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小林エリコ うつ病から「再生」したわたし

記事公開日:2018年05月31日

一度人生の歯車が狂うと、元に戻るのが困難な社会。うつ病を患い4回の自殺未遂を繰り返した小林エリコさんも、社会から切り離されてしまったと感じたひとりです。宝石も高価な服も要らない。ただ、その日その日をつつましく生きたいという願いは、この世で最も手が届きそうにない願いでした。そんな彼女が人との関わりを取り戻して「再生」するまでの道のりを、自らの体験記を通してたどります。

自身の壮絶な体験を書籍に

東京都大田区で開かれた文学作品のフリーマーケットのブースに、自らの体験記を販売する女性がいます。うつ病、自殺未遂、生活保護の受給という壮絶な人生を淡々とそして赤裸々に綴る、著者の小林エリコさんです。著書の題名は『この地獄を生きるのだ うつ病、生活保護。死ねなかった私が「再生」するまで。』。「うつ」という生きづらさから生まれる絶望、ふたたび社会とつながることの難しさを、当事者としてリアルに綴りました。

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小林さんは、自分の経験を世の中の人に知ってもらいたいという思いで本を執筆。
精神障害者に対する偏見が多い社会で、それを隠せば偏見を受け入れているような気がする、と全てをさらけ出すことにしました。困難を抱えた人に希望を持ってもらうだけでなく、自分に関係ないと思っている人にも読んで欲しいと言います。

「ちょっと踏み外してしまったら、いつこちら側の世界にいくかどうかわからないということを考えてもらいたいと思う。」(小林さん)

本を購入した人たちからは共感の声が次々と聞かれました。

「こんなに赤裸々に書ける人ってなかなかいないよなって思って。重たい内容なのに、語り口が軽妙で全然すらすら読める」(男性)

「病気後の生活をどう人生を歩んでいくかということを、彼女からはいっぱい学ばせてもらっています。追体験できるような気持ちにさせてくれるんですね。あまり自分自身に没頭すると、それこそ具合が悪くなってやっていけないけれど、彼女みたいな視点で見れば、自分自身の苦しみも眺めることができる」(女性)

即売会に参加してお客さんの声を聞くのは、人と人とがダイレクトに関われるから。その瞬間、小林さんは社会とのつながりを取り戻していると実感します。

心を病んだきっかけは子供の頃の「いじめ」

小林さんが「生きづらさ」を感じはじめたきっかけは、小学生と中学生の頃に受けたいじめ体験です。机を蹴り倒され、笛を折られ、クラスメイトに蹴り倒され、水をかけられる。この世は地獄で、生きている意味も存在する価値もないと思い、ありとあらゆる権利を子供の頃に諦めてしまいます。

どこにも助けを求められない小林さんは心を病み、「うつ」の症状が出始めます。そして、高校2年生の頃には精神科に通うようになりました。

その後、短大を卒業して漫画雑誌の編集プロダクションに就職。しかし、そこは残業代も出ない、社会保険もない、月給12万円の職場でした。外注費の5万円をカットするためにデザインも小林さんが行い、仕事は激務となります。家では泣き続ける日々が続き、薬を飲まなければ眠れない体になり、精神の安定が保てなくなりました。

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「平日に精神科に行くから休みます、ってできなかったから土曜日の午前中に行っていたんですけど、起きられないんですよ。午前中なんて。それで薬だけをもらうために通っていて、友達とかもどんどん縁が切れていきましたね。通帳もほぼ数千円とかゼロみたいな感じだし、そういうとき、人は死ぬことしか考えられないんですよね。」(小林さん)

そして小林さんは自殺を図ります。3日間意識不明で、気がついたら身体中が管だらけの状態で病院にいました。そのときの心境を次のように語ります。

「命を落としたいほどこの場にいることが苦しい。命を失ってもいいほど生きているのが辛い。辛くて辛くて悲しい、辛くて苦しくて悲しいことの表現なんじゃないですかね。そういうことが言えないから自殺未遂してしまうのかもしれません。」(小林さん)

生かされている自分でも社会に貢献したいという願い

一命を取り留めた小林さんですが、一度狂ってしまった人生の歯車を戻すのは困難でした。

月日が過ぎ体の調子が良くなり、24歳になった小林さんはそろそろ働こうと思いアルバイトの面接に応募しました。しかし、前の仕事を辞めた理由を聞かれます。本当のことは言えず「体調を崩したので」と答えましたが、結局は受かりませんでした。その後も面接を受け続けましたが、すべて落とされました。

貧困と心の病と孤独、そして寄る辺ない暮らし。定職も見つからない時期が長く続き、生活に行き詰まり、31歳のときに生活保護を受給することになります。しかし、小林さんには数々の体験が待っていました。

「市役所でワーカーの人が私に用紙を投げて渡すとか、『そんなこともわからないの』とか『一応、短大は出ているんだ』とか。精神科のデイケアでも『小林さんナマポなんでしょ』って言われて、ナマポってなんだろうってわからなくて検索したら生活保護ってあって、彼も私のことを馬鹿にしていたのかもしれないと思って。そういうので次第に『私は恥ずかしいと思わなきゃいけない。生かさしてもらっていると思わなきゃいけない』っていう感じになっていきました。」(小林さん)

生活保護を受けながら、否応なく自分がまともではないと思い知らされた小林さん。どこにも所属せず、何の役割も持たず、果たすべき役目もない人生は空っぽで虚無だと感じ、一体何のために自分は存在しているのかと自問します。

「消えてなくなりたい。この世界に存在していることが申し訳ないっていうか。ただ生きて食べて寝てそれだけ。人間はやっぱり食べるためだけに生きているんじゃないから、自分は何か社会に貢献したりとか必要とされたりっていう感覚。そういうのを忘れちゃう方が怖いなと思いました」(小林さん)

自分が必要とされていると実感する喜び

自分の存在に意味を見いだせないでいた小林さんに転機が訪れたのは8年前のことです。

もう一度社会復帰したいという思いから、精神障害の啓発などを行っているNPO法人が発行する雑誌を目にし、電話をします。そこは求人をしていませんでしたが、小林さんは編集経験を買われて無給のボランティアとして採用されました。仕事は漫画の単行本の制作。実に10年ぶりの仕事、社会への復帰でした。

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小林さんが任されたのは、このNPO法人に投稿された子育て漫画の編集です。原作者はうつ病を患いながら子育て中のお母さん、それをリライトする漫画家は統合失調症の女性。小林さんを含めて全員に精神疾患がありました。

漫画としての形式が統一されていない自由に書かれた原稿を、漫画を読む人が理解できる内容にまとめる作業に悩む小林さん。しかし、それは仕事をしている実感がする身震いするものだったと著書で語っています。

「私は『自分が必要とされている』と改めて感じられた。端から順に原稿を読んでみて、使えそうなネタに付箋をつける。彩りのなかった私の部屋は蛍光ピンクの付箋で眩しくなった。」(著書『この地獄を生きるのだ』より)

小林さんは働きぶりが評価され、2年後にボランティアから非常勤雇用となります。10年ぶりに給料を受け取る小林さんに、上司は給料袋を渡しながら「働けたのにいままでもったいなかったね」と労いました。そのときの気持ちを上司は次のように説明します。

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「いままで働けたのにすごくもったいないって思ったんですね。私自身もそれを聞いて悔しかったというか、なんでこんなに色々と気も利くし、やれることがたくさんあるのに10年もって、その期間がすごく長く感じられて。」(小林さんの上司)

自分は働けるということを考えてくれた人がいままでいなかったので、小林さんには上司の言葉が意外であったし、うれしさを通り越して感動しました。そして、34歳のときに生活保護の廃止が決定します。3年にわたった生活保護の受給から自らの力で抜け出しました。

伝えたいメッセージは「あなたは何も悪くない」

小林さんの制作により生まれた漫画の単行本が『うつまま日記。』。うつ病を患いながら子育てをする母親の姿が、ユーモアをまじえて明るく描かれています。

短大を卒業して編集の仕事を最初に選んだことを後悔したり、あの会社に行かないで他の仕事についていれば違った人生だったのではないかと考えたりしましたが、結局どん底まで落ちた小林さんを救ったのは漫画編集という技術でした。

こうして何度も人生に絶望しながらも普通に働き、普通に生きることを取り戻した小林さん。初めて手にしたクレジットカードで新しいパソコンを買います。そのときの思いを著書で次のように語ります。

「私はうつむきながら、自分に感動していた。どんな映画よりも、どんな本よりも、どんな音楽よりも、私の人生は美しく、感動的じゃないか。病気になったことも、死にかけたことも、人から見放されたことも、すべて大切なことなのだ。もしかしたら、いまが泣くときなのかもしれない。ポイント10倍で買ったパソコンを抱え、新しい家へと向かって走る電車の中でそっと目を閉じた」(著書『この地獄を生きるのだ』より)

この言葉に作詞家の阿木燿子さんは心を動かされます。

「最後の言葉がすごく素敵というか。自分の人生に感動しているというところに心動かされました。生活保護を脱却できてカードを手にできて、社会からも信用されて、それでもって買ったパソコンを抱きながらっていう。どんな環境でも希望に向かって。自分が社会の一員であるということをものすごく大事になさって。」(作詞家、阿木燿子さん)

小林さんは現在もうつ病で通院中ですが、もしもまた入院することがあっても本を書き続けたいと言います。それは、自分の体験は他の健康な人たちには絶対にわかりえない情報であり、うつ病の人の家族や支援者に役立つのではないか、と考えるからです。そして、うつ病の当事者にも読んでもらい、励まし続けたいと言います。

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「マイナスな体験を自分でも否定してしまったら、自分自身が台無しになってしまう気がするんですね。そういうことも、きちんとそんなに悪かったことじゃないし、あのときは仕方がなかったんだよっていう風に言ってあげたいですし。そういう辛かった経験も全部ぎゅっとして、それを抱えたまま生きていけたらという気持ちで(本を)書きました。」

本の出版以外にも、小林さんは自らの体験をさまざまな形で発信しています。去年9月からインターネットで配信している「エリコの失敗日記」。そして、最近連載が始まった「わたしはなにも悪くない」。

小林さんは同じ困難に直面している誰かのために、あなたは何も悪くないというメッセージを送り、励まし続けています。

※この記事はハートネットTV 2018年5月17日(木)放送「リハビリ・介護を生きる 小林エリコ 私はわたしを生きるのだ」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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