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海老原宏美さんが語る相模原障害者殺傷事件

記事公開日:2021年08月17日

神奈川県相模原市にある知的障害者施設で「障害者は不幸を生むだけだ」と、利用者19人が殺され、利用者と職員26人が傷つけられた事件から7月26日で丸5年。二度とあのような事件が起きないために何が必要なのか。自らも重度の障害があり、重度障害者が地域で生きていくための相談や支援、権利擁護にあたってきた海老原さんとともに考えます。

事件への戸惑い。考えた命の価値

手足に障害があり、呼吸器をつけて生活している海老原宏美さんは、重度障害者が地域で生きてくための相談や支援、権利擁護を行っています。相模原障害者殺傷事件が起きた日、海老原さんは「風は生きよという」というドキュメンタリー映画のトークイベントに出席していました。人工呼吸器を使っても地域で生活ができることを伝えるためのドキュメンタリー映画です。

「『重度の障害者が地域で生きること』を発信している最中に、重度障害者の存在自体を否定する事件が起きてしまった。そのときは、どう反応したらいいのか分からなくなりました」(海老原さん)

さらにショックだったのが、植松死刑囚の「障害者は不幸を作ることしかできない」という発言です。その後ネット上では、犯罪に賛同する言葉が非常に多く起こりました。

「今、様々な場所で、形式で、多様性が謳われるようになりました。学校の道徳でも教えられるようになったので、障害者に対してあからさまに差別的な言動を取る人はすごく減っている。だけど、その学校には障害のある子がほとんどいない。障害のある子はこっちの学校、障害のない子はこっちの学校と、分離されて育っているなかで、授業で『誰もが共に』と言っても具体的なイメージが湧きにくい。ネットで出てきた、植松氏へ賛同の声を上げた人たちというのは、ある意味、正直なのかなとも思いました」(海老原さん)

相模原障害者殺傷事件のあと、“命の価値”についての議論も巻き起こりました。海老原さんは意外にも「命には価値がない」と語ります。

「事件のあと、重度障害者の命の価値をどうやったら説明できるか、いろいろ模索したけどうまくいかなかった。なぜうまく説明できないのかと考えたら、『命には価値がない』という答えに辿り着いたんです。例えば、ダイヤモンドはどれも「価値のある石」だけど、カラットが大きければ価値が高く、小さければ価値が低い。価値という基準で語り始めると、高いか低いかという議論になってしまう。たくさん生きていたほうがいい命と、ちょっとないがしろにされてしまっても仕方がない、少し価値が低い命というふうに、命の中に優劣がついてくるのかなと思ったんです。だから、そもそも命を“価値”という土俵に乗せて議論してはいけないというのが、私の答えです」(海老原さん)

命を“価値”という土俵に乗せてはいけないというのが海老原さんの真意。さらに、命の意味は本人が自ら決めるべきだと考えます。

「自分が生きていて、今日は1日楽しく過ごせた、今日は充実していたとか、この1年がすごく充実していたとか、自分が死ぬ直前に生まれてきて良かったなあとか、生きてきて良かったなって思えることが意味があることであって、あなたの命には意味がありますね、ないですね、みたいなことを周りの人が判断しようとすると、それは価値と同じような位置づけになってしまうのかなと思います。自分自身の生活や人生にどれだけ意味づけができるかは、周りの人のサポートとか、あなたが生きていてくれて嬉しいと言ってくれる人がどれだけいるかとかによって、自分の判断自体も変わってきてしまったりするので、周りとの相互作用みたいなものはあると思いますけれども、周りの誰かが一方的に決めつけるようなことではないのかなとは思います」(海老原さん)

自立を求めることの難しさ

なぜ人里離れた場所に150人もの知的障害者が暮らしていたのか。事件のあとに施設のあり方にも注目が集まりました。

「事件のあと、施設のあり方を批判するとか、施設に入れた親に対する批判が巻き起こりました。私はそれに対して心苦しい気持ちになりました。言葉でスムーズなコミュニケーションができなかったり、イライラして自傷他害してしまうような重度の知的障害の人たちが、大人になって力も強くなって、親たちだけでは面倒が見きれない状況になる。そういうとき、施設以外の誰がそれをサポートしてくれたのかなと思うんです。私は障害のある人たちが地域で自立した生活を送れるように、相談支援や権利、擁護の活動をずっとやってきていますが、そういう立場からしても、自分もそこに対して何もできてこなかったじゃないかっていう負い目みたいなものがあります。そういう自分の努力不足みたいなものを棚に上げて、一方的に施設や親だけを批判するようなことは、私はどうしてもできなかったんですよね」(海老原さん)

どうしても施設に預けるしかない家庭がある一方で、海老原さんは重度障害者も含めて自立支援を行ってきました。このことでギャップを感じたことがあります。

「私はふだん、自立生活センターで活動しており、自立を一般的に『自己選択』『自己決定』『自己責任』という言葉で定義してきました。私たち身体障害者も施設に入れられてきた歴史があります。そういう立場から、自分が今日どう生活するか自分で決めさせてほしい、たとえ失敗しても自分が決めたこととして、自分で責任を取らせてほしいということを、自立の定義としてやってきたわけです。ただ、重度の知的障害がある人たちに、『何が起きてもあなたの責任だからね』とは言えません」(海老原さん)

自己選択、自己決定、自己責任こそが自立だと訴えてきた海老原さん。そのことが逆に、重度の知的障害のある人を地域での自立生活から遠ざけてしまったのではないかという後悔があります。

「本来であれば、自分の言葉で自分の権利性とかを主張することが難しい、重度の知的障害や精神障害の方たちの権利を、私たちこそが当事者として代弁して、アドボカシーとして権利主張しなければいけなかった。でも、自分たちの生活を確立させるだけでいっぱいいっぱいだった。なんで一緒にやってこれなかったのかなと・・・」(海老原さん)

必要のない選択を迫られている現実

日常生活をできるだけ本人が自分で決められるように周囲が支援する、“意思決定支援”という言葉が聞かれるようになりました。しかし、本当にその人の意思で選べているのか分からないと海老原さんは言います。

「自分のパートナーを決めるとか、仕事を決めるとか、周りの人たちの意見にすごく影響されるものですよね。自分で決めても、人生経験豊かな人から『いや、絶対こうしたほうがいいよ』と言われて、『そうなのかな』と決断や判断を変えることは結構あります。だから、自分の意思だけで決めていることはほとんどないと思うんです。やまゆり園のケースで言えば、(意思決定支援を受けた上で)施設から出たいという人には、地域生活支援や地域行動支援をしていく。施設にいたいという人には、施設で楽しく過ごせるように支援していきましょうとなっていくかと思いますが、こういう選択肢を迫ること自体が私は少し違和感があるんです。“決める”ことは、周りの人たちの価値観や意向が反映されるなかで、施設でいいと言った人に対して、本人が決めたんだから施設でいいじゃないかと終わってしまっていいのかなと」(海老原さん)

問題の本質は、地域生活が良いか悪いかではなく、選ばされることそのものが違うのではないかというのが海老原さんの考えです。

「地域にいるなら、そもそも地域生活できることが権利ですから、どちらか選ばされること自体が何か違うと思う。私は20年間ずっと地域生活をしてきて、しんどいことが多いんです。体調が悪いときも自分でどうしたいか決めなくちゃいけない。毎日何を食べるか、何を着るかとか、全部自分で決めなくてはいけない。常に介助者不足で、明日もヘルパーさんがいないからどうしようか、いつも気を揉んで過ごします。だけど、しんどいのは地域生活の一部だと思うんです。障害がある人がしんどいことがあってはかわいそうだから、安心で安全な施設が良いと決めてしまうこと自体が人権侵害になると私は感じています。楽しいこともしんどいことも、全部を人生の一部として引き受けることが、権利だと思うんですよ。もしかしたら、苦しいことのほうが多い。だけど、すごく嬉しいことがあったときに、苦しいことを全部打ち消せる。そういうのが地域生活だったり、当たり前の生活と呼ばれるものと感じます」(海老原さん)

教育の分野では障害のある子どものために、特別支援学校や特別支援学級、通級指導、通常の学級と多様な学びの場を用意しています。しかし、重度・重複障害のある子どもは特別支援学校を選んでいるケースが非常に多いのが現状です。どのような障害があっても、地域の学校に通えるのが理想です。

「地域の子どもが地域の学校に通うのは当たり前の権利で、『あなたみたいな特性のある人はこの場所に行ってください』と強く勧められたり、強要されるのはおかしなことです。本来なら、学校というのは、どんな特性のある子も安心して過ごせる場であるべきなのですから。小さい段階から分けられることで、大人になってからもカテゴリーで分けたほうがいいという、変な方向性につながっていくと思います」(海老原さん)

障害のある人を常に分離してきた日本。そのような発想自体を見直す必要がありますが、そこには根深い問題点があると海老原さんは指摘します。

「分離を本人に選ばせている現実があります。特別支援学校に行ったほうが安心して過ごせるとか、障害に合った教材を用意してくれるからいいと言われる。入所施設や精神科の長期療養病院にしても、あなたにとって地域は安心して生活できないから施設に行ったほうがいいと説得する。そういう情報ばかりがあふれて、選ばされている現実がある。最終的には『本人が行きたいって言ったからいいじゃないですか』と言われる。だけど、実は選ばされているだけ。地域で生きることが本当は権利なのに、すごく偏った情報だけ与えられる。必要のない選択を迫られている現実があることが、すごく根深いと思います」(海老原さん)

事件を二度と起こさないために必要なこと

最後に、相模原障害者殺傷事件のようなことが二度と起きないために、海老原さんが必要だと考えていることがあります。

「あの事件を他人事にしない。いかに“自分事”として捉え直すか。あの事件は特殊な人が起こした特殊な事件だから、自分には関係ないと片付けられてしまうわけです。しかも、死刑が確定したことで一定の解決を見た形で終わっています。そうじゃなくて、自分の中にも植松氏がいないか、自分の中に障害者はいないほうがいいという気持ちが根深くあるんじゃないかと、勇気を持って向き合うことが必要。社会に対してどれだけ有益かという優生思想によって、自分自身が生きづらくなっていないか一緒に考えてほしい」(海老原さん)

さらに、多様性が求められるようになった社会に対しても提案があります。

「本当の多様性って何なのか、多くの人が実感できないまま生活していると思うんです。多様性を知るいちばんの近道はインクルーシブ教育の実現だと思います。勉強ができるできないとか、運動神経が良い悪いとか関係なく、世の中にはいろんな人がいるんだと。いろんなことが得意な人がいるし、いろんなことが苦手な人がいる。苦手なことはみんなで支え合えば良い。いろんな特徴を持った子たちが一緒に過ごす場を確保できるかが、その後、どういう社会を作っていけるかにつながっていくと思っています」(海老原さん)

※この記事は、2021年7月25日(日)放送の「視覚障害ナビ・ラジオ」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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