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柳田邦男さんに聞く 障害のある人が手記を書く意味・それを読む意味

記事公開日:2021年01月22日

障害のある人や、ともに歩む人の手記のコンクール、NHK障害福祉賞。身体障害、精神障害、知的障害、難病など、幅広い当事者が作品を寄せます。これまでに集まったのは、55回の開催で13000点以上。その選考委員を35年にわたってつとめ、応募作を読み続けてきた作家の柳田邦男さんは、書くことによってその人の人生が変わることを、長く見つめてきました。

人間理解の宝庫

―― 柳田さんは、障害福祉賞の作品を読む意味をどうとらえていらっしゃいますか?

柳田 言葉による表現ということが、私のように表現活動している者にとっては一番大事な側面なんですね。人間の心の中のさまざまな葛藤とか苦しみとか悲しみとか、そういうものを抱えることっていうのは誰にでもあることです。

例えば病気で大事な連れ合いとか親子を亡くすと、その後のすごい孤独感とか喪失感。これを乗り越えるにはどうすればいいかとか、あるいは障害を持った方が、その障害とどう向き合って、自分自身を高めていったり、社会に自分自身を押し出していったりする。 そういう営みをちゃんと理解するためには、やはり言葉を介して理解するっていうのがとても大事な側面だと思うのですね。もちろんそばで一挙手一投足を見ている、あるいは表情を観察しているということも大事なんですけれど、言葉で何らかの脈絡を持って、その人が生きている姿を捉えるということが大事で、そういう意味ではこの障害福祉賞という一般公募の分野で、いろんな障害のある方々、あるいは、いろんな活動をしている方々が応募している文章を読むっていうことは、本当に人間理解の宝庫のような印象を受けるんです。

そういうものを理解せずして自分自身のいろんな問題意識や表現活動やそういうものは成り立たないと思っているんですね。そういう意味で、この障害福祉賞の応募作品を毎年読めるっていうことは、私にとってはすごくかけがえのない経験なんですね。

作品から時代の変化、あるいは、この日本という社会における人々の価値観の変化、あるいは、障害観の変化、そういうものもずんずんと伝わってくる。気が付けば35年やってきちゃったっていう、こういうことなんですけれどね。

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NHK障害福祉賞に寄せられた手記

―― 一般の方にとって、有名な作家の書いたものではない、こうした手記を読むことにどんな意味があるでしょうか?

柳田 一流の作家がね、個性ある文章で表現するっていうのも、それはそれで大変興味深いし、大いに学ぶところもあるのですけれど、ただ、障害者自身が本当にたどたどしい言葉や、あるいは、未整理ながら何かを表現しているそういう文章とかは、それはそれですごく意味があるんです。
人間の生身の姿、決して装いのない本当の心の動き。そこから伝わってくる、言うならば、本人の肉声を聞くような、あるいは、本人の肌に触れるような、そういう生々しい感覚で、その人が見えてくるんですね。

障害の中でも、例えば、知的発達障害というふうな障害を持っている方が文章を書きますと、本当にたどたどしかったり、文章に誤字脱字が多かったりとか、いろいろあるんですね。だけど、僕はそれ、気にならないんです。むしろ必死になって書いているその営み自体がそこから伝わってきて、その背景にあるその人の心模様とか日常とかっていうのがよく見えてくるんですよね。 これをなんか小説家の流暢な文章で表現してしまうと、かえって見えなくなってしまうようなところが生々しく見えてくる。そういう点で、すごく刺激的ですね。

それから、障害を持っていると、十分に表現できないために誰かが手伝ったりするという。僕はそれを許容するんです。無理に整えたり、あるいはいい文章を書こうとしたりする、そういうところは見れば分かりますから、その辺りはちゃんと洗い流しながら読むんでね。ただ、問題は、その手伝ったことによって、1人だけでは書けなかったことが表に出てくる。そういう側面がとても大事なんですね。

自分だけではもうとても書けないような、何書いていいか分かんないような、そういう方でも誰かが横で手伝ったり、助言したりする。そして、たどたどしいながら書いてみると、その本人の真の姿なり、内面的な問題も見えてくるようになってくるんですね。

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2015年に受賞した赤松隆滋さん。職業は美容師

それから、障害者を支援したり、あるいは養育したりしている方々はそれなりに客観的にそばに付いて見ていますから、本人が書くのとは違った意味で、立体的に障害者の日常や、あるいは内面的な問題や、そういうものが浮かび上がってくるのですね。

だから、この障害福祉賞は、一般の部つまりサポートする側の部と、障害者本人と2つの部門があるので、必ずしも1人の障害者について両方が書いてくるわけではなくて、バラバラなんですけれど、でも、全体として見ると、サポートする側から見えている障害者の問題と、障害者自身が抱えている問題と、そういうものを立体的に理解できる、それが時代とともにどう変化してくるのかっていうのも見えてくるという、そういう意味ではやはり生身の文章に触れるっていうことがとても刺激的ですね。

時代とともに移り変わる障害観

―― 35年にわたって作文を読み続けてくると、どんな変化がありますか?

柳田 障害者自身の生き方、社会の価値観、そういったものが、この半世紀ぐらいでこの国では大きく変わったと思いますね。80年代になったころは、障害者自身が文章を書いて表現するっていうことは一般的じゃなかったんですね。ですから、障害福祉賞も支援したり養育したりする側の手記を募集するというのから始まっているわけです。

でも、そのうちにこの賞がだんだん知られてくると障害者自身もそれに参加したい、応募したいっていう動きが出てきたので、90年代ぐらいに入りますと、そういう支援する側の文章の部と障害者自身の部と2つの部門を作って募集するようになった。ですから、非常に立体的になった。

そしてまた障害者自身もですね、どういう障害の方が書くかというと、これもすごく大きな変化がありました。80年代、90年代ぐらいっていうのは、大体において身体障害か、あるいは、生まれつきの重度の心身障害がほとんどだったんですね。

しかし、90年代を過ぎるころから少しずつ変化が現れた。それは難病の方、例えば、筋ジストロフィーとかですね、そういう方々も積極的に自らをさらけ出すような形で応募するようになってきました。

2000年代に入ってからさらに大きく変わったのは、人間の心の領域の障害の問題。これは発達障害の問題とか、あるいは、精神の病の問題とかですね、さらには摂食障害のような形。これも心の問題が大きく関わってきますけれど、それまでは世の中で何か隠されていたような、で、また当事者は非常に社会的な偏見を恐れて自分では口に出せなかった、そういう心の領域の問題に関する応募が急速に増えてきたんですね。

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2018年に受賞した竹口和香さん。摂食障害の経験者

そうすると、例えばがんで末期になって亡くなる人が、ただ死を怖いものとか、不安に思っているだけではなくて、自分の人生をずっと振り返ると、ああ、大した人生じゃなかった、無意味な人生だと思っていたのが、実は違っていて、「あー、あんなときに自分としてもよくやったなあ」とか、「あの困難をよく乗り越えたなあ」とかね、あるいは、「あのときに彼に助けられて、本当にありがたかった。やっぱり人のつながりっていうのは感謝しなきゃいかんな」とかっていうふうに自分の人生自体を肯定的に見直すことになるんですね。それと同じなんですね。

障害者が手記を書く、あるいは、その人を育てた親御さんが手記を書く。そうすることによって、単に大変だ、困ったというだけではない、もっと前向きな人間というものの本質に触れるような気付きがいろいろ出てくる。
生きることのかけがえのなさとかね、人のつながりの大切さとか、あるいは、困っている人に対する思いやりの心の大切さとかね、いろんなことが文章化する中から浮かび上がってくるんですね。そうすると、その人自身の変革が起こる。人柄が変わるというぐらい内面が成熟してくるんですね。それが文章を書く意味だと思うのですね。

障害福祉賞で作品を選ぶ意味

柳田 単にね、大変だったっていうコンクールやっているんじゃないんですよね。あるいは、文章を上手に書いたかどうかっていうコンクールをやっているんじゃないんですよね。 どんな人でも、その人じゃなきゃ歩めなかったようなユニークな個性的な人生を歩んできた、そういうものをみんなで共有しようと、本当に大事なことをきちんと見つめて書いたら、その人を、その人だけのものじゃなくて、多くの人が共有していこうという、そういう意味を、障害福祉賞で作品を選ぶっていうことの意味だと思っているんですよね。

ですから、選考委員やっていると、当然今年はどなたの文章を優秀賞にしようかとか何とかって選びますけれど、ただ、それは優劣を決めるんじゃなくて、より広く多くの人に知っていただくために優秀賞っていう冠を付けるんであってね。
じゃ、優秀賞にならなかった方の文章は意味が低いのかって、そんなことないんですね。これは、まあ、そのときの選び方で、しかも、選考委員は複数ですから、多くの人が、あ、これをやっぱり一番広く知らせるべきものだなっていうのを最優秀賞にしたりっていうので、いわば成り行きと言ったらいいのかな。そのときそのときの問題でしてね。これは大相撲で力士が優勝杯を取るのとはちょっと違うんですよね。

文章に書くことが人生の転機になることも

―― 「優劣を決める」のではなく、「共有財産を作るのだ」というのが、とても印象的です。

柳田 今申し上げたようにね、文章に書くということは、自分を見つめ直すことで、しかもそれを客観化することですね。今まで心の中で混沌としたものを外に出して客観化するっていうことは、自分を自分が見つめるわけです。枚数にして20枚か何枚かのこう、1つの完結した文章になる。そうすると、そこに自分の内面にあったものが目に見える客観化された存在になるわけです。

ということは、自分を見つめるもう一人の自分の目が生まれたということ。で、そうして自分を見つめる目ができてくると、今度はそれをきっかけに、その次の日からの歩みっていうのが、必ずその延長線上で変わってくるんですよね。つまり、文章に書くということは人生の中の大きな転機になる可能性がある。あるいは、節目と言ってもいいかもしれない。

で、それを書いたことによって、自分自身をきちんと位置付けたり意味付けたりする。その意味付けた自分のこれからの生き方っていうものが変わってくるはずなんですね。そういう意味があるんですよね。だから、それは書いたものを、1つの心の財産と呼んでいいと思うんですよね。で、その心の財産があるから、その後、今度はその財産を基に心はそれで食べていくというのかな。
で、また面白いことに、そういう節目から次を生きるとですね、だんだん心が成長・成熟していくから、自分を見つめる目もどんどん成長していくんですよね。
そうすると、書いたときよりも10年たった今は、随分自分もまた変わったなあと、もういっぺん書いておこうかなあとかって思って、また書けばいいんです。

別に障害福祉賞に2度応募するという意味ではないですけど、自分のために今度は書いてみる。そうすると、その最初に書いた節目のときとまた違う自分がそこにある。で、それは、最初に書いたときは、なんかすごく得々としたいいことだったと思ったことが、実はむしろしぼんじゃって、それより違う自分が生まれているかもしれない。それはそれでいいんですよね。
そういうふうに書いてきちんと記録しておくっていうことは、本人の成長にとってはものすごく大きなエネルギー源になり、あるいは跳躍台になる意味を持つんですよね。

ですから、応募するしないに関わらずね、やっぱり多くの人にね、自分自身を見つめた記録っていうのは、節目節目に書いておくことを勧めたい。で、それのミニ版としては、日記でもいい。あるいは、時々の備忘録でもいい。なんか折りに触れて思うところがあったものを書いておくっていう、この営みはすごく大事だと思いますね。

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2008年に「『あ・か・さ・た・な』で大学に行く」で受賞した天畠大輔さん

障害があると、社会的な偏見もあってですね、非常に孤独感を抱いたり、あるいは、孤立したり、また社会から疎外されたりっていうことが多いんですね。で、それだけに心の打撃、あるいは、心に背負う傷っていうのは深いんですけれど、でも、やっぱり人間が生きるっていうことは、そういうことをしっかりと踏まえながら、どう自分なりの人生を拓く道を見つけ出していくか。 その拓く道っていうものは自分を見つめることからしか生まれてこないと思うんですね。自分をしっかり見つめないで何かいい明日が見えてくるっていうことはないと思うんですね。で、その見つめた自分っていうものは、言語化すると、言葉で表現すると、ちゃんと文脈を持っている。

どんな過酷な人生であれ、この生まれ育ちから今日に至るまでの間にさまざまな出来事があって、そういう中で、今、今日生きているところにたどり着けた大事な要素が必ずあるんだと思うんですね。
あのとき誰に支えられたとか、誰の言葉が大きな力になったとか。で、そういうことを辿ることによって、なんか自分を否定的じゃない面で捉えることができるようになってくる。そして、そういう言語化したものを自分で客観視すると、何か自分で意識しなくても、次、明日から生きる生き方がどっかで変わってくるはずなんです。

それは、本人も分からなければ第三者も分かんない。ただ、それから10年ぐらいたって、もう一度振り返ってみると、ああ、あのときに自分のことをこんなふうに書いて、そこが節目になって、次の新しい歩みが始まったんだなっていうのを、言うならば、後追いする形で確認することになる。
10年後自分がどうなるかっていうのは、そう見えるものではない。だけど、その10年後に到達するには、今という時点で自分をしっかり見つめ直して、これまで歩んできた人生っていうものをいったんそこで客観視する必要がある。そこからまた新しい日々が始まるっていう。

※この記事は、1月24日にEテレで放送した「文字の獲得は光の獲得でした ~作家 柳田邦男が読む いのちの言葉~」の取材内容を加筆修正したものです。
※6月19日(土)午後2時から、この番組の再放送があります。(Eテレ) くわしくはこちら。

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