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【特集】東日本大震災10年(2) 誰もが助かる地域をめざして

記事公開日:2021年03月25日

多くの命が失われた東日本大震災から10年。NHKが障害のある人たち876人に聞いたアンケートでは、3人に1人が「この数年で災害による被害を受けたり、怖い思いをしたことがある」と答えています。いつ起こるかわからない災害から、障害のある人や高齢者などの命をどう守れば良いのでしょうか。全国各地で始まった「誰も取り残さない避難」について見ていきます。

地域の力で守る 岡山・総社市下原地区の「全員避難」

2018年、中国地方を中心に猛威をふるった西日本豪雨では、死者220人を超える甚大な被害が出ました。さらに豪雨の夜、岡山県総社市は想像もしない事態に見舞われました。

市内にあるアルミ工場が浸水によって大爆発。爆風は広範囲に及び、浸水被害と合わせ、住宅84棟が全壊する大惨事となりました。水害と爆発事故に見舞われた総社市で、住民全員が無事に避難できた地域がありました。110世帯、およそ350人が暮らす下原地区です。

画像(下原地区自主防災組織 川田一馬さん)

奇跡的ともいえる全員避難。その立役者とも言われるのが川田一馬さんです。東日本大震災をきっかけに、自分たちの力で地域を守る「自主防災組織」を9年前に立ち上げていました。

川田さんはまず、下原地区に昔からある7つの区分けを利用しました。そしてそれぞれに避難を誘導する班長を配置。

画像(下原地区 7つの区分け)

一見、1人の班長がカバーする範囲や世帯数にばらつきがありますが、互いに顔なじみである組織作りを重視したのです。

「ふだんの日常生活、そのなかで顔の見える関係があり、班長さんが何か言うたらそれに従うというのがずっと培われてきとる。ふだんの日常生活を基本において災害に備えるのが、絶対にいいということで決まりました」(川田さん)

さらに、地域の民生委員でもある川田さんは、高齢者や障害者の情報を把握していました。地域で使われている「世帯台帳」に、要支援者の情報を盛り込み、福祉と防災をつないだのです。

「この人は1人で逃げられないだろうな、脳梗塞で杖をついているな、体調不良で内臓が悪いから、といろんな状況のなかで、ふだんの見守り活動のなかからリストアップしました」(川田さん)

西日本豪雨では、そんな顔の見えるつながりが力を発揮しました。

自主防災組織の班長の一人、澁江隆司さんはアルミ工場の爆発後の夜11時半過ぎ、すぐに行動を開始しました。

画像(下原地区自主防災組織 澁江隆司さん)

「(爆風で)惨憺たる家の状態なので、これは全戸回らないといけない、無事を確認しないといけないと思いましたので、雨も降っていましたが、まず6軒ぐるりと回りました」(澁江さん)

澁江さんの担当地区は6世帯。そのうち要支援者は2世帯3人です。半径およそ150メートルのエリアを、澁江さんは最短のルートで回りました。

要支援者はふだん、家のどこにいるか。日常を知る澁江さんは、あるお宅では、要支援者が寝ている部屋に近い裏手から声をかけました。

こうした澁江さんら班長の呼びかけで、地区の要支援者29人が避難。110世帯350人が無事避難所に逃げました。

スムーズな避難ができたもう1つの大きな要因は、2012年から毎年欠かさず行われている避難訓練です。

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下原地区の避難訓練の様子

車いすでの避難など訓練は実践的なもので、雨が降っていても、むしろ絶好の機会だとあえて決行します。夜間訓練も実施し、あらゆる場面を想定し、住民一体となって災害に備えてきたのです。

「自分たちの地域は自分たちの仲間と一緒に守る。これが最後の最後に、あるとないのとでは大きな違いだ」(川田さん)

福祉防災学が専門の同志社大学教授・立木茂雄さんは、下原地区の取り組みをこう評価します。

画像(同志社大学 教授 立木茂雄さん)

「要支援者の名簿を共有している、そして避難訓練をさまざまな条件下でなさっていますよね。川田さんが自主防災組織のリーダーであり、かつ、民生委員でもある。つまり、川田さんのなかで福祉と防災が連結されている。なので、要支援者をみんなで取り囲んで、包み込んで逃げることができたんだと思います」(立木さん)

福島県郡山市のNPO法人「あいえるの会」の理事で、自身も手と足に障害がある宮下三起子さんは、住民同士の関係の深さを感じたといいます。

画像(NPO法人「あいえるの会」理事 宮下三起子さん)

「地域の結びつきが強いのが印象的です。東日本大震災のとき、障害のある人たちが取り残されがちなので、何が原因なのか考えたのですが、『障害のある人たちは福祉で避難をするんでしょ』と町内会さんでも思っていて。何となく福祉だけで片づけてしまっているところに問題があるのかなと感じました。私の地元、郡山市でも、地域が結びついている感じではないと思います。先日も大きな地震が夜中にあったんですけど、東日本大震災の教訓が生かされていないのが現状かなと」(宮下さん)

福祉サービスが充実する一方で、支援を受けながら暮らしている人と地域住民との間に距離が生まれてきているという課題が見えてきました。

福祉と防災の連携 大分・別府市の「災害時ケアプラン」

大分県別府市では、5年前から「福祉と防災の連携」という新たな取り組みが進められています。

南海トラフを震源とする地震が発生した場合、最大5メートルの津波が押し寄せると予想されている別府市では、ケアマネジャーや相談支援専門員といった福祉の専門職に防災に参加してもらい、障害者や高齢者が災害から避難するための計画「災害時ケアプラン」の作成を始めたのでした。

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別府市の災害時ケアプラン

その流れです。まず福祉の専門職が、要支援者に聞き取りをして、災害が起きたときの避難の課題を洗い出します。それをもとに地域の防災関係者と協議し、どうすれば避難できるかを検討します。その結果を「災害時ケアプラン」としてまとめ、本人の同意を経て関係者で共有します。

さらに別府市では、1件あたり7000円の報酬を福祉職に支払うと決めました。プロの仕事として取り組んでもらうねらいでした。

実際にケアプラン作りの現場を取材しました。
障害者の相談支援専門員・首藤辰也さんは、知的障害のあるユミさんを10年以上にわたって支援しています。しかし災害が起きたときに、どんな課題があるかを調べるのは初めてです。

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ユミさんのケアプランを検討する首藤さんとユミさんの母親

「介助がないと転んだりしやすい。普通に歩いていても、平坦なところでもハアハア言う。長距離は厳しい」(ユミさんの母親)

ユミさんが住んでいる地域は海抜2.2m。津波の怖れがあれば避難が必要です。避難路は急な上り坂。ユミさんの体力を考慮すると、どうやって上がるかが一番の課題とわかりました。

10日後、首藤さんは自治会や自主防災組織の関係者と避難方法を検討します。福祉と防災が直接、要支援者の避難について話し合うのは全国でも極めて珍しいことです。

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ユミさんの避難について話し合う様子

「コミュニケーションがうまくとれない、言葉が出ない状態ですね。長距離を歩いたことがないので、どういった方法が一番いいのか」(首藤さん)

首藤さんの説明を聞いていた自治会長から、「自主防災組織が持っているリヤカーで坂道を上がる」という提案が出ました。

具体的な検討を進めるなかで、これまでの避難訓練の内容を反省する声もあがりました。

「僕らもはっきり言ったら避けてましたよね。支援をすることを考えないで済むような訓練しか今までやっていなかったので」(自治会長)

福祉と防災の間にあった隙間が少しずつ埋まり、実際に地域の避難訓練でユミさんの災害時ケアプランを検証することになりました。

避難訓練当日。これまで乗ったことがないリヤカーに、ユミさんは戸惑っている様子です。選んだのは、以前乗ったことがある車いす。馴染みがないものはすぐには使えないことがわかりました。

車いすを使って行われたユミさんの避難訓練。地震の発生から津波の到達まで最短30分と予想されていますが、開始から13分で安全な高さまで上がることができました。

「(リヤカー)乗ってみる?乗ってみようか1回」(自治会長)

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避難訓練でリヤカーに乗るユミさん

試しにリヤカーに乗ってみることを勧められたユミさん。今度はすんなりと、乗り移ることができました。

福祉と防災が連携して行った初めての避難訓練。別府市は今、この仕組みを市の全域に広げていきたいと考えています。まずは、南海トラフ地震の津波被害想定地域で暮らす要支援者のうち、1000人に「災害時ケアプラン」を作ることが目標です。

福祉と防災が協力し“みんなが助かる地域”へ

この取り組みを進めてきた別府市防災危機管理課の村野淳子さんは、最初はうまくいかなかったと話します。

画像(別府市防災危機管理課 村野淳子さん)

「自治会や民生委員さんからは、『危機管理課は何を考えているのか』とか『障害のある方々にはご家族がいるんではないか』とか、いろいろな意見いただいたんです。その背景として、これまで何もかも地域の人たちにお願いをしてきたことが、すごく皆さんの負担になっていることがわかってきました。『行政も皆さんと一緒にこの問題にきちんと取り組みます。そして、一緒に汗をかきながらやっていかないとこの問題は解決しません』と話をさせていただいて、行動で示すことによって、少しずつ理解をしていただいたかなと思っています」(村野さん)

福祉と防災の間に立つことで「災害時ケアプラン」の作成を軌道に乗せた別府市。村野さんは、この別府市のように地域のことも福祉のことも理解し、双方の調整役となる存在が絶対必要だと言います。

「地域の方々は、拒絶をするというよりも、どうしていいかわからないからできないと思っているだけです。『大変なんじゃないか』と。でも、それを具体的に『こういうことです』とお伝えすることができれば、地域の人たちも『それだったら、こういうふうに自分たちはできるよ』と言ってくださるんですね。誰かが助けるとか、助けられるじゃなくて、『地域みんなが助かるんだ』と意識が変わってきていると、会長さんたちもおっしゃるようになりました。みんなで地域の命を守るんだという意識と、それができる関係性がある地域を作り、そしてそれが別府市全体に広がっていくような取り組みにしていきたいと感じています」(村野さん)

災害が起きる度に、障害のある人や高齢者の犠牲が後を絶ちません。東日本大震災から10年となった今、改めて大事なことを宮下さんと立木さんにお聞きしました。

宮下
「私もずっと、障害のある方が地域で生活するのが当たり前って思ってきたんですが、大きな災害があるたびに「やはり地域は弱いな」っていうふうにずっと思ってたんですね。ただ今日、別府のこととか見させていただいて、やっぱり私たち障害のある人たちも、自ら参加していくっていうか、待ってるだけでは難しくて、お互いに話し合う場はもっと必要だなっていうふうに感じました。」

画像(同志社大学 教授 立木茂雄さん)

「地域で共に生きる、というのは正しい理念だと思いますが、これまでは平時のことだけを前提にしていた。でも災害も起こる。福祉と防災を連結させていくことによって、もっと強く、しなやかに生きていけるのではないのかなと思います」(立木さん)

障害のある人や高齢者が再び取り残されることがないように、今こそ、社会全体で一歩を踏み出すときではないでしょうか。

【特集】東日本大震災10年
(1)逃げられなかった“要支援者”
(2)誰もが助かる地域をめざして ←今回の記事
(3)原発被災地 精神障害者の日々

※この記事はハートネットTV 2021年3月9日放送「シリーズ東日本大震災10年2 誰もが助かる地域をめざして」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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