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【特集】認知症(2)39歳で診断された丹野智文さんからのメッセージ

記事公開日:2021年06月28日

8年前、「認知症の初期」と診断された丹野智文さん(47歳)。絶望を感じながらも当事者としてさまざまな活動に取り組み、診断の2年後には首相官邸に招かれ意見を求められるまでになりました。そして今は仕事を続けながら、自らの経験を伝える1冊の本を書いています。認知症の診断から始まる人生にどんな希望を見出すことができるのか?「認知症700万人時代」といわれる日本で、多くの人が直面する課題について考えます。

みなさんは「認知症」と診断された人にどのようなイメージを持っていますか?
たしかに、認知症と診断されたその時から私たちの暮らしは、今までの生活とまるっきり変わってしまいます。
認知症の人たちは、実際には話ができ、笑い、考えることもできるのに、周囲から「話ができない」「何もできない」と言われます。

私は、認知症と診断された当事者が、自分の人生にあきらめる事がなく、笑顔で前向きな生活ができることを願っています。
(丹野智文 著 『認知症の私から見える社会』より)

“何もできない”という偏見は社会が作り出したもの

みなさんは「認知症」と診断された人にどのようなイメージを持っていますか?

いま医学の進歩により、認知症を初期で診断される人が増えています。

丹野智文さん(47歳)は認知症になるまでは、自動車販売会社でトップクラスの売り上げを誇るセールスマンでした。8年前の診断後、会社に相談し、事務職に配置換えして働き続けられるようにしてもらいました。

新しいことを覚えるのが難しいといわれる認知症ですが、丹野さんは、さまざまな工夫をして取り組んでいます。

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丹野智文さんは診断後も仕事を続けている

一方で、当事者としても講演活動を続ける丹野さん。今、ある悩みに直面しています。認知症の当事者が元気な姿を見せれば見せるほど、「本当に認知症か?」と言われてしまうのです。

丹野さんには、この問題について語り合いたい人がいました。

東京慈恵医科大学教授で、日本認知症ケア学会理事長をつとめる精神科医の繁田雅弘さん。30年以上にわたり、当事者の話を聞くことを大切に認知症の診療を続けています。

丹野:この間、4人の当事者が登壇しました。そうすると、来ていた人から、「あなたたちは何をもって認知症と診断されたんですか?」と言われる。家族からも言われるけど、今まで認知症に関わってきた人たちがいちばん言うんですよね。お医者さんだったり、介護士だったり。なぜこういうことが当たり前に起きてしまうのか、すごく疑問に思いました。認知症は暴れるとか徘徊するのが当たり前という感覚の人たちが、まだまだ多いのかなと。

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東京慈恵医科大学教授 繁田雅弘さん

繁田:もしかしたら、その人たちは認知症の人を支援するのを失敗したんじゃないですかね。だから、許せないんじゃないですかね。目の前でよくすることもできなかったし、元気にすることもできなかったし、だんだん悪くなっていってしまったので、もし、認知症になっても元気でいられるとか、いろんな人と楽しい時間も過ごすことができたりとか、自分らしく過ごしたりすることができるのが許せないのかも、と少し思いますね。だから、本来は希望のはずなのに受け入れられないと。

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丹野智文さん

丹野:今、私は当事者どうしが出会える場を作っているんですけど、それを国でも広げようとしている中で、「当事者どうしで出会ったときに、暴れたり徘徊したらどうやって対応しているんですか」とよく質問がされるんですよ。私は今まで6、7年間そういうことをずっとやってきて、みんな笑顔で楽しいと、何にもないんですよね。楽しくないところにいるから怒るし、嫌なことを言われるから怒っているだけなのに、なぜ認知症の人にはそういう見方になるのかなと思っています。

繁田:偏見の最たるものかもしれないですね。ある雑誌で、奥さんが認知症のご夫婦の取材をして、2人の後ろ姿の写真を撮ったんですけど、立っているだけだと、どっちが認知症かわからないでしょう。すると、写真を撮っている人が、旦那さんに、「奥さんの肩に手を回してほしい」と。そうするとかばっているように見える、ちょっと認知症らしくなるわけでしょう。たぶんそういう“社会の中で守られるべきもの”という演出が随所にされていて、自分からは行動を起こせないものというのを作っているなあと思う。

丹野:診断直後に家族がどうしても守りすぎてしまう。過保護になってしまう。そうすると、本人ははじめ「嫌だ」と思っても、何でもしてもらうと楽になるんですよね。

繁田:反発をして無理をするよりは、従ってしまったほうが間違いも少なくなるし。無理をして失敗をしたときに、家族は「挑戦してよかったね」とは言わないですよね。「何でやっちゃったの」「何で失敗したの」って、余計なことしなきゃいいのにみたいな感じになるじゃないですか。そうすると、当然、本人たちはみんなやっぱり守りに入る。

丹野:あきらめてしまうんですよね。両方で常に24時間365日いることが当たり前になってくる。すると、お互いに疲れてしまうんですね。そして、支援者は「家族さん大変ですよね。じゃあ、一時的にちょっと施設に入れましょうか。入院させましょうか」と。

繁田:離れていなさいって言えばいいのにね。

丹野:そう。

イメージの大転換

診断を受けた2013年当時、丹野さんは39歳。2人の娘は、中学校と小学校に通っていました。

もの忘れが激しくなったことを訴えて、3つの病院を受診。4か月にわたって検査した結果、認知症を引き起こす病気である、アルツハイマー病と告げられました。

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丹野智文さん

「認知症って何だろうと携帯で調べて、2年で寝たきりというのを見つけたときに、『もう2年後に寝たきりなんだ』って思ってしまったんです。まずは家族のことが心配でしょうがなかった。学校に行けるのかとか、妻に迷惑をかけたらどうしようということしか頭になかったですね」(丹野さん)

転機は診断から3年経った2016年。認知症とともに生きる手がかりを求めて、イギリス北部スコットランドを訪ねたことでした。

当時の日本では考えられないような多くのことと出会ったのです。そのひとつは、認知症の当事者が自分たちの声を社会に届けようと、グループを作っていたことです。

画像(2002年 スコットランド認知症ワーキンググループ結成)

メンバーたちの発言はメディアや政府から注目され、認知症について何かをしようとするときには、まず彼らの意見を聴く、といわれる存在になっていました。

メンバーたちは難しい政策について、真剣に、しかし笑いも交えながら話し合っていました。さらに驚いたのは、メンバーのほとんどが、自分一人でここに来ているということでした。

「認知症は恥ずかしくないとか、進行していっても自分のことは自分でやるという、当事者の気持ちをどれだけ持たせるかが、すごく大切だなと。思っていなかった発見でした」(丹野さん)

認知症の人には、これまで思われていたよりずっと大きな力がある。そのことを当事者に伝えようと、丹野さんは認知症の人たちと話す機会を積極的に求めました。

2019年、丹野さんは地元宮城県で、認知症当事者によるグループを立ち上げました。仙台市に対して、認知症についての条例の制定を提案するなど、社会に対する発信も行っています。

画像(2019年 認知症当事者ネットワークみやぎ結成)

今年4月、仙台で開かれている認知症の当事者どうしの会合には、ほとんどのメンバーが自力で集まります。

この日は、認知症の人の運転免許の問題についても話し合いました。丹野さんたちが大切にしているのは、「自分で決めること」です。

丹野さんと診断後6年の橋浦健さん(81歳)、診断後3年の鈴木正勝さん(70歳)の発言会話です。

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当事者どうしの会合の様子

丹野:家族からやめてやめてと言われても絶対(運転を)やめないのに、本人どうしで話し合うと、やめるようになるんだよね。

橋浦:何回か、(運転をやめた)先輩の苦労話を紹介しているうちにどういうわけか、やめていくんだね。

丹野:1~2回ではやめないけどね、3~4回でやめるんだよね。

鈴木:説得するのは確かにすごく難しいけれど、本音でお互いにいろんな話をし合うと、「考えます」と言う人が多くて。ところが、「考えます」が、最後には「返してくる」となるケースのほうが多いですね。

症状が進んでもよりよく生きることはできる

診断から8年。自分に残された時間を意識しながら生きてきた丹野さんは、各地の認知症当事者を訪ね歩いています。それは、これから自分自身がどう生きるかを探る旅でもあります。

この日は、認知症の当事者、岩田スーザンさん(70歳)と、娘の村尾香織さんのホームパーティーに招かれていました。

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岩田スーザンさんと娘の村尾香織さん

スーザンさんはアメリカ出身。香織さんの父と出会って23歳で結婚。日本に渡り、3人の子どもを育てあげました。

認知症と診断されたのは7年前。香織さんは告知の場面に付き添っていました。

香織:病院に行って診断を受けたときに、お薬の話ばっかりになって。でも私の中では違和感があったんです。

丹野:すぐ介護保険とか重度の話ばっかりされるから、みんな混乱するだけなんだよね。

香織:普通に「大体平均的に10年ぐらいで亡くなって」みたいなことばかり言われて。その10年間をどう過ごすかがいちばん大事なのに、そこにはまったく焦点を当てないことにすごく違和感があって。

香織さんが望んだのは、残された時間を一緒に楽しみながら生きることでした。

認知症の進行とともに話すのが難しくなっていくスーザンさん。香織さんは、思いをくみ取ろうと一生懸命でした。スーザンさんが好きだったギターも習い始めました。

画像(岩田スーザンさんと娘の村尾香織さん)

「確かに一緒に過ごしたら大変なこともあるけど、それは介護というよりは、生きるために一緒にすることが、たまたまそうだっていうだけで。大変大変って言っていたら、しんどくなっちゃって何にもできなくなっちゃうけど、一緒に楽しんでたら意外と何でもない」(香織さん)

できなくなったことを嘆くのではなく、今できることを一緒に楽しむ。周囲の人たちに支えられて、スーザンさんは、静かに、自分の時間を生きていました。

「進行していっても生き生き過ごしている人たちって、いっぱいいるんですよね。症状が増えてくることと、よりよく生きるっていうことは別問題じゃないかなと思っているんですよ。症状が増えてくると落ち込んで、駄目な人になっていくとみんなは思っているかもしれないけど、ちょっと違う。私は見方が違っていて、症状が増えてきても、周りで関わる人たちの環境がよければ、助けてもらいながらもよりよく生きることはできるんじゃないかなって。それは多くの仲間たちのおかげなんですよね」(丹野さん)

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丹野智文さん

丹野さんは今、これまでに出会った当事者の言葉をまとめた本を執筆しています。その一節です。

私の活動は、これから認知症になる人や診断されて落ち込んでいる人が、困らないようになるための活動です。
診断直後に適切なサポートを受け、本人が病気とうまく関わることができれば認知症と診断された当事者はよりよく生きられます。
認知症と診断された人の視点に立って、社会を見つめてみてください。それがあなたのこれからの「備え」となるのです。
(丹野智文 著 『認知症の私から見える社会』より)

【特集】認知症
(1)クラスターを食い止めろ
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※この記事はハートネットTV 2021年6月9日放送「特集認知症2 これから認知症になるあなたへ」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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