iPS細胞を作り、ノーベル賞を受賞した山中伸弥さんが、ぜひ話をしたい研究者がいます。新型コロナウイルス・ワクチン開発の立て役者、カタリン・カリコさんです。一方、カリコさんも今回のワクチン開発は、山中さんの研究から大きな影響を受けたと言います。カリコさんの研究には長い苦難がありましたが、強い熱意がそれを支え続けました。互いの研究姿勢に共鳴する2人が、「科学」にかける情熱を語りあいます。
※対談が行われたのは2021年5月です。内容は同年7月10日の「ETV特集」放送時点のものです。
生命科学の常識を変える大発見をしたカリコさんと山中さん。今回の対談は、カリコさんの故郷ハンガリーと、山中さんのいる大阪を結んで行われました。
カタリン・カリコさんと山中伸弥さん
山中:あなたをとても尊敬しています。ぜひお会いしたいと思っていました。なぜなら、あなたは世界を救っているからです。メッセンジャーRNA(以下mRNA)ワクチンはパンデミックの形勢を大逆転させるものです。
カリコ:ありがとうございます。私もあなたを尊敬しています。
山中:今、ファイザー/ビオンテックとモデルナ、2つのmRNAワクチンがありますね。どちらにもあなたの技術が使われ、ウイルスの同じ部分が利用されています。双子のワクチンだと思っていますが正しいですか?
カリコ:はい、どちらのmRNAも同じタンパク質を作ります。1273のアミノ酸の配列がまったく同じです。
山中:なるほど、似ているわけですね。コロナウイルスはとても手ごわいですが、このワクチンのおかげでようやく乗り越えられると思えるようになりました。近い将来あなたがノーベル賞を受賞することを願っています。いろんな可能性がありますね。医学生理学賞だけでなく、化学賞、さらに平和賞だってあり得ますね。
カリコ:ありがとうございます。私たちの研究は、先人たちの成果の上に築かれたものです。私は多くの科学者の研究に助けられてきました。今回、私も科学の歴史に加わることができてうれしいです。
日本で接種が進められている2つの新型コロナワクチンは、いずれも1年足らずという短い期間で開発された上に、90%以上という高い有効性を示しています。その秘密は、ワクチン開発のカギとなる遺伝物質mRNA。細胞の核にあるDNAから遺伝情報を写し取り、別の器官にそれを伝えタンパク質を作らせるのが役目です。
これが、ワクチンを作るときにどう役立つのか?
新型コロナウイルスは、表面に並ぶ突起の部分がヒトへの感染のカギを握っています。ウイルスは、この突起をヒトの細胞の表面にある受容体に結合させて入り込みます。これが「新型コロナウイルスに感染した」という状態です。
新型コロナウイルスは突起を細胞の受容体に結合させて入り込む(イメージ)
つまり、この突起を使えないようにさえできれば感染を妨げることができます。mRNAを使ったワクチンでは、ウイルスの遺伝情報の中からこの突起の部分の情報を取り出して、人工的に大量のコピーを作ります。それを特殊な脂の膜で包んだものがmRNAワクチンです。
投与すると、mRNAの情報を元に突起の部分が作られ、さらに、私たちの細胞が自らウイルスと闘うためのタンパク質を次々と作るのです。
接種して細胞に取り込まれると、まずmRNAの遺伝情報が読み込まれます。すると、ウイルスの表面にあったものと同じ突起が作られます。この突起を近くにいる免疫細胞が異物ととらえて次々と抗体を作り出します。いざ、本物のウイルスが体の中に入ってくると抗体がウイルスの突起に取りついて邪魔をし、感染を妨げてくれるのです。
それだけではありません。強い免疫機能を持つキラーT細胞も活性化されます。仮に細胞が感染したとしてもその細胞ごと破壊し、ウイルスの増殖を阻止するのです。
山中:このワクチンの有効性はとても高く、驚きです。これほど高いと最初から予想していましたか? それとも驚きましたか?
カリコ:私は高いと予想していました。なぜなら、以前に行ったジカウイルスやインフルエンザでの動物実験で、ワクチンの効果が高かったからです。さらに、このコロナワクチンの治験で生成された抗体と、細胞免疫のレベルが非常に高かったからです。
山中:現在はインドで確認された変異ウイルスが心配です。変異ウイルスへのワクチンも開発していますか?
カリコ:今回のワクチンはさまざまな変異ウイルスにも有効とみられています。常に変異ウイルスをチェックし、有効性のデータを公開しています。抗体レベルを測定し、抗体の質も確認しています。もし新たなワクチンが必要になれば、4~6週間で作ることができます。
山中:それは速いですね。驚きです。
mRNAワクチンを実現させる大発見をしたカリコさんは、1955年にハンガリーで生まれました。第二次世界大戦が終わってから10年後で、当時の母国は共産圏の国でした。
山中:あなたはどのようなきっかけで科学者になったのですか?
カリコ:子どもはみんな植物や動物が好きですよね。私も家の周りにいる動物や鳥に興味を持っていました。父は肉屋で、私はいつも父が動物をさばくのを興味深そうな顔をして見ていたそうです。私は覚えていませんが、そのころから関心があったようです。そして、科学者になると決めたのは、すばらしい先生たちと出会ったからです。
カリコさんはハンガリーの大学、そして大学院へと進学し、RNAについて研究を始めます。
ハンガリーで研究するカリコさん
カリコ:私はRNAの研究から始めました。1978年当時のハンガリーにはmRNAを作れる人はいなかったからです。最初は短いRNAを作りました。さらに、RNAウイルスなど、ウイルスについても学びました。1970年代は分子生物学の創生期で、エキサイティングな時期でした。
大学院を卒業後、ハンガリー南部の研究施設で科学者として働き始めたカリコさん。その後、結婚して娘も生まれ、幸せな日々を過ごしていました。ところが、1985年、大きな試練に見舞われます。カリコさんは研究資金を打ち切られ、研究を続けることができなくなってしまったのです。当時、ヨーロッパはいわゆる「鉄のカーテン」によって東西の陣営に分断され、共産圏だったハンガリーは経済が行き詰まっていました。カリコさんは、広くヨーロッパで研究を続けられる職場を探しましたが、それでも見つけることができませんでした。
カリコさんと家族(ハンガリーで暮らしていたころ)
何とかしてRNAの研究を続けようと模索したカリコさん。アメリカの大学から研究者として受け入れられるという返事が届きました。国外への通貨の持ち出しが厳しく制限されるなか、車を売って得たわずかなお金を娘のぬいぐるみの中に隠し、鉄のカーテンを越えてアメリカに渡ることを決断します。
アメリカに渡ったカリコさんはRNAの基礎研究に没頭します。最初の恩師は化学修飾が専門のスワドルニック教授です。RNAなどに他の化学物質を反応させ、その機能の変化を調べていました。その後、カリコさんはペンシルベニア大学に移り、mRNAを治療に使う研究を始めます。
アメリカに渡って研究を続けたカリコさん
1989年からmRNAを医療に使うための研究を続けますがほとんど評価されず、研究費を減らされたり、ポストを降格されたりもしました。その原因の1つが、mRNAに対する当時の科学者たちの常識です。mRNAは不安定で分解されやすく、薬に使うのは難しいと考えられていました。それに対してカリコさんは、分解されやすいという性質がプラスに働くと考えます。体内に長く残らず、消え去ってくれるからです。
山中:NIH(米国立衛生研究所)からはどんな批判を受けましたか?
カリコ:RNAは非常に不安定です。NIHは保存可能な期間を懸念していました。保存中に劣化するものは医薬品として使えないと。医薬品とするためには、最低でも2年間は保存できる必要があると言われました。研究費を得るために彼らを説得するのは難しかったです。
山中:アメリカに行ってからも苦労されたんですね。どのように乗り越えましたか?
カリコ:何より重要だったのが、強い熱意を持つ同僚といつも一緒だったことです。彼らは私をサポートし、研究資金も援助してくれたのでmRNAの研究を続けられました。
カリコさんは研究に対する評価を得られないまま時が経っていきました。そして、アメリカに渡ってから10年あまり、運命の出会いが訪れます。
ペンシルベニア大学のドリュー・ワイスマン教授とカリコさん
カリコ:私がドリュー・ワイスマン氏と出会ったとき、彼はワクチンを開発したいと思っていました。彼は免疫とワクチンの学者で、私はmRNAの学者です。研究分野に重複があり、私は彼から免疫学、彼はRNAについて互いから学びました。
山中:ワイスマン博士と出会えたのは幸運でしたね。どんなきっかけで出会ったのですか?
カリコ:私たちはコピー機の前で出会いました、1997年か1998年のことです。当時はまだ科学誌がデジタルではなく紙の書籍でした。科学誌はコピーをとるのが普通でした。彼は新任だったので私から自己紹介し、自分の研究について話しました。
mRNAを医療に生かしたいというカリコさんの夢と、ワクチンを開発したいというワイスマンさんの夢の偶然の出会い。ワイスマンさんは、「私はとてもシャイなので、自分から誰かに話しかけることはめったにありません」と語っています。小さなきっかけから、mRNAワクチン誕生に向けた共同研究が始まったのです。
山中:ほかの科学者との交流はとても重要です。コピー機はとてもよい出会いの場になります。最近はコピー機をあまり使わないので、コーヒーの自動販売機が人と交流する場としては最適ですね。
このパンデミックで、私は1年以上ほかの科学者たちと話ができず寂しいです。以前のスタイルに戻れるよう願っています。オンライン形式で人と会うのはとても便利です。でも、コーヒーを飲みながらの方が同僚たちと話がしやすいですね。ときにはワインを飲みながら話すのもいいと思いませんか?
カリコ:いいですね!
コピー機での出会いから共同研究を始めたカリコさんとワイスマンさん。しかし、再び大きな壁にぶつかりました。人工的に作ったmRNAを細胞に加えたところ、拒絶反応が起きました。炎症が起きて、細胞が死んでしまったのです。カリコさんたちは諦めずに、炎症が起きないようにする方法を探し求めます。
カリコ:私たちは挑戦し続けました。それが科学者です。できると信じて試し続けるのです。尊敬していた人から批判されていると知って、傷ついたこともありました。しかし私はその人のことを気にしないようにしました。否定的な声に自分が影響されないよう、他の人の評価を気にしないことにしました。私は常に次に向かって前進し続けました。
カリコさんがこうした強い信念を持つようになったきっかけは、高校時代に遡るといいます。
カリコ:高校の時にハンス・セリエの著書を読みました。“ストレス”という言葉を考え出した人です。彼はどうすれば不要なストレスを感じずに生きられるか、アドバイスしていました。彼は「どうにもできないことに時間を費やすのではなく、自分が変えられることに集中しなさい」と書いています。
そのため、私は自分に何ができるのか常に立ち返ります。私が変えることができないほかの人のことや、状況については気にしません。私が変えられることに集中します。
よく「環境によってやる気をそがれる」という人がいます。「同僚は働きが少ないのに多くの報酬をもらっている」「彼は昇格したけど私はしていない」と。そして やる気を失います。「なぜ一生懸命に働くのか」と。しかし自分ができることに集中すべきです。他のことは集中を妨げるからです。
2001年から同じ大学に所属し、カリコさんと10年以上一緒に研究した村松浩美さんは、研究にのめり込むカリコさんの集中力に心底、驚かされたと言います。
村松:朝、彼女の事務室に行くと、小さいニンジンをぽりぽり生でかじりながら論文を読んでいましたね。「土日は家でゆっくり論文が読める」と言っていました。「え、土日?家で論文読むの?」と思っていましたからね。
共同研究者 村松浩美さん
カリコさんは実験で思い通りの結果が得られなくても動じることなく、常に次の実験のことを考えていたといいます。
村松:こんな結果でいいのかなと思って持っていくと「あ、そう。じゃあ続き」って。「え、これでいいの?最初に考えていたのと違う」と言うと、「いや、だってこれが結果だ。これが大事なんだ」って。自分の考えじゃなくて、出てきた結果が一番大事だと。切り換えが早いし、結果の善し悪しにいちいち引きずられない。これが本当の科学だとそのとき気が付きました。
以前、カリコさんは研究とは関係ない部分で注目されていました。米国に渡ったときに2歳だった娘のスーザンさんが、2008年の北京オリンピック、2012年のロンドンオリンピックと、2大会連続で金メダルを獲得したのです。
カリコさん(右)と娘のスーザンさん(中央)
山中:お嬢さんは金メダリストだそうですね。それも1度だけではなく何度も。
カリコ:はい。彼女はオリンピックで2回、世界選手権で5回金メダルを獲得しています。彼女はボート競技の世界のレジェンドです。彼女がボート競技を始めたのは大学に入ってから。すでに19歳でした。決して早くからではありません。
山中:それは驚きです!お嬢さんに科学者になってほしいとは思いませんでしたか?
カリコ:私はなってほしいと思っていました。彼女に面白い雑誌記事を見せていたのですが、科学にあまり興味を示しませんでした。でも、彼女はビジネススクールを卒業して、今はRNAを作る会社で働いています。
山中:そうなんですか!
カリコ:以前の私は、娘がオリンピックの金メダリストだといつも紹介されました。RNAを作っていると紹介する人はいませんでした。私が有名だったのは娘がいたからです。今では、娘は会社で「彼女の母親はカタリン・カリコなのよ」と紹介されるようになりました。メダルのことに触れる人はいないようです。
ここで、2人は女性の社会進出について意見を交換します。
山中:私の娘たちもそうですが、日本では多くの女性が科学者になろうと努力しています。大学には優秀な女子学生が非常にたくさんいます。しかし、最初はいいのですが、科学の世界で生き残ろうとすると、彼女たちの多くが大変苦労します。私は彼女たちを手助けしたいと思っています。私の2人の娘も医師や科学者として頑張っていますが、苦労しているのは事実です。科学者やアスリート、あらゆる職業で女性の活躍を奨励するのは私たちの責務です。
カリコ:私たちも努力しています。例えばドイツでは出産や育児休業の制度が整っていますが、米国では難しいのです。娘には生後3か月の子がいますが、仕事に復帰しなくてはなりません。欧州のように1年近く休むと、同じ仕事に戻ることが難しいのです。各国がお互いから学び、最善の方法を見つけるしかありません。
山中:私も同意します。お互いから学ぶ必要があります。今回のパンデミックと同じように私たちは協力し、お互いから学ぶ必要があるのです。
カリコ:その通りですね。
カタリン・カリコ×山中伸弥
【前編】ワクチン開発につながった強い思いと苦難の研究生活 ←今回の記事
【後編】常識を疑い、未来を信じる
※この記事は2021年7月10日放送 ETV特集「世界を変える“大発見”はこうして生まれた カリコ×山中伸弥」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。