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うつとともに生きる 倉嶋厚

記事公開日:2018年05月24日

気象庁を退職後、お天気キャスターとして人気を博した倉嶋厚さん(1924-2017)。70代で最愛の妻を亡くしたことから強いうつ症状に苦しみ、自殺願望を抱くようになりました。その経験を、同じ苦しみを持つ人たちに伝えたいと、晩年はうつ病や自殺予防の啓発活動に取り組みました。晩年をうつとともに生きた倉嶋さんの姿を、本人の日記や、著書『やまない雨はない』を通してたどります。

うつと闘ったお天気キャスター

2017年11月、新宿のホテルで、雲と空を愛したお天気キャスターの偲ぶ会が開かれ、気象庁の関係者やマスコミに携わる気象予報士など、たくさんの人が集いました。

倉嶋厚さんです。2017年8月、93歳で亡くなりました。

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倉嶋さんは気象庁を退職後、ニュース番組のお天気キャスターをつとめ、巨大な天気図の前での気象解説は、お茶の間から人気を博しました。

気象予報士の森田正光さんはこう言います。
「私は当時民放で、お天気キャスターを駆け出しでやってたんですけれども、衝撃を受けましたね。面白いし、知的にも素晴らしいし、さらにユニークで。」(森田さん)

テレビで活躍し、気象エッセイストとしても名を馳せた倉嶋厚さん。しかし、その人生の後半生は、うつとの闘いでした。

73歳のとき、最愛の妻・泰子さんがガンで急死。倉嶋さんは1人残されます。

“妻を送った後、深い悲しみの底に沈んだ私をまず襲ったのは、「後を追いたい」という衝動でした。
出口のないトンネルの中で私は自分自身を見失い、生きる意欲も、生きている実感もなくしかけていました。”
(『やまない雨はない』より)

当時の倉嶋さんの日記にはこんな言葉も残っています。

“うつ状態甚し。苦しい。”

妻との死別で経験した「どん底」

人生後半生の、穏やかな小春日和を楽しんでいた倉嶋さん夫婦を、突然の木枯らしが襲ったのは1997年。C型肝炎を患っていた泰子さんが、末期ガンに冒されたのです。倉嶋さんが、医師から告げられた泰子さんの余命は、数週間というものでした。

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泰子さんが入院する、前日の倉嶋さんの日記です。

“5月13日。落ち込み甚しい。7階で大声で泣く。”

泰子さんの病は、倉嶋さんにとってまさに冬の嵐でした。

倉嶋さんの姪・津川満枝さんは、当時の倉嶋さんの様子をこう語ります。
「どうしよう、どうしよう…泰子がこんな状態になっちゃった。私はどうすればいいんだっていう、そういう感じですよね。」(津川さん)

“私は 彼女の両手をとって、「今にラクになるからね」と言ったのです。しかし、本当はもっと別の言葉をかけるべきだったのかもしれません。「私、苦しいの。」モルヒネを打っているから、つらくはなかったはずなのに、何を訴えたかったのでしょうか。”
(『やまない雨はない』より)

そして入院からわずか24日後。泰子さんは昏睡状態のまま、倉嶋さんと言葉を交わすことなく、亡くなりました。68歳でした。

“「俺が殺しちゃった・・・」いつしかそんな思いに囚われていました。
突然、罪の意識が容赦なく私を襲ってきました。私は仏壇の前で、号泣しながら、「堪忍してほしい」と謝り続けました。”
(『やまない雨はない』より)

姪の津川さんは言います。
「『もっとこういう風にやってあげればよかった』『こういう風にすればよかった』『なんであのときこうしなかったんだろう』って、いうようなことをずーっと考えているみたいな、後悔の念に苛まれている状況が24時間みたいな、そんな感じ。」(津川さん)

日を追うごとに、倉嶋さんのうつ状態は悪化。食事ものどを通らなくなり、体重は16キロも減ってしまいます。そして、泰子さんの死から半年。日記には、次第に自殺をほのめかす文字が、綴られるようになってきます。

“12月20日。決行できず。
12月31日。現場に立つも自殺できず。”
(倉嶋さんの日記より)

周囲の強いすすめで、倉嶋さんは1998年1月16日、精神神経科の閉鎖病棟に入院します。

入院した翌日の日記。
“未明より失禁 大、小便とも数回あり、パンツ数枚かえる。悲惨の極みなり。”

“私は「どん底まで落ちた」と思って悄然としていました。
しかし、うつ病を患って以来、ずっと「こうしなければ」「ああしなければ」という思いに囚われてきましたが、そんな強迫観念から初めて自由になれたのは、どん底を意識して無力を悟り、すべてを放棄したこのときだったのかもしれません。”
(『やまない雨はない』より)

4か月におよんだ入院生活を経て、倉嶋さんは、ようやく平静を取り戻します。そして、三回忌を過ぎた頃から、泰子さんへの罪の意識も薄れ、妻との死別、自身のうつ体験について執筆を始め、『やまない雨はない』を公表するのです。

うつに苦しむ人々の役に立ちたい

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妻との別れ、そしてうつ病・・・自身の辛い経験と、回復するまでの道のりをありのままに綴った著書『やまない雨はない』。

“伴侶の死は誰もが経験することですが愛する人を亡くした人はみな、そのつらさは自分ひとりが背負っていくしかない悲しみだと言います。
けれども、やはり時はいろいろなことを解決してくれるものです。もっとも苦しかった時期を通りすぎた今、「時が癒やす」という言葉の正しさを痛感しています。”
(『やまない雨はない』より)

その反響は大きく、うつに悩む人のために、活発に講演活動を行なうようになります。

講演会で倉嶋さんはこう訴えます。

「私は妻が死んだのがすごいストレスとなってうつ病になったんですけれどね、うつ病になったらSOSを出す。そのためには人と人との縁だ、その人のえにしというのを感じますね。」(倉嶋さん)

忙しくなった倉嶋さんをサポートしていた人がいます。水口榮賀さんです。

榮賀さんの母・水口きよみさんは、泰子さんが亡くなったあと、住み込みで倉嶋さんの身の回りの世話をしていました。それ以来、倉嶋さんと、家族ぐるみのつきあいをしてきました。本を出版した頃、ホームページを始めた倉嶋さんは、その管理を水口さんに頼みます。ホームページには、うつに悩む人からの相談なども多く寄せられました。

「自分が少しでも皆さんのお役に立てればいいかなというようなことはおっしゃっていました。」(水口さん)

茨城県に住む、吉田洋子さん(仮名)は、10年前本を読み、倉嶋さんのホームページにメールを出しました。

「拝啓『やまない雨はない』を拝読させていただきました。なぜ、この本にもっと早く出会えなかったかと、とても悔やまれます。私も、長年介護していた母を昨年1月に亡くし、喪失感からうつ病を発してしまい、現在通院中です。」(吉田さんが出したメール)

当時、吉田さんは、介護していた母親を亡くしたのは「母を温泉に連れていき、風邪をこじらせ、肺炎をおこしたからだ」と後悔と自責の念に苛まれていました。

「私が殺してしまったんじゃないかって、ずっとその罪悪感を背負って。それがきっかけで食事はのどを通らない、夜は眠れない、人にも会いたくない、そういう状況になってしまって。」(吉田さん)

そんなとき、読んだ『やまない雨はない』は心を軽くしてくれました。

「ほんとにあの本は、私のこれからの生きる道筋を作ってくれた本だと、倉嶋先生には感謝しています」(吉田さん)

倉嶋さんからの返信です。
「自分を責めるのはやめ、早く病気を克服し残された自分の人生を大切に生きていこうという決心に賛意と敬意を表します。」

倉嶋さんを苦しめた、長い長い雨はいつしかあがっていました。それでも、倉嶋さんの心の内は、からりと晴れ上がることはありませんでした。

「完璧にうつは治らなかったですね。亡くなるまで。でも今、ここで自分がふんばらないと、うつが治らないということを世間に認めてしまうし、『やまない雨はない』ということが嘘になってしまう、だから自分は、今、ここで一生懸命うつと闘って『やまない雨はない』ということを証明したいとおっしゃっていました。」(水口さん)

倉嶋さんは90歳まで講演活動を続け、自殺予防を訴えました。

倉嶋さんが愛した空と雲

倉嶋さんを師と仰ぎ、倉嶋さんより少し遅れて、気象キャスターとなった気象予報士の森田正光さん。2017年に倉嶋さんが亡くなったあと、倉嶋さんの蔵書を引き取り、守っています。

森田さんは、倉嶋さんのある言葉が忘れられません。

「ロシア語の光の春という言葉がもともとあったんだそうです。それを日本語に訳し『光の春』って言ったんですね、光のわずかなところで感ずる、それはロシアでも同じで、冬ものすごい氷点下10度、20度の中でも光がちょっと変わってきただけで、その春を感じ取る。」(森田さん)

どんなに寒くても、真冬を過ぎると日差しが伸び、つららの水滴が光輝くという「光の春」。

「倉嶋先生がおっしゃるには、気温とかじゃなくて光で感じるんだというような、独特の季節感を持ってらっしゃったと思いますよね。」(森田さん)

長い冬のあとにやって来る、春の訪れ。その光の中に、人生の小春日和を見出そうとした、倉嶋さんが愛したものがあります。

空に浮かぶ雲です。

妻の泰子さんと、毎年のように滞在した八ヶ岳のホテルで、倉嶋さんが買い求めたものです。

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「こんな雲は、もう本当に大喜びで、叔父は大歓声をあげて見てましたね。退職金でこれを買っていいかと叔母に聞いていましたね。まあ貴方の好きにしたらって言って。」(津川さん)

倉嶋さんが生涯愛した、雲の詩があります。

くものある日/くもはかなしい
くものない日/そらはさびしい
(八木重吉)

うつとともに生き、同じ心の病に沈む人々を支え続けた倉嶋厚さん。その笑顔は、今も多くの人の心に生き続けています。

※この記事はハートネットTV 2018年5月10日(木)放送「リハビリ・介護を生きる『倉嶋厚 うつとともに いつか木枯らしの日も』」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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