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私たちには「逃げろ」の声が聞こえない(2)~日ごろの備えでニーズを把握する~

記事公開日:2021年03月31日

10年前の東日本大震災では、聴覚障害者の死亡率が住民全体の死亡率の1.7倍にのぼりました。当事者は災害時にさまざまな課題を抱えます。記事の前編ではスマートフォンやSNSなどICT機器を使って命や生活を守る方法を紹介しました。後編では、当事者が災害時に必要な情報をやりとりするための方法や、災害が起きる前にできる備えの方法を紹介します。

「指さしボード」制作の過程から見えるもの

宮城教育大学の松﨑丈准教授は、10年前に実際に東日本大震災を被災したろう者です。震災以降、当事者の支援や、災害対策の研究を続けてきました。松﨑さんは支援活動や研究の中で、聴覚障害者が災害時にコミュニケーションの面で困難を抱えることが多いことを実感していました。

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宮城教育大学 松﨑丈准教授

「東日本大震災の時に、聴覚障害者の中には避難所で大勢の聞こえる人たちと共に過ごすことになり、聞こえる人たちとどのようにつながればよいかわからない人がいました。また、自分の困っている状況を伝えられない、遠慮してしまうという人が多かったと思います」(松﨑さん)

実際に宮城県南三陸町で被災し、長期間の避難所生活を経験した難聴者の西條美代子さんに、当時の避難所の様子をうかがいました。

「避難所には3ヶ月位いました。共同生活ですので、一緒にご飯を作ったりする必要がありますが、マスクを付けていたり、情報がわからなくて困った場面はたくさんありました。でも自分から配慮を求めるのは、『自分1人だけじゃないのだから』と思って我慢してしまいました」(西條さん)

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西條美代子さん

なじみの通訳者がいない環境で、聞こえる人とコミュニケーションをとり、過剰な遠慮をせず必要な支援を求めるにはどんな準備が必要なのでしょうか?注目されているのが、「指さしボード」です。

画像(指さしボードの例)

こちらは聴覚障害者が新型コロナウイルスに感染した場合に備えて作られたものです。希望するコミュニケーション方法や症状が、イラストや文字で描かれています。指を差すだけで必要なコミュニケーションを取ることができます。

宮城県では今、災害時専用の指さしボードを準備しています。制作には、様々な当事者が参加しています。松﨑さんによるとその制作過程にも災害時の備えの大切なポイントが含まれているそうです。

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宮城県仙台市にあるみみサポみやぎの外観

会議の会場となったのは、宮城県仙台市の「みみサポみやぎ」。震災直後から聴覚障害者を支援してきた、聴覚障害者情報提供施設です。

災害時専用の「指さしボード」を作るために集まったのは、ろう者、難聴者、手話通訳者などさまざまな立場の人たちです。手話で会話をする人、文字と音声で会話をする人、誰もが使えるものを目指しています。

この日、議論になったのは、災害時に体の不調を訴えたいとき、どのようなマークや文字があれば伝わりやすいかというテーマでした。

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みみサポみやぎが制作した指さしボードの一部。右側に不調の程度を表すイラストと文字がある

難聴者:例えば、痛みや症状の程度を表すのに“大中小”はどうでしょうか?『痛い』『苦しい』『気持ち悪い』という表示があるから、それが大中小。

画像(議論に参加する難聴の男性)

宮城教育大学 准教授 松﨑丈さん:「とても痛い」「まあまあ痛い」「痛い」という言葉(日本語)に変えるのはどうですか?

ろう者:「とても」というと、手話では軽いイメージになります。

松﨑丈さん:「とても」という言葉は、日本語と手話では程度が違うらしいです。使うときにずれが生じるかも知れません。シンプルに考えれば、日本語は省いて、顔の表情で表現するのはどうでしょうか?

話し合いの結果、不調の程度は顔の表情を中心に表現することになりました。「とても」という言葉のように、同じ単語であっても、手話で表現する場合と日本語で表現する場合では、ニュアンスが異なることがあります。今回、日本語を使うことが多い難聴者だけでなく、手話を第一言語とするろう者も共に意見を交わし合ったからこその気づきでした。松﨑さんは指さしボードの会議にろう者、難聴者が参加した意義についてこう振り返ります。

「聞こえない人の中には、ろう者がいたり、難聴者がいたり、さまざまな方がいます。それぞれのニーズやコミュニケーション方法もまちまちです。議論の中で確認しながら、皆が使えるものが出来た。大変よかったと思います」(松﨑さん)

指さしボードの完成版には、痛みの程度を表すものだけでなく、最寄りの通訳派遣センターの電話番号や、自分の家族に連絡をお願いする際の文言も書かれています。何を記載すればよいかを話し合うことが、災害時に自分がどういう情報を必要としているかを考えるきっかけになったと松﨑さんは指摘します。

「災害時に自分の困りごとを伝え、必要な支援を引き出すためには、実際の状況を想定してアイデアや知恵を出し合うことが大事です。なんとなく使えそうなツールを用意しておくのではなく、自分の身に合った行動やツールの選択を具体的に考えることが大切です」(松﨑さん)

みみサポみやぎが制作した指さしボードは以下で完成版が公開されています。全国の自治体や支援団体でも制作が進んでいますので、最寄りの自治体や支援団体にお問い合わせ下さい。

みみサポみやぎHP「緊急・災害用お願いカード」はこちら

攻めの防災訓練 想定外を想定する「クロスロード」

指さしボードの制作過程と同様に、災害が起きた時の状況を自分に引きつけて、何が必要かを考えることができる訓練の方法があります。「クロスロード」と呼ばれるものです。

「クロスロード」ではゲーム方式で防災を学ぶことができます。クロスロードとは「分かれ道、分岐点」という意味ですが、この訓練では「災害時に判断の分かれる部分」という意味になります。災害時を想定したある状況が設定され、その中でどのように行動していくかを複数人で話し合うことで防災を学べるしくみになっています。

松﨑さんはろう学校で「クロスロード」を取り入れた防災教育を行っています。実際に、あるろう学校の小学部、中学部で行った様子から、訓練のポイントを紹介します。

【与えられた状況】
学校から一人で帰る途中、大きな地震が起きました。近くの小学校に避難し、夜を迎えます。しかし停電のため、様子が全く分からなくなりました。知っている人がいない中で、周りの人に周囲の様子を聞きますか?それとも聞きませんか?

生徒たち:聞く!

松﨑さん:「聞く」の人が多いですね。ではどうやって聞きますか?

生徒A:となりの人の肩を叩きます。

松﨑さん:叩いた後はどうするのかな?

この時点では、聞こえる人に対して暗闇の中でどのようにコミュニケーションをとるか、考えが及んでいませんでした。この後、生徒から「書いて伝える」という意見が出ますが、暗闇では見ることができません。懐中電灯を使うという案も、普段から懐中電灯を持っているわけではないため、難しい事が分かります。参加していた違う生徒から、別のアイデアが出ました。

生徒B:外に出て月明かりを使います。

松﨑さん:お互いの顔が見えて良いですね。ではもし月が出ていない場合はどうでしょうか?

生徒C:体育館の周りにとめてある自動車のライトを使います。

松﨑さん:なるほど、皆さん、これはできそうですか?

話し合いの中で、普段は意識していなかった複数の課題や、解決方法が明らかになりました。生徒たちは、たくさんの方法があることを発見するだけでなく、「懐中電灯を準備する」ということは今すぐにできることだということも認識できました。

「話し合いの中で、子どもたちの判断のしかたが質的に高まっていくのがわかりました。また、このクロスロードの良い点は、災害に対して主体的に行動する態度を育成できる点です」(松﨑さん)

松﨑さんは従来の、「揺れを感じたら机の下に入る」「海沿いで被災したら高台に逃げる」というような知識を覚えていく防災を「受動的な防災」、「クロスロード」などを使った防災シミュレーションを「能動的な防災」と区別します。そして「受動的な防災」では、覚えた知識を越える想定外の事態が起きた場合、その知識が有効でなくなる可能性があることを指摘します。

一方、「クロスロード」などを用いた「能動的な防災」では、ある状況に対してどのように行動するのがよいのかを自発的に考える訓練を通して、想定外の事態を含めたさまざまな場面に対応する力を養うことができるのです。

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「クロスロード」状況の一例

「知識を覚えていく「受動的な防災」も、もちろん不要という訳ではありません。命を守るための知識は、しっかりと練習して覚えておいて欲しいと思います。しかし、災害時には想定外のことが起きます。そういった場合に最適解を能動的に考えられるような訓練も是非して欲しいと思います」(松﨑さん)

「クロスロード」は、複数人が集まれば、条件を自作で考えて準備をし、行うことができます。また、聞こえない人だけで行う必要もなく、聞こえる人と聞こえない人が混ざって行うことも可能です。

内閣府のHPでは、より詳細なルールと実例が掲載されていますので、参考にしてみて下さい。

正直、おっくうな防災 腰を上げるには?

改めて松﨑さんに聴覚障害者の防災に大切な考え方を伺いました。

「今はいろいろなツールがあります。ぜひそれを使ってほしいと思います。その上で意識していただきたいのが、普段から、聞こえる方、聞こえない方それぞれが、どうつながるかを考えてほしいということです。例えば、駅の窓口で筆談をしてほしいとき、私の場合は手話で『耳が聞こえません』と伝えることがあります。そうすることで、聞こえる人は筆談の仕方を体験できます。そういう経験の積み重ねが大切です」(松﨑さん)

また、防災の準備についての心構えも、発想の転換が必要だと話します。

「東日本大震災はとても大きな災害でしたが、個人レベルで災害対策を進んでやるようになったかというと、まだまだだと感じます。災害が起きると災害対策のモチベーションは高まりますが、時間が経つと低下してしまうのが現実です。事実、常に災害を忘れないように意識するというのはかなりのエネルギーが必要です。そこで必要なのは、災害という特別なことに準備をするという意識ではなく、普段の日常を少しでも生きやすいものにする結果として、災害が起こっても情報やコミュニケーションのリスクを減らすことにつながる、という発想の転換だと思います」(松﨑さん)

記事の前編「私たちは『逃げろ』の声が聞こえない(1)」で紹介した遠隔手話サービスは、当初は日常生活を支援する制度でした。福島の事例では、その制度が災害時に活用され救助につながりました。聞こえる人と聞こえない人が気軽にコミュニケーションを取ることができる環境づくりも、日常生活の質を上げる可能性があります。どうしても腰が重くなりがちな災害対策ですが、日常生活の視点から捉え直すことで、より取り組みやすくなるかもしれません。

※この記事はろうを生きる難聴を生きる 2021年3月6日放送「東日本大震災10年 命を守るための提言」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

私たちは「逃げろ」の声が聞こえない
(1)~災害時にスマートフォン・SNSで命を守る~
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