多くの命が失われた東日本大震災。とりわけ大きな被害を受けたのが高齢者や障害のある人たちでした。浮かび上がってきたのは、災害の度に命を脅かされ、避難したくても避難できないという現実です。あの日から10年。この国は、支援が必要な人の命を守れる国になったのでしょうか。
東日本大震災の死者・行方不明者は1万8千人以上。2020年の警察庁の発表によると、身元が確認できたのは1万5772人です。このうち、65歳以上の高齢者は56.5パーセントと半数以上に上っています。
2020年3月6日警察庁発表
NHKが震災の翌年に取材したデータでは、障害のある人の死亡率は1.43パーセント。全住民の死亡率の0.78パーセントに比べて、およそ2倍でした。
NHK 2012年調べ
震災で290人以上の命が失われた福島県いわき市。佐藤真亮さん(当時35歳)も津波の犠牲になりました。全身の筋肉が萎縮する筋ジストロフィーだった佐藤さんは当時、ヘルパーの介助に支えられながら生活していました。
ヘルパーを派遣していたNPO法人いわき自立生活センター理事長の長谷川秀雄さんによると、地震発生後、自宅にいた佐藤さんと祖母の2人を助けようと、佐藤さんの姉が車で駆けつけたそうです。
「『おばあさんと一緒に逃げましょう』と言ったときに、振り返ると離れの屋根より高い波がドーッと来るのが見え、真亮君もその津波が見えたらしいんです。そのとき彼が、『もうあきらめましょう』と言ったのが最後で、その瞬間、波がドーッと来て流されてしまったと。あと数分あれば、車に乗せられて避難できたのかなと」(長谷川さん)
宮城県石巻市では、津波によって3000人以上が亡くなりました。なかでも、障害者の死亡率は全住民の死亡率の2.6倍に上りました。
当時、石巻に暮らしていた狩野悟さん(当時17歳)。生まれたときから重い障害があった狩野さんもまた、避難することもできず亡くなりました。
悟さんの家は、海から1キロほど。津波が迫っていましたが、人工呼吸器などの医療機器を運ぶ必要がありました。母・由紀さん一人では避難させることはできなかったと言います。
地震発生から40分後、海水はベッドの際まで上がってきました。機械は壊れ、悟さんは自力で呼吸を続けていました。
「9時ちょっと前ぐらいに、すーって波が入ってきたんですね。その波をかぶって悟は亡くなってしまったんです。(悟の最期の顔は)私の中では『ありがとう』って言ってくれたのかなと思って。その顔は今でも忘れられません」(母・由紀さん)
支援の手が届かず、命を落とす事例が多いなか、町ぐるみで避難に取り組んだのは石巻市八幡町です。東日本大震災では、町内にいた15人の要支援者のうち13人が無事でした。
命を救った要因のひとつとされるのが、行政と町内会が連携しておこなう「防災ネットワーク」という仕組みです。
石巻市八幡町「防災ネットワーク」の仕組み
八幡町では震災前に、自力では避難が難しい高齢者や障害者をリストアップ。その近くに暮らす住民を支援者として登録していました。原則1人の要支援者に2人が支援にあたります。災害が起きたときはどちらかが駆けつけて、安否確認や避難場所への移動を助けると事前に決めていたのです。
齋藤秀樹さんは、支援者の助けで、寝たきりだった祖母(当時94歳)を車いすに乗せて避難。無事に避難所へたどり着くことができました。
支援者として登録されていたのは齋藤さんの隣の家の住民。揺れが収まると、すぐに駆けつけてくれたと言います。
「『おばあさん助けっから』って、すぐ隣の部屋にあった車いすを準備して乗せて。サポートがなかったら、ちょっと厳しかったかもね。返せないぐらいの恩がありますね」(齋藤さん)
防災ネットワークを立ち上げた民生委員・蟻坂隆さんは、支援の手があれば確実に救える命があると説明します。
民生委員 蟻坂隆さん
「高齢者に限らず、障害を持っている方は日々刻々、状況が変わってくると思うんですよ。1人で逃げられない要支援者の方をしっかり見ていかなきゃいけない。救えた命があったことが防災ネットワークの意義だと思います」(蟻坂さん)
東日本大震災の2年後、国も動き出します。支援が必要な人たちの避難を強化させるため「災害対策基本法」を改正。要支援者の名前と連絡先、障害の状況などをリスト化するなど、災害時の避難行動に役立てるようにと、国は全国の自治体に名簿の作成を義務づけました。
自治体が作るこの「避難行動要支援者名簿」は、当事者の同意を得て、支援する地域の民生委員や自主防災組織、消防などに渡され、災害時に活用されます。
避難行動要支援者名簿の仕組み
しかし東日本大震災以降も、さまざまな災害によって、多くの要支援者が犠牲になりました。
2018年の西日本豪雨。岡山県倉敷市真備町では、51人が命を落としました。その犠牲者のうち、要支援者は8割以上にあたる42人でした。
倉敷市では、水害の前から要支援者の名簿をすでに作成していました。それにもかかわらず、名簿はなぜいかされなかったのでしょうか。
当時、名簿を託されていた民生委員の浅野静子さんは、豪雨に見舞われたその夜、想像を超える事態に要支援者の避難を助けるのは難しい状況にありました。
自宅は全壊。自身も被災者だった浅野さんは、電話さえかけられませんでした。
一方、民生委員と同じく名簿を提供されていた消防も、混乱の中にありました。住民からの問い合わせが相次ぎ、名簿は開かれることなく金庫の中に納められたままでした。
倉敷市の名簿に記載されている利用方法
2020年6月に更新された名簿です。市が示している名簿の利用方法はわずか数行程度。「平常時には状況把握。緊急時には情報収集や、自主防災組織などと連携」とあるだけで、具体的な行動内容は記載されていません。
当時、浅野さんは45人の要支援者を担当。そのうち1人が避難できずに亡くなりました。真備町の浅野さんら民生委員たちは、今も無念と後悔を持ち続けていると言います。
福祉防災学が専門の同志社大学教授・立木茂雄さんは、名簿の仕組みに問題があると指摘します。
「リストは渡されていたけれども、具体的にそれをどう活用するのか、地域や市全体で取り組みがされていなかった。これは仕組みの問題だと強く申し上げたいですね。名簿は入り口です。けれども義務化されているのは、名簿を作るところだけ。名簿を使ってどうするのか検討が実現されていなかったというのが実情ですね」(立木さん)
今回、NHKで障害のある人へ防災についてのアンケートを行い、876人の当事者の方々から回答をいただきました。そのなかには、要支援者名簿に登録しているけれども、あまり役に立っていないという声も多くありました。
「名簿の登録はしました。ただそのあと、避難の行動計画など、一切話し合いを持っていません。名簿作成で目標達成とならないよう、話し合う場が必要だと思っています」
(東京・江東区 40代 男性 肢体不自由・知的障害・難病)
「大阪北部地震の際に、要支援者名簿に登録しているにもかかわらず、行政からの安否確認の連絡もなかった。名簿が活用されているようには思えない」
(大阪・寝屋川市 60代 男性 視覚障害)
本来、どのような取り組みが必要なのか。立木さんは、名簿に掲載された要支援者一人ひとりの避難方法を定めた「個別計画」を作るべきだと話します。
「石巻市八幡町のようなすばらしい取り組みをもっともっと広げていくべきです。非常に手間のかかる個別計画作りをどうやって、誰から進めていったらいいのか。そういうところについて、国は何の考え方もガイドラインも示してこなかったというのが現状です」(立木さん)
個別計画は実際どれくらい作られているのでしょうか。国が公表した自治体からの報告をまとめたデータでは、すべて作成済みと一部作成済みの自治体を合わせると、62%が個別計画を作成していると報告しています(2019年 消防庁)。
一方、NHKが障害のある人たちに行ったアンケートでは、未作成、つまり個別計画を作っていないという人が72.4%と真逆の結果になりました。
「当事者に問い合わせた数字というのが実情にかなり近いと思います。私たちの研究室(が行った調査)で、何割ぐらいの対象者の方に個別計画ができているのかというと、大体1割程度というのがそのときの結果ですから、なかなか前に進んでいない。それが実情なんですね」(立木さん)
名簿に登録されていても助かるかどうかわからないという現実。すべての人を取り残さないために、必要なことは何なのか。それを問いかけるひとつの痛ましい事例があります。
倉敷市真備町の三宅遥さん(当時27歳)。5歳の娘とともに、西日本豪雨で亡くなりました。
軽度の知的障害がある遥さんはさまざまな福祉サービスを受けながら充実した毎日を過ごしていました。そんな親子に豪雨が襲いかかったのです。
7月6日、午後10時。真備町に避難勧告が発令されます。
当時、遥さんへの支援全般を統括していた永田拓さん。そのとき隣の市の自宅で身動きが取れずにいた永田さんは電話で遥さんに避難を勧めました。
相談支援専門員 永田拓さん
「『地域の小学校にすぐ避難しよう』って伝えたんですが『場所がわからない』って話になってしまい、すぐ警察とかいろいろなところに連絡をとったんですが、『電話がとにかく鳴りやまない状況で、駆けつけられるかどうか、なかなか難しいかもしれない』と言われて・・・」(永田さん)
その後も、降り続く雨で、川の水位は急激に上昇。7月7日午前1時30分、避難指示が発令されます。
「何らかの形でご近所に住んでいる方とか近くにいる誰かが、彼女に声をかけてくれないかっていう期待はちょっとありました」(永田さん)
しかし、遥さん親子は、孤立したままでした。
「具体的にもし何かあったときに、どこへ逃げるのかとか、誰を頼るのかというところを日頃から一緒に考えることはまったくできていなかったので、どうしてちゃんと備えを、一緒に考える時間を持てなかったのかすごく後悔している。(他の相談支援専門員に)そういう意識を持ちませんかと伝えていきたいと思います」(永田さん)
こうした悲劇を繰り返さないためにどうしたらいいのでしょうか。
「災害時のリスクは心身の状況だけで決まるのではありません。どういう社会環境の中で暮らしているのかなども勘案して、一歩踏み出して考えなければいけない。災害が起こったときに、どなたに被害が集中するのか。平時の自分たちの仕事だけを考えるのではなくて、防災の視点を一緒になって、福祉や防災の垣根を乗り越えて、この問題の解決策を考えていかなきゃいけない。誰一人取り残されない社会を作っていきたいと思います」(立木さん)
いつ起こるかわからない災害。支援が必要な人たちの避難について、まだまだ多くの課題が残されています。
【特集】東日本大震災10年
(1)逃げられなかった“要支援者” ←今回の記事
(2)誰もが助かる地域をめざして
(3)原発被災地 精神障害者の日々
※この記事はハートネットTV 2021年3月8日放送「シリーズ東日本大震災10年 1 逃げられなかった“要支援者”」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。