて、紙の片隅に「黄色」、「白」と書いてあると「どの紙のこと言ってるんだ」ってわかりますよね。そういう3つのポイントに関してお願いしてます。
――こうした活動は、例えばどんなところで取り入れられているんでしょうか。
岡部:命の危険に関わるものだと、例えばハザードマップ。もし色弱の人が一人で住んでいたら、ハザードマップを持ってても、自分の家がどういう災害に遭うかわからない可能性があります。だから色弱の人にも、その危険度の分類の色分けがわかるようになることは重要です。
それから、テレビのリモコンには、青と黄色と赤と緑のボタンがあり、色の名前が書いてあります。今はどこの家庭のどのテレビのリモコンにも色の名前が書いてある。こういうのはどんどん広がってる感じがしますよね。
それから、パソコンやスマートフォンのゲームでも改善が進んでいます。色を組み合わせて遊ぶパズルゲームなどでは、色弱の人でもわかりやすいような色の仕様もあらかじめ設定されていて、それを選ぶことができるようになってきています。
テレビのリモコンに記載された色の表示
「色のバリアフリー」を進める活動には、岡部さんの団体の中で当事者の方々が中心となった友の会も重要な役割を果たしています。友の会に入って初めて、同じ障害の仲間に出会った方も少なくありません。また、色覚障害の子どもを持つ保護者も友の会に参加し、障害への誤解を解く活動も行っています。
「お子さんが色弱だとわかると、かなりショックを受けたり、うろたえたりされる方が多くて、泣き出してしまうお母さんもいます。そういう人たちと、当事者である私たちが直接会って、誤解を解いてあげています」(友の会の世話人・西岡大祐さん)
さらに友の会の活動は社会を変える取り組みにもつながっています。子供の頃のいじめの経験を語っていた男性は、教科書のカラーページのチェックに携わっています。
「カラーユニバーサルデザイン機構CUDOに入ってからは、小学校の教科書の検定などで、色弱であることが生かせる、貢献できるとわかって。自分としてもよかったなと思うようになりました」
また友の会には企業に勤める人が参加するケースもあります。
「色覚とか色弱について知りたいと思って来られる方がいます。そういう人たちがその後に、自社の製品を色弱の人でも見やすいように配色を変えたりしています。例えば目覚まし時計の長針と短針は黒で、目覚ましの針が赤だったんですね。赤だとわかりづらいということで、今の製品ではちょっと黄色っぽくなっています。そういう配慮がいろいろな製品でされるようになっています」(西岡大祐さん)
――友の会のメンバー自身が、社会を変えるきっかけにもつながってるんですね。
岡部:そうですね。世の中にいる、少数派の人たちも多数派の人たちと同じように生活できる環境を自分たちがつくってるんだっていうね。それは一つの喜びだと思うんですよね。
戦後、この社会の担い手として、ある意味均質化された個性を社会が求める中で、色弱の人が排除されてしまうような構図があり、進学や就職に制限がありましたが、近年いろいろな多様性を認める時代になりました。 公共の様々な色遣いを色弱のような少数の人たちにも普通に使えるようなものに変えていこうという動きがどんどん進んで、またその取り組みの重要性が社会に認知されるようになってくると、恐らく、今やってるようなカラーユニバーサルデザイン機構CUDOの検証作業は、ほとんどいらなくなると思います。将来的にはCUDOは解散してもいいのです。社会の側が変わっていって、皆さんに住みやすい社会を実現していく方向性に行ってもらえるといいですよね。
※この記事は視覚障害ナビ・ラジオ 2021年5月9日放送「それは赤色?緑色?色覚障害の理解を求めて」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。
執筆者:竹内京(NHKディレクター)