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認知症で変わる母 変わらない母 脳科学者・恩蔵絢子さんの介護

記事公開日:2021年06月24日

認知症をテーマにした1冊の本が話題を呼んでいます。作者は、70歳になる認知症の母を自宅で介護する脳科学者の恩蔵絢子さん。認知症と診断された当初は、「もし母が私のことを忘れる日が来たら」という不安を抱えていましたが、やがて脳の働きを分析することで見えてきたことがありました。認知症の人にとって心地良い環境とは何か、10年間母親の介護をしている俳優・歌手のつちやかおりさんと語り合いました。

脳科学者の母が認知症と診断される

脳科学者の恩蔵絢子さんの70歳になる母・恵子さんは、6年前にアルツハイマー型認知症と診断されました。恵子さんは、夫の實さんと恩蔵さんとの3人暮らし。デイサービスに通いながら、自宅で過ごしています。

つちや:私の母は認知症と診断されて10年で、今はグループホームにいます。恩蔵さんの本を読ませていただいて、聞きたいことがたくさんあります。

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つちやかおりさんと恩蔵絢子さん

恩蔵:私が脳について知っていることも、認知症に限ってはものすごくネガティブなことが多くて、アルツハイマー型認知症は記憶が新しく作れないとか、家族のことも忘れてしまうかもしれないとか…。(母がアルツハイマー型認知症と診断されて)最初は脳のことを知らない一般の人と同じように、ものすごく悲観的になり、怖いと思いました。私が人生の中で情熱を傾けてきたのが脳の研究ですが、脳のことを知っていても母が病気になることを防げなかったし、治せないという状況はすごくショックだったんです。
当時は「母が母じゃなくなってしまうかもしれない」と思いましたが、今はそんなことはない、と思えてきました。自分のもっている知識と実際は違ったなと。

音楽短大を卒業後、家庭を切り盛りしながらピアノ教室を開いていた恵子さん。口癖は「全部やってやんよ」(全部やってあげるよ)。面倒見がよく、料理が得意で、恩蔵さんにとって自慢の母でした。

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恩蔵さんと母の恵子さん

恩蔵さんが恵子さんの異変を感じ始めたのは2015年のことです。みそ汁の作り方が変わり、その後さらに、異変を確信する出来事が起きました。恵子さんの趣味だったコーラスの発表会を實さんが振り返ります。

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恵子さんの夫・實さん

「楽譜を隣の人に聞いていて、『音大を出ている人がなんで(人に)聞いているの?』と思いました。それで(認知症は)本当なんだって確信しました」(實さん)

発表会の舞台で譜面が読めず、隣の人に何度も尋ねていた恵子さんの姿を見て、病院に連れて行くことにしたのです。

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脳科学者 恩蔵絢子さん

恩蔵:母は65歳で診断されましたが、当時は体も元気でテキパキ歩いていましたし、見た目も髪の毛が黒くて若々しかったんですね。それもあって、なんとなく変だなと思ってからも、「人だったら忘れちゃうことあるよ」という感じで1年くらいは病院に行けませんでした。でも、ピアノはいつも初見で弾けていたのに、本番の舞台で隣の人に「今どこ?」と聞いているのが見えてしまって、ショックでした。得意だったピアノでこういうことが起こってしまったので、「これはもうごまかせない、病院に行こう」と思いました。

診断結果はアルツハイマー型認知症でした。

認知症の母を分析する決意

恵子さんが認知症だと診断されても、恩蔵さんはしばらくその事実を受け入れることができませんでした。

恩蔵:認知症だとわかって不安だったのは、母は母でなくなってしまうのかなということです。もし私のことを忘れる日が本当に来たら、母が得意だったことがまったくできなくなったら、それは母でなくなるということなのかな、と…。どういうことが母なのかと考えて、毎晩、泣いていました。

つちや:いちばんつらいときだと思うんですよね。私ももちろんそういう時期がありました。お母さんって家の中ですごく大きな存在で、みんなが何かしら頼りにしている。その母が壊れていく。自分のことをもしかしたら忘れたかもしれない。そう思ったときの家族の気持ち。切なさなのか、苦しさなのか、どう言葉で表せばいいのかわからないですけど、私も毎晩、泣いていました。

恩蔵:初期がいちばんつらいんじゃないかと思ってしまいます。

つちや:受け入れることが、やっぱりね。

恩蔵さんは、当時の思いを日記に綴っています。

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恩蔵さんが綴った日記

ママがピアノの生徒を忘れ、おばあちゃんに歯磨き粉を渡しに行ってしまった。生徒にはお金をもらっている。電話がかかってきて、不在だったことを言われて、母は謝らなかった。それで「それはダメだよ。信用をなくしちゃうよ」と。
(恩蔵さんの日記より)

恩蔵:近所に住む祖父母の面倒を母が見ていて、歯磨き粉がなくなったから届けに行かなくてはと思ったんです。でも、その日はピアノのレッスンだったのに、生徒のことを忘れてしまった。それで「お金をもらってるんだからダメだろう」という感じになってしまって、その気持ちを日記に書いたんですね。

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つちやかおりさん

つちや:わかります。怒ることじゃなくて、もう少し何か違うことを言わなければとも思うんだけど、最初は本当にそうなっちゃうんですよね。「なぜそこができないの? なんで忘れたの?」ってどうしても責めてしまうんですよね。

恩蔵:気持ちを全部、日記に吐き出して書いていました。人生で初めてこんなにぎっしり書いたっていうぐらい。

つちや:このあと少し読むと、お母様が「わかったわよ」って。そのときはまだお母さんも「何なんだろう。これは一体どうしたんだろう」っていうのがありましたよね、きっと。

恩蔵:そうなんです。たぶん本人がいちばん傷ついていて、プライドも高いから認められなかったと思います。

恩蔵さんは、大量に書きためた日記を書籍にしようと出版社へ持ち込みます。すると、日々の出来事を脳科学の視点で分析して、読者の参考になる内容にしたほうがいいとアドバイスされました。

恩蔵:脳科学は、脳のこの部位はどういうことを担当しているかを解明してきた学問です。「その人らしさとは何か」という“自分”が(脳の)どこにあるのかは、科学的にもまだはっきりわかっていません。ところが認知症に関しては、みんな簡単に「その人がその人じゃなくなるんでしょ?」と思ってしまいます。そこで「もしかしたら、このことを確かめた人は誰もいないかもしれない。母の症状を毎日観察して、本当に母が母でなくなるのかを確かめていこう」と思いました。

新たな発見①「散歩でリラックス」

認知症を脳科学の視点から考察していた恩蔵さんに、新たな3つの発見がありました。

画像(認知症への3つのアプローチ)

ひとつめは「散歩でリラックス」です。

恩蔵:認知症に対して、私がいちばんおすすめするのは散歩です。散歩をすると記憶の整理ができるということがポイントです。ぼーっと気持ちよくリラックスして、何も考えずに散歩すること。母が(認知症と)診断される直前くらいのときって、一日中ソファに座って青白い顔をして、自分から何もやりたがらなかったんです。混乱状態にあったと思うので、リラックスした状態とは言えませんでした。

記憶の整理ができるとはどういうことなのでしょうか?

毎日1時間、恩蔵さんか、實さんが付き添って恵子さんと一緒に散歩をすることにしました。途中で道に咲く花を見たり、お店で海苔巻きを買って河川敷で食べたり、ゆっくりと過ごします。こうした時間が脳を活性化させ、記憶の整理を促すと恩蔵さんは考えています。

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散歩中の恩蔵さんと恵子さん

病院で行われた脳の検査で、恵子さんの状態について、2つのことが分かりました。ひとつは、海馬の萎縮が大きいこと。もうひとつは、後頭頂皮質の活動が悪くなっていることでした。恩蔵さんは、この結果から、恵子さんの脳では、「デフォルト・モード・ネットワーク」という回路がうまく働かない状態になっているのではないか、と考えました。

恩蔵:海馬は記憶を作る組織としてとても重要な部位で、後頭頂皮質と緊密なネットワークを組んでいます。後頭頂皮質はデフォルト・モード・ネットワークという回路の一部になっていて、記憶の整理をしています。私たちの脳は集中すると活動すると思われていますが、デフォルト・モード・ネットワークは集中すると活動が落ちます。リラックスして何もしてないときほど、活動が上がります。なぜかというと、何かに集中しているときは、脳が情報を必死に取り込んでいる状態で、記憶を整理する暇がないからです。だから、何もやっていないでリラックスしたときになって初めて、記憶が整理できるというわけです。母はソファに座っているときはあれこれ考えてしまって、記憶の整理ができない混乱状態にあったと思います。散歩に出て、リラックスして何も考えないで歩くと、脳の中で整理整頓が起きて、新しい物事を取り入れる準備ができます。(散歩で母の)笑顔が増えましたし、他のこともやりたがるようになりました。

つちや:散歩は単純に運動としていいと思いがちですけど、そういうことではなく、本当にリラックスのため、記憶を自分で思い起こせるため。そういった効果があるということですか?

恩蔵:そうですね。(散歩によって)自分が気づかないうちに記憶が整理される感じです。不思議ですが、母が意識して記憶を整理しようとしているわけではなく、リラックスして歩いていると、脳の中で整理整頓が起こって、新しい物事を取り入れる準備ができるんです。

つちや:お母さんをゆっくり座らせておくこともリラックスかなと思いがちですけど、そうではないんですね。私の母も一人でぼーっとさせておくと、ウトウトすることがすごく多くて…。そういう時はきっと、散歩がよかったんですね。

新たな発見②「できることを生かす」

恩蔵さんのふたつめの発見は「できることを生かす」です。

恩蔵:認知症になると、物事が一気にできなくなってしまうような気がしてしまいます。でも細かく見てみると、できることがたくさんあります。たとえば最初、母はソファに座ってばかりで、好きだった料理をやらなくなったと思っていました。でも私が母と一緒に台所に立って、「いま、お味噌汁を作ろうとしてるんだよ」って言ってあげると、母は料理を続けられる。料理ができなくなったのではなく、そのプロセスを覚えておくことができないから、できないだけ。私が母の記憶の管理をしようと思うようになりました。

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つちやかおりさんと恩蔵絢子さん

つちや:すごくわかります。母もいろんなことができなくなっていく中で、デイホームで何かを作る、料理を作る、裁縫することを任されたんですね。すると、任されたことはできるんです。任されたことと、でき上がったものがあることと、みんなに「すごいね」って言われることが自慢で…。誰かがそうやって「次はこれ、あれ」って言ってあげると、それは確実にできるんですよね。

恩蔵:できるんですよね、指示が必要なだけで。

人の記憶にはいくつか種類がありますが、そのうちの2つに恩蔵さんは着目します。

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エピソードの記憶と身体的記憶

エピソードの記憶とは、あのとき、あの場所で、こういうことをした、という記憶。身体的記憶とは自転車に乗るなど、身体で身につけた技術の記憶です。

好きだった料理をやらなくなってしまった恵子さんですが、今でも「身体的記憶」の包丁技術は衰えていません。そこで恩蔵さんは恵子さんと一緒に台所に立ち、自らが「エピソードの記憶」の役割をしようと考えました。

画像(料理を作る恩蔵さんと恵子さん)

恩蔵:お味噌汁を作ろうとして、(手順を)ここまでやったと把握しておく「エピソードの記憶」は海馬が担当します。海馬に傷があると覚えるのが難しくなりますが、「身体的記憶」は、大脳基底核や小脳が担当しています。母に残っているのは身体的記憶です。大脳基底核や小脳は、認知症が進んでも比較的無事でいる組織で、長年やってきたことは忘れません。たとえば母は包丁を長年使ってきたので、いまだに私より上手です。だから、「次はこれを切るよ」と私が指示をして、身体の動きは母に任せると料理ができるんです。

つちや:これは本当に勉強になると思うんですけど、認知症になると「あれもダメ、これもダメ」って言いたくなりますよね。包丁なんか、絶対、持たせたくないって思ってしまうし、ハサミも怖いって思ったりするけれど、誰かがついていれば、取り上げずにやらせてあげたほうがいいということですよね。

このことに気づくまでには、失敗もありました。

恩蔵:私、母が認知症になってから料理を始めたんですね。本当にダメ娘で(笑)。母の得意料理を受け継いでおきたいと思いまして、それが天ぷらと茶碗蒸しだったので「教えて教えて」って。天ぷらの時は、ただ私が横に立って、見ていたんですね。私が横にいるので、母は何かあったら助けてもらえるって思うのか、安心して全部一人でできたんです。だから私は隣で見ながら、そのプロセスを受け継ぐことができました。
次に茶碗蒸しもと思って、何日か後に作り始めた時に、なんだか気持ちが焦っちゃって「次はどうするの?」「次、だし入れるの?」と先に問いかけてしまったんです。すると母は、改めて言語的に聞かれると「どうするんだっけ?」と迷いが生じてしまって。
母の身体の自然な動きに任せておけばよかったんです。私が言葉で「次はどうするの?」と聞いてしまったので、母が混乱して、結局、全然茶碗蒸しとは言えないものが出来上がって、母の茶碗蒸しは受け継げませんでした。

つちや:でも、わかります。どうしても聞いちゃうんですよね。「これわかる?」「これ何するものだったっけ?」とか。でもちょっと迷っているような感じで、返事は返ってこないんです。だけど、やらせるとわりとできたりもするので、こちらが少し引かなければいけないんですけど、なかなかできないですよね。

恩蔵:そうなんですよね、一生懸命になってしまうというか待てなくなってしまう。でも私たちもふだん、普通に歩いていますが、「どうやって歩くの?」って聞かれたらちょっとギクシャクしちゃうじゃないですか。
言語的に聞かれると難しくなってしまうところがあって、さっきの大脳基底核とか小脳がつかさどっている身体のことを、もっと信じてあげればよかったって。母は診断からもうすぐ6年が経つので、集中している時間が少しずつ短くなってきて、今は一緒に料理することは難しくなってしまいました。でも、台所はずっと母が料理をしてきた場所なので、私がいると気になるみたいで、料理をしていると必ず来てくれます。どんなに小さくてもいいので、やりたいと思ったことをやらせてあげられたらいいなと思っています。

恩蔵さんの根底にあるのは、できることを生かすことで恵子さんの自尊心を尊重したいという思いです。

恩蔵:「自分で何かをやっている実感」が、その人の幸福をすごく変えると言われています。老人ホームの研究などでわかっているのですが、たとえば部屋の中の配置を自由に変えていいとか、植物を置いていいとか、何かひとつでもいいから「自分でこれができた、これをやった」という「主体性の感覚」をその人が得られると、幸福になって活動度も上がると言われています。最後まで人間の自尊心というのは残るんだなと思います。

認知症になっても、人は自尊心を持ち続けて、それは消えないと考える恩蔵さん。アルツハイマー型認知症の人が、ときには攻撃的になったり、徘徊したりするのは自尊心と関係していると語ります。

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脳科学者 恩蔵絢子さん

恩蔵:自分のことが認めてもらえないときに人は攻撃的になります。いつも人から「えっ?」という顔を向けられたり、自分でもうまくできないと思っていると不安になる。自尊心がずっと傷ついた状態になると、フラストレーションがたまる。徘徊も同じです。家族に受け入れてもらえなかったり、自分がたくさん失敗したりすると、「ここには自分ができることが何もない」と感じてしまう。それで「何かできることはないか」という焦燥感から、外に出て行ってしまう。これも自尊心の問題から起きているから、そこをカバーしてあげれば少しはおさまると思うんです。

つちや:どうしても責めてしまうし、日常のことですから、怒らずにっていうのはすごく難しくなりますよね。私は母と違う場所に住んでいたので、たまに行くと「大丈夫よ、大丈夫よ、いいわよ」と母に言ってあげられる。だから私に対して母は攻撃的ではないんです。ただ、(同居していた)兄はふだんの生活の中でどうしても怒ってしまうので、兄に対しては暴言を吐いたことがあるんです。

恩蔵:(攻撃的になるのは)「私を認めて」という合図だと思います。だからいろんな立場で関われる人が重要で、距離が遠くてなかなか来られない人には、その人だからこそできることがある。いろんな距離感の人が関われたらいいのかなと思います。

新たな発見③「感情を動かす」

新緑が美しい季節に、恩蔵さんは自宅近くの山に登ることにしました。恵子さん、實さんと家族3人そろっての山登りは、およそ1年ぶりです。目的は、恵子さんの感情を動かすこと。

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山登りをする3人

恩蔵:アルツハイマー型認知症の人は海馬のせいで、新しいことが覚えられなくなると言われています。でも、感情はずっと残り続けます。新しい物事に出会ったときに人間の感情はいちばん動くんです。

上り坂を軽快に進んだ恵子さんですが、足元の悪い難所に差し掛かると立ち止まります。しかし、恩蔵さんと實さんに手を引かれてなんとか登り切りました。途中で野の花や野鳥と出会うなど、ふだんの生活にはない特別な体験が恵子さんの感情を動かし、表情も生き生きとなりました。

つちや:素敵。歩けるってすごいですね。

恩蔵:山道を歩くのはコンクリートを歩くのと違って、いろいろな刺激が入ってきます。難所を登らされると「なんだこりゃ」という感情も動きます。毎日ご飯を食べて寝てと同じルーティーンになると、私たちも今日食べたものを思い出せなくなるじゃないですか。でも、いつもと違うことをやると感情が動いて、記憶によく残るんです。海馬とくっついている感情のシステムが動くと、「今、何が起きているの?」と大脳皮質が状況を分析し、脳全体が活性化される。感情のシステムは脳の深いところにあって、認知症になっても残りやすい部位と考えていいと思います。

記憶を失っても母は母である

「記憶を失っていっても母は母らしくいられるのか?」という仮説を立てて、研究を進めてきた恩蔵さん。恵子さんが認知症だと診断された当時は不安にかられていましたが、今は何も恐れていません。

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脳科学者 恩蔵絢子さん

恩蔵:今は、やっぱり母っていうのはずっと母なんだなということを思うようになっています。母が何もできなくなっても、残っているものがある。その残っているもので、母らしさを感じることができます。「母は母である」という自信が持てると、別に何が起こっても怖くない。安心して暮らせるようになりました。そして、母が病気になってから、人生でいちばん大切な学びをしている感じがします。これからは抽象的な学問ではなく、母と一緒に生きる力を学んでいきたいと思っています。

恵子さんは最近、デイサービスにも出かけ、友だちができました。

恩蔵:私は新しくお友だちを作るなんて不可能だろうって勝手に決めつけちゃっていたんです。でも、いざデイサービスに行ってみたら、全然問題ありませんと。母が何かできなくても、お友だちが「あなた、あれ食べなさい」と面倒を見てくださって、みなさんとうまくやってると言われて、すごく驚きました。人の能力を決めつけちゃいけないと思うようになりました。

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つちやかおりさんと恩蔵絢子さん

つちや:お母様は幸せですね。これだけ考えてあげられるって本当に難しいことなので、私も母に接するときに、いろんなことを考えてできるかなと思います。(認知症の)ご家族の方にもすごくいいヒントになったんじゃないでしょうか。

恩蔵:何かをできなくなっていても、母の笑顔は昔と全然変わりません。人はいろんなことを感じ続けるのだから、そこを大事にしようと思っています。

※この記事はハートネットTV 2021年5月18日(火曜)放送「私のリハビリ・介護 変わる母 変わらない母」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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