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精神科医・森川すいめいさん 対話の旅に導かれて
【前編】父親の支配下にあった壮絶な生い立ち

記事公開日:2021年04月20日

精神科医の森川すいめいさんは、池袋で20年間、路上生活者の支援活動に取り組んできました。その活動の原点にあるのは、父親の支配下で育ち続けた壮絶な生い立ちです。自らの苦しみと向き合った、森川さんのこころの旅路を聞きます。

※記事のなかで、具体的な虐待被害の体験が含まれている箇所があります。フラッシュバックなどの心配がある方は ご自身の状態に注意してご覧ください。

普通の人が路上生活となる現実

2020年の元日、氷点下近い池袋の公園では、路上生活を送る人たちへの炊き出しと、医師による医療相談会が開かれていました。

画像(池袋の公園で開かれた医療相談会)

この支援団体を立ち上げた一人が森川すいめいさんです。精神科医として働きながら、路上生活者の支援を20年間続けてきました。相談内容に応じて、病院への紹介状を書いたり、生活保護の申請にスタッフが同行したりします。

この場所には路上生活を送る人だけでなく、一度行政の支援を受けたものの、逃げ出した人も多くやってきます。病気で働けなくなり生活保護を受けていた60代の男性は、行政から紹介された集団生活を送る施設に耐えきれず逃げ出してきました。男性は広さが3畳の部屋に2人で住まわされ、汚れた布団と粗末な食事が与えられたと言います。森川さんはこうした現実を見続けてきたのです。

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精神科医 森川すいめいさん

「見た目は変わらない。だけど、ここから脱出することが難しい人たちがいっぱいいる。『どうして路上生活のままとどまっているのか』とか、『なんで屋根がある部屋にいたのに出てしまったのか』と散々聞いてきたわけですけど、(当事者の声を)生で聞くと、やっぱりそうだよなと思う」(森川さん)

従来の支援方法への疑問

森川さんは月に5日、仲間と立ち上げたクリニックで診察にあたっています。路上生活などを抜け出した人を継続的にフォローする専門のクリニックです。

過酷な生活を送ってきた人の中には、精神的なダメージを受けた人や障害のある人が少なくありません。再び家を失うことがないよう、看護師や心理士、ソーシャルワーカーなどがサポートしています。一旦、行政の支援を受けても路上生活を繰り返す人の大半は、集団生活を送る施設を住まいとして紹介されたケースです。

「従来の支援は、路上で屋根がなく、ごはんもない人たちに対して、『屋根をあげますよ』『ごはんもついてますよ』という場所が用意されていた。でも劣悪だったんですよ。夜は電気つけっぱなしで、真夏の暑い日に『クーラーは夜のこの時間からこの時間までつけてはいけません』みたいな施設とかもあるんです。そういう集団生活、かつ劣悪な場所に入れちゃうのが、最初のステップ1としてあるんですよね」(森川さん)

仕事が決まり収入を得れば、次のステップとして集団生活から抜け出せるという仕組み。税金で支援するのだから劣悪な環境を受忍すべきという風潮に、森川さんは疑問を感じています。

「その人たちって、一人ひとりに人生があって、物語もあって生きてきた。朝何時に起きて夜何時に寝て、将来どうしたいかを自分たちで決めるのが普通だと思う。そういうのを全部なしにさせられちゃうんですよね。ルールが決められて、門限もあるし、この時間にいなければごはんはありませんとか。あたかも家と仕事を失ったのは自己責任で、『税金で養ってあげるんだからルールを守りなさい』みたいな。奴隷なのかと思う」(森川さん)

個室の確保が自立につながる

森川さんたちの団体は、集団生活を送る施設ではなく、個室の住まいを得ることが重要だと考えました。「ハウジングファースト」という取り組みです。他の団体と協力して寄付を募り、現在は民間のアパートを12部屋借り上げています。

47歳のなべさんは貧しい母子家庭に育ち、中学を卒業してすぐに就職しましたが、20歳のときに解雇。以来、20年間、家のない暮らしを送っていました。しかし、支援を受けて4年前に初めてアパート生活を始めます。

画像(支援を受けて個室で生活するなべさん)

初めは電気の契約や、家賃の支払い方がわからなかったなべさん。森川さんたちが用意した訪問看護などの機会に相談し、ATMの使い方など、自分の暮らしを一つひとつ築いていきました。

そして、なべさんは今、炊き出しのボランティアリーダーを務めています。ここに相談に来た当時は過酷な路上生活でうつ状態に陥っていましたが、自分だけの住まいを得て、自分を取り戻していったのです。

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ボランティアリーダーを務めるなべさん

「(当時は)寝るところがなく、ごはんが食べられないので相談に来ました。今は逆に炊き出しとか、まとめる側になったので、なんか自分でも信じられなくてね」(なべさん)

森川さんは、なべさんが人の痛みを知っていることが、今では強みだと語ります。

画像(右・森川さんと、左・なべさん)

「(なべさんは)人の痛みを知っている。痛かったときはつらかったと思うんですけど、今はその痛みを知ってることで、人に対して痛みをすぐ感じられる。その人の側に行って、なんとかしようといつも考えてくれる。なんかすごい人になっちゃいました」(森川さん)

支援団体は、住むところを失った人たちに、まずは部屋を確保する、ハウジングファーストの活動を今後も続けていくつもりです。

「朝何時に起きて夜何時に寝るのかは、その人が生きる社会において自分で決めること。そのことをすごく大事にしてる活動です。自分らしく生きていけることにつながる。支配されているか、されてないかの違いくらいの差があります」(森川さん)

父親の支配下で暮らす日々

森川さんが、路上生活を送る人のために力をつくす池袋の街。その活動の根底には、自らも痛みを抱えながら育った、この街での体験がありました。

森川さんは1973年生まれ。父親は台湾出身で、単身、日本にやってきて、武術の道場を開いて生計を立てていました。

画像(少年時代の森川さん)

「私の幼少期は、毎日殴られてた家だった。父親が硬い缶詰を母親に投げつけて頭に当たったり、妹が殴られるとか。(自分も)目から出血するくらい殴られたのは、何度もありました。今思えば、(父親は)自分勝手で理不尽で、思い通りに物事が進まないと暴力を振るう。自分のことをすごく守る人で、よく言ってたのが『俺のプライドを傷つけるな』。だから、自分のプライドに障ることを子どもがしたら、殴るのは一貫してた気がします」(森川さん)

父親に対して殺意を抱き、包丁を向けたこともありましたが、勇気がなかったと森川さんは振り返ります。

「支配の構造で、奴隷と同じだと思うんですよね。ちょっとでもましな日を探していた。家の中でなければ抑圧されたものが発散できるので、学校で目立つし、うそつきだし、嫌な子だったと思う。そうすると、いじめの対象になって学校でも抑圧される状況になった。学校に行かなくなって、外で昼間過ごして、家に戻ることはありましたね」(森川さん)

高校を卒業した森川さんは将来進む道を自分では選べず、父親が願書を出した鍼灸を学ぶ京都の大学に進学しました。その後大学1年生の冬、離れて暮らしていた母親が末期のがんで倒れます。父親から最も激しい暴力を受けながらも、子どもたちをかばい続けた母親は、森川さんの唯一の拠り所でした。

画像(少年時代の森川さんと母親)

「最初、母親は病院に行かなかった。調子悪いし、具合悪いし、食欲もないし、『おなかが痛い』と言い始めてるのに、(父親から)気持ちの問題にされて。ある日、大腸が破裂するんですよね、がんのせいで。そんなことがあったのに、母親は治ると確信してたんですよ。(治ると言い張った父親の)支配下に気持ちがあったので、治ると信じ込まされていた」(森川さん)

入院した母親を毎週お見舞いに行っていた森川さんは、病室での父親の振る舞いに対して初めて反抗します。

「父親は母親に嫌なこといっぱい言うんですよ、病室で。それを聞くのが嫌だったから、どんどん病室にいる時間が短くなるんですけど、 (父親が)グジグジ言ってくるので、母親の横にいた私は、つい『うるさい!』と言ったんです、初めて。そうしたら父親が激高して。翌週は(病院に)行かなかったんですけど、その数日後に(母親が)亡くなるんですよね」(森川さん)

父親の支配下で、母親は治ると信じ込まされていた森川さん。それがうそだったと、初めて気づいたのです。

画像(精神科医 森川すいめいさん)

「バカだなって思うんですね、21歳にもなって。結局、あらゆるつらいことに対してすぐ逃げてしまう状態だった。逃げちゃうというのは、その場から去るだけでなく、いいように考えるとか、ちゃんと話を聞かないとか、深刻に考えないとか。疑うことから逃げたんだと思うんですね。自分のことが許せないし、大嫌いだった」(森川さん)

母親の死から3年、森川さんは父親が望んだ鍼灸師の仕事を辞め、東京へ戻ってきました。そして、医師になることを決意し、2年間の猛勉強の末、医学部に入学します。

画像(学生時代の森川さん)

「ずっと続く支配から抜けるため、さまざまな知識や知恵を得たかった。たくさん勉強して、社会で生きていくための武器を持って偉い人になる。誰からも支配されない、偉い人になるために頑張った時期でもありましたね。絶対的な力というか、そういうものがあるんじゃないかと思った」(森川さん)

医学部に入った1年生の冬。サークル仲間から聞いて参加したのが、路上で暮らす人たちへの支援活動です。路上生活者との対話を通じて、それまで自分が知らなかった世界と出会います。話を聞かないとわからないことの多さを痛感するようになりました。

精神科医・森川すいめいさん 対話の旅に導かれて
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※この記事は2020年5月31日放送 こころの時代「対話の旅に導かれて」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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