母親の死をきっかけに、父親の支配から逃れた精神科医の森川すいめいさん。生きる道を求めてさまよった日々に気づきを与えてくれたのは、路上生活を送る人や被災地の人々との出会いでした。すべての人に人生があると語る森川さんが、“開かれた対話”で得た旅の到達地とは。
医学部に入学した森川さんが参加した、路上で暮らす人たちへの支援。活動の現場で出会った路上生活者の男性との対話を通じ、それまで自分が知らなかった世界と出会うことになりました。
「(男性が)『施設はだめだ』と言うんですよ。『なんでだめか?』と聞くと、『集団生活だから』と。『集団生活の何がだめなのか?』と聞くと、すっきりする回答にならないんですよ。どういう部屋だったら路上じゃなく、屋根のあるところにいられるんだと聞いたんです。そうしたら、『ウォシュレットが必要だ』と言うんですよ」(森川さん)
当時はまだ常識にとらわれていたので、生活保護を受けながらウォシュレットのある部屋に住むことは難しいと感じました。
「『ウォシュレット、なんで?』と聞いたら、痔だと(笑)。痔核があるので、お尻が拭けない。お尻が拭けないからパンツが汚れる。汚れると施設に迷惑をかけると。指もちょっと短くて器用ではないんですよね。身体にも知的障害としての特徴が出ていて、紙をつかむのも不器用で、痔があることで上手にお尻を拭けなかったんですよ。だから、ウォシュレットがある駅の地下でずっといたんですね。」(森川さん)
こうして森川さんは、対話を重ねないと分からないことがあると痛感します。
「その人に理由があるんだなと。自分が思ってる世界って極めて小さく、聞かなくては分からないことだらけだと肝に銘じるくらい大事な気づきになりました。勝手に解釈したり、ジャッジしたり、アセスメントしたり、そういうのは全部捨てて、(まずは)どうしてなんだと聞く」(森川さん)
対話を重ねることの大切さに気付いた森川さんは、路上生活者支援のためのNPO団体を組織し、活動の規模を広げていきました。そして、医師として出会う人たちの悩みに応えたいと、精神科医になる道を選びます。
「いろんな人の声を聞いてしまって、その人たちがどうにかなるまでは、ここから離れるわけにはいかない。だめな現実を変えていかなくてはと思ったんですよね。だから、もっと勉強して人の上に立とうと。まだ私の癖が抜けてなくて、武器を持とうとする。常に教科書をいっぱい持って、空いた時間はずっと勉強」(森川さん)
そんな森川さんに、大きな問いを投げかける出来事が起きます。2011年3月の東日本大震災です。震災から2週間後、森川さんは現地へ向かいました。
「行けば役に立つと思ったんですよね。精神医療とか、PTSDに対する医療とか、いろんな武器が助けになると思った。けど、最初に高台の上から見たら、これは何もできないと思ったというか、絶望的な無力感というか。それで、避難所にいる方の話をただ聞くという活動をしました」(森川さん)
そこで出会った被災者の女性が、森川さんの意識を大きく変えることになります。
「とても元気に避難場所で活動し続けている女性がいたんですけど、『先生、どうして生きなきゃいけないの?』と言って、泣かれたんですよね。自分以外(の家族が)みんな亡くなった人で、生きていく理由なんて探せないと。止まってると思い出しちゃうから、動き続けていると言ってた」(森川さん)
しかし、森川さんは女性に対して何もできず、被災地を後にします。
「その人の苦しみに対して、私は向き合わないというか、ちょっとでも生きる希望が見えるような隙間を空けようと考えてしまう。それは、その人とその場所にいることを拒否することでもあった。その人が苦しみを訴えて、あなたの魂と一緒にここにいさせて欲しいと思ってくれたんですけど、その場にとどまり続ける力は私にはなくて。それで、自分の中のものがすべてなくなって、何もできなくなった。東京に戻って(部屋に)閉じこもって、ずっとただ泣いていた」(森川さん)
なぜ、女性の苦しみに向き合うことができなかったのか。震災から3年後、森川さんはその問いの手がかりになる言葉、“オープンダイアローグ”と出会います。オープンダイアローグ(開かれた対話)とは、フィンランドで30年実践されてきた精神療法で、投薬に頼らず、対話をし続けることを治療の柱にしています。
日本の医療関係者から話を聞いた森川さんは、何か答えが見つかると思い、すぐに現地のフィンランドを訪ねました。
「行ってみたらプログラムは、オープンダイアローグの説明が100のうち0.01くらいなんですよ。『自分の話をしなさい』と言われるんです。いやいや、そうじゃなくて、(オープンダイアローグの)やり方とか、対話の腕前を上げたいんですけど。すると、向こうの人たちは言うわけですよ、『あなたは誰なのか』と。『それが分からなければ、苦しんでいる人の側にいられるはずないでしょ』と」(森川さん)
患者と対等な立場で会話するスタイルに心を打たれた森川さんは、3年間のオープンダイアローグ研修に参加しながら、日本の医療現場で実践をはじめました。オープンダイアローグでは、患者や家族などが話したいことを、医師1人ではなく、多くの関係者で受け止めます。医療者は指示をするのではなく、時に一人の人間として思いを話すのです。
日本の医療現場でオープンダイアローグを実践する森川さん
「専門家が1人だと、先生に対してみんなが話を聞く形になる。2人になれば、誰かの意見に従うという構造がなくなって、水平の関係になれる。一方的に医療者が偉いみたいなことじゃなくて、同じ目線で一緒に悩み、考え、『人生に答えはないよね』と言うことにとどまる。そのとどまり方を対話としたんですよね」(森川さん)
お互いの思いを交換し続ける対話。フィンランドで学ぶなかで、森川さんは自分の奥底に閉じ込めた思いと初めて向き合うことになりました。
「『あなたの家族の話をしてください』というワークで、絶対に触れない場所の話をするんですよね。自分が暴力のある家にいたとか、どう受け取られるか恥ずかしいと思ってるわけですよ。だから話すのが怖くなって震えちゃって。残ってるんだなと思ったんですよね。過去のつらいことに対してクリアしてなくて、ふたを閉じてるんだなって。だから、しんどい言葉を聞いたときに、ふたが開きそうになって閉じようとしてるんだなって」(森川さん)
しかし、森川さんが家族の話を始めたとき、参加者に“対話”として受け止めてもらえます。
「温かく受け止められたとき、よろいが抜けるんですよね、体から。なんだ、自分はこんなに専門家になろうとか、技法とか嫌いと言ってながら、いっぱいよろいや武器を持ってたんだって。つまりは丸裸で、全身全霊でその人の側にいられなかったんだなって。一個の人間として、一個の人間の前にいられなかった。技法を持ってその人を助けようとしていた」(森川さん)
そして研修の終盤、これまで誰にも話したことのなかった、母親との最後の出来事を打ち明けました。
「死ぬと思ってなくて、(病室で)母親に対してそっけなく対応したわけです。そのことについて、『すいめいは優しかったでしょ?』と家族が母親に言ったときに、(母親は)『優しくない』と言ったんですよね。それが、記憶している最期の言葉」(森川さん)
病室での体験をみんなに話している最中に泣いてしまったという森川さん。そのとき、自分の人生で一番つらかったことが、母親の最期の言葉だと初めて気付きます。
「母親を傷つけ、それをずっと背負ってきたんだなって。だから、自分のことが許せないし、大嫌いだし、自分を肯定できない。(つらかったことに)ふたを閉めた毎日で、最後の最後で踏みとどまれなくて逃げ出してしまったり、武器を持ったりした。人間対人間としてその場にいなきゃいけないときに消えてしまうのは、その人から逃げてるのではなく、自分から逃げている。だから(研修の最後に)、『私は私を許します』と言ったんですよね。『I forgive me.』と」(森川さん)
母親に「優しくない」と言わせてしまったことは絶対に許せないけど、自分を許すと決めたのです。
精神科医 森川すいめいさん
「大嫌いな自分を受け入れたと思うんですね。大嫌いな自分があって、そうじゃないように生きてきた。だけど今は嫌いなまま置いておける。それを肯定するつもりもないし、過去いろいろやってしまったことに対して反省を捨てたわけでもない。ただ、ちゃんと向き合える。自然体で、変に緊張しなくなって、話を聞くときは逃げなくなりましたね。じっくり話を聞けるようになったし、自分の気持ちを話せるようになった。人間対人間になれた気はしますね」(森川さん)
緊急事態宣言を受け、森川さんたちの支援現場では相談に来る人が急激に増えていました。
「コロナが起きて、仕事がなくなったり、家賃が払えなくて困ったりしている方がたくさんいる。ネットカフェに寝泊りしていた人が池袋駅の地下で寝ているんですよ。たぶん20代か30代かなと思うんですけど。初めて野宿になった人と1日で4、5人も出会うんですよね」(森川さん)
そして、この状況は誰にでも起こり得るのです。
「50代の人は、建築現場でバリバリ働いてた感じの人で、まあまあいい時計をしてたんです。お金があるときは飲み屋さんとか行ってるんだろうなと思ったんですよね。皆おなじだなって。ちょっと遠くにあった、住まいを失うことが、誰にでも起こるものになったんだなって」(森川さん)
森川さんは、この場所から離れるわけにはいかないと考えています。
「その人たちのうち何人かがなんとかなっても、新しく次から次へと(野宿になる)。派遣切りや消費税の上昇、政権がこんなことになった影響を受けた人たちが新しく野宿になる。新しいタイプの野宿の人が出てくるんですよね。終わらないというか。話を聞いちゃうから知り合いになるし、友達の気持ちもあるし、心配にもなる。だからここにいる」(森川さん)
精神科医・森川すいめいさん 対話の旅に導かれて
【前編】父親の支配下にあった壮絶な生い立ち
【後編】“開かれた対話”で得た旅の到達地 ←今回の記事
※この記事は2020年5月31日放送 こころの時代「対話の旅に導かれて」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。