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ゼロから知りたい障害者権利条約 ~後編~

記事公開日:2020年12月24日

 障害者権利条約は、障害関連の施策や活動をすすめるうえでの柱となっています。障がいのある人たちにとっての支えにもなっています。条約を締結した国は、国内の障害者施策の状況を報告、国連の障害者権利員会の審査を受けることになっています。日本の審査は2020年8月に予定されていましたが、新型コロナ感染症の影響で来年以降に持ち越しになりました。政府報告に対して当事者団体などのNGOが提出するパラレルレポートもすでに作成されています。その内容も合わせてみながら、障害者権利条約の詳細をみてゆきましょう。

手話は、ひとつの「言語」 ~認められたろうの人たちの悲願~

 障害者権利条約では、第二条 定義 という条文のなかに、以下の記述があります。

「言語」とは、音声言語及び手話その他の形態の非音声言語をいう

 手話は言語である、とはっきり規定されたのです。手話だけではなく、盲ろうの人たちが使う指点字、なども言語である、という認識です。

 手話を言語と認めてほしい、というのは多くのろうの人たちにとっての悲願でした。ろう学校でも手話は教えられていなかった、というのはあまり知られていないことかもしれません。聞こえないのに声を出すことを求められ、つらい思いをした人もいました。大学で手話サークルにはいってから、自由に手話で話ができることがどれだけ気持ちよいことか知った、という20代の若者の話を聞くと、聞こえる世界に住んでいる人にとって想像すらできなかったことだと気づかされます。

 手話通訳のことをボランティアと思っている人もいるかもしれませんが、英語の通訳と同じです。言語であると考えれば、福祉的な対応ではなくコミュニケーション手段の一つです。

 鳥取県は2013年10月、全国に先駆けて「手話言語条例」を成立させました。同様の条例は、29道府県、341市区町村、計370自治体で制定しています。(2020年11月24日現在)当事者団体や地方自治体の努力もあると思いますが、権利条約が大きな力になったことはいうまでもないでしょう。次は、手話言語法の制定が求められています。

 さらに、聴覚障害当事者の団体などでは、「情報・コミュニケーション法」制定に向けて活動を始めています。ろうの人たちにとっての手話だけではなく、難聴のひとの要約筆記だったり、視覚障害の点字、知的障害のひとにとってわかりやすい表現だったり・・・情報アクセスやコミュニケーションの権利について保障するために、様々な手段、措置をとる必要があります。障害者権利条約には第21条“表現及び意見の自由並びに情報の利用の機会”という条文があり、その実現を求めているものです。情報へのアクセスや表現・意見の自由は社会参加の基本であり、“他の者との平等を基礎とする”条約の精神を実現するためにも重要なポイントです。

Inclusion = 包容? ~日本語訳では伝わらない条約の精神~

 第19条は「自立した生活及び地域社会への包容」という項目です。「包容」は“inclusion”という言葉の政府公式訳です。福祉分野で最近よく使われる“ソーシャル・インクルージョン”は、格差や貧困がひろがるなかで困難をかかえるひとを排除しないという意味で“社会的包摂”と訳されますし、障害のある子どもたちが普通学級でともに学ぶことは、通常“インクルーシブ教育”とカタカナのまま使われています。「包容」という日本語に違和感を覚える専門家も多くいます。

 もう一つ気になるのが、“a particular living arrangement”“特定の生活施設”と訳していることです。これまで障害のあるひとたちは、施設に住まざるを得なかったり、親と住むのが当然と思われたりしてきました。どこに誰と住むか、は、暮らしの基本です。そのための支援やサービスのあり方を考える際に、この条文はとても重要なものになります。政府の公式訳である“特定の施設で生活する義務を負わないこと”というだけでは、限られた狭い概念になってしまうのではないか、という危惧があります。障害者団体の仮訳では“特定の生活様式で生活するよう義務づけられないこと”としています。障害のあるなしで、どこに誰と住むかがかわってくるものではない、というのが、この条約の趣旨です。そのことをきちんと理解した上で、条約の精神を実現することが求められています。

 さらに、パラレルレポートでは、精神科病院の長期入院の問題を指摘しています。地域移行がなかなかすすんでいません。“特定の生活施設“というと病院が入らないように受取られてしまうかもしれませんが、実際には精神科病院で40年近くも暮らしているひとがいるのは報道等で明らかになっています。

分けない教育、差別しない雇用 ~合理的配慮で社会参加を促進~

 日本の教育は、長い間、分ける教育でした。一般校に通えないとされた障害のある子どもたちは、かつては、養護学校、盲学校、ろう学校で学んでいました。今は、特別支援学校(学級)と名前は変わりましたがその考え方は続いているとも言えます。

 条約の精神は、違います。インクルーシブ教育(政府訳では“包容”する教育制度)を確保する、という記述で、障害のある人もない人もともに学び、障害のある人が教育制度一般から排除されないこと、地域の学校に行き、個人に必要な合理的配慮が提供されるよう、書かれています。また、手話の習得のために適切な措置をとること、さらには、盲ろう者の教育がもっともふさわしい意思疎通の手段で行われること、などがきちんと項目としてあがっています。

 障害のある子どもたちが、個人にあった支援を受け、望む教育を受けて自らを成長させ、社会に参加することができる体制を、できるだけ早く整備しなくてはなりません。

 一方、働くことについても、障害に基づく差別の禁止を、あらゆる形態の雇用(短期的なものも福祉的就労とされるものも含みます)にかかわるすべての事柄(採用、昇進、作業条件など)について求めています。日本では、条約批准に向けての対応として障害者雇用促進法を改正し、雇用の分野における障害を理由とした差別的取り扱いの禁止、合理的配慮の提供義務をかかげ、2016年4月に施行しました。

 しかし、その2年後に発覚したのが障害者雇用率の水増し問題です。中央省庁の8割が雇用している障害者の数を水増ししていることがわかり、障がいのあるひとたちは大きな衝撃を受けました。雇用の機会を奪ってきたのみならず、政府に対する信用が揺らいだといってもよいでしょう。障がいのあるひととともに働くことの意義を根本から問う事態でもありました。障害者権利条約に立ち返り、その後の対応をきちんと注視してゆく必要があります。

“意思決定”を支援 ~保護の対象から権利の主体へ~

 障害者権利条約は、これまで障害のある人たちを“保護の対象”としていた考えを大きく転換し、“権利の主体”として考えています。自分の人生は自分で決める、という当たり前のことを、みなで合意したのです。施設に住まざるをえなかった知的障害のある人たち、好きなものを食べ、好きな服を着て、という暮らしができなかった人たちがいます。たとえよかれと思って与えられたものであったとしても、自分の意思で選ぶ、自分で決めることとは違います。

 条約全体がその精神にのっとっているのですが、特に12条に“法律の前にひとしく認められる権利”という項目があります。「障害者が全ての場所において法律の前に人として認められる権利を有することを再確認する」とあります。そして、「障害者がその法的能力の行使に当たって必要とする支援を利用する機会を提供するための適切な措置をとる」とも。知的障害のある人も意思決定をする権利がある、そのための支援を、ときちんと書かれているのです。

 この点から、見直しを迫られる可能性があるのが、現行の成年後見制度です。財産管理、医療・介護サービスの契約など、本人の意思能力がないとして後見人の代理権が認められています。これは一方で、本人の権利を制限している、とも言えるからです。現在の運用でよいのか、十分な検討が必要です。障害のある人たちが自ら意思決定ができるための支援はどういうものなのか、代行決定がありうるのはどういう場合なのか、今後、より深い議論が求められています。

障害者権利条約は誰がどう推進する? ~求められる基盤整備~

 条約の実施にあたっては、それを監視する枠組みを設けるよう、条約の33条に書かれています。現時点では、障害者基本法に基づいて内閣府に設けられた障害者政策委員会が行うことになっています。しかし、本来なら政府から独立した組織であるべきだという指摘が出ています。日本弁護士連合会は、障害者差別のみならずあらゆる人権侵害からの救済と人権を保障するための国内人権機関が存在しないことを問題としています。

 もう一つ、多くの専門家が指摘している重要なポイントは、第31条“統計及び資料の収集”です。
 「(条約の)締約国は、この条約を実効的なものとするための政策を立案し、及び実施することを可能とするための適当な情報(統計資料及び研究資料を含む。)を収集する」となっています。東日本大震災で障害者の犠牲がどのくらいだったか、政府の公式データはありません。NHKの番組では、各自治体に問い合わせ、全住民の死亡率と比較して障害者手帳保持者の死亡率は2倍であったという事実がわかり、震災半年後に放送しました。調査し検証し、その基礎データをもとに政策をつくる、という当たり前のことが行われるようにしなくてはなりません。

 課題は山積しています。やっとスタートラインにたった、と言ってよいでしょう。障害者権利条約の精神を実現させるための行動が各分野で求められています。これは、いま、障害者とよばれる立場にあるひとだけではなく、すべてのひとのためのものです。障害は、発展する概念で、誰でも当事者になるのですから。

執筆:ジャーナリスト 迫田朋子

ゼロから知りたい障害者権利条約
前編 私たちぬきに私たちのことを決めないで!
後編 日本の現状は条約とココが違う ←今回の記事

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