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【特集】生きたいと言える社会へ(1) 相模原事件から5年 “わたし”からの問いかけ 前編

記事公開日:2021年07月21日

神奈川県相模原市にある知的障害者の入所施設「津久井やまゆり園」で、2016年に起きた障害者殺傷事件。犯人は「障害者は不幸を作ることしかできない」と主張し、利用者19人の命を奪いました。事件は社会に大きな衝撃を与え、“ともに生きる社会”を作っていくことが必要とされました。あれから5年、障害のある人本人や家族、支援者は事件をどう捉え、「ともに生きる」という理想をどう感じているのでしょうか。様々な立場の“わたし”たちの声を聞き、誰もが「生きたい」と言える社会について考えます。

ともに歩む“わたし”から ~障害者就労支援NPO代表・高崎明さん~

最初に訪ねたのは、神奈川県横浜市のNPO「ぷかぷか」の代表・高崎明さんです。ぷかぷかには、パン屋、お惣菜作り、カフェ、アート工房など様々な部門があり、知的障害のある44名が働いています。

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障害者就労支援NPO・ぷかぷか代表 高崎明さん

事件が起きてからこれまで、高崎さんはブログやイベントを通じて、相模原事件に対する思いを発信してきました。

高崎:事件を否定する人は多いんだけども、「よくやった」みたいな声がネット上にあがってきたりね。それに対してものを言っていかないとダメだなと思ったので。ひたすら「一緒に生きていった方がいい」「障害者いないほうがいいじゃなくて、いたほうがいい」と言い続けてきた。

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高崎さんとぷかぷかの利用者たち

ぷかぷかを始めたきっかけは、高崎さんが養護学校の教員として勤めていた時の経験でした。

高崎:着替えができない、お喋りできない、字が書けない。できないことだらけなんだけど、でも一緒にいると居心地がいいんですよね。毎日楽しい。こんな人たちがいたんだって、私にとっては発見です。妙にそばにいると心が安らぐっていうか。
ずっと一緒に生きていきたいなって、その時思いました。ただ社会に出ると、ただ一緒に生きていくだけではお金稼げないので、お金稼ぐ手段として福祉サービスというのを始めたんです。とにかく町の人たちにも、この素敵な人たちに出会ってほしいと思って町の中で始めたんですね。

横浜市内で行っている訪問販売では、いつも行列ができます。以前はマニュアルを使い、接客の作法を教え込んだこともありましたが、個性を押し殺す利用者の様子を見てやめたといいます。

画像(訪問販売の様子)

高崎:作られた彼っていうか。これはちょっとやってけないと思ったので、マニュアルじゃなくて自分たちの思うようにやろうと。それで接客マニュアルをやめたので、仕事中おしゃべりはするわ、お客さんとじゃれ合ったりっていう、全く自由なの。「ありのままでいいんだよ。そのままのあなたがいちばん魅力的なんだよ」って言い続けています。

ぷかぷかの活動を通じて、世間と障害者とが一緒に過ごす場所と時間を作ってきた高崎さん。“ともに生きる社会”について、どのように考えているのでしょうか。

高崎:僕は「ともに生きる社会を作ろう」とは一言も言ったことがない。ただ「一緒に生きていったほうが得だよ」という俗っぽい、泥くさい言い方しかしない。親子連れのお客さんも来るんだけど、子どもたちも、楽しんで帰ってくれる。子どもたちが、いわゆる「障害者うんぬん」じゃなくて、おもしろいお兄さんとかお姉さんたちがいるよって、そういう関係が広がって、それがいわゆる“ともに生きる社会”じゃないですか。

障害のある“わたし”から ~にじいろでGO!代表・奈良崎真弓さん~

次に訪れたのは神奈川県藤沢市の会議室。神奈川県内に暮らす知的障害者と支援者のグループ「にじいろでGO!」の集まりを取材しました。相模原事件から5年が経った今、事件についてどう感じるか。メンバーが自身の思いを語りました。

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相模原事件への思いを話す「にじいろでGO!」メンバー

女性:「泣き」と「怒り」ですね。やっぱり仲間が殺されるのはよくないから。
男性:思い出したらつらくなっちゃうかな。自分自身もいじめられた感じがあるからね。「障害者はいらない」という、そっちのほうがつらかった感じするかな。
男性:俺もやっぱり「障害者はいらない」なんて、ちょっとおかしいと思った。自分が障害者になるつもりじゃなかったから。

「にじいろでGO!」の代表・奈良崎真弓さんは、自身も知的障害のある当事者です。相模原事件の4か月後、知的障害のある仲間が事件についてどう思っているかを聞きたいと思い、グループを立ち上げました。

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知的障害者本人グループ・にじいろでGO!代表 奈良崎真弓さん

奈良崎:人を単純に傷つける社会が、まだあるのかなって。こうやってみんなと力を合わせて、「殺されない」って声を出さない限りは、変わらないのかなって。「私たちは障がいがあっても弱者じゃないよ」って1人1人の声として出さないといけないし。

この日の話し合いのメインテーマは“ともに生きる社会”。支援者がその意味についてメンバーに尋ねると、こんな返答がありました。

女性:「ともに」ってどういう意味かわからない。
支援者:「ともに」っていうのは「一緒に」とかそういうことだと思うんですけど。
女性:そっちのほうがいいかな。
支援者:いま自分の生活の中で「ともに生きる」とか「みんなと一緒に生きる」っていう感じはある?
女性:生活?あんまりしてないと思う。

画像(“ともに生きる社会”について話す「にじいろでGO!」メンバー)

なぜ、「ともに生きる」実感がないのでしょうか。やりとりからは、グループホームの職員が、自分たちの声を聞いてくれないといったケースなどが挙げられました。奈良崎さんも、知的障害者の言葉は重視されてこなかったと感じています。

奈良崎:知的障害者の方っていうのは、昔から、今もそうだけど、親や支援者が代弁するのが当たり前のように発信してくれたんですが。私たちが仲間で発信することがなかったんです。中には発信しても、やっぱり支援者が言ってるんじゃないのとか、「本人が話してます」と言っても、なんか本人じゃないよね、って。私はそれがいやなんです。

取材の終盤、奈良崎さんはメンバーに「健常者と何をしたいか」という質問を投げかけました。返ってきたのは「友達になりたい」「グループホームで一緒に暮らしたい」「彼女を見つけて結婚がしたい」「スポーツがしたい」「障害者の気持ちを勉強してほしい」といった内容でした。
仲間の声を聞き続けてきた奈良崎さんにとって、“ともに生きる社会”とはどのような社会なのでしょうか。

奈良崎:一緒に歩んで一緒に考える時間を作ってくれればいいのかなって。でもまずは障害のない人とある人の交流場所を作ってくれないと、ともに歩めない。まずは一緒にできることがあれば一緒にやりたいよねって。私はそこからスタートして仲間を作ってます。
にじいろでGO!でも、今まで支援者が私たちを支えているけど、反対に支援者を私たちが支える側になりたいな。いつか、そういう社会を作りたいなって。今の社会は難しいけど、時間かければ多少できるかな。時間と同伴してくれる仲間がいれば。

育ててきた“わたし”から ~川崎市自閉症協会会長・明石洋子さん~

続いて訪ねたのは、川崎市自閉症協会の会長・明石洋子さんです。
自閉症と重い知的障害を持つ息子の徹之さんを育ててきた明石さん。相模原事件が起きた後、障害者への偏見が助長されることに強い危機感を抱きました。

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川崎市自閉症協会会長 明石洋子さん

明石:相模原事件があったときに、障害イコール不幸だと世間の人が思ってるんじゃないかって痛感しました。でも、殺されていい命なんて絶対ないし、障害があるから不幸なんて絶対決まってない。私はむしろ、毎日すごく変化のある日々で、障害者の親として幸せじゃないのかなって思うくらいです。

そんな明石さん自身も、徹之さんに障害があるとわかった時は「不幸な子を持つ不幸な親」という考えを捨てられませんでした。徹之さんの首に手をかけそうになったこともあったといいます。

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明石洋子さんと徹之さん親子

明石:小さいときから本当に超多動で、5秒目を離したら、もうどこに行ってるか分からないし、パニックを起こしたりするんです。マイナス思考したら子殺しとか無理心中しかないから、プラス思考しようって思ったんです。当時、自閉症だからパニックを起こすと言われたけど、私の関わり方が彼の意思に反しているから、「そうじゃないよお母さん」とパニックになってるんじゃないかって、発想の転換をしたんですね。
むしろパニックが意思の表れで、思いを育てるチャンスって。その思いを育てて思いに寄り添えば、パニックって起きないんじゃないかなと。食べる物も、着る物も、すべて彼に選ばせたら、パニックも起こさなくなったんですよね。

徹之さんは19歳で川崎市の公務員試験に合格。今は川崎市の動物園で、清掃の仕事をしています。自閉症の職員が公務員として採用されるのは、当時前例のないことでした。

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動物園で働く徹之さん

明石:公務員になりたいっていうのも、私のカード(意思)ではなくて彼のカードなんですね。小さいときから選んでそれをするってことを経験して、私が到底無理だと思うことも彼は出してきた。だから、じっくり付き合って、「この人には意思がある、この人の思いを知ろう」と工夫することが大事かなって。

徹之さんを育ててゆく過程で知り合った多くの人が、公務員への挑戦を応援してくれました。大切なのは、本人のことを知り、理解し、応援してくれる人がどれだけいるかだと、明石さんはいいます。

明石:ともに育ち、ともに学び、ともに遊び、その延長上にともに働きっていうのがあるじゃないかなと。“ともに生きる社会”は結局、違いを認められる社会だと思うんです。100人いれば100人顔は違うように、みんなやっぱり違ってると思うんです。その違いを認める社会だと思います。

【特集】生きたいと言える社会へ
(1)相模原事件から5年 “わたし”からの問いかけ 前編 ←今回の記事
(2)相模原事件から5年 “わたし”からの問いかけ 後編
(3)京都ALS嘱託殺人事件から1年 “あなた”に会う旅

※この記事はハートネットTV 2021年7月6日放送「特集 生きたいと言える社会へ 第1夜 ~相模原事件から5年 “わたし”からの問いかけ~」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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