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社会保障ってなんだ 第5章 「雇用保険」と「労災保険」

記事公開日:2021年04月14日

社会保険の中で、原則的に対象を被用者(勤め人)に絞っているのが雇用保険(旧・失業保険)と労働者災害補償(労災)保険です。働き場所を失ったり、追われたりしたとき、仕事を進めている中で仕事が原因で病気や負傷をしたとき、勤め人を助けてくれる大事なシステムです。

雇用保険(1)大戦後の大量失業時に生まれた失業保険

 勤め人は常に失業のリスクを抱えて暮らしています。勤務先の業績悪化や産業全体の不振で倒産や解雇にさらされ、自ら転職を図る際もすぐ再就職できるとは限りません。職を無くした際の生活を保障する本格的な「失業保険」は、英国で1911年初めて制定されました(邦訳名称は国民保険法)。先進主要国では第1次世界大戦後の長期不況・大量失業時代に次々に創設されましたが、日本では経営側の反対で長い空白が続きました。

 第2次世界大戦後の1947(昭和22)年、社会党首班の片山哲内閣で「失業保険法」が成立・施行されました。敗戦と経済破綻が大量の失業者を生み出した頃です。同じ年に労働基準法、職業安定法、労働者災害補償保険法も制定され、やっと労働者の基本的な権利と保護を認める第1歩を踏み出しました。

 当初の失業保険の給付要件は、離職の日以前1年間に6ヶ月以上の保険料納付者で「労働の意志と能力を有する者」、給付額は従前賃金の6割を標準に一律180日支給を上限にしました。保険料は賃金総額の2.2%を労使で折半し、国庫負担も付きました。

 1950~60年代の経済復興から高度成長期へ、失業保険は大きな曲がり角を迎えました。大企業と中小零細企業の間で生産性や賃金に大きな格差が生じる「日本経済の2重構造」です。失業も中小零細企業の従事者に集中し、大企業では高い保険料を払いますが、給付を受けることは少なく、不満が強まりました。

 この「2重構造」の底辺では、農業者や漁業者の季節的出稼ぎが始まりました。夏場や冬場の半年間は大都市の建設・土木業などで働き、帰郷して失業保険金で半年間を暮らす労働者群です。このため給付日数は一律180日から加入(納付)期間の長短に応じ最長270日~最短90日に変更されました。それでもピーク時の1967年度で季節的受給者数は総受給者数の4割に迫り”第4次産業”とも呼ばれました。

雇用保険(2)失業だけでなく、失業の予防や、再就職の促進も

 1970年代に入ると、失業を事前に予防する役割を担えないか、再就職を促進する機能を加えられないか、との議論が活発になりました。当時、旧西ドイツ政府が職業訓練と一体化した「雇用促進法」(69年)を制定した影響を強く受けていました。1974年、失業保険法は発展的に廃止され「雇用保険法」が制定されました。

 旧失業法と比べ改良された点は、次の通りです。

①全産業・全事業所が強制加入の対象(個人経営の農林水産業は任意加入)
②失業給付の日数は年齢別の段階制(高齢ほど再就職は難しく給付日数を延長)
③基本(失業)手当は、高賃金であった人には相対的に少なく、低賃金だった人には多く配分
④季節的労働者の保険料率を一般より格段に引き上げ

 最大の特徴は「雇用3事業」の創設でした。「雇用改善事業」のうち代表的な雇用調整給付金は、事業の縮小に伴い従業員に休業手当を払った事業主に補助金を交付。「能力開発事業」は、労働者に職業訓練を受講させる事業主に賃金の一部を支給等。「雇用福祉事業」は転職者への宿舎提供やレクリエーション施設の拡充等(2007年、非効率な運営状態や民間で代替可能等の理由で廃止)でした。

雇用保険(3)目的・年齢・加入期間などに応じて細分化

 失業・雇用保険は、日本経済の好不況、産業構造の転換、雇用形態の変貌などと共に歩みました。現在の制度概要は次の通りです。

画像

雇用保険・基本手当の給付日の表(2020年度時点)

 失業等給付は求職者、就職促進、教育訓練、雇用継続の4種類の給付に大別されます。代表的な「求職者給付」の基本手当(通称・失業手当)は、離職前6か月間の平均賃金日額の50~80%分が支給されます(60~64歳は45~80%分)、賃金日額に応じ高賃金は最低50%保障、低賃金は最高80%保障と低賃金者に手厚い設計です。上限額の最高は45歳~60歳未満の8370円、最低は年齢に関係なく2059円です(2020年8月時点、毎年8月改定)。

 給付日数は、まず転職等を理由にする自発的な離職者と非自発的な離職者で長短を分けます。非自発的離職者とは「特定受給資格者」(倒産、解雇等)、「特定理由離職者」(待遇悪化や嫌がらせ等の正当な理由での離職、有期契約の満了など)、「就職困難者」(障害者ら)です。さらに加入期間と年齢で給付日数は細分化されます
 保険料率は、賃金総額の計0.9%分ですが、失業給付等の費用に労使で各0.3%ずつ負担し、雇用安定、能力開発の2事業は使用者が0.3%を全額負担します(2020年度、農林水産、建設等の保険料率は別に定められる)。

雇用保険(4)失業だけでなく、育児・介護も支える新たな役割

 雇用保険の新たな役割を示すのは1995年度から育児休業給付や介護休業給付が新設されたことです。育児や介護を支援して働き続けてもらうため雇用保険財政から支給されます。

 育児では、原則1歳未満の子を養育するために休む被保険者に創設時は休業前賃金の25%が支給されましたが、次第に引き上げられ、現在は、まず180日間は67%相当額、その後50%相当額が支給されます(保育所が見つからない場合等は1歳6か月まで、父母とも休業取得の場合は1歳2か月まで。さらに保育所に入れない場合等は2歳まで延長されます(給付額は上、下限あり)。
介護では、常時介護が必要で休業した際は最長93日間、休業前賃金の67%相当額が給付されます(給付額は上、下限あり)。通算93日分を3回まで分割取得も可能にされました。

 近年の雇用保険制度は、非正規労働者が全労働者の3分の1を超える状況への対策を迫られています。「求職者支援制度」(2011年開始)もその対策です。雇用保険の適用外の人々や就職できなかった学卒者らを対象に公共職業安定所(通称・ハローワーク)作成の個別支援計画に基づいて職業訓練が無料で受けられ、一定の要件で最長1年間は月額10万円の生活費も支給されます。かつての出稼ぎ労働者にも似て、身分が不安定で一般的に待遇も劣る非正規労働者の大群が経済を支える、新たな「雇用の2重構造」は深刻な社会問題です。

労災保険(1)使用者に過失がなくとも責任を課す

 明治期、「工場法」の立案者が職工を「生産用具の一種と見なすべきもの」と説明したほど労働者の扱いは機械以下でした。1931(昭和6)年、やっと成立した「労働者災害扶助法」等も適用範囲は狭く、補償は薄く、近代的な労働者保護にはほど遠いものでした。他の労働法制と同様に1946(昭和21)年公布の「日本国憲法」に「労働者の権利と保護」(第27条)が明記され、ようやく長く暗い時代からの脱出が始まりました。

 1947(昭和22)年、「労働基準法」の制定で災害補償が義務付けられ、その実行のため「労働者災害補償保険法」も同時に制定されました。名称に「補償」とあるのが、この保険の独自性を示しています。それは使用者側に何らの過失がなくとも責任を課す「無過失賠償責任」の理念が根底にあるからです。

 さまざまな業務上の事故や病気が発生しますが、その個別の事業主の賠償責任を国家規模の保険システムに仕上げました。パートタイマーやアルバイトを1人でも雇えば事業主は労災保険に加入の義務があります。不法滞在の外国人を雇っても事故が起きた際には事業主は責任を負います。事業主は保険料を全額負担し、被用者(勤め人)の負担はありません。つまり国家による社会保障制度の一環になったのです(公務員には別に独自の災害補償法がある)。

労災保険(2)地下鉄サリン事件や東日本大震災も対象

労災事故の認定は

①業務遂行性(仕事を進めるうえでの事故)
②業務起因性(仕事が原因で起きた事故)

の二つの条件を満たすこと。

 建設現場などで起きる転落事故は、この二つの条件に当てはまりますが、私的なトラブルでもみあい落下して、業務起因性が認められないケースもあります。もっと難しいのは後述する「過労死」「過労自殺」の認定です。

 労災事故に認定されると、治療面はもちろん、障害が残っても大きな支えになります。事故の対象範囲、補償の水準、その方法などは各種の職業病の発生や被災者の運動を軸に繰り返し議論され、ゆっくりではありますが、改善・改良されてきました。

 1960年代、採石・採炭・セメント製造の現場では、労働者が珪酸(けいさん)を含む粉じんを吸い込み、「珪肺」(けいはい)が深刻な問題になりました。肺機能が侵され、肺炎や肺結核等の合併症を併発する不治の病です(現在は石綿等を含め「じん肺」と総称)。

 長崎県佐世保市で、ある炭鉱夫はこんな歌を残しました。

「炭塵(たんじん)に 冒(おか)され来し 我が肺の 黒き斑点は 消えがたからむ」
「発作出で 胸かきむしる苦しみに 這ひ転(ころ)伏(ぶ)して 我は咳(しは)ぶく」

この男性が最重症の認定を受けたのは死の1か月前でした。

 退職から5~10年も経て発症することが多く、訴訟を起こしても患者たちは時効の壁に泣かされました(澤田猛著「黒い肺」、未来社)。当時の労災保険は療養が3年以上経過後に一時金を払い補償を打ち切っていましたが、1960年と1965年の改正で、傷病補償年金や障害補償年金による長期補償へ切り換えられました。

 その65年改正では従業員5人以下の事業所も全面的に強制加入にされ、大工や左官などの「1人親方」(経営者兼従業員)や、中小企業事業主とその家族従業向けの「特別加入制度」が導入されました。1973年には「通勤災害」が加えられました。通勤・退勤途上の転倒、転落、落下物被害、交通事故などに適用されます(経路を外れた「逸脱」や関係のない飲食店立ち入りや映画鑑賞等の「中断」を除く)。交通事故等は事故原因者への民事損害賠償請求権と労災保険の給付請求権が同時発生し、損害の補填が重複しないように支給調整されます。

 たとえば、東京都内で朝のラッシュ時に起きた「地下鉄サリン事件」(95年3月20日)では、被害者は通勤災害の認定を受けました。平日の昼下がりに発生した「東日本大地震」(2011年3月11日)では、就業中の人々が多く、自然災害ではあったものの、「危険な環境下での仕事」と解釈され、被災者の大半が労災認定を受けました。

労災保険(3)労災認定の課題

現在は、労災認定により7種類の保険給付があります(通勤災害も同様7種類)。

①「療養補償」は、労災病院や労災指定病院等で医療サービスを無料で受けられる(指定外の医療機関ではいったん自己負担、その後に償還払い)
②「休業補償」は被災前の収入の8割を補償
③「障害補償」は傷病の治癒後に障害が残った場合に年金か一時金を支給
④「遺族補償」は遺族に年金か一時金を支給
⑤「傷病補償」は療養の開始後1年半経過しても治らない場合、傷病等級に応じ年金を支給
⑥「介護補償」は障害補償年金、傷病補償年金の受給者が介護を受ける際に現金を支給
⑦葬祭料

 保険料は、過去の災害発生状況等を勘案し事業主に対し業種(55業種)ごとに総賃金の最低0.25%(金融、保険等)から最高8.8%(金属鉱業、ずい道新設等)を課します(うち0.06%は通勤災害等向け)。また、業務災害の多少に応じ保険料率を増減させる「メリット制」を設けます。

 労災保険制度の大きな問題のひとつは、死傷事故の報告を怠る「労災隠し」です。土木建設では元請け・下請け・孫請けと仕事は重層化され、労災事故が多発すると、下請け等は契約を打ち切られたり、官公庁の入札に元請けが参加できなくなったりします。それを恐れて事故を隠すことがあるのです。不法滞在の外国人労働者雇用を伏せるため事故を隠そうとするケースも少なくありません。

 先進国では特異な「過労死」も依然として多発しています。脳・心臓疾患が代表例で、業務が主因でストレスや過重な負担を引き起こしたのか、高血圧等の基礎疾患が自然に悪化したのか、「業務起因性」の判断が難しく、遺族との間で争いになります(2019年度で過労死の請求は936件、うち労災認定は216件)。さらに、近年は精神障害に係わる請求件数が増え続け、2019年度で2060件、うち認定は509件、うち未遂を含む自殺88件でした(いずれも過労死等防止対策白書)。欧米では「過労死」を意味する言葉自体がありません。国際的に「KAROSHI」と表記されるのは、日本の労働時間が異様に長い傾向や労働者の立場の弱さの象徴と言えるでしょう。

執筆:宮武 剛
毎日新聞・論説副委員長から埼玉県立大学教授、目白大学大学院教授を経て学校法人「日本リハビリテーション学舎」理事長。社会保障を専門に30年以上、国内外の医療・介護・福祉の現場を取材してきた。

社会保障ってなんだ
第1章 最後のセーフティネット「生活保護」
第2章 「国民皆保険」という壮大な事業
第3章 最も新しい社会保険「介護保険」
第4章 人生100年時代の支え「年金制度」
第5章 「雇用保険」と「労災保険」 ←今回の記事
第6章 子育て支援と少子化

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