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ファミリーホーム 離れても家族であり続ける「ぶどうの木の子どもたち」

記事公開日:2021年06月01日

実の親と暮らせない子どもたちを里子として育てる「ファミリーホーム」。自治体からの委託を受け、厚生労働省が定めた「小規模住居型児童養育事業」をおこなう住居です。生まれた家も、名字も、みんなバラバラ。そんな子どもたちが大切にしてきたのは、育ての母の「ぶどうの木」という言葉。血がつながっていなくても、離れ離れになっても家族であり続けようとする母と子どもたちの姿を見つめます。

初めての里子に贈った別れの言葉「ぶどうの木」

里親の坂本洋子さん(64歳)はファミリーホームの“お母さん”です。ひとつ屋根の下で6人の里子を育てています。

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食卓を囲む坂本洋子さんと子どもたち

虐待、養育拒否、経済苦。さまざまな事情で生みの親と別れざるを得なかった子どもたちを家庭に迎え入れ、これまで、18人の里子たちを育ててきました。

洋子さんが里親になることを決意したのは36年前。医師から、子どもを産むことができないと告げられたからでした。

ならば、生みの親と暮らせない子どもたちと社会とをつなぐ、架け橋になろう。そんな思いで初めて迎え入れた里子が純平くんです。

画像(純平くんと坂本洋子さん)

しかし当時はまだ里親制度に対する世間の目はきびしく、純平くんは学校にうまく馴染むことができませんでした。

「『里子?なんですかそれは?』って。どんなに絆があると言っても、世間から見れば、『縁組もしないで子どもを育てているなんて冷たい人たちですね』ってストレートに言われることも多かったので」(洋子さん)

そこで洋子さんはある決断を決断をしました。

「少しの間、学校を休ませて社会との距離を置き、親子で過ごす時間を増やそう」

ところが思わぬ事態が待っていました。学校を休ませたことで、里親としての養育義務を怠っているとみなされたのです。行政の判断で、純平くんは施設に移されることになりました。別れの前の晩、洋子さんはある言葉を託しました。

私はぶどうの木
あなたがたはその枝である
人が私につながっており
私もその人につながっていれば
その人は豊かに実を結ぶ
(ヨハネによる福音書15章5節より)

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坂本洋子さん

「私たちは別々の場所で暮らすようになっても、常に一緒。つながっているんだよっていうことは彼に理解してほしかった。絵を描いて、『これはあなたね、これは私たち家族だよ』っていう話をした。私たちはどこにいたって、同じ木につながる家族なんだっていうことを彼に伝えたかったということです」(洋子さん)

翌朝、純平くんは、ぶどうの木が描かれた絵を持って家を出ていきました。一緒に過ごしたのは、3歳から8歳までわずか5年間でした。

その9年後、純平くんはバイク事故で命を落としました。17歳でした。

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純平くん

純平くんは亡くなる前の年、洋子さんのもとを訪ね、1枚の手紙を置いていきました。

「俺は生きぬくことの強さを身につけたいと思っている。つい2日前、死んでやると思った。とても悩んだけれど、やっぱり生きる。頑張って笑顔で、又この家に帰ってきたい。ブドウのように、俺と坂本家はいつまでも結ばれている」(純平くんの手紙より)

離島で就職、母と同じ道…自立後の選択

ヒロキさん(25歳)は、2歳のとき、児童相談所に保護されました。未婚でヒロキさんを産んだ母親は、食事もまともに与えず、家の中は荒れ放題だったといいます。

「僕の家の冷蔵庫はチョコレートしか入っていなかったって、ボソっとつぶやいたって。虐待、育児放棄ですね。ネグレクトの対象で一時保護。怒りのエネルギーというやつかな、大人に対しての怒りですよね。大人が自分を守ってくれなかったっていう感覚」(ヒロキさん)

洋子さんの家で育ち、今は、長崎の離島・対馬で働いています。

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対馬市役所地域包括支援センターで働くヒロキさん

都会を離れ、地方で暮らしてみたい。3年前、選んだのがこの島でした。人の役に立つ仕事がしたいと、社会福祉士の資格を取りました。

「対馬で誰かのために一生懸命生きるんだっていう気持ちは変わらないですね。そのためには、島で生きている人たちと関わらないとなんも見えないなと思ってて」(ヒロキさん)

ヒロキさんは、島で出会った人たちに自分の生い立ちを隠さず話すようにしています。

保護されてから、およそ20年。大人になった今、この西の果てで、島の人たちと深く関わり合いながら生きています。

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対馬の人たちと交流するヒロキさん

「今、居場所を探す旅に出てるんですよ。誰かとつながっていないと孤独になってしまうみたいなところは、無意識としてはあると思いますね。心の奥底に、誰かに捨てられたっていう感覚をたぶん持っているんだろうなと。劣等感はそう簡単には消えないんじゃないかな。でも劣等感があるから頑張れるみたいなところは大事にしたい」(ヒロキさん)

法律上、里子たちがファミリーホームで暮らせるのは、原則18歳までと決まっています。

2020年1月、この家を出ていく日があと1年に迫っている少年がいました。2歳のとき、乳児院からやって来たケントさんです。

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ケントさん

ケントさんが、自分が里子であることを認識できるようになったのは10歳の頃でした。

「小4でそのこと知って相当恨み持って、会って殺すってずっと言ってたんですよ。育てられないなら生まないほうがよかったと思う」(ケントさん)

「会って殺す」、でも「会って話したい」。うらはらな思いがいつも交錯していました。

「『写真1枚でも見たい』って、ずっと言ってました。でもその写真1枚ですらお母さんは撮らせなかったし、何年も児童相談所の児童福祉司が通ってお願いをして、やっと撮れた1枚が後ろ姿だったんです。後ろ姿ならいいって。その後ろ姿の写真を『やっと撮れたよ』って、児相が持ってきたときには『もういい、俺はそんなもの見ない』って」(洋子さん)

「後ろ姿」の生みの親より、ファミリーホームのお母さん。ケントさんにとって、頼れるのはこの家だけです。

長男の歩(すすむ)さん(26歳)は里子の中で唯一、養子縁組をし、この家に残りました。子どもたちの世話で忙しい洋子さんを手伝い、幼いきょうだいからは「にーに」と呼ばれ、慕われています。

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幼いきょうだいの手を引く歩さん

歩さんは、幼い頃、里子であることを理由にいじめにあいました。いつも、引け目を感じて生きてきたといいます。

「学校の人たちを見てると、お母さん似だとかお父さん似だとか、すごい見て分かるんですけど、自分はそうじゃないし、血がつながっているわけじゃないから全然違うし、性格も違うし、そこを見られたくないというか。見かねた母が、『誰から生まれてきたかではなくて、これからどうやって生きていくかが大事』って」(歩さん)

成人した歩さんは、自らの意志で洋子さんと同じ道を歩むことを決め、2年前、里親の補助者の認定を受けました。

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歩さん

「自分自身の今後の人生とこの家の存続の問題とを天秤にかけたとき、そこまで背負えるのかなってすごい葛藤でしたね。やっぱり子どもたちの成長を見て、家があるということ、彼らにとってこの家しかない。この家の存在を消すというのはもったいないし、かわいそうだし。お母さんがいつまで元気でやってられるか分からないですから。そういったときにみんなで支えられるように、その中心になれればと思って」(歩さん)

離れても家族 枝を伸ばし続ける子どもたち

「ぶどうの木の子どもたち」は、みんなで暮らしたファミリーホームを幹に、それぞれの場所で、自分なりの枝を伸ばそうとしています。

「新しいものに、自分が知らないものに触れるときがいちばんわくわくする」(ヒロキさん)

見知らぬ土地に出向き、さまざまな価値観に触れる楽しさ。ヒロキさんにそのきっかけを与えてくれたのが洋子さんでした。

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高校生の頃、ネパール旅行に行ったヒロキさんの写真

「多様性に富んだ社会を見ておきなさいと。そっちの生き方のほうが合っているよって教えてもらったのが、今、自分が飛び回れている、知らない世界に入っていけるひとつの要因になっていると思います」(ヒロキさん)

自分の居場所を探す旅が続いています。ふと立ち止まったとき、思い浮かぶのは、ひとり家に残った兄の姿です。

「誰かが残ってくれるから僕はある意味自由にいられるっていうのがあるので。歩さんはいわゆる家の大黒柱で、でも家の現場が忙しいなかで、どっかで潰れるんじゃないかなと思ってて」(ヒロキさん)

家を離れて3年。ヒロキさんは、初めて歩さんの胸の内に触れました。

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歩さんとリモートで会話するヒロキさん

歩さん「最初はね、やっぱり(ヒロキが)行ったときは不安要素たくさんあったんだけど、なんだかんだ1人でやれてるんだなって。ヒロキが自分で島に行くって決めて、本当にやりたいことをやりたいようにやってくれればいいかなって思って」

ヒロキさん「それを聞けてよかったかな。少しは安心したかな」

2021年春、ケントさんはファミリーホームを巣立ち、車で1時間離れた場所で1人暮らしを始めました。歩さんは頻繁に連絡を取り、食料や日用品を届けています。

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ケントさんに食料を届ける歩さん

「やっぱり朝早いし、肉体労働して帰ってきて、節約しようと自分で頑張っているらしいんですけど、それだったらもう少し栄養があるお昼を食べてもらおうとか」(歩さん)

1人暮らしを始めてすぐ、体調を崩してしまったというケントさん。とび職や警備の仕事をかけもちし、昼夜問わず働き続けています。

家を出てからも、家族への気持ちに変化はないといいます。

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ケントさん

「お母さんがどういう気持ちで『ぶどうの木』って言ってたのかは分からないけど、何かしらの意味があったんじゃないかなって思う。今までのきょうだいたちのこと、家出た子のことも思って。18歳で措置(委託)が切れて、法律的には家にいられなくなって、親っていうお母さんの立場もなくなっちゃうけど、家を出たあとでもきょうだいはきょうだいだし、家族は家族でお母さんはお母さんなので、そこは変わんないですね」(ケントさん)

枝を伸ばし続けて36年。いちばん末の子が自立するその日まで、あと13年。

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ヒロキさん

「僕にとってのぶどうの木のイメージは、やっぱりひとつひとつの家族っていう軸があったときに、そこから子どもたちが枝を作ってて、いつか困ったときにはその軸の枝に帰って来られる。その枝がもしかしたら他の家の誰かとか、今住んでいる地域の誰かとかとつながるのかもしれないし。もしかしたら今も、僕もたぶん、自分で枝を増やしているんじゃないかなと思いますよね」(ヒロキさん)

※この記事はハートネットTV 2021年5月19日放送「ぶどうの木の子どもたち」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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